読めば、勝利の真髄が身につき、かの武田信玄公も愛したという中国の兵法書と言えば?
そう、『孫子』ですね。
著者の孫子(孫武)がどんな人物で、その兵法がいかなるものだったか?
それは以下の記事でご確認していただくとして、
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『孫子』と著者の孫武|信玄や曹操など名将が愛用した兵法書の何が凄い?
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今回注目したいのは、とある「孫子マニアな人」です。
誰あろう、曹操です。
――数多の戦乱に見舞われた中国大陸。
知られざる名著が消えていく中、『孫子』もまた消失の憂き目に遭ったとしても不思議ではありませんでした。
そんな状況の最中、『孫子』をきっちりとコレクションし、注釈まで加えた曹操は文化財保護者でもあります。
そして兵法書『孫子』に曹操が注釈を入れた書物を『魏武注孫子』と言います。
唯一の例外が『魏武注孫子』
『魏武注孫子』とは?
一言で表せば、原書のアップグレード版と言えます。
『孫子』は有名すぎるがゆえに【解説書】も多数ありますが、敢えて言いますと岩波文庫青版『新訂 孫子』(→amazon)で充分。
唯一の例外が『魏武注孫子』であり、決定打とも言える内容を誇ります。

孫子(カリフォルニア大学所蔵の写本)/photo by vlasta2 wikipediaより引用
ではなぜ、曹操は『孫子』にどっぷりハマって、わざわざ注釈まで入れたのか?
ご存知の通り、彼は生涯を戦いに追われ、決してヒマではありません。注釈が完成したのは【官渡の戦い】の前あたりとされています。
多忙を極めるこの時期、本を集め、読書をしつつ、注釈まで入れるというのは大変なことです。
しかし、超合理的な彼だからこそ、役に立つと確信したからこそ、『孫子』をマトメたとも言えます。
曹操はナイスガイじゃないよね
『三国志』の中でも曹操は、ナマの性格がとびきりわかりやすい人物であります。
通常「『三国志演義』の影響を受けていない、リアルな個性を知りたい」となれば、正史が唯一のルートとなります。大半の人物はそうです。
仮に、正史以外の書物で探ろうと思っても、成立年代の早い『世説新語』の時点で面白極端エピソードセレクションとなっておりますから、やっぱり探し出すのは厳しい。
その中で数少ない例外が曹操です。
彼は、文人として著作を多く残しており、そのひとつが『魏武注孫子』でした。
後世、「あの悪党なら、改ざんしているんじゃないの?」という疑惑にもさらされましたが……それは濡れ衣。
悪党だからこそ『孫子』マニアなのでは?という考え方もできます。
孫子は名声が確立しているから、後世の人間も根性が悪いとは言いにくい。
でも、曹操はそうじゃありません。叩きやすい。
しかし、この二人はおそらく同じタイプの性格をしていると見える。だからこそ、曹操は『孫子』を知ってハイテンションになったのではないでしょうか。
「『孫子』の言うこと、わかりみがありすぎる!」
そんな風に思う曹操の性格って?
横山光輝版『三国志』を筆頭として、一般的に描かれる彼のキャラクターは、とにかく極悪非道になりがちですよね。

横山光輝『三国志』第4巻(→amazon)
されど、無意味な残酷さではない。面白半分で酒池肉林をするタイプではない。
「酷いっていうけど、ここは殺した方が合理的だからな」
そんな風に考えるタイプです。
我を忘れて行動したのは、父・曹嵩の殺害事件ぐらいでしょうか。これは後世の作り話とも言い切れず、ともかくゾッとする話が残されております。
ではまず『孫子』のエッセンスから少し考えてみましょう。
そこに魔法はいない、そして軍師もいない
大昔から存在し、今でも使えるとされる『孫子』。
魔法のような一冊か?と思えば実際には真逆で、こんなコトが書かれています。
「迷信を信じている暇があるなら、計算しろ! 現実に戻って来い!」
孫子がこの書物をまとめていた紀元前5世紀。当時はまだ迷信が支配する時代でした。
天に祈ったから。
そういう運勢だったから。だから勝てる。
よーし、今回も祈ろう!
と、なるのも当時の中国が悪いのではなくて、全世界がまだまだそんなものでした。
それをぶった切ったのが孫子です。
孫子といえば、軍師というイメージがあるかもしれません。
しかし、その言葉を読めば読むほど、軍師は実在しないと言うことがわかってきます。
わかりやすいのが『三国志演義』でしょう。
曹操軍配下の軍師は軒並みパッとしないようにも思えます。
荀彧なり郭嘉なり、著名な文人がいないわけではありません。ただ、正面切って強いというよりも、兵糧管理や裏方をしている官吏タイプの姿が浮かんできます。
では、なぜ曹操には軍師が必要なかったのか?
というと、曹操が兵法マスターなので、いちいち軍師に頼る必要がなかったんですね。
もちろん軍議で意見は聞きますが、基本は自分の頭の中に戦術があります。
ここが劉備との違いといえます。
劉備は諸葛亮を迎えるまで、根性と度胸はあっても『孫子』をバリバリにこなせるレベルの知将はおりませんでした。
諸葛亮のライバルといえば司馬懿ですが、彼は基本的に武将であり軍師というのはあくまで後付けのイメージでしょう。
そういう、なんだかよくわからないけどスゴイ軍師像とは、真逆のスタンスが『孫子』です。
例えば『三国志演義』における、祈祷で東南の風を呼ぶ諸葛亮をもしも曹操本人が見たら?
「おい、祈祷で風が吹くか! 気象条件を調べろ、検証しろ!」
そう突っ込むのではないでしょうか。
※横山光輝三国志では普段から近辺の気象条件を調べている設定でしたが
※俺を燃やして団結するなぁ〜〜!!
曹操は性格が悪い 否定できません
ガタガタ言ってないで合理的に行動しろよ。
そんな視点こそ、曹操が『孫子』にわかりみを感じた理由でしょう。
ついでに言いますと、「これは嫌われ者になるなぁ……」という要素もふんだんに流れています。
それを裏付ける逸話を検証してみましょう。
・効率重視、人情軽視
曹操には、お気に入りの歌手がいました。
しかし、性格は最悪。そこで曹操は歌手を大量に雇い、訓練をします。
そしてその女よりもうまい歌手が出て来ると……。
「おっしゃー、あの性悪女はもういらんわ!」
曹操はノリノリで、性格の悪い歌手を殺しました。(『世説新語』)
人を情けじゃなくて能力だけで見ているなーッ!
「さすが曹操様、おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!」
そう受け取るか、「いやいや、いくらなんでもそれはないっしょ……」と思うか。
受け取る側次第ですよね。
・まぁ、お前は使えるから許す
「官渡の戦い」を前にして、曹操は激怒しました。
敵である袁紹陣営の文人・陳琳(ちんりん)の檄文があまりに痛烈であったからです。
曹操の出自をバカにする一文を読み、曹操はこいつだけは絶対にぶっ殺すと息巻いておりました。
その一方で「これを書いた奴、センスあるな。俺本人ですら、これを読んでいると曹操は最低の奴だと思えてくるわ」と冷静に評価していました。
そして曹操は袁紹陣営に勝利。

そんな中、陳琳はこれはもう絶対に死んだな……と思いながら、曹操の前に引き出されます。
と、曹操は意外にも彼を許しました。
「お前、文才あるなぁ。でも俺の父と祖父までコケにするのはやりすぎだろ、なんで?」
「いや、だって、引き絞った弓は放たないとダメじゃないですか」
曹操は納得したようです。
考えようによっては、陳琳は自分の仕事を適切にこなしたと言えなくもないわけで、曹操は陳琳を許し、仕官させ、優遇しました。
後に陳琳は文人グループ「建安の七子」に名を連ねたほどです。
曹操からすれば「恨みで降伏した相手を殺すなんて、無駄無駄無駄、非効率だもんな」といったところでしょうか。
ただ、これは儒教的な価値観からはイケてません。
先祖までけなした相手は、絶対に許さない。そのほうが、格好がつくのです。
しかし、曹操の本音はこんなところでしょう。
「儒教で勝てるか? 飯が食えるか?」
・葬式も立派な墓も無駄だ
曹操は、死の間際にこう言い残しました。
「天下はまだ乱れているのだから、葬儀はしきたり通りにはできない。埋葬が終わったら服喪をやめろ。軍団を統率している担当者は部署を離れるなよ。官吏はそれぞれ仕事をしろ。遺体を包むのは平服でよい。金銀財宝を墓の中にはおさめるな」
これも『魏武注孫子』を読むと頷けます。
勝利のためには、ともかく効率効率効率!
そんな風にばかり考えていたら、そりゃこうなるだろうな、と。
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葬儀も墓もとにかく地味が一番!乱世の奸雄・曹操の墓はリアルに質素
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ただ……残された家臣や遺族の気持ちはどうなのよ……と、さすがにツッコミたくなりません?
情けってものがあるでしょ。そもそもが、儒教社会ですしね。
曹丕にせよ、家臣にせよ。

曹操の言いつけ通りには動けなかったからこそ、それなりに立派な墓が残されています。
副葬品には、当時極めて貴重である磁器まであり、2019年のビッグニュースになったほどです。
◆特別展「三国志」が東京国立博物館で 関羽の青銅像や曹操の墓の出土品を展示(→link)
曹操さん、「後世に大事なコトを伝えるため」と考えると、副葬品は無駄じゃなかったんです……。
・求賢令! 才能さえあればいいから!
曹操は、ともかく効率重視にして人材マニアです。
そこで、こんな命令を出しました。
「才能があれば不倫しても贈収賄するようなクズでも俺は構わない。出世のために奥さんを手に掛けた鬼畜でもいいと思う。ともかく才能さえあればいいから! 才能ある奴、カモンカモン! 役人たちもどんどん推挙して」
これが【唯才是挙(才能さえあればリクルート)】という理屈です。
探す手間が省けるので効率は良い。
しかし素行不良であってもよいものかどうか、そこは引っかかりますよね。
『魏武注孫子』には
「パワハラをするような上司の元では部下がやる気を失って、反乱を招く。パワハラ上司はすぐクビにしろ」
と書かれています。
これは部下がかわいそうだからという優しさゆえではなく、効率重視の結果ではあります。
・三顧の礼より脅迫だろ!
そんな曹操が仕官を迫った人物が司馬懿です。

ライバル扱いされる諸葛亮が「三顧の礼」で迎えられたのに対し、司馬懿と曹操の場合は全くもって心が温まりません。
「仕官か逮捕か、どっちがいい?」と迫りますからね。
オイオイオイオイ!さすがにそりゃないでしょ、とツッコミたくなりますが、これも曹操の効率第一主義のあらわれでしょう。
ただ、そういうことをすると恨みを買うわけでして……それが魏王朝の短命につながります。
※司馬懿の王朝簒奪は『三国志~司馬懿 軍師連盟~』という傑作ドラマになりました
曹操のこうした逸話から見えてくるものがありませんか?
効率重視で、愛する王の前で斬首した孫子と共通点はありませんか?
ラスボスタイプの性格なのだ
曹操は、魅力的ではあり、同時に極めて効率重視なのです。
今の世でも
コスパ!
コスパ!
コスパ!
と言われてウンザリしたことありません?
曹操も効率を大事にしすぎていて、人情、儒教規範、道徳律、周囲の意見を無視する傾向にあった。
たとえ反論されようとも、「無駄無駄無駄ァ!」で終わらせるタイプ――ということが『魏武注孫子』から伝わってきます。
彼みたいなキャラクターは、例えばフィクションではラスボスにピッタリ。言わば憎まれ役ですね。
思い出してみてください。
◆反撃に対して「無駄無駄無駄ァ!」と連呼する『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO様ことディオ・ブランドー。
◆謀略の限りを尽くし「計画通り」と笑う夜神月。
◆全て計算通り、操ってはなんだか楽しそうな、シャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授。
◆高い知性ゆえに人間がバカに見えてしまい、ミュータントで世界征服こそ効率的だという結論に至る、マグニートー。
◆極めて精密な計略を用いて、ハリー・ポッターを殺そうとするヴォルデモート。
◆ただの目玉のようで、すべてを操るサウロン!
◆「結婚式で皆殺しにする方が、戦争をするより楽だ」と思っていそうな、タイウィン・ラニスター。
曹操がノリノリでコメントする『魏武注孫子』を読むと、こういうラスボス系の性格が見えてきます。
「戦わずして勝つ」という有名な名言だって、結局は謀略で滅ぼしたほうがいいという、タイウィン・ラニスターの思考と噛み合う。
聡明、決断力がある、データと向き合う。
その反面、傲慢、人情に欠ける、なんでもジャッジする。
自然とそうなってしまうがゆえに、フィクションのラスボスとしてはうってつけの性格なのです。
倒したくなりますよね?
『三国志演義』はじめとする後漢時代を描くフィクションにおいて、彼が敵役となってしまうので仕方ない。必然なのです。
信玄もナイスガイではありませんし……
「おいおい『孫子』の愛読者が性格が悪いなんて言いがかりだ! 武田信玄はどうなるんだ!」
と思った方にお尋ねしたいことがあります。
「武田信玄は性格が好いと思いますでしょうか?」
名君であり名将かもしれません。
しかし、だからといって性格が好いとはちょっと言えなくないですか?
弟子のような真田昌幸にしたって、ナイスガイとは言い難いです。

武田信玄(左)と真田昌幸/wikipediaより引用
日本全国で『孫子』を読み漁った結果が、これです。
「育てるよりも奪うほうが効率的だな、ヒャッハー!」
『孫子』を読むこと。
それは、多くの人にできることです。
ただし『孫子』の教えをマスターして、いつでもどこでも実践できるようにすると、ちょっと思わぬ結果がついてくるかもしれません。
言うことが厳しすぎて、周囲から引かれて友達を失う。
情けを度外視しすぎて、恨みをかう。
自分以外がバカに見えて来てしまい、気づけば人を見下している。
そしてその結果、思わぬ破滅を迎える……。
前述のラスボスたちは、思いもよらぬ反撃を受けて、主人公チームに倒されてしまいます。
それがラスボスの運命なのだ。
AI社会を生き抜くために思考ルーチンを学べ
今、AIが人の仕事を奪うとされています。
AIでできないコトで生き残る――そんな考えが広く浸透してきておりますね。
これは、今に始まったことではありません。
紀元前5世紀に、もう孫子が言い始めたことなのです。
信仰心、人の情け、正義感。そういった目に見えないものは無駄だ! 眼に映るデータを分析し、勝利へ邁進しなさい!
どうでしょう?
こうしてまとめると、孫子とAIがかぶって見えては来ませんか?
しかし、前述の通り『孫子』を身に染み込ませていた名将ですら、読めないことはあります。
それが敗北の要因につながっています。
・計算に強い分、想定外のことが起こるとパニックに陥る
→【赤壁の戦い】での火計
・人の情けを軽視して、恨みをかう
→司馬懿は曹操への恨みが抜けきれず、晩年に爆発した
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ボケ老人のフリして魏を滅ぼした司馬懿の策|諸葛亮のライバルは演技派だ
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・正義や道徳が理解できない
→計算外の力を見誤る
冷徹であり、計算を重ねて、勝利を目指す。
そんなラスボスを、正義の力で倒す。
そうやって戦い抜く姿には、人の心を熱くするものがあります。
勝ち目がなかろうと、劉備への恩義に報いるため、魏に挑み続けた諸葛亮。
勝利を度外視し、敗者の誇りとロマンを見せつけた真田幸村(信繁)。

ラスボスに苦しめられ、仲間を失いながらも、懸命に挑むその姿。
そこには、計算外の美しさや素晴らしさがあると、人間は感じながら生きてきたのです。
※諸葛亮の死になぜ人は泣くのか?それは計算できない心の動きです
そんな姿こそ、AIが計算できない、神秘的な世界なのではないでしょうか?
孫子、曹操、武田信玄。
彼らの合理的で冷徹な思考ルーティンを学び、それだけではない何かを見出すこと。
それこそが、今を生き抜く知恵なのでしょう。
そんなわけで、今こそ読みたい本が『孫子』です。
耽溺し、実践しつつも、人の情にも注意を払えば、世の中を上手に生き抜いていくことができるでしょう。
なお、曹操の生涯全般についての記事は以下の記事を併せてご覧ください。
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【参考文献】
金谷治『新訂 孫子』(→amazon)
中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』(→amazon)
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