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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第9回「遠くの国」】
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花山天皇の心を掴んだ道兼
父と晴明の謀を聞いた藤原道隆は見事さに打ち震えたそうです。命を賭けても父を支えると決めたとか。
その一方で、弟の藤原道兼に「なぜスパイになっているのか」と問いかけると、道兼は勝ち誇ったように、道隆よりも道長よりも使い物になったとドヤ顔です。
蔵人頭なのに、右大臣の息子というだけで遠ざけられていた。けれどもある日、腕の傷をご覧になった帝が自分を信用したのだと。
傷を見て驚く道隆。
己でつけたと語る道兼。
正気を取り戻した父につけられたと語るためにそうしだのだと。
花山天皇は、すっかり道兼に共感していました。
二人は心に穴が空いていた。
花山天皇は藤原義懐からおなごをあてがわれる。子作りせよとせっつかれる。けれども帝の心にはまだ忯子しかいない。
道兼はそんな心の穴を埋めるように、酷いことだと同情を見せつつ、人の心を無視してあてがう義懐らの姿勢に憤る。
この瞬間、花山天皇の中に何かが芽生えたのでしょう。道兼は帝の忯子への思いを理解します。義懐とは正反対です。
道兼の心にも穴が空いています。
父に認められぬ悔しさがあり、そこを埋めるためならば何でもしてしまう。
兄や弟が父の枕元にいたころ、大役を果たそうとしていたと語る道兼には、自信があるように思えます。
それにしても、道兼は帝の前で上半身を脱いでいるところがなんとも言えません。
耽美です。
東洋の伝統として、同性同士だろうと、異性相手であろうと、とてもロマンチックな目線を送り、記録するということがあります。
藤原道長がまひろを思いつつ詠んだ白居易の詩にせよ、同性の友人である元慎を思い浮かべながら詠んだ作品です。
東洋以外の研究者は「これはもう、この二人は恋人だったのではないか?」としばしば論争を起こすものの、決着しないとか。
藤原道長と紫式部も、結局、関係は決着しないとされています。
日本は伝統的に同性愛への忌避はない。『源氏物語』でも光源氏は空蝉と接近するために、その弟と性的関係を持っているともされます。
院政期は、有力貴族が公然と同性愛ネットワークを持つようになっていた。
藤原実資は「こんな恥ずかしいことは日記に書かん!」と熱く主張していますが、院政期ともなると、藤原頼長『台記』にはカレピとの行為感想を赤裸々に書くようになってしまいます。
道兼があえて脱いでいることは、何かを誘導しているとみなしてもおかしくはありません。そこは自由にできると。
そしてここでちょっと持ち出したいのが、今週はお休みの藤原斉信ですね。
中国の皇帝で寵姫にメロメロとなり、その死後やる気を失った代表格といえば、唐玄宗、そして前漢武帝です。
武帝は李夫人を失うと「魂だけでも戻ってきてよ〜」と嘆くほど。
この李夫人の兄である李延年は、チンピラのようなたいしたことがない男だったにも関わらず、武帝に取り入り大出世を遂げています。
李延年のように斉信も、もっと頑張って、帝に「ね、私って妹そっくりでしょ?」とでも迫ればよかったんじゃないですかね。アピール不足だったのでは?
斉信には道兼みたいに脱ぐほどのガッツはなかったということなのでしょう。
日本が「男色・衆道に寛容だった」という説は本当か?平安~江戸時代を振り返る
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そして彼らが鳥辺野に向かうと
散楽兼盗賊一味は、獄中でのんびりしています。
「せいぜい鞭打ち30回か」と見積もっていて、出たら女に会いに行くと軽口を叩くばかりか、笑い合い、歌いながら踊るほど。
そのころ道長は、検非違使庁に弟が勤めている者から、一味の出立時刻を聞きます。
なんでも明日の卯の刻だとかで、百舌彦も乙丸に伝え、まひろと一緒に見送りに出向くことにします。
しかし、いざ道長が獄に行くと、一行はもういない。すでに出発したというが何処へ?
「鳥辺野……」
そう言われ愕然とする道長。鳥辺野は屍を捨てる場所なのです。
まひろと馬に乗り、鳥辺野へ急ぐと、カラスがたくさんいます。
何かに群がっている……と、そこには屍がありました。
散楽一座です。
「愚かな……」
そう呟きながら遺骸を改める道長。
直秀は、手のひらに土を握りしめて死んでいました。
精一杯の抵抗をした証でしょう。その土を払い、扇をそっと握らせる道長。カラスを追い払いながら、手を合わせます。
「すまない」
土を掘り進めながら、道長は呟きます。
「すまない。皆を殺したのは……俺なんだ。余計なことをした! すまない……すまない、すまない、すまなかった! すまなかった!」
叫ぶ道長。正確な理由は不明なれど、彼が賄賂を渡したせいで、直秀たちは殺されてしまったのでしょう。ただのケチな盗人ならば、放免で済んだかもしれない。
彼に抱きつくまひろ。
二人は泣いて、手を合わせ、埋め、弔いました。
とぼとぼと馬の上でゆられてゆくまひろ。その前を歩く道長。魂が抜けてしまいそうな、呆然とした顔がそこにはあります。
わざとらしい号泣ではなく、本当に何かのスイッチが切れたような顔です。
それでも、二人が歩く鳥辺野の森はあまりに美しい。光と影が織りなす景色を背景に、人は進むしかありません。
晴明、帝をそそのかす
内裏では奇怪な出来事が続発しています。
犬の死体が見つかる。
廊下が濡れている。
弘徽殿で白い影が見える。
忯子様の怨霊だと皆が囁き始めます。
花山天皇は右大臣が死ななかったことをしぶといと悔しがり、虫唾がはしると呟いている。
と、安倍晴明が帝に報告します。
右大臣が死ななかった結果、成仏できない忯子の怨霊が内裏に飛んできたのだと。
忯子を憐れみ、どうしても成仏させてやりたいと言い出す花山天皇に対し、そんなことは帝にしかできないと言い出す晴明。
なんでもすると乗り気なところで、躊躇するように「んー」と引き延ばす晴明です。
もったいぶるなと苛立つと、こうきました。
「ならば、お上が出家あそばされるしかございません」
なんなんだよ!
ちょっと真顔でそう突っ込みたくなりました。いや、話がおかしいとか、考証ミスとかではなく、当時の思想というか宗教のごった煮感がすごい。
怨霊云々は、シャーマニズムも強い【神道】でしょう。
で、成仏させるというのは【仏教】。
これを主張しているのは【陰陽道】をおさめた陰陽師。
何が何やらわからない、本当にわけがわからない。
そもそも、同時に複数を信じてはいけないという考え方が、東洋にはないといえばそうなります。
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