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土方歳三/wikipediaより引用

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週刊武春 幕末・維新

あの鬼の副長・土方歳三が、可愛くオシャレに俳句を楽しむ♪ トシさん、今ならインスタ派?

更新日:

歴史の舞台に颯爽と現れ、そして時代の渦に呑まれてしまってから150年。
幕末史において燦然と輝く存在、それが新選組です。

彼らの魅力は個々に強すぎるキャラクターでありますが、中でも一番人気となるのは、やはり「鬼の副長」こと土方歳三ではないでしょうか。

白皙(はくせき・色白)のイケメンでクール。存命当時からモテモテ。
現代においても、愛しのトシさんを主役としたフィクションも多く、小説、ドラマ、乙女ゲームまで、とにかく大人気です。

そんな「鬼の副長」にはもう一つの顔があります。

俳諧です。

大切なことなのでもう一度言います。

俳諧です。

彼は句を詠むという風流・シャレオツな一面もあり、下記のように黒歴史(?)としてブックカバーにもなりました。しかも、ネット界隈で話題となり、ねとらぼさんに取り上げられるという展開です。

◆やめてさしあげろ 土方歳三直筆の恋の句をあしらったブックカバーが話題に - ねとらぼ 

ねとらぼさんより引用

では、トシさんはどんな句を詠んでいたのかな!

 

無骨一辺倒! イメージの近藤勇でさえ、漢詩を嗜んでいた!?

武士というのは本来、弓矢を取って戦う階級です。
しかし時代がくだるにつれ、武士の理想は文武両道とされるようになり、いくら武勇に長けていても、学識や風雅の道に欠けているようではものたりない、と評価されるようになりました。

江戸時代になると、この傾向はさらに強くなります。
長州の明倫館や会津の日新館など、各地で藩校が作られ、武士の子弟は教育が必須となるのです。

学びの場は藩校だけではありません。
幕末には多くの武士が剣術道場で腕試しをしておりましたが、こうした道場では剣術だけではなく、教養も学ぶことができたのです。

まさに文武両道。どちらも磨いていたわけです。

幕末に活躍した武士は、皆こうした教育を受けており、漢詩や和歌で心情を表すことができました。
男性だけではなく、武士階級の女性も、文学のたしなみがありました。安政の大獄に散った梁川星巌(やながわ せいがん)の妻・梁川紅蘭(やながわ こうらん)は見事な漢詩を数多く詠んでいます。

土方にとっては盟友とも言える近藤勇も、こうした武士の教養を持ち合わせています。

近藤勇/Wikipediaより引用

近藤は一切シャレたところのない、無骨一辺倒、きちんとした教育を受けていない田舎者というイメージがあるかもしれません。

ところが実際には、武士としての基本的な教育を受けていて、幼い頃から漢文に親しんできました。
漢詩という形で教養が残されているのです。

彼の場合は詩作が好きというよりも、教養として学び、ここぞという時には作ることができた。そんな感じでしょうか。

では、土方はどうだったのでしょうか。

 

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これを書き残したのはやっちまったなぁ……というのがチラホラ

土方は武州多摩郡石田村の比較的裕福な家に生まれました。

11才で呉服商に奉公に出るも、耐えきれず出奔。
17才でもう一度木綿問屋に奉公に出ると、今度は奉公先で女性がらみの揉め事を起こしこれまた退職、石田散薬を売り歩くことになったわけです。

フィクション等では鬼の副長と呼ばれる土方ですが、実際は色白のイケメンで撫で肩、商人風の柔らかい物腰でした。

呉服商や木綿店員といえばアパレル系です。
その頃のアパレル店員としての経験が、そういった態度につながった可能性がありますね。

土方が俳句を詠むようになったのは、石田散薬の行商時代です。彼の家族ら周囲も俳句を嗜んでいましたので、その影響でしょう。
しかし、彼の俳句は決してうまいものではなく、現代人が読んでも「これを書き残したのはやっちまったなぁ」というのがチラホラ。

武士階級が教養として学ぶ和歌や漢詩と異なり、俳諧はあくまで町人の娯楽でした。
教養としてハイクを詠むのは『ニンジャスレイヤー』の世界だけ。俳諧を嗜むお武家さんもおりましたが、その場合、あくまで趣味としての扱いです。

たとえば現代人は、用途に応じてSNSをつかいこなしますよね?
政治への意欲を語る場合は、フェイスブックやツイッター。
おしゃれな日常を皆でシェアしてつながりたいならばインスタグラム。インスタでは、まず政治的思想を発信することはないでしょう。

当時の感覚を今で言うならば
Facebook=漢文
Instagram=俳諧
といったところでしょうか。
大ざっぱな分け方ではありますが、俳諧というのは政治的意識高い系には不向き、皆で楽しいおしゃれライフをシェアしよ♥というノリでした。

では、せっかくですのでお二方の作品を見てみましょう!

まずは近藤さんから!

もしも近藤勇さんがFacebookを使っていたら(超絶意訳)

◆近藤勇の漢詩「有感作」
只應晦迹寓牆東
喋喋何隨世俗同
果識英雄心上事
不英雄處是英雄

「思うところがあって投稿します。
こんな時代は、世間からちょっと離れるべきなんじゃないかと思います。
人が軽々しく言うことなんて気にして真似なんかしていられないんです。
俺もやっと英雄の考えがわかるようになったんですよね。
ちょっと英雄ならむしろ考えないかな、ってことがかえって英雄らしい、ってことです」

お次は土方歳三さんの一句!

もしも土方歳三さんがインスタ派だったら(超絶意訳)

◆武蔵野やつよう出て来る花見酒

武蔵野でお花見。つい酒飲み過ぎちゃう……。でもそれが楽しいよね♥

とまぁ、SNS投稿で例えますと、このくらい温度差があるわけですね。

ただしこの両者を比べるのはどうか、とも思います。

武士としての近藤の教養と、あくまで武士デビュー前、俳諧が趣味の商人だった頃の土方。比較するにしても性質的にまったく違うのです。
土方の俳諧と他の人の漢詩や和歌を並列にして教養レベルや思想を比較するのは、あまり適切ではないわけです(といいつつ、私も本稿でしていますが)。

 

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黒歴史ということくらい本人もわかっているんだよ!

土方の俳句はあまり上手いとはいえません。

そんな中でも、黒歴史ナンバーワンとされるのは、
しれば迷ひ しらねば迷はぬ(ふ)恋の道
でしょう。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』でも沖田総司に「下手だなあ」とダメ出しされた句です。

まぁ、現代人からしてもわかりやすくて、わかりやすいだけに赤面してニヤついてしまうような句なのですが、これは土方自身も「これはないな」と思っていました。丸で囲んで没マークをつけて、それでも没にしきれなくて「恋の道」を「法(のり)の道」に修正したりしたあとが見えます。

それでもあまりに面白いため発掘され、現在でもネタにされてしまうんですね……。
これは辛い。そろそろ、そっとしておいてあげた方がよい気がするのですが、いかがなものでしょう。

フィクションでは上洛後も俳句を詠む土方ですが、『豊玉発句集』は全て多摩時代の作品です。
武士デビュー後は俳諧は辞めていました。
人を斬り粛清しながらほのぼの系の俳諧を嗜んでいたら、それはかえって恐ろしい気がしますからね。

くどいようですが土方の俳諧センスはあまり上手ではなく、田舎の仲間同士でわきあいあいと披露しあう程度のものです。
それに俳諧というのは、仲間同士で集まって楽しみあうものです。一人で詠むのはイマイチ楽しくないわけですね。
土方も、京都でわざわざ同レベルの俳諧仲間を作ろうとは思わなかったようです。

そんなわけで武士デビュー後は俳諧から距離を置きながら、その影響は残りました。

近藤らと違い、土方は柔らかくておしゃれな筆跡です。
現代人からすれば綺麗な字ですが、当時からすると「なんだこいつ、変な筆跡だな」となります。
実は彼の筆跡は、俳諧サークル特化型のものなのです。

同好の士では受けるおしゃれな書体は、武士がビジネス文書に使うものとしてはおかしいわけです。

皆が明朝体やゴシック体でビジネス文書を書いているのに、土方だけが個性的でやけにシャレオツなフォントを使っているような状態だと思ってください。
「ビジネス文書でそれはないだろ」ってなりますよね? 書いているのは鬼の副長なのに。

先ほど武士デビュー後の土方は俳諧をやめたと書きましたが、全く詠まなかったわけでもないようです。
文久3年(1863)に京都から郷里に送った手紙の中で戯れにこう詠んでいます。

報国の心ころわするゝ婦人哉

京都でモテまくって困るわー。こんだけモテると国のこととかもうどうでもよくなりそうだわー、って。もちろんジョークなんでしょうけれども、この時期でもまだ撫で肩色白イケメンアパレル店員らしさが残っています。

 

トシさん、辞世に見られる修練のあと

そんな土方ですが、京都での激動、奥羽での転戦を経て、最期の地函館にたどり着くまでには文学的素養も身につけました。その証拠が、彼が最期に詠んだ辞世です。

たとえ身は蝦夷の島根に朽つるとも魂は東(あずま)の君やまもらむ

【訳】たとえこの身が蝦夷の地で散るのだとしても、魂だけでも東の徳川家を守るでしょう

いいですねえ、それっぽいですねえ。
トシさん、すっかり幕臣らしくなって……と改めて涙してしまいます。

多摩でほのぼの系日常を俳諧に詠んでいた青年は、函館の地で雄々しく戦う英雄になりました。
文久3年(1863)の上洛から僅か6年間で、彼はここまで変わったのです。

人間というのは変わるものだと言う思いとともに、もしも土方が上洛せずにあのまま多摩で過ごしていたらどんな人生を送っていたのだろう、とも考えてしまいます。
日常を観察し、俳諧を仲間と楽しみ、美男として近所ではちょっと有名。そんな平凡な青年の人生を、幕末の動乱は変えてしまいました。
その方が幸せだったかもしれませんが、それでは歴史に名は残せなかったことでしょう。

そう考えると、短い土方の人生そのものが、もはや文学作品のようなものなのかも?と、しんみり。

過酷な歴史は、一人のおしゃれな青年の人生をも磨きあげ、そして雄々しくも哀しい物語に変えたのです。

文:小檜山青

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【参考文献】

 





1位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


2位 わろてんか主人公
吉本せい波乱の一生


3位 西郷隆盛49年の生涯!


4位 史実の真田幸村とは?


5位 最上義光 名将の証明


6位 ホントは熱い!徳川家康


7位 意外と優しい!? 織田信長さん


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


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