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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第38回地本問屋仲間事之始】
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歌麿は屍を描き続けていた
大和田との話が一段落着くと、今度はただならぬ様子の菊麿がやってきました。
慌てて出かけていく蔦重。
歌麿は絵をひたすら描き続け、床一面が覆われています。歌麿は月代と髭が伸び切った姿であり、前のシーンから日数が経過していることがわかります。
部屋には崩れゆくきよの屍があります。
まずは手を合わせる蔦重。背後の人が鼻を覆うことで腐敗臭があるともわかる。
歌麿の横に座り、「大変だったな」と声をかける蔦重。
「気持ちは痛えほどわかっけど、旅出させてやんねえか? おきよさん成仏できねえよ」
「まだ生きてるから。人の顔ってよくよく見てると毎日変わんだ。一日として同じ日はねえんだよ。おきよはまだ変わってっから、生きてる」
蔦重はそう言われ、打つ手がないように首を横に振ります。
そして意を決して義弟の体をつかむと、屍を触らせます。
「脈がねえんだから生きてねえんだよ」
それでもまだ屍を愛おしそうに触る歌麿を突き飛ばす蔦重。
「こうしたら一緒に行けるっておきよが……」
「やめろ! おい、仏さん運べ! 早く!」
蔦重はなおも屍に取りすがろうとする歌麿を突き飛ばし、屍を部屋の外へ出させました。
歌麿は暴れる。
「おきよはまだ生きてんだよ、そこにいんだよ!」
「お前は鬼の子なんだ! 生き残って命描くんだ。それが俺たちの天命なんだよ」
歌麿は、屍から流れ出た液体が黒く染みた畳に身を伏せ泣きじゃくり、蔦重に抱きつくとさらに激しく泣き叫ぶのでした。
MVP:喜多川歌麿
蔦重がうまくことを収めたように見えて、実はそうでもないことは来週明らかになるのでしょう。
平蔵はまだまだこれから。
そんな理由もありますが、このドラマのおける喜多川歌麿はあまりに秀逸で、他を吹き飛ばしてしまうことは確かです。
彼はまるで台風のようだ。
歌麿の妻子については断片的な話しかありません。比較的信頼のおける曲亭馬琴の記述によれば、亡くなった時に妻子がいなかったことがわかります。
そうなるとフィクションは自由にしてよい。そこに浮世絵師の本質を埋め込んできたように思えるのが、この作品の実によいところ。
歌麿ではなく、別の浮世絵師となりますが、複数回幽霊を見たと逸話が残っているのが月岡芳年です。
別れてしまった最愛の人の姿を見た。顔を隠して泣いているけれど、着物の柄でわかった。一心不乱にその姿を描いた。
あとでその人が幽霊を見た時間に亡くなっていて、死に間際まで「あの人にお礼を言いたい」と呟いていたと知った――そんな話が伝えられ、そうした絵師の業が歌麿に反映されていると思えるのです。

月岡芳年『月百姿 源氏夕顔巻』/wikipediaより引用
浮世絵師について調べていると、どうにも恐ろしく、精神状態が悪化するような逸話もチラホラと出てきます。
あの沈んでゆくような気持ちを、今回、見ていた視聴者と共有できるなんて実にありがた山。
心の底から浮世絵を愛しているスタッフだからこそ、こんな業が深いもんを作れちまうんだね。
さて、こんな病んだ歌麿をみて、一体どうなるのか彼の今後が不安になる方もいるでしょう。
大丈夫(でぇじょうぶ)だ!
絵師にとって最高のセラピーは絵を描くこと。
歌麿は美人画を描き、最愛のおきよの魂を呼び出すことで、彼自身をきっと救うことでしょう。浮世絵師てえのは、なかなか健全でもあるのさ。
ついでにいえば劇中の歌麿の経験は壮絶なようで、もっと恐ろしい経験をすることになる浮世絵師はいます。
幕末に戊辰戦争を目撃することになった、月岡芳年世代です。
この世代の揚州周延は彰義隊士でもありました。
本物の死体や銃弾を見て描くことになった彼らも、筆を手にすることで自らを救っていたのでしょう。
2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』にも、出てくることを期待しております。
総評
毎回勉強になる本作。
2024年と2025年は、大河ドラマで西日本と東日本の文化対決をしたようにも思えてきます。
松平定信は上方から江戸へものが流れてくることを嫌いました。
輸送費がかかるということもあるものの、ここで描かれたような東の意地を感じさせます。
将軍の威信だのなんだのいうものの、江戸っ子の意地を感じさせますぜ。
今年の大河は視聴率が低迷しているとされます。
まず、文化への関心が低いのか。
今年と去年を比べて前者が高いとすれば、これも東西文化の差かと思っちまって、胸がちくりと痛みますぜ。
平安文学の方が江戸文化より人気があるってことかい?
思い当たる節があって辛ぇわ。
例えば浮世絵の場合、海外の美術館が「我々はこんな大物絵師の作品を保存しています」と誇らしげに書いていることがあります。
その絵師の作品が日本で展示されると、画廊の客が自分一人であったりするのです。
時間帯もあるだろうとは思いますし、じっくり見られることはありがた山なのですが、それでも寂しいし、もったいないとは思います。
今年の大河を契機に、推し絵師ができてもいいと思いますけどね。
ただ、東洲斎写楽はお勧めしません。
ドラマの展開もありますが、彼はこれ以上評価が上がることはなく、むしろ下がりかねないと思っております。
ジャンルも限られているし、新発見もなさそうだし、そもそも作品数が少ないのであまり深掘りできないのです。
そもそも浮世絵の歴史からいえば、写楽に完全勝利をおさめた歌川豊国率いる歌川派が重要で、系譜は今にまで続いているわけです。
それなのに写楽ばかりありがたがると、浮世絵の理解に弊害が生じる。
本作はきっとその歪みを修正してくれるぜ。信じてっからな。
そしてここからは、これから恒例になりそうな「蔦重ダメ出し」でやんす。
蔦重は、実はあまり反省していないところも注目しております。今回の対処はせいぜい服が破れて仮縫いした程度に思えるんですね。
そんな彼の痛々しい振る舞いは実に世間の問題をうまく描いているようにも思えます。
今週、痛烈だったのは、鶴喜も、鱗の旦那も、蔦重が後進潰しをしていることを見抜いている点でしょう。
これは本当に気をつけたほうがよい。知らぬ間に昔の自分のような人物を潰しにかかるものというのは、いくらでもおりますから。
そしてもう一つ、周囲に苦労をかけること。
蔦重も動かねえわけじゃないけれども、それよりもっとフル回転させられる周囲がいます。
今週も、京伝の労働力をあてこんで話をどんどん先に進め、鶴喜のフォローがなければ詰んでいたことでしょう。
京伝が納得した理由だって、蔦重の説得でなく、北尾重政の侠気に気づかされているのです。
そういうの、バレてねえと思ってんのか?
大御所気取りで、なんなら俺に利用されて嬉しいとでも思ってんのか?
自分一人でここまでのしあがったと思ってんのか?
そんな勘違いした大御所気取りおじさんの振る舞いが毎週見られまして、大変ためになると思っておりやす。
なぜ蔦重がこうも薄っぺらいのか?
前半は田沼意次、後半は松平定信、蔦重はその対比で描いているように思えます。
定信が悪辣なようで、彼は根っこに教養のある文化愛好者なので、蔦重よりもマシだと私には思えることもよくあります。蔦重よりきちんと反省しているようにも見える。
時に方向性を間違えるとはいえ、根が真面目なんですね。
その対比を強めるためか、あるいは別の狙いか。蔦重の人物像は、カルチャーでなく“軽チャー”寄りにしていると思えてきます。
これは民放テレビ局が掲げたフレーズである「楽しくなければテレビじゃない」に象徴されます。なんでもかんでも軽薄に扱えばいいという舐めた態度ですね。
今週もよいこと気取りで煙管を咥えてまとめておりましたが、それは本当によいことなのかと疑念は覚えました。
心のままに楽しければよい――そう言っても格好がつくのは、ある程度道徳心なり、教養が伴ってからの話ではないのか。
蔦重の場合、根っこにそういうものがないから、どこか薄っぺらくて偽善的ではないのか。
そういう“軽チャー”への憎しみ、軽蔑を本作からは感じさせます。
それを全力で、しかも主人公にぶつけてくるなんてどういうことかとは思いますが、それも狙い通りなのでしょう。
来週は、もう予告編の時点で、蔦重へのダメ出しがすごいことになっております。楽しみですね。
曲亭馬琴もそろそろ出てくることですし、容赦なく蔦重を始末して欲しいものです。
このドラマについて言やァ、甘ったるいハッピーエンドには毛ほども期待しちゃいねえぜ!
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【参考】
べらぼう公式サイト