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【第一国立銀行】
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朝鮮にも進出し 現地で重要な役割を果す
戦前の日本が朝鮮に進出し、積極的な植民地経営を行ったことは教科書レベルでよく知られた話でしょう。
しかし渋沢の関与はほとんど語られません。
実は第一国立銀行は、かなり早い段階から朝鮮への進出を画策していました。
最初の転機は明治9年(1876年)。
日朝修好条規が締結されると、大久保利通の方針によって朝鮮への経済進出は進められていきました。
その2年前から栄一は朝鮮・中国への進出を算段しており、特に朝鮮への海外支店設置は政府の猛反対を受けても突き進みます。
彼はこの強力な推進について「政治上の興味を持った」と語っており、彼自身の朝鮮観に基づいたものだったのでしょう。
明治11年(1878年)に第一国立銀行・釜山支店を開設。
朝鮮での業務はドンドン拡張され、その2年後の明治13年(1880年)には、砂金買い上げを目的に元山出張所も開きました。
本格的な朝鮮砂金の買い入れ事業のスタートです。
明治16年(1883年)には、仁川出張所を拠点として、港の海関税(かいかんぜい)取り扱いにも乗り出しました。
朝鮮政府への貸し付けも実施し、海関税の獲得は後年の列強諸国による朝鮮進出に対する強力な切り札として機能したといいます。
しかし、肝心の朝鮮支店経営については、長期的な低迷状態にありました。
明治十年代は経営に苦しめられ、開業当時の業績に逆戻りしてしまった年さえあったほど。
それでも日本政府による後押しもあって規模を拡大していくと、やがて業績も上向くようになりました。
と、これが不思議でなりません。
なぜ、かくも政治に左右される不安定な商売を続けたのか。
朝鮮での事業展開にこだわったのか。
推測できるのは政治家と結びついた政商の一面でしょう。
第一国立銀行の朝鮮進出は「利権獲得機関」「植民地銀行」的な性格が評価されています。渋沢栄一は長州閥の政治家と昵懇であったため、その御用聞きとして進出を続けなければならなかったのかもしれません。
あるいは他にこんな観測もあります。
第一国立銀行の国内事業が苦境に差し掛かっていたため「もはや朝鮮への進出に望みを託すほかなかった」というものです。
そんな彼らの思惑は大当たりします。
明治27年(1894年)に日清戦争が勃発。
軍事物質の供給により「戦争特需」ともいえる状況がつくり出されました。
長州閥との結びつきがあったからこそとは、この辺から察することもできるかもしれません。
以後、朝鮮においては、明治42年(1909年)に韓国銀行が誕生するまで、渋沢が中央銀行的な役割を果すことになります。
第一銀行 第一勧業銀行 みずほ銀行
日清戦争が終結した後の明治29年(1896年).
日本銀行が開設されたことで役目を終えた国立銀行はその業務を終え、以後、普通銀行に転換することで存続していきます。
名前も第一銀行に変更しました。
第一銀行時代は日本における五大銀行の一角にも数えられ、安定した経営によって日本の発展を支えていきます。
戦時中は国策によって三井銀行と合併して帝国銀行と名称を変え、戦後はふたたび第一銀行として再出発しました。
当然ながら、戦後も重要な金融機関であり続け、1971年には日本勧業銀行との対等合併を発表。
以後、2002年まで第一勧業銀行として経営を行ってきました。
しかし、世界的な金融再編の動きや大手金融機関の破綻などを受け、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の三社が経営統合を決断します。
こうして誕生したのが、我々もよく知る「みずほ銀行」です。
日本屈指のメガバンクとして強い存在感を放っているということについては、もはや言うまでもないでしょう。
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文:とーじん
【参考文献】
『日本大百科全書』
『知恵蔵』
渋沢栄一記念財団編『渋沢栄一を知る事典』(→amazon)
渋沢栄一/守屋淳編『現代語訳渋沢栄一自伝:「論語と算盤」を道標として』(→amazon)
土屋喬雄『渋沢栄一』(→amazon)
鹿島茂『渋沢栄一』(→amazon)
島田昌和「第一(国立)銀行の朝鮮進出と渋沢栄一」(→link)