柴野栗山の史実の生涯を記した記事|栗山は、松平定信に請われて幕府へ来た儒学者で、大河ドラマ『べらぼう』にも登場

柴野栗山/wikipediaより引用

江戸時代 べらぼう

『べらぼう』柴野栗山(嶋田久作)定信を支え寛政異学の禁を進めた儒学者の生涯

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寛政の改革は学問を振興する

田沼時代の最終盤は天明の大飢饉に見舞われ、幕政は限界にあるかのように思われました。

そんな世を治めるべく松平定信が取り組んだのが【寛政の改革】です。

松平定信の肖像画

松平定信/wikipediaより引用

この政治は、北東アジアにおける近世史の成熟といえるものでもありました。

日本は中国や朝鮮半島と比較して【朱子学】の影響が薄いとされますが、実際そうなのか?

確かに日本における朱子学の受容は特殊です。

遣唐使】のあと、中国へ渡来し、勉学に励む日本人は僧侶が大半でした。そのため禅をはじめとする仏教思想との混同が見られ、他国ほど確固たる思想として根付いたわけではありません。

そうはいっても影響から逃れていたわけではない。大河ドラマにそうした要素を取り入れているのが『麒麟がくる』と『べらぼう』です。

『麒麟がくる』では主人公である明智光秀が、朱子学を信奉。劇中の最終盤において麒麟が到来する朱子学重視の政治を託せる人物であると見出したのが徳川家康でした。

そして『べらぼう』の後半では、松平定信の政治が大きく取り上げられています。

松平定信は日本史における政治家の中でも、朱子学への傾倒が強い人物でした。

この教えに力を入れたのは、彼自身の性格や好みだけでなく、政治体制の基盤を固めるうえでも重要と言える。

【朱子学】とは、朱熹(しゅき・1130〜1200)によって大成された儒教の一派です。

彼の生きた南宋時代は、北部が金朝により支配され、漢族が南遷した王朝でした。いつか北部を奪還したい。そんな思いのある時代でしたが、南宋のあとはモンゴル由来の元朝となります。

金朝と元朝を経て、中国全土を奪還して建国されたのが明朝。

初代皇帝である朱元璋は「聖賢・豪傑・盗賊」の要素を兼ね備えた皇帝と後世で評されました。

朱元璋の肖像画

朱元璋/wikipediaより引用

猜疑心が強く、臣下の苛烈な粛清は悪名高い。

しかし、初代皇帝として国家を盤石とする基盤を築いた点では評価できる唯一の人物です。

前漢の初代皇帝・劉邦と並び、低い身分から皇帝にまでのぼりつめた異例の出世人でもありました。

香港の名優であるサモ・ハン・キンポーが朱元璋を演じた映画は『デブゴンの太閤記』という何とも言えぬ邦題がつけられております。豊臣秀吉級の成り上がり伝説という意味だったのでしょう。

現代日本で明代の政治は評価がされにくく、影が薄い。

政治史においては宋代の方が上だという評価は盤石ですが、こと江戸時代までとなるとどうだったか、そこは一考の余地があるでしょう。

明代の政治システムは盤石であり、清代にも踏襲された要素は少なくない。

中国史では近世の封建国家最終段階として、明清時代をまとめて考えることが定着しています。

江戸の人々にとって、明は漢族最後の王朝であり、ロールモデルとなりうる要素も多くありました。

8代吉宗は明代の法律である【大明律】を参考にし、法体系を整えました。

徳川吉宗の肖像画

徳川吉宗/wikipediaより引用

このころ各地に藩校や寺子屋ができ、日本人の教養の底上げがなされるのも、明代の教育制度を参照したものです。

そしてそんな吉宗の孫であることを誇りとする松平定信。

明代政治を徹底して参照した政治理念を取り入れるのは自然なことでしょう。

日本は隋代から中国を参照し、政治体制を整えようとします。

官吏登用試験である【科挙】、教育機関である【大学寮】も導入しましたが、結局のところ定着していません。

『光る君へ』では、主人公のまひろ(紫式部)が科挙のある南宋への憧れを口にしておりました。

学問が優秀であれば出世できる南宋ならば、父である藤原為時はきっと活躍できたであろう――そんな歴史の違いをふまえた表現といえます。

では日本に科挙はなかったのか?というと、実はそうとも言い切れません。

寛政の改革においては湯島聖堂を学府として整備し【昌平坂学問所】(昌平黌・“しょうへいこう”とも称される)を整備。

さらに【学問吟味】制度を実施します。

旗本御家人を対象として学力試験を実施し、成績優秀者を認定する制度です。

身分に関わりなく受験できる科挙よりも、はるかに門戸が狭いとはいえ、学問により出世の糸口をつかめる画期的な制度ともいえます。

狂歌師としての筆を折っていた大田南畝も、この学問吟味に再起を賭けたのでした。

 


寛政の改革の暗い側面

ここまでが松平定信の学問重視、聖賢の道ともいえる要素であるならば、悪い一面もありました。

定信が朱元璋と似ている要素としては、猜疑心旺盛な性格もあげられます。

明代の悪名高い制度として、皇帝直属の秘密警察である【錦衣衛】があげられます。

猜疑心の強い朱元璋は己に背いた家臣を容赦なく粛清し、恐怖で縛りつけたものでした。

朱元璋ほど苛烈でもなく、かつ最高権力者ではないけれど、定信も江戸時代を通して屈指の猜疑心の高さを持つ政治家でした。

彼は【目付】を大量に運用します。

目付とは、漢字の組み合わせからも察することができるように、「目を付けて監視する」のがその役目。

定信は目付にさらに目付をつけるようなことをしてまで徹底し、密告政治のような体制を築きました。

定信の家臣である水野為長が記録した『よしの冊子』は、隠密によるレポートです。

鬼平こと長谷川平蔵宣以は『よしの冊子』で悪い噂ばかり記されていることでも有名だったりします。

こういう定信の黒い側面を知っていれば、幕府から呼び出されただけで自害したと目される恋川春町の焦燥感も理解できます。

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町

『吾妻曲狂歌文庫』に描かれた恋川春町/wikipediaより引用

『べらぼう』前半に、ああも活発に筆をとっていた武士出身の文人たちが創作活動をピタリとやめ、息を潜めてしまうのもご理解いただけるでしょう。

かくして恐怖の思想統制を進めていった松平定信。

嶋田久作さん演じる鋭い眼光の栗山は、今後、定信が失脚するときにどんな言葉を発するのか。

ドラマ最終盤で見どころの一つになるかもしれません。

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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