こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【『光る君へ』感想あらすじレビュー第11回「まどう心」】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
外戚による傀儡政治 ここに極まれり
摂政となった藤原兼家は、内裏に直廬(じきろ)という執務室を設けました。
そして臨時の除目をして、人事を決めます。
権大納言に藤原道隆、参議に藤原道兼を配し、露骨に息子たちを昇進。そして一条天皇の即位式に挑むよう叱咤激励する。
それにしてもこの兼家のやり口のえげつなさよ!
『三国志』で悪党とされる曹操と共通しています。帝を担ぎ上げ、傀儡にして政権を運営するのですが、ここから先に日本史と中国史の違いがあります。
日本史は傀儡として利用していく。
中国は己の一族が新たな王朝を開く。
その状況をどう捉えるべきか。ここで考えてみることもまた一興でしょう。
父・兼家の策略により、即位することになったまだ幼い一条天皇を、母である藤原詮子が叱咤激励しています。
もう帝なのだから悠然としていなければならない。殿上人にも民にも語り継がれる帝にならねばならない。母が命を懸けてお支えする。帝となる覚悟をするよう語りかけます。
詮子自身も「国母」、皇太后となりました。
さらに兼家は、東宮として居貞親王を擁立しました。
これもなんともあからさまです。居貞親王は冷泉天皇の皇子であり、花山天皇の弟です。
しかし、その母は兼家の娘である藤原超子。つまり、兼家の血を引く母であるかがどうかが重視されているのです。
東洋史にみられる「垂簾聴政」(すいれんちょうせい)という政治体制ですね。
幼帝に代わり、その母が政治の実権を握ります。母とその父や兄弟が政治を回す「外戚政治」とも言います。
中国の場合、北朝北魏ではこうした政治の私物化を阻止するため「子貴母死」(子が即位したら母は殺す)という制度もありましたが、結果、廃れました。
どんな対策をたてても、結局は王朝ごとに弊害が残ってしまうのです。日本でも有名な西太后が最後にして最も有名な事例でしょう。
中国三大悪女の一人・西太后 嫉妬深く、ライバルたちを虐殺したのは本当か?
続きを見る
19世紀の朝鮮でも、外戚による「勢道(セド)政治」が横行しておりました。
例えば幕末において、幕臣の栗本鋤雲はフランス人のメルメ・カションに、フランスでも垂簾聴政はあるのかと聞いています。
メルメ・カションはイギリスのような他の国ならともかく、我が国にはそんなことはないと返している。
俳句を詠み 勝海舟に怪僧と評されたメルメ・カション 幕末の日仏関係に奔走す
続きを見る
しかしこれには注意が必要です。
彼の時代には確かに廃れていましたが、フランス史にも母が我が子に代わり政治を行ったとされる例があります。
カトリーヌ・ド・メディシス、ルイ14世の母であるアンヌ・ドートリッシュが代表例です。
こうした女性による統治は、時代劇と相性がよい。西太后、朝鮮文定王后に仕えた鄭蘭貞、カトリーヌ・ド・メディシスは知名度も高く、フィクションの題材定番です。
結婚式を機に国中で大虐殺が勃発!サン・バルテルミの虐殺からユグノー戦争へ
続きを見る
こうしてみてくると、野心あふれる女性政治家を演じる上で吉田羊さんが選ばれたことは、納得しかないキャスティングですよね。
北条政子を演じた小池栄子さんに続き、日本を代表する枠が登場してきました。
藤原詮子(一条天皇の母で道長の姉)政治力抜群だった「国母」の生涯を振り返る
続きを見る
陰謀参加で出世の道綱 母はもっと要求
兼家は、藤原寧子のもとにいました。
道綱を忘れぬように釘を刺す寧子。
忘れておったらここに来ぬと言う兼家。
道綱は呑気な調子で「俺も蔵人」と語ります。欲がない息子に母は嘆き、もっと高い位にして欲しいと兼家にせがみつつ彼女は言います。
男は座る地位で育つ。自信がないくらいの方が良いと猛烈に推すのです。
「母上、もうやめて!」
困惑する道綱が、父に肩を揉めと命じられると、母が立ち上がって、代わりに揉むことにします。
それにしても……しみじみと酷いですね……。
天皇を強引に即位させる陰謀に参加したことで高い位をゲットするとは何事か。
藤原実資はこの道綱ことを「一文不通」、要するにアホだと罵倒しています。
実資や為時がクビになって、なんでこの道綱が出世するのか。汚い政治だと生々しく伝わってくる場面です。
ちなみに隣の中国では、科挙導入後もそれまで血筋重視の貴族制が残っていたものの、宋代からは完全に科挙選抜に変わるターニングポイントでもあります。
明代以降のように、テクニック重視の試験システムでもなく、一番実力のある政治家が輩出されたともされる時代。
そんな宋と比較すると、平安貴族は一体どうなっているのか? 東洋史単位で見ると色々な発見が浮かんできますね。
そしてもうひとつ、寧子のしたたかさ。
彼女も若い頃は、兼家の愛を信じ、ひたむきに愛していました。
それが今では我が子の出世を捩じ込む工作ばかりを求めている。彼女にせよ、ここに至るまで紆余曲折があった。
こうした女性はしばしば若い頃のみずみずしさを失い、厚かましさばかりを身につけたとされる。
でもよく考えると、いったい誰が彼女をそうさせたのか?という話でありましょう。
※続きは【次のページへ】をclick!