こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【大河ドラマの時代考証】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
時代考証で無理がない範囲内なのに……
時代考証は、間違っていれば批判され、正しければ褒められるという単純なものでもありません。
むしろ正しいのに、視聴者の認識と異なるため叩かれることもあります。
前述した新選組の羽織も、正しくしたらしたで「新選組は浅葱色だろ!」という意見が届くのではないでしょうか。
近年の大河でも実際にあった、なかなか理不尽な例を挙げてみましょう。
・『八重の桜』で山口県と鹿児島県が悪役になるのは嫌だ!
まったくもって意味がわかりませんが、実在したようで記事にもされています。
◆『八重の桜』の長州藩描写 山口県民は受け入れ難いの意見多し(→link)
会津と長州の遺恨を興味本位で掘り返すような記事の姿勢はいかがなものか……と思うと同時に、現に、そういう意見があるとすれば悲しい気持ちになってしまいますね。
・『真田丸』は戦国時代なのに「軽井沢」が出てくるなんておかしい
現代人からすればリゾート地に思えるのでしょうが、問題ありません。
当時からある地名で、ふざけているわけではないのです。軽井沢が避暑地とされたのは、明治以降になります。
三谷幸喜さんは『新選組!』でも「香取大明神」の掛け軸が、主演の香取慎吾さんとひっかけたウケ狙いだと誤解されたことがあります。
◆戦国物に「軽井沢」OK? 真田丸プロデューサーに聞く(→link)
こうなると、三谷氏のことを普段から攻撃したいと思っている誰かが、ここぞとばかりにクレームを投下したところ実際は問題なかった、というケースにも思えてきます。
作品が気に入らないのならば、確たる理由を挙げて意見を表明すればよいでしょう。
・『麒麟がくる』の衣装が派手だ、女性が立ち膝なのはおかしい
こちらも時代考証を刷新した結果、従来の情景とは異なる描写となったため、クレームがつけられました。
衣装の色合いは、映像の調整にも問題があったのかもしれません。
『麒麟がくる』のド派手衣装! 込められた意図は「五行相剋」で見えてくる?
続きを見る
・『麒麟がくる』で「麒麟が来ない」のはおかしいではないか
かなり頓珍漢な物言いにしか見えませんが、これも実際にあったので注目しておきますと……。
麒麟が到来した世とは「太平の世」となります。
明智光秀が没した段階では、麒麟が到来している状態でないので、むしろ正解でした。
麒麟がくるという状態は、儒教道徳由来のもの。
劇中で明智光秀が信奉していた朱子学は、徳川幕府のもとで本格的に定着します。
ゆえに劇中の描き方で問題ありません。
『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題
続きを見る
・『麒麟がくる』の駒はでしゃばりすぎだ、足利義昭の妾になっている
池端俊策さんは『太平記』も創作した人物をプロットに絡めています。彼の作風の範囲内でしょう。
駒と義昭は親しくしていましたが、はっきりと性的な関係にあると描かれた場面はありません。
妾と指摘された方の発想の飛躍では?
・『鎌倉殿の13人』で北条時政が言った「首ちょんぱじゃねえか!」はやりすぎでは?
タイムスクープハンターのところでも触れましたが、鎌倉時代の話し言葉をそのまま再現したら、現代人はまったく理解できません。
ゆえに時代劇というのは「それっぽい現代の言葉」を用意します。
北条時政の「首ちょんぱじゃねえか!」は、彼の語彙力やキャラクターを表現したのでしょう。
同じ時代を舞台にした1979年大河『草燃える』でも、フランクな言葉遣いが随分と批判されたとか。昔からあったんですね。
坂東武者の言葉が粗暴な理由~鎌倉殿の13人に見る武士の文化教養とは
続きを見る
・『鎌倉殿の13人』で全成が風を呼ぼうとするのはふざけてない?
道教が混ざっていた当時の仏教なら、ありえる範囲です。
なぜ阿野全成の占いは頼朝に重宝されるのか?鎌倉殿の13人新納慎也
続きを見る
時代考証や所作指導をどれだけ正確にしても、評価されないことは往々にしてある。
それでも努力を続けるスタッフの仕事には敬意を払いたい――逆に手を抜くなら、そこは厳しく見ていきたい――そんな姿勢でよろしいのではないでしょうか。
足りないのはむしろパワーと説得力
今回、話題となった清須城の時代考証について、もう少し見てみましょう。
「清須城がおかしい」というツッコミに対しては擁護意見もありました。
その意見は妥当なのかどうか。
具体例を挙げて見て参りましょう。
・清須城があの描写になったのは、元康が心理的に圧倒されていたから、そう見えたんだ
清須城が画面に出てきたとき、空は黒々と蠢いていて、城もおどろおどろしく、元康たちの前に立ちはだかりました。
あれは、圧倒された元康の心理が表れていたのか?
だとすれば、
・もやがかかったり
・色合いが変わったり
視聴者から見て『家康の中ではこんな風に見えてるんだな』と明らかにする演出が必要だったかもしれません。
しかも建物が中国風ならば、そうだと連想してしまう元康の素養も見せて欲しい。
事前に、明渡来の書物を読ませて
「唐(から)の宮殿は大きいんだなぁ。阿房宮ってどんな感じかなぁ?」
なんて想像するシーンがあるとよいでしょう。
お人形遊びや瀬名との恋愛シーンなどをカットすれば、その時間を捻出できるはずです。
・当時はまだ天守閣がないから大丈夫、あれでよい
じっくり見ると、オーパーツ的な建材が含まれているようにも思えましたが……具体例で挙げてきたように、大河ドラマではある程度の誇張や不正確な描写はあり得ますが、許容範囲もまた存在するのです。
それでもドラマに引き込まれ、面白ければ批判はされません。
考えてみるに、問題は『どうする家康』の作品そのものにあるのでは?
大河ドラマとしてパワー不足でつまらないから、怒りの矛先が時代考証に向かってしまった、そんな一面があるような気もします。
『鎌倉殿の13人』では、文官の大江広元が大立ち回りを見せ、素早く数名の武士を斬り倒しました。
いくらなんでも強すぎるのでは?
そう思われた視聴者もいるでしょうが、あのシーンが目立って叩かれることはありませんでした。
皆が素直に「広元すげぇ、やるじゃん!」と感じたからでしょう。
“タイパ重視”の弊害か?
『どうする家康』で時代考証がおかしいとつっこまれる箇所は、そもそも考証者のチェック範囲外のこと。
最終確認が甘くて失敗する、ネットスラングでの「現場猫案件」(大声で「ヨシ!」と指差し確認したようで、うっかり見落としで失敗すること)が続発しているように思えます。
こうした実例は、なにも『どうする家康』が初めてではありません。
驚くような事例も過去にはあります。
◆ NHK大河「青天を衝け」、英露など3か国の国旗を上下逆さまに放送…考証担当者への確認怠る(→link)
2021年『青天を衝け』で映されたイギリス・ロシア・オランダの国旗が上下逆だったという場面ですね。
考証作業に着目して引用させていただきますと……
同局によると、国旗考証の担当者への確認を怠っており、その担当者からの指摘で判明した。
考証が間違ったのではなく、スタッフが「確認を怠った」ことから起きてしまったとあります。
では、なぜ「確認を怠った」のか?
時間が足りなかった。考証を軽視していた。そもそも国旗に上下があるなど知らなかった。
などなど理由は色々と考えられますが、一番の問題はドラマの制作体制にあるのではないでしょうか。
時間に一定のバッファがあり、考証担当者へ細かく確認できる――そんな体制があれば妙な描写も避けられるはずです。
『どうする家康』の清須城も、こうした体制の問題から来ているのかもしれません。
タイパ(タイムパフォーマンス)を重視しすぎた結果と申しましょうか。
清須城とは別に批判対象となったCG乗馬についても、タイパ重視の制作体制から来ているようにも思えます。
『青天を衝け』のある俳優は、乗馬シーンは「撮影時間がかかるのに一瞬しか映らない」とこぼしていたものです。
そんな取組姿勢で迫力あるシーンを撮れるでしょうか。
一方『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんは、乗馬の練習を相当積んでいました。
◆ NHK大河「鎌倉殿の13人」 乗馬クラブで80回の猛特訓! 小栗旬の全力アクションと三谷コメディーの融合 初回みどころ(→link)
頼朝を後ろに載せて伊藤の追っ手から逃げる。畠山重忠との一騎打ちで相手の馬に飛びかかる。
といったように、小栗旬さん演じる北条義時は、乗馬が重要なシーンがいくつかあったのも事実ですが、それにしたってここまで本気で特訓されたら、「一瞬しか映らない」と考える方とは歴然の差となるでしょう。
そうした一つ一つの積み重ねが、熱のあるドラマを作るとも言えます。
『どうする家康』は豪華キャストがずらりと並んでいる。
売れっ子を集めるとなれば時間も限られ、かなりタイトなスケジュールだと想像できます。
実際そうした報道もいくつか出ているので、ざっと列挙しますと……。
◆松本潤、現場で“男を上げる”が視聴率は…『どうする家康』の舞台裏(→link)
「NHKは、広報戦略で完全に失敗しました。『鎌倉殿の13人』のときは、主演の小栗旬が協力的で、撮影の合間にインタビューや囲み取材に応じていた。でも、今回は多忙な松本ということで、取材スケジュールが満足に組めていないようです。また、乗馬シーンなど重要な場面でCGを多用し、チープさが目立つようになった。NHKは、ロケ地の確保に苦慮した結果、CGを使用していると言い訳のようなコメントを出し、メディア関係者の間でもシラけムードが広まっています」
◆ 岡田准一や松山ケンイチは大河主演も…大物俳優が『どうする家康』で“ちょい役”で出る特殊事情(→link)
「理由はいくつかあると思いますが、最大の目的は間違いなく知名度とスケジュールでしょう。もともと演技派嗜好の俳優さんは映画出演を好む傾向にありますが、やはりテレビで知名度を上げることは必要。でも民放ドラマは拘束期間が長いうえ、スケジュールも不安定なので、肝心の映画の仕事を入れにくくなってしまいます。
しかしNHKの大河や朝ドラは、ギャラこそ安いものの撮影スケジュールがきっちり組まれ、ズレることもまずない。何よりNHKはとにかく視聴者層が幅広い。ちょい役でも出演すれば知名度が一気に上がります。最終的にはそこから、もっとも割のいい仕事であるCM出演を獲得したい、という思惑も大きいのではないかと思います」(民放テレビ局社員)
「萬斎さんが『ハムレット』に強い思い入れがあるのは言うまでもありません。しかも今回は、息子の裕基さんが主演です。いつも以上に全力投球で臨むのは当然でしょう。舞台の稽古に充分な時間を確保したいという意向はNHKにも伝えていたようで、それもあって第1話はああいう脚本と演出になったのです」
2月時点でこうした記事が複数出ている状況は異例。
ドラマの中身ではなく、役者の都合や思惑をネタにされても、大河ファンは困惑するばかりでしょう。
※続きは【次のページへ】をclick!