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『光る君へ』感想あらすじレビュー第5回「告白」

2024/02/05

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MVP:直秀

屋根の上に立って梟の真似をして、いろいろと大活躍。

ソウルメイトであるまひろと道長を引き寄せる大事な役目を果たしました。

とはいえ、恋を結びつけるだけではない。世の中を透徹した眼差しで見つめ、達観している不思議なところがあります。

貴き者は自ら貴(たっと)ぶと雖(いえ)ども

之(これ)を 視(み)ること埃塵の若(ごと)し

賤しき者は自ら賤しむと 雖(いえ)ども

之(これ)を重んずること千鈞の若(ごと)し

貴族は自分を尊いと思うが、

彼からすれば塵芥としか思えない。

賤しいものは自らを賤しいものとするものの、

彼はそんな人々のことを千鈞の重みを持つものとして大事にした。

左思『詠史第六』より

為時やまひろも愛読していた『文選』からです。

左思というのは、西晋の貴族社会での寒門、つまりは下級に生まれ、醜男として有名であり、己の不遇を嘆いた人物です。

しかし抜群の文才はありました。

「洛陽の紙価を高める」(ベストセラーが生まれるという意味)は彼由来の言葉です。

彼はこの詩で始皇帝を暗殺しようとした荊軻(けいか)の気持ちになりきって詠んでいます。

義侠心を抱いた荊軻からすれば、始皇帝なんて塵芥。そのへんにいる民の方が大事であったろうと。

始皇帝暗殺未遂事件から背景を抜き取り、荊軻の持つ義侠心を想像して詠んだ詩です。

直秀は、荊軻になりたくてなれない、そんな世の中の外にいる壮士の気風も感じさせます。

まひろが彼に「身分なんてどうでもいいと思わないのか?」と問いかけたのは、そんな何かを感じ取ったからかもしれません。

変えたい気持ちがあるけど、そうはできない。そんな世にある空気をまひろが掬いとり、刃ではなく筆で切り付けるとすれば、それは革新的なことに思えます。

まひろの変わった野心も、道長ならが理解できるのかもしれません。二人を結びつける気持ちは、恋ではなくそんな世界に挑む気概かもしれない。

それはそれでロマンチックではありませんか。

 


月下美人VSひまわり

まひろは月が似合います。

このドラマは平安の色合いや暗さを意識しているのか、夜間の場面が多い。

中でもまひろは、月を浴びて考え込む場面が多くある。月光を集めたような白い顔が、神秘的に闇の中に浮かび上がる。

この美は吉高由里子さんだからできるのではないか?と思うほど、いつも美しい。

明るく春の日差しのような倫子。予告の時点で陽キャ全開の清少納言とは異なる個性があります。

そんなまひろのまだ淡い時代も終わり、次回からは陽キャ清少納言とぶつかります。

実際に会っていたかどうかもわからない二人です。

これは幼少期の道長とまひろについても言えることですが、あえてぶつけることで個性を出しているのでしょう。

明るく陽気で機転が効き、父もひょうきんだった清少納言。

暗くて謙虚すぎて卑屈にツッコミかけ、父は変人で融通がきかない紫式部。

この対照的な二人の対決が楽しみでなりません。

 

誠意ある創作を求める

これについてはどうしても触れておきたかった。

漫画原作とドラマ脚本について問題が錯綜した『セクシー田中さん』です。

・契約上の問題

→出版社とテレビ局側の取り決めが守られておらず、それが原作者を追い詰めた

・原作をどこまで尊重するか

→「原作クラッシャー」というネットスラングが一人歩きし、別の作品のことも蒸し返され、原作を忠実にすることこそが正義のように誘導されています。果たしてそうなのか?

・インターネットリテラシー

→脚本家と原作者のSNS投稿も関係しており、事態は錯綜しています

大河ドラマを主に見ている自分としては、ドラマ制作における誠意の問題のように思えます。

あるいはドラマにする意義。

ドラマにすることで問題提起し、楽しめるだけでなく、社会を良い方向にできれば素晴らしいことです。

漫画原作ドラマでいえば、現在NHKで放映中の『作りたい女と食べたい女』がその好例でしょう。

原作の展開に沿わせ、イメージ通りの配役をするだけでなく、問題提起もきちんとしています。

たとえば、女性の食事だと勝手に量を減らされることとか。女性が手料理をするだけで、良妻賢母候補とみなされることとか。

そうした社会を生きていくうえでのモヤモヤ感がちゃんと原作に即して描かれています。

主人公二人は女性同士で、かつ距離を近づけます。彼女たちの未来に、どうして結婚という選択肢がないのか? そこまで考えさせてくれます。

大河ドラマは過去の歴史を描きます。

ではそんな問題提起を排除していいのかというと、そういうことではないでしょう。

近年の大河でも、問題提起はちゃんとあります。

『八重の桜』の八重。

『おんな城主 直虎』の直虎。

彼女らは女性だからと制限される行動の範囲に疑念がありました。それをどうすべきか、彼女らは自分だけでなく、視聴者にも問いかけてきます。

『麒麟がくる』の光秀や駒。

『鎌倉殿の13人』の北条泰時。

彼らは流血でしか問題解決できない時代に憤り、なんとかしたいとあがいています。

光秀の場合は儒教朱子学。泰時は御成敗式目。そんな答えもちゃんとあります。

そういうものをなくし、ひたすらウケを狙うだけのドラマがどれだけ陳腐になってしまうか……。

『作りたい女と食べたい女』で、女性二人のうち片方が男性になっていたら、作品の投げかけたいテーマが崩壊することは一瞬でわかるかと思います。

大河ドラマで考えてみましょう。

八重や直虎の女性ならではの悩みを、どうしようもないほど矮小化した作品もあります。

『花燃ゆ』は「おにぎりを握ってイケメンに提供するのが輝く女子!」という、どうしようもないことをやらかしました。

しかもオチは、「ドレスを着て鹿鳴館で踊る」。なんじゃそりゃ。

今の価値観で言えば「ミスコン出場は女の勝ち組」みたいな話で、本当にどうしようもありません。

『青天を衝け』の千代は、パーティーのおもてなしを夫の許可を得て行い、それでなんだか喜んでいました。

妻妾同居を平然とする夫にそんなことを許されただけで喜ぶ千代は、隷属そのものでうんざりさせられたものです。

そしてこれは忘れてはいけない『どうする家康』。

『麒麟がくる』の場合、最終盤で家康は光秀に統治について教えを乞う場面がありました。光秀が伝えた朱子学をもとにした統治が、江戸時代の基礎となると誘導されていたのです。

それが『どうする家康』は、瀬名が考えた「戦争はしちゃダメだよ! 慈愛の国だよ!」という、小学校の学級委員長の作文程度の発想か、カルト教団の宣伝のような発想です。

しかも文春砲で、瀬名の妄想を長引かせたのは、演じる女優と主演が接近したい下心ありきでは?と指摘されるほどでした。

番組制作の裏側が放映され、主演が脚本に意見を述べるシーンが流されるほどで、文春砲を否定するどころか、その内容を補強してしまうような状況もあった。

通りで誠意のかけらもないシナリオだったわけか――そう腑に落ちるとともに、長々と言い訳をする制作陣には不信感が湧いたものです。

不誠実な態度は、ドラマの質を落とします。悪影響を及ぼします。

今回の事件を受け、私は『どうする家康』のことを思い出しました。

原作ではないけれども、家康はじめ、歴史上の人物を小馬鹿にし続けたのではないか?と終始感じてしまっていた。

あのドラマは、小道具担当者が主演のきまぐれでニコライ・バーグマン風の押し花を作らされるといった、労働環境の劣悪さも文春砲で指摘されています。

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今回の原作者軽視の問題の中、過去の悪しき例としてジャニーズ事務所の名前を何度も見かけました。

ジャニーズ俳優を無理矢理押し込め、出番を増やし、主題歌まで担当させた結果、原作者が映像化を反故にしたという例が多くあったとされます。

事務所からの圧力が消えたがゆえに、そうした報道が頻繁に出てきたのでしょう。

ジャニーズ主演の大河は、昨年が初めてではありません。

とはいえ、2023年の場合、主演の時代劇経験はほとんどない。

脚本家も「歴史はフィクション」だと言い切ってしまう。自分の創作センスが大事で、史実はむしろ邪魔だと言いたげなことを語っておりました。

否定はできないでしょう。あの作品のファンは、「アンチは史実に反しているからと文句を言う」と決まり文句のように語っていました。

あの主演と脚本家の人選は、話題性ありきに思えました。

ジャニーズ主演と脚本家のコンビは、映画『レジェンド&バタフライ』でもあった。

今回の原作改変の是非については、出演者のイメージ通りにプロットを捻じ曲げることも問われています。

歴史よりも主演のイメージにあわせて捻じ曲げることは、『レジェンド&バタフライ』と『どうする家康』のどちらにもありました。

そんなタレントイメージを第一とし、史実を二の次にできる脚本家が重視されるということは、歴史劇の敗北にすら思えます。

事務所の都合。

数字を取りにいくための小細工。

純粋に良いものを作るための創意工夫ではなく、数字のことばかり考えていると、ドラマの作り手も消耗します。

『どうする家康』は、パワハラに苦しめられたとされるスタッフの苦労が暴露されました。

こういったスタッフ軽視、尊厳軽視がまかり通っていたら、いつかろくでもないことになると私は思っていたものです。

真面目に良いものを作るという気持ちが、どうして軽んじられてしまうのか。

しかも、それで作品はヒットしたのかどうか。

話題先行で初動は風が吹いても、ヤフーレビューでも酷評がつき、数字すら失速することは続いているわけです。

『レジェンド&バタフライ』と『どうする家康』はその典型例でしょう。

真面目にやることを放棄することで、一時的には成功を掴めるかもしれません。

しかしそれは所詮幻のようなものではありませんか。ましてやそれで尊厳を削られていく人がいる。

契約の問題。ネット炎上。体制の問題。そうした個々の問題はもちろんあるでしょう。

そういった個別のことだけでなく、誠意ある仕事をすることで防げることはある。私はそう思いたい。

もっと真面目にドラマ作りと向き合うことをして欲しい。

ドラマを作る人を守るためにもそうあって欲しい。切実にそう願っています。

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【参考】
光る君へ/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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