永観2年(984年)、五節の舞姫となったまひろは、“三郎”の正体を知りました。
藤原兼家の三兄弟・藤原道長――母を殺めた“ミチカネ”の弟だったなんて。
衝撃のあまり倒れ、寝込んでしまいます。
姫君サロンは五節の舞姫の話で盛り上がる
まひろが不在となった源倫子の姫君サロンでは「五節の舞姫」の話題で持ちきりです。
なんでも侍従宰相に見初められ、結婚相手が決まった姫もいるとか。
顔が四角いけれど、財産はあると妥協点を見出している。誰かと思えば、侍従宰相はザブングル加藤さんが演じました。
そして話題は藤原三兄弟のことへ。
見目麗しいとはしゃぐ姫君たちに対し、おっとりしているような倫子も興味津々です。
話題はまひろが倒れたことにも及びます。
あの程度の身分で舞姫を務めたのが生意気だのなんだのチクリと嫌味を言い、姫たちがクスクスしていると、倫子は自分の差金だとしてきっちりと、それでいて優しく止めます。
彼女はこの時点で、只者ではない大物の風格が出ていますね。かわいらしいだけの姫君ではない。
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平安時代の病気治療
藤原為時邸では下女のいとが大慌て。まひろが寝込んでしまい、三日もの間、水も食事も口にしないとか。
彼女の治療にやってきたのは、僧侶と巫女でした。
余計に具合が悪くなりそうな祈祷が始まります。
巫女の格好をしている人物は「よりまし(寄坐・憑子・尸童)」です。
「……ちーおーしやー」
突如うずくまって何か言い出しますが、要するに怨霊がとりついているということです。
口惜しや
子……
娘……
母じゃぞ
僧侶の解説によると、残された子に未練があって、母が成仏できていないそうです。
母を浄土に送らねば、いずれ怨霊になって呪い殺す。成仏を願い、不動明王に願い、水垢離(みずごり)をせよとのこと。
すかさず弟の藤原惟規が、冬だし寒いし死んじゃう!と嫌そうな態度になります。やらねば怨念で姫が死ぬと脅されても、嫌なものは嫌なようで。
「しっかりしてくれよ〜、姉上」
すっかりぐずぐずしてしまう弟ですが、なんとかいとが水を浴びせようとします。嫌だ!とごねる惟規と争ううちに、水桶をひっくり返してずぶ濡れになってしまうのでした。
「もう!」
まひろが起きました。死んだように寝るのはやめるから、もうああいう人たちは呼ばないで欲しいと念押しするのでした。
この場面はおもしろおかしく、よくできています。
日本の宗教は「儒・仏・神」とされます。異なる宗教でも混ざる。寺と神社が一体化したような場所もあります。
本作のこのシーンでも僧侶(仏教)とよりまし(神道)がコンビでやってきていた。
さらにややこしいことに、この頃は中国の道教までうっすら混ざります。日本の仏教は中国経由なので、そうした融合が避けられなかった。
鎌倉時代以降の僧侶たちは「それではいかんでしょ」とブラッシュアップに努めますが、そうして洗練される前のカオス状態が実に面白い。
考証だって相当大変でしょう。『鎌倉殿の13人』に続き、大変頑張って作り上げてきております。
医療にしてもお粗末で、こんな調子では平安時代の人はすぐ死んでしまうのでは?と思えます。なんせ平均寿命は40あったかないかと言われるほど。
にしても、病気になっても祈るだけか……。と、『三国志』ファンの方なら華佗の手術を思い浮かべるかもしれません。華佗の場合は後世の脚色もあるので比較は難しいですが、そうした技術伝播のほどもなかなか興味深いものがあります。
病気で寝込んだらオカルト儀式をされるなんて、この時代に生まれなくて本当によかった。映像化されると想像以上に厳しいものがありますね。
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まひろは道兼の顔を忘れない
まひろは父・藤原為時と対峙します。
為時は、まひろが幼い頃に見た咎人の顔を忘れていることに賭けていた。
しかし彼女は覚えていた。
まるで頭の中で映像を残していたかのように、あの日のことがまざまざと思い出されるのかもしれない。
賭けに負けた為時は、“ミチカネ”のことは胸にしまって生きていけと命じます。ちやはもそれを望んでいる。
と、この言い分がなんとも酷いですね。まひろが男であれば大学で立派な成績を残し、自分の力で出世できるが、弟の惟規はできない。
誰かの引き立てでなければ、いい官職を得られない……残酷すぎる達観ぶりです。
その上で右大臣に縋らねばならないのだと父の主張に対し、まひろは、母を殺した咎人を許せというのかと怒ります。
「お前は賢い……わしに逆らいつつも、何もかもわかっているはずだ」
「わかりません!」
噛み合わない父と娘です。
そのころ、内裏で勤務する武官たちも、倒れた舞姫の話をしていました。
藤原道長はその噂を暗い顔で聞いている。
まひろは母の形見である琵琶を、母を思い出しながら弾いている。
“ミチカネ”の弟が三郎――魂がさまよっているような顔で、月明かりの下、彼女は悩んでいました。
花山天皇の張り切りぶりに、実資は納得しない
即位した花山天皇は張り切って政治改革を断行中。
関白も、左大臣も、右大臣も無視してどんどん進めよ、とのことで、側近たちは皆、頭を下げています。
しかし藤原実資は納得できない。帝を諌めるよう、藤原義懐に訴えます。
夢を語るだけではならない。実現できなければ世が乱れる。夢を掲げて試してしくじったら、朝廷の権威は地に落ちるとのこと。
それでも強気な花山天皇の側近コンビに実資はあらためて強く言う。
安請け合いはするな、政治は子どものおもちゃじゃない、先の帝はそんなことはしなかった。
側近コンビが、そんなこと誰かに聞かれてもいいのか、帝に聞かれてもいいのか?というものの、実資は誰に聞かれても構わぬと強硬です。
毎回強気を見せてくる実資には謎の中毒性があります。ロバート秋山さんが見事ですね。
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ただし、この場面の実資は正しいのかどうか。
荘園なり、銅銭の流通に関して、この頃からあった問題が、やがて立て直しができなくなるのでは?
すでに制度疲労を起こして亀裂が生じていたならば、何か対策をせねばならなかったのでしょう。
そうはいっても帝はまだお若く、藤原忯子を熱く寵愛しているとか。
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あまりに寵愛しすぎて、忯子は寝込んでいます。
女房たちも、気の毒だの、幸せだの、ざわついております。
貴公子たちの政治改革への思い
こうした政治事情を受け、平安のF4たちもおしゃべりしながら、政務をこなしております。
藤原斉信(ただのぶ)はまだ若い天皇の志に感銘を受け、思ったよりも長持ちするかもしれないと語ります。
彼は、花山天皇が寵愛する忯子の兄。もしも妹が皇子を産めば実権を握りますし、その願望も抱いているのでしょう。
藤原公任(きんとう)は、その割には官位が上がらないと嫌味をチクリ。女御を寵愛していても、兄は気にならないのか?と毒舌全開です。
それでも斉信は、公任の父である関白・藤原頼忠の世は過ぎたと言い出します。新しい政治をしていると期待を込めて語る。贅沢を禁じ、銅銭を鋳造し、荘園を没収するそうです。
親の代にはなかったことだ、帝はただの女好きではないと賞賛していますが、同時に危うさもありますね。
荘園は貴族の収入源です。そんなところに手を入れられたら、反発は必至でしょう。
公任が、帝の側近は成り上がりだとそっけない態度に対し、斉信は、側近のことはどうでもいい、新しい世になることへの期待を語ります。
道長だけは、ボーッとしています。聞いていなかったのかと問われ、聞いていたと返す道長。
「なるようになるだろう」
公任と斉信は苛立ちつつ、また口論になりそうな気配があり、官位が上がってから意見を言え!といよいよ険悪になると、それまで大人しかった藤原行成が、弓の稽古をしようと言いだしました。
公任の言い分はまさに貴族。往年の名作漫画『ベルサイユのばら』に、こんな台詞があります。
「文句があったらいつでもベルサイユへいらっしゃい」
「言いたいことがあるなら官位が上がってから言いなさい」
そっくりで、いいですねぇ、公任!
公任を演じる町田啓太さんは、なんだか大変なことになっているようです。
海外アジア圏において、『光る君へ』関連検索に彼の名前が上がっているのです。
日本の時代劇といえば、武士主役の作品が多い。そんな中、文官といえる平安貴族の姿は珍しいだけでなく、その優雅さはアジア宮廷ものの雰囲気がある。
雅な宮廷美男日本代表として、彼は注目を集めているようです。日本代表としてがんばってください!
行成、道長に代筆を申し出る
心根の優しい藤原行成は、道長に悩んでいるのかと話しかけます。文なら代筆するぞ、と提案するのですが……。
「いらぬ!」
強気に返す道長ですが、書に注目するとかなり笑えるやりとりです。
F4の場面では、貴公子たちが綺麗に筆を握っていました。
力を入れ過ぎず、そっと優しく雅に持っている。特に行成は繊細さを感じさせる。
しかし、道長は姿勢が悪いし、筆の持ち方がイマイチ。これは演技や指導が悪いのではなく、意図してのものでしょう。
道長は字が下手なのです。
筆を寝かせるわ。墨がかすれるわ。そういう下手な字を書く人物として演じるとなると、残念な姿勢でなければいけない。
そのくせ、筆は特注品の最高級のものを使っているのが、実にたちが悪い。なんでも道長の字が上手だと、演出からダメ出しが入るそうです。
そんな道長に対し、行成は書道の達人。
行成は清少納言に「センス悪いわね〜」とからかわれるようなものを書いてしまう。
しかし、マヌケな和歌だろうと、手紙だろうと、行成は筆跡があまりに美しいから、清少納言が定子サロンで回覧してもおかしくありません。
そんな字の事情を踏まえると、行成は「道長は字が残念だもんね」と気遣ったような、含蓄のあるシーンで笑いを誘われます。
◆ 吉高由里子はいら立つスタッフに「ねぇ、怒ってるの?」 書道家明かす大河現場の癒しフォロー(→link)
右大臣家・兼家一家の家庭事情
藤原道長が父の藤原兼家と食事をしています。
面白い話はないか?と聞く兼家に対し、「父上が聞いてもうれしい話はない」とそっけない道長。
兼家はそんな我が子の言葉に、内裏の仕事は騙し合いだから嘘も上手になれと助言します。
道長が、公任や斉信は帝の在位は長くなりそうだと語っていると明かしています。となると、兄・藤原道隆による「帝の在位は短い」という流言飛語作戦も不発だとわかりますね。
帝は若くとも志は素晴らしいと道長がいうと、兼家が真意を探るかのように、お前も同意なのか?と問いかける。
「わかりませぬ」としながら、道長が本音を明かします。
帝はどなたであろうといい。大事なのは「支える側だ」と。
すると兼家は喜び、こうきた。
「我が一族は、帝を支える者たちの筆頭に立たねばならぬ」
そして筆頭に立つためには東宮を即位させねばならない。
生きている間は兼家、その後は道隆、道隆のあとは道兼、道長、さらに道隆の子……と言いきると、最後に釘をさす。
「お前もそのことを覚えておけ」
脂ぎった口調で言う兼家には、何の政治的ビジョンもありません。花山天皇とその側近の方がよほど真っ当だ。
それにしても段田安則さんの醸し出す、権力にギラついた姿が素晴らしいですね。俳優ならば、一度はこういう役を演じたくなるのではないでしょうか。
そのころ、後継者筆頭として期待されている道隆は、妹である藤原詮子の御機嫌取りに出向いていました。
賢い詮子はそんなものには流されないどころか、兄に対し「わざわざ説教しに来たのか」と逆に問い詰めます。
困った道隆は、東宮が即位すれば父が後見になり、仲違いしたままではよろしくないと丸めようとします。
そんなこと詮子だって百も承知。だからといって和解する気はない。
父の道具であることを承知していたのに、たった一人の殿方である円融天皇に毒を盛り、それで譲位させるなんて生涯許せないのだと。
そのうえで“裏の手”があると明かします。
道隆が聞き出そうとしても、兄上にも言わないと言い切る詮子のニヤリと微笑む姿が素晴らしい。吉田羊さんの魅力が全開ですね。
そしてこの父と対峙する詮子は、ドラマの後半にも思い出されることでしょう。
愛のために家父長制に逆らうヒロインが、今後もきっと出てくる。実に痛快ではありませんか。
関白・左大臣・右大臣の密会
内裏では話せない、関白・左大臣・右大臣の愚痴タイムが展開されております。
藤原頼忠・源雅信・藤原兼家の三人です。
彼らもかつてはF4のような時代がありましたが、それも今は昔のこと。花山天皇に排除されたと嘆いております。
右大臣・兼家は東宮の祖父として先はあるけれども、関白・頼忠はそうでもない。公任のことがなければいつ死んでもよいとまで嘆いている。
左大臣・源雅信はそこまで権力にこだわっていないようで、見過ごせぬと巻き込まれています。
「我らの意見が合うのは何年ぶりじゃ」
「初めてのことかもしれんな」
「フフフフフ」
笑い合うこの人たちはなんなのでしょうか。政治に対して全く理想がなく、あるのは自分の利益だけですか。
そりゃ、こんなのを見ていたら荘園も没収したくなりますね。
確かに平安貴族は仕事をしています。でも、保守に回ったこの人らは見ちゃいられない。
いつもは小声だった頼忠が大きな声を出し、兼家も驚くほど。
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すると、ここで
「小麻呂! 小麻呂!」
と雅信の娘である源倫子が猫を追いかけてきました。
当時の猫は紐で繋いでいるため、逃げたら一大事。だからといって追いかけてくるとなるとはしたない。雅信は娘の無礼を詫びます。
兼家はねっとりと、よい娘で入内させるつもりはあるのかと聞いてきます。そうなれば邪魔ですね。
「いや、あのような礼儀知らずの娘、入内などとてもとても……」
そう謙遜する雅信ですが、兼家からすればそんなことは信じちゃいないでしょう。
同時に、倫子と道長の結婚への道筋も浮かんできます。この関係性を、猫と追いかける倫子で示すのは、『源氏物語』の女三宮と柏木のオマージュでしょうか。
なんですかね。平安貴族の生きている姿をやっと掴めた気がします。
百人一首やらなにやら、文化の世界だけでは華やかで仕事をしている姿が想像つきにくい。
仕事ぶりを探ってみても、生きて、喜怒哀楽を見せている姿はピンとこない。
そういう背後の部分がピタッと重なり、生々しい姿が見えたと思える、まさにドラマの力を感じます。
確かにこの時代は馴染みもないし、合戦もありません。だからこそ、新鮮な驚きがあっていい。こういうのが見たかったんじゃないか?という思いが心の奥から湧いてきます。
知っているようで知らなかった世界が目の前にあります。
とにかく明るい道綱
散楽の一座でも倒れた「五節の舞姫」が話題になっています。
しかし、藤原為時の娘であると、身分が低くてつまらないと興をそがれる一同。
直秀だけが、何か思うところがあるようです。
兼家はそのころ、妾(しょう)の一人である藤原寧子のもとにいます。
この「寧子」という名前はあくまでドラマ上の設定で、本来は藤原道綱母という名前で知られていますね。父・藤原倫寧(ともやす)から「寧」をとった、北条時政と政子父娘と同じパターンの命名のようです。
『蜻蛉日記』の作者で、紫式部にとっても遠い親戚……と言っても、突き詰めれば藤原はみんな大体親戚同士となります。
中国や韓国の場合、ルーツが同じ者同士の結婚は避けてきたものですが、このころの日本はそうではないのです。
二人の前に、一人の青年がいます。寧子が、あれは道隆様の次の子だと兼家に言うと……。
「はい! 父上のために精一杯舞いました!」
ともかく明るいこの青年が藤原道綱。兼家は可愛く思っているそうですよ。
しかし、同時に「時姫を母とする三人と同じとは思わないよう」にと釘を指す。法外な夢を抱かず、控えめにすればよいこともあるとさらに付け加える。
実父からこんなことを言われても、道綱は素直にハキハキと聞き、母である寧子も達観しているように見えます。
母も、我が子はマイペースでのんびりしていると理解しているのでしょう。
それでよいのかもしれない。なまじギラギラとしていて、きょうだいに敵愾心を抱いていたら危うくなる。
上地雄輔さんがいい味を出しています。舞の所作もキビキビしていてよい。
この道綱があの実資に「アホのくせに出世早くてムカつく!」と罵られるのかと思うと、期待が高まります。
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直秀がまひろと道長を引き合わせる
直秀が藤原為時邸の屋根の上で梟の真似をしています。
顔を出したまひろに対し「憑き物のついた女の顔を見にきた」と皮肉ると、そんなに噂になっているのかと彼女が驚いています。
“三郎“が道長だと知っていたのか?と尋ねるまひろ。
倒れた理由はそれだったのかと逆に問われて、彼女が「それだけじゃない」と答えると、身分が違いすぎるから諦めろと直秀が諭す。
思わずまひろがムッとします。身分に縛られなくないからこその、散楽ではないか?
それはそうだと認めつつ、世の中変わりもしないと呟く直秀。
彼はどこか達観したようで変わっていますね。世の中の外にいるからこそ、仕組みがわかって、天の声すらわかってしまうような不思議さがあります。
歴史劇のこうした「オリキャラ」は、そんな役目があり、毎熊克哉さんが見事に体現されています。
しかし、そこへ
「姉上〜」
と弟の藤原惟規が出てきて、会話は中断されるのでした。
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そのころ藤原道長が文を書いていました。
字が綺麗だとかえってダメ出しをされる個性的な筆跡にご注目ください。
この文が直秀経由で届けられ、まだ呑気な乙丸に対し、いとは苛立っています。下人からの手紙だと聞くと、いとは聞かなかったことにします。
手紙の内容はこうでした。
五節の舞姫が倒れたと聞いて胸を痛めている。ぜひ会って話したい。次の満月の夜、藤原為時の屋敷を訪ねる――。
そんな道長の文を見て、まひろは考え込んでいます。
道長にはここに来てほしくない。父の前では話せないことがある。だからどこかで会えるように手はずを整えて欲しい。
逢引きではないとして、直秀に頼むと「断る」と言われてしまいますが、実際どうなるのか。
満月の夜、道長が馬で移動していると、その背中に直秀が乗ります。為時の屋敷にまひろはいない。六条に迎えと告げるのでした。
兼家、晴明に呪詛を命じる
権力簒奪に余念のない藤原兼家は、またしても陰謀に取り組んでいました。
安倍晴明に、弘徽殿女御が懐妊したのなら、呪詛せよと告げるのです。
「できませぬ」
きっぱりと断る晴明。兼家は褒美は望みのままだと言っても、晴明は断る。
褒美次第でなんでもするとお思いかもしれないが、帝の子を呪詛するとなれば命が削れてしまう。我が命がなければこの国の未来は閉ざされるのだと。
それを寝ぼけたことだと笑い飛ばす兼家。この国の未来を担っているのはお前ではない、私だとまで言い切りました。
しかもここで、晴明は人の気配を察知します。
兼家が灯りを消すと、背後に関白・頼忠はじめ公卿がズラリ!
命を削ってでも成し遂げ、この国の未来は我らが担うとふてぶてしく宣言する兼家です。
この兼家は、正親町天皇に対する織田信長以上に態度が傲慢に思えてきます。一体なんなのか?
それにしても、光の使い方が抜群にうまいドラマですね。
闇の中に何かが潜んでいるように思える。こんな灯りの下でならば、当時の人はあやかしをみてしまうだろう――そう思える闇があります。照明のもとで光る衣装も美しい。
呪詛の狙いが弘徽殿女御というのもおぞましい。
花山天皇の寵愛する藤原忯子のことであり、やつれた彼女に呪詛は効きそうだ。
実際に呪ったかどうかはさておき、兼家の悪意がますます際立つ。円融天皇に毒を盛ったことに次ぐ、悪意の増幅があります。
忯子も気の毒としか言いようがありません。
帝に愛されることは、当時の女性にとって最高の幸せであったはず。
それがこうも肉体を痛めつけられ、呪われるとは……。
満月の夜、再会を果たす
六条で、まひろと道長が向き合っています。
名を名乗る道長に、“三郎”じゃなかったのかとまひろが問いかけると、三郎は幼い頃の名前で、出会った時はそうだった、騙そうと思ったことはないと答える道長。
そして驚かせたことを詫びています。
まひろは、会って話したいから文を書いたと告げ、言葉遣いを改めると「“三郎”が道長様だから倒れたのではない」と明かします。
隣にいた男の顔のせいだ。
藤原道兼のことか? 兄を知っているのか? と戸惑う道長に対し、まひろは「6年前に母を目の前で殺した相手だ」と告げながら、当時の状況を説明します。
播磨国から戻り、官職がなかった父の為時。食べることにも事欠いて、下男下女も逃げ出す始末。
そんなとき、右大臣兼家から当時の東宮(今の花山天皇)の漢文指南役に任じられた。官職ではないものの食べていけると喜び、母は御礼参りに向かった。
ちょうどその日は“三郎”と会うと約束した日だった。
もしも「五節の舞姫」のとき、隣に“三郎”がいなかったら、あのとき「人殺し」と叫んだかもしれないとまひろが言います。
「でも“三郎”がいて……」
涙をこぼすまひろ。詫びる道長。彼女はさらに、兼家は為時に、東宮の様子を探らせていたことも言い出します。
謝って済むことではないけれども、一族の罪を詫びる道長。
「許してくれ」
「兄はそのようなことをする人ではないと言わないの?」
素直に受け止めず、そう返してしまうまひろ。
「俺はまひろの言うことを信じる、すまない」
そう言われても、まひろは“三郎”の謝罪が欲しかったわけではない。ならばどうすればよいかと聞かれ、まひろはこういいます。
「わかんない。“三郎”のことは恨まない。でも道兼のことは生涯呪う」
「恨めばよい。呪えばよい」
そう返す道長。まひろは自分を責めてしまいます。
あの日、私が“三郎”に会いたいと思わなければ。
あの時、私が走り出さなければ。
道兼が馬から落ちなければ。
母は殺されなかった。母が死んだのは私のせいだ。そう泣きじゃくるまひろ。
道長は愕然とします。あの日の約束を決めたのは道長でもある。道長にも責任があると言えなくもありません。
道長は六条から去る前に、直秀に名前を聞きます。
「直秀殿」
そう丁寧にいい、まひろを頼むと言い残し去ってゆきます。
「帰るのかよ」
直秀はそう驚くのでした。
業の深さが二人を引き裂く
そのころ東三条では、道兼が兼家に話しかけていました。
晴明がすごすごと去っていく姿が面白かったとのこと。悪事に何の躊躇いもありません。
そこへ踏み込んでくる道長。
「兄上、6年前、人を殺めましたか? お答えください」
道兼は、やっと聞いたか、見ておったか、と覚悟を決めたように言います。事件当日、血糊を浴びた姿を道長は確かに見ていた。
「虫ケラの一人や二人、殺したとてどうということはない」
「なんだと! 虫ケラはお前だ!」
咄嗟に兄につかみかかり、几帳ごと倒す。烏帽子まで脱げるほどの暴力ですが、殴られた道兼には不可解な思いがありました。
「父に告げたのは道長ではないのか?」
またミステリが増えます。密告したと思っていた道長は違った。道兼の従者は殺された。では目撃者は誰なのか。
兼家はそれに答えず、我が家の不始末を始末せねばならなかったと言います。
道兼はそのうえで、道長が原因だという。器量の小ささを揶揄されて苛立ったから殺したのだ。
と、兄弟が激しく罵り合っている中で、突如、父の兼家が笑い飛ばします。
「道長にこのような熱い心があると思っていなかった!」
個性豊かな我が子をとことん利用し尽くす、邪悪な父の笑いです。
道綱への言葉でもわかりますが、使えない奴ははなから期待しない。道長に利用価値があえるとみなしたからこそ、笑ったのでしょう。
悪の黒幕はこの男です。
まひろはふらふらと家へ戻ります。心配して家の外で待っていた父に抱きつき、泣き出すまひろ。
彼女の青い春は終わったのでしょう。
恋か、そうでないかもわからない。甘い“三郎”への思いは、苦い現実への失望として残りました。
MVP:直秀
屋根の上に立って梟の真似をして、いろいろと大活躍。
ソウルメイトであるまひろと道長を引き寄せる大事な役目を果たしました。
とはいえ、恋を結びつけるだけではない。世の中を透徹した眼差しで見つめ、達観している不思議なところがあります。
貴き者は自ら貴(たっと)ぶと雖(いえ)ども
之(これ)を 視(み)ること埃塵の若(ごと)し
賤しき者は自ら賤しむと 雖(いえ)ども
之(これ)を重んずること千鈞の若(ごと)し
貴族は自分を尊いと思うが、
彼からすれば塵芥としか思えない。
賤しいものは自らを賤しいものとするものの、
彼はそんな人々のことを千鈞の重みを持つものとして大事にした。
左思『詠史第六』より
為時やまひろも愛読していた『文選』からです。
左思というのは、西晋の貴族社会での寒門、つまりは下級に生まれ、醜男として有名であり、己の不遇を嘆いた人物です。
しかし抜群の文才はありました。
「洛陽の紙価を高める」(ベストセラーが生まれるという意味)は彼由来の言葉です。
彼はこの詩で始皇帝を暗殺しようとした荊軻(けいか)の気持ちになりきって詠んでいます。
義侠心を抱いた荊軻からすれば、始皇帝なんて塵芥。そのへんにいる民の方が大事であったろうと。
始皇帝暗殺未遂事件から背景を抜き取り、荊軻の持つ義侠心を想像して詠んだ詩です。
直秀は、荊軻になりたくてなれない、そんな世の中の外にいる壮士の気風も感じさせます。
まひろが彼に「身分なんてどうでもいいと思わないのか?」と問いかけたのは、そんな何かを感じ取ったからかもしれません。
変えたい気持ちがあるけど、そうはできない。そんな世にある空気をまひろが掬いとり、刃ではなく筆で切り付けるとすれば、それは革新的なことに思えます。
まひろの変わった野心も、道長ならが理解できるのかもしれません。二人を結びつける気持ちは、恋ではなくそんな世界に挑む気概かもしれない。
それはそれでロマンチックではありませんか。
月下美人VSひまわり
まひろは月が似合います。
このドラマは平安の色合いや暗さを意識しているのか、夜間の場面が多い。
中でもまひろは、月を浴びて考え込む場面が多くある。月光を集めたような白い顔が、神秘的に闇の中に浮かび上がる。
この美は吉高由里子さんだからできるのではないか?と思うほど、いつも美しい。
明るく春の日差しのような倫子。予告の時点で陽キャ全開の清少納言とは異なる個性があります。
そんなまひろのまだ淡い時代も終わり、次回からは陽キャ清少納言とぶつかります。
実際に会っていたかどうかもわからない二人です。
これは幼少期の道長とまひろについても言えることですが、あえてぶつけることで個性を出しているのでしょう。
明るく陽気で機転が効き、父もひょうきんだった清少納言。
暗くて謙虚すぎて卑屈にツッコミかけ、父は変人で融通がきかない紫式部。
この対照的な二人の対決が楽しみでなりません。
誠意ある創作を求める
これについてはどうしても触れておきたかった。
漫画原作とドラマ脚本について問題が錯綜した『セクシー田中さん』です。
・契約上の問題
→出版社とテレビ局側の取り決めが守られておらず、それが原作者を追い詰めた
・原作をどこまで尊重するか
→「原作クラッシャー」というネットスラングが一人歩きし、別の作品のことも蒸し返され、原作を忠実にすることこそが正義のように誘導されています。果たしてそうなのか?
・インターネットリテラシー
→脚本家と原作者のSNS投稿も関係しており、事態は錯綜しています
大河ドラマを主に見ている自分としては、ドラマ制作における誠意の問題のように思えます。
あるいはドラマにする意義。
ドラマにすることで問題提起し、楽しめるだけでなく、社会を良い方向にできれば素晴らしいことです。
漫画原作ドラマでいえば、現在NHKで放映中の『作りたい女と食べたい女』がその好例でしょう。
原作の展開に沿わせ、イメージ通りの配役をするだけでなく、問題提起もきちんとしています。
たとえば、女性の食事だと勝手に量を減らされることとか。女性が手料理をするだけで、良妻賢母候補とみなされることとか。
そうした社会を生きていくうえでのモヤモヤ感がちゃんと原作に即して描かれています。
主人公二人は女性同士で、かつ距離を近づけます。彼女たちの未来に、どうして結婚という選択肢がないのか? そこまで考えさせてくれます。
大河ドラマは過去の歴史を描きます。
ではそんな問題提起を排除していいのかというと、そういうことではないでしょう。
近年の大河でも、問題提起はちゃんとあります。
『八重の桜』の八重。
『おんな城主 直虎』の直虎。
彼女らは女性だからと制限される行動の範囲に疑念がありました。それをどうすべきか、彼女らは自分だけでなく、視聴者にも問いかけてきます。
『麒麟がくる』の光秀や駒。
『鎌倉殿の13人』の北条泰時。
彼らは流血でしか問題解決できない時代に憤り、なんとかしたいとあがいています。
光秀の場合は儒教朱子学。泰時は御成敗式目。そんな答えもちゃんとあります。
そういうものをなくし、ひたすらウケを狙うだけのドラマがどれだけ陳腐になってしまうか……。
『作りたい女と食べたい女』で、女性二人のうち片方が男性になっていたら、作品の投げかけたいテーマが崩壊することは一瞬でわかるかと思います。
大河ドラマで考えてみましょう。
八重や直虎の女性ならではの悩みを、どうしようもないほど矮小化した作品もあります。
『花燃ゆ』は「おにぎりを握ってイケメンに提供するのが輝く女子!」という、どうしようもないことをやらかしました。
しかもオチは、「ドレスを着て鹿鳴館で踊る」。なんじゃそりゃ。
今の価値観で言えば「ミスコン出場は女の勝ち組」みたいな話で、本当にどうしようもありません。
『青天を衝け』の千代は、パーティーのおもてなしを夫の許可を得て行い、それでなんだか喜んでいました。
妻妾同居を平然とする夫にそんなことを許されただけで喜ぶ千代は、隷属そのものでうんざりさせられたものです。
そしてこれは忘れてはいけない『どうする家康』。
『麒麟がくる』の場合、最終盤で家康は光秀に統治について教えを乞う場面がありました。光秀が伝えた朱子学をもとにした統治が、江戸時代の基礎となると誘導されていたのです。
それが『どうする家康』は、瀬名が考えた「戦争はしちゃダメだよ! 慈愛の国だよ!」という、小学校の学級委員長の作文程度の発想か、カルト教団の宣伝のような発想です。
しかも文春砲で、瀬名の妄想を長引かせたのは、演じる女優と主演が接近したい下心ありきでは?と指摘されるほどでした。
番組制作の裏側が放映され、主演が脚本に意見を述べるシーンが流されるほどで、文春砲を否定するどころか、その内容を補強してしまうような状況もあった。
通りで誠意のかけらもないシナリオだったわけか――そう腑に落ちるとともに、長々と言い訳をする制作陣には不信感が湧いたものです。
不誠実な態度は、ドラマの質を落とします。悪影響を及ぼします。
今回の事件を受け、私は『どうする家康』のことを思い出しました。
原作ではないけれども、家康はじめ、歴史上の人物を小馬鹿にし続けたのではないか?と終始感じてしまっていた。
あのドラマは、小道具担当者が主演のきまぐれでニコライ・バーグマン風の押し花を作らされるといった、労働環境の劣悪さも文春砲で指摘されています。
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今回の原作者軽視の問題の中、過去の悪しき例としてジャニーズ事務所の名前を何度も見かけました。
ジャニーズ俳優を無理矢理押し込め、出番を増やし、主題歌まで担当させた結果、原作者が映像化を反故にしたという例が多くあったとされます。
事務所からの圧力が消えたがゆえに、そうした報道が頻繁に出てきたのでしょう。
ジャニーズ主演の大河は、昨年が初めてではありません。
とはいえ、2023年の場合、主演の時代劇経験はほとんどない。
脚本家も「歴史はフィクション」だと言い切ってしまう。自分の創作センスが大事で、史実はむしろ邪魔だと言いたげなことを語っておりました。
否定はできないでしょう。あの作品のファンは、「アンチは史実に反しているからと文句を言う」と決まり文句のように語っていました。
あの主演と脚本家の人選は、話題性ありきに思えました。
ジャニーズ主演と脚本家のコンビは、映画『レジェンド&バタフライ』でもあった。
今回の原作改変の是非については、出演者のイメージ通りにプロットを捻じ曲げることも問われています。
歴史よりも主演のイメージにあわせて捻じ曲げることは、『レジェンド&バタフライ』と『どうする家康』のどちらにもありました。
そんなタレントイメージを第一とし、史実を二の次にできる脚本家が重視されるということは、歴史劇の敗北にすら思えます。
事務所の都合。
数字を取りにいくための小細工。
純粋に良いものを作るための創意工夫ではなく、数字のことばかり考えていると、ドラマの作り手も消耗します。
『どうする家康』は、パワハラに苦しめられたとされるスタッフの苦労が暴露されました。
こういったスタッフ軽視、尊厳軽視がまかり通っていたら、いつかろくでもないことになると私は思っていたものです。
真面目に良いものを作るという気持ちが、どうして軽んじられてしまうのか。
しかも、それで作品はヒットしたのかどうか。
話題先行で初動は風が吹いても、ヤフーレビューでも酷評がつき、数字すら失速することは続いているわけです。
『レジェンド&バタフライ』と『どうする家康』はその典型例でしょう。
真面目にやることを放棄することで、一時的には成功を掴めるかもしれません。
しかしそれは所詮幻のようなものではありませんか。ましてやそれで尊厳を削られていく人がいる。
契約の問題。ネット炎上。体制の問題。そうした個々の問題はもちろんあるでしょう。
そういった個別のことだけでなく、誠意ある仕事をすることで防げることはある。私はそう思いたい。
もっと真面目にドラマ作りと向き合うことをして欲しい。
ドラマを作る人を守るためにもそうあって欲しい。切実にそう願っています。
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【参考】
光る君へ/公式サイト















