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マーシャの日記(清水 陽子 (翻訳) 新日本出版社)/amazonより

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マーシャの日記【リトアニアのアンネ・フランク】が綴ったもう一つの物語

更新日:

ナチスドイツの強制収容所に収容され、若すぎる命を奪われたアンネ・フランク
彼女とは同年代で、似たような環境の中、同じく日記を続けた別の少女がいました。

マーシャ・ロリニカイテ――。

「リトアニアのアンネ・フランク」とも称されるマーシャは、ゲットーから強制収容所送りという境遇もアンネと似ていながら、二人には決定的な違いがありました。それは……。

マーシャは生きて強制収容所から解放され、実に2016年まで生きたのです。

もし、生き残ったら自分で話そう。
そうでなかったら、これを読んでもらおう。
だが、とにかく知らせなければ!
絶対に!

そう強く願ったマーシャの日記が、日本でも飜訳出版されています。

それがTOP画像の『マーシャの日記―ホロコーストを生きのびた少女』(新日本出版社)です。

 

この経験を記録する、そう心に決めた少女

1927年、バルト海沿岸のリトアニア。
美しい森と湖が広がるこの国で、マーシャ・ロリニカイテは誕生しました。

弁護士の父のもとに生まれたマーシャは、幼い頃から詩を書き、文才の片鱗を見せていました。
学校ではリトアニア語、家庭内ではイディッシュ語という生活だったとのことです。

マーシャは日記を書くことになったとき、イディッシュ語で書くことにしました。
リトアニア語よりもイディッシュ語の方が読まれやすい、そう考えたのです。

自らの体験したことを、後世に残したい。彼女はそう強く願っていました。
収容所ではなんとか筆記具を探し出して記し、それすらできなかったら見たものを目に焼き付ける。

そうして苦難の歴史の証言者になったのです。

 

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ある夏の朝、響き渡るサイレン

1941年6月22日。
リトアニアの街、ヴィリニュス。

さんさんと太陽が降り注ぐ初夏の一日。
マーシャたちの運命は暗転しました。サイレンが鳴り響き、爆撃が開始されたのです。

ヴィリニュスに作られた城壁「夜明けの門」

ソ連軍は撤退し、街はナチスドイツに占領されました。
マーシャの一家は荷物をまとめ、逃げようとします。

が、父親が切符を買いに出たまま戻らず、母と子供達だけが取り残されてしまいました。
実はこのとき、父ノギルシャ・ロリニカスは撤退するリトアニア軍に合流しており、そのまま前線で兵士として戦うことになっていたのです。マーシャたちがそのことを知るすべはありませんでした。

マーシャの一家は父不在のまま避難を試みますが、幼い弟たちはすぐに歩き疲れてしまいます。
やむなく街に引き返す一家。
それが間違いの元でした。

街は既にナチスの手中にありました。
ユダヤ人は財産を没収され、それとわかるようマーキング。さらに共産党員だとの疑いをかけられた人々をさらい、銃殺、穴に埋めるという有様です。

聡明なマーシャは、国際的に禁止されているはずの捕虜殺害が行われていることに愕然とし、怒りを感じさせました。それと同時に、父がこの街にいなくてよかったかもしれない、いたら射殺されたかもしれない、という思いを抱くのでした。

そしてマーシャは、学校すら通えなくなります。
ユダヤ人とコモソール(青年共産同盟員)は通学禁止とされたのです。

 

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ゲットーに入れられて

突如、街の郊外に、こんな看板が立てられました。

<<注意! ユダヤ人街区。伝染の危険あり。部外者の立ち入り禁止>>

ヴィリニュスのゲットー跡/Wikipediaより引用

そしてマーシャはじめユダヤ人は、追い立てられるようにして、そこへ送られます。
と、同時に食料は配給券制度。
育ち盛りの子供には到底足りない量だけが支給されるようになりました。

マーシャの母と姉ミーラ、それにマーシャは必死で働き続けました。
働き続けられなくなれば、命をも落としかねない。そう、わかっていたからです。

働けない老人たちは、施設に入れると騙され、警官達によって郊外に連れ出され、射殺されました……。
戦況は一進一退。
ソ連軍がナチスドイツ軍を打ち破っているという情報も届きますが、まだまだ先は長い道のりでした。

 

母と弟妹との別れ

パルチザンたちも抵抗を続けていますが、危険と隣り合わせの日々でした。
彼らの活躍は心強い一方、もしも協力を疑われたら殺されてしまいます。

パルチザンや協力者が殺されたという悲しいニュースが毎日のように届くのを、ミーシャは日記に書き留めました。

一方、ナチスドイツは、各ゲットーから男を集め、まとめて殺すようになりました。
殺される男性たちが、本物のパルチザンかどうかは関係ありません。

こういう虐殺は「男狩り」と呼ばれました。
ノルマ達成のために男達が集められ、殺されてゆくのです。
パルチザンがいた建物は、中にいる女子供、はては味方ごと破壊されました。徹底した殺戮です。

毎朝、これが最後の朝かもしれないと思いながら仕事に行く日々。
しかし、それも終わりを迎えます。ゲットーの閉鎖が決定されたのです。
姉のミーラは、偽の証明書を手に入れて脱出済みでした。

母と弟妹たちとともに、マーシャは荷物をまとめ始めました。
そうして移動するうちに、マーシャは母と弟妹とはぐれてしまいます。

母は叫んでいました。
「あの子はまだ若くてよう働けるから、来させないで」

マーシャはなんとかして母と弟妹の方へ向かおうとしますが、途中で気絶してしまいます。
そして彼女一人だけが列車に乗せられて、どこかへ……。
別れた母と弟妹の三人は、あえなく射殺されていました。マーシャはそのことを、ずっと後で知ることとなります。

赤軍パルチザン兵(ベラルーシ・1943)/Wikipediaより引用

 

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強制収容所へ

家族と引き離され、心細いまま揺られる列車。
飲食も自由にできないまま、家畜のように押し込まれた中、マーシャはどこかへと連れて行かれます。

目にした建物を見て、マーシャは子供ながらに驚愕します。

カイゼルヴァルト強制収容所でした。

嗚呼、強制収容所に着いてしまうなんて。
せめてママがいれば……。さっきまでは一緒だったのに。
マーシャは嘆くしかありません。

そこで待ち受けていたのは、薄く僅かばかりのスープ。
暴力。
ちょろちょろした水がかかるだけの「入浴」。

マーシャは前歯をたたき折られ、持ち物検査では父の写真を破り捨てられてしまいます。
そのあと、シュトラスデンホーフ強制収容所へ送られたのでした。

「囚人No.5007」
それが、マーシャを示す番号でした。

マーシャは重たい石を載せたトロッコを押す仕事や、工場での仕事をさせられます。
そんな中でも、すり減った鉛筆をなんとか手に入れ、この壮絶な経験を書き留めるのでした。

 

収容所を転々とさせられ

戦線の状況が変わる中、収容所にもその波が押し寄せました。
脱走者が出始めたのです。

数人の集団が、あるときごっそりいなくなる。そんなことが続くようになりました。
あれほど威張っていたナチスの看守たちも、この状況に焦りを感じ始めているのが、マーシャにもわかりました。

そんな中、シュトラスデンホーフ強制収容所も「撤退」することになります。
撤退といっても、素直に喜べません。ナチスが去り際に収容者を殺さない、などと、どうして断言できましょうか。

死ぬかもしれない——まさに悪夢の中にいるような、マーシャ。
恐怖に震えながら移送されたのは、シュトットホーフ収容所でした。
今度は「囚人No. 60821」。
以前の収容所より、さらに劣悪な環境でした。

シュトゥットホーフ強制収容所のゲート/Wikipediaより引用

そこではまるで奴隷のように「どれだけの労働に耐えられるか」を選別され、フランス人雇い主の元へ送られます。

僅かな食事だけを与えられ、厳しい農作業に従事する日々。
主人のフランス人も、ドイツ人同様マーシャに親切にするわけではありません。
それでも収容所よりはまだマシな生活を送ることができました。

収穫を終えて、秋が来ました。
三ヶ月という期限付きの労働であったため、マーシャたちは収容所に戻されることになりました。
マーシャの耳には、収容所に戻るのを拒んだ若い女性が首を吊った、という不穏な噂も入ってきます。

収容所へ戻ったマーシャを待っていたのは、伝染病の流行と冬の寒さでした。
病に倒れ、マーシャは死の淵を彷徨います。
せっかくここまで生き永らえたのに、なぜ、神様はそんな酷い仕打ちを……。

 

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1945年、そして解放へ

1945年。
ナチスドイツは敗退を重ね、戦線が収容所に近づいてきました。
囚人たちは追い立てられ、ノロノロと移動させられることとなるのです。

護送兵に追い立てられる中、なんとか移動してゆくマーシャたち。
周囲では囚人がバタバタと倒れてゆきます。
爆発音や戦争の気配も、移動する彼女らに迫ってきました

マーシャは移動中、溝の中に転落しました。ナチスドイツ兵にロシアのスパイと間違われ、射殺すらされかけました。
しかし、運命はマーシャを見捨てていませんでした。

ドイツ兵は突然逃げ去ってゆきます。
そして、誰かがマーシャの痩せこけた体を起こし、涙を拭ったのです。

「泣かないで、娘さん、もう二度とこんなひどい目には遭わせませんよ!」

力強い声で苦境から救い出してくれた兵士の帽子には、赤い星が光っていました。
ソ連の赤軍兵士です。
長いこと、彼女はこのときを待っていました。

それはヒトラーが自殺する一ヶ月前。1945年3月のことでした。

マーシャは18才になっていました。

amazonより

 

ホロコーストの小説を書き続ける

その後、マリヤ・ロルニカイテとして、作家になります。
そして語り部の役割を果たすため、リトアニアのホロコーストをテーマにした小説を書き、発表し続けました。

マーシャの日記の価値は、決してアンネ・フランクに劣るわけではありません。
ではなぜ、彼女の知名度が低いのか?

それは冷戦が関係しているのでありましょう。
東側、ソ連の作家であった彼女が日本で受け入れられるようになるには、あまりに意識の壁も高かった。
そんな政治的事情もあって、マーシャのことはあまり知られていません。

しかし、その迫真の筆致は一読に値すると言えます。
「絶対にこのことを書いて伝える」
13才の少女がそう決意し、18才で解放されるまで記憶し、書き綴ったこと。
まさに奇跡のような日記です。

リトアニアのアンネことマーシャ。
彼女の残した壮絶な体験を、是非一人でも多くの方にお読みいただければと思います。

文:小檜山青

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