「朱仁聡は殺人を犯していない」
周明がそう言いながら証人を突き出してきました。
連れてこられた男はがっくりと膝をつき、「国府の偉い人に朱が通辞を殺したと言え」と脅されたと主張するのです。
いったい誰のことなのか。
藤原為時が尋ねると、そこへ現れた越前介・源光雅が、慌てた様子で「卑しい者のことは聞くな!」と止めようとします。
証人は、この光雅を指差しました。
なんでも犯人は朱だと言わねば、仕事を取り上げると光雅が脅したのだとか。
「偽りを申すな!」
光雅がそう否定するものの、為時が制して、通辞殺しの真犯人を尋ねます。
周囲の気迫に怯えている男。
周明は、俺に言ったことをもう一度話せと促します。
犯人は、武生の商人・早成でした。
若麻呂殺人事件の真相
長徳2年(996年)、越前の殺人事件は意外な解決へ向かっていきます。
なんでも殺人犯の早成は、宋との商いをしたかっただけのこと。
そこで
「朱との貿易を独占できないか?」
と通辞の三国若麻呂に贈賄したところ、渡した賄賂が到底足りないとつっぱねられたようです。
砂金ならば5袋は用意しろ!と言われ、あまりの理不尽さに早成は愕然。
揉み合っているうちに、偶然、転んだ若麻呂は後頭部を強打し、亡くなりました。
どこまでも救いがない事件といえます。あらかじめ贈収賄を禁じる法律さえ設定していれば、こんな悲劇も起きなかったことでしょう。
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贈収賄を嫌う為時は、嫌そうに光雅に聞きます。
この男と取引して、懐を肥やそうとしていたのか?
ムッとした表情の光雅は、越前に来たばかりの国司様ではわからないと言い出します。
この一年宋人を見てきた。膨大な数の財宝を持ち込んで、出し渋ることで朝廷すら操ろうとしている。さらには国同士での商いをする道を企んでいると訴えます。
しかし、その主張はどこまで正しいのか。
国同士で商いをして何が悪い?
そこは考えたほうがよさそうです。
日本史学習の欠点として、隣国である琉球や朝鮮、台湾の歴史把握が甘くなりがちだということが挙げられます。
琉球を見ていると、朝貢貿易は悪くないとわかります。
沖縄で最も有名とされる民謡「唐船ドーイ」(とーしんドーイ)は、朝貢貿易の船が到着したという意味です。
みんなウキウキワクワク出迎えるために走っていくのに、一人だけ走って行かないお爺さんがいるという歌詞から始まるんですね。
琉球の歴史を見ていくと、朝貢はむしろお得な制度であることが見えてきます。
光雅には不満があった
日本がなぜ、一時的な例外を除いて朝貢を避けたのか?
それはあまりに遠大な話ですが、大河を見る上では朝貢について頭の隅に入れておくと理解しやすくなることもあるかもしれません。
光雅あたりが嫌がるのは、国が統制するとなると、中抜きして自分の懐に入れるうまみが薄れることもあるのでは?とも思えてきます。
光雅はさらに私怨を言い募ります。
宋人は我々を格下に見ていて、小役人と侮ってやりたい放題だとか――ここは彼が勝手にそう思い込んでいるのではない、具体性のある暴虐の証拠も知りたいですね。
ともかく、そんな宋人を相手にして、新たにやってきた国司の藤原為時は扱いが優しく、「これではいかん……」ということから朱を貶めるため、罪を着せたと言い出します。
「そんな話はいい。朱様は無実です。早く御解き放ちを」
キッパリとそう主張する周明。
為時は光雅の言うことに理解を示しつつも、この一件で朱に罪はない、解き放てと言います。冤罪処刑されず何よりですね。
「左大臣こと道長は、越前のことは越前で決めろと仰せになった」と為時は言い、光雅の意見は改めてじっくり聞くとまとめます。
そして周明に、今後は通辞として力を貸して欲しいと告げます。
拱手礼と共にそれを引き受ける周明。
ちなみにこの拱手は、明清あたり以降の所作なのだとか。
指導しているのがその時代に磨かれていった京劇の俳優である張春祥さんなので、そこはそういうものなのでしょう。
張さんの指導を松下洸平さんがしっかりとこなしているため、とても優美に見えます。
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朱仁聡の目的とは?
周明に連れられ、朱仁聡がやってきます。
あなたのおかげで助かった。
藤原為時に深く感謝する朱仁聡は、そこでようやく本心を明かし、越前を足がかりにして宋と日本の商いをしたいと言い出します。
それを果たさねば国に戻れないんだとか。前の国司は話を聞いてくれなかったけれども、為時は聞いてくれると期待を見せています。
まだ聞くとは言っていないと戸惑う為時。しかし、熱心にこう言われてしまいます。
「どうかどうか、力を貸してください! あなたが頼りです!」
いったい為時はどうするのか。為時には贈収賄も利きません。
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為時は、越前介である源光雅にそのことを話しました。
朱仁聡の狙いを聞いて、やはりそうだ、宋の朝廷の命令を受けているのだと納得する光雅。
為時は、光雅の越前や朝廷を思う心情に理解を示しつつも、無実の宋人に罪を着せたことは許せないと言います。筋を通さねば、宋人に勝てぬとも告げます。
光雅もこれには同意。
年内は国府にあがらず、謹慎するようにと告げられ、素直に受け入れるのでした。
あなたは宋人? それとも日本人?
まひろは周明に、宋人なのか、日本人なのかと問いかけます。
「宋人だ」
即答する周明。ならばなぜこの国の言葉が上手なのかとまひろは問いかけます。
「生まれは対馬だ」
そう聞かされ、まひろはそれならば日本人ではないのかと再度尋ねますが、周明は「宋人だ」と言い切ります。
周明は12歳の時、漁師の父から口減らしのために海へと捨てられました。
海に浮かんでいるところを宋船に拾われ、宋では牛や馬のように働かされ、ここにいたら死ぬだけだと逃げ出します。
そして医師の家に転がり込み、見習いにしてもらったそうです。
「賢かったのね」
まひろはそう言います。彼女は長年、父の苦労を見てきて、賢いのに芽が出ない人のことが気になって仕方ないのでしょう。
周明にとって、師は初めて出会ったよい人であり、朱もよい人とのこと。
まひろは周明の境遇に同情しつつも、宋の国には日本にはない身分の低い者でも出世できる道があるのではないか?と問います。
「どうだろう……」
言葉を濁す周明。
まひろは宋の話を聞きたがり、松原客館にある書物は何か?白楽天の作品はあるか?と矢継ぎ早に質問。
書物のことは知らないと断りながら、周明は所蔵品のリストを明かします。
陶磁器
香木
薬
織物
酒
食べ物
光雅の言っていた莫大な量のお宝とはこのこと。
酒と食べ物をのぞけば平安京の貴族にとってもマストアイテムであり、その詳細は以下の記事にもございますのでよろしければ。
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さらには「貂の毛皮」もありました。『源氏物語』では末摘花が愛着していた品物ですね。
この貂の毛皮は、朝鮮人参と並び、女真族(現在の満洲族)が商う品の定番だったのです。
女真族は宋を軍事的に圧迫し苦しめ続け、ついには靖康の変を起こします。宋は南遷し、女真族は北部に金を建国することになります。
平安時代だと渤海国からの品とされ、日本だと中国大陸北部の品物はアイヌ経由で伝えられることが多いものでした。
ヨーロッパではロシア経由で伝わります。
ロシア皇帝アレクサンドル1世がナポレオンに贈り、ナポレオンがそれを妹・ポーリーヌに贈り、ポーリーヌがそれを兄に無断で恋人に贈ってしまい、揉めに揉めたなんて話もあります。
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宋の言葉を知りたいか?
周明が「貂の毛皮」と語ることで『源氏物語』を連想。
さらには「対馬」という地名と「貂の毛皮」が出たことで、日本の交易ルートが浮かび上がってきますね。
江戸時代の幕藩体制では、対馬藩と松前藩は石高が一万石に満たない特殊な藩でした。
なぜ、そんな石高で運営できたか?
というと、対馬は朝鮮経由、松前はアイヌ経由という、交易で成立する藩だったからです。
『光る君へ』はなかなか興味深い作品で、平安時代中期を扱いながら、他の時代にまで通じる日本の特長が見えてきますね。
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「宋の言葉を知りたいか?」
周明はそう言い、宋語で話すと、すかさずまひろは「私は周明です」と解き明かす。生まれながらにして言語処理能力が高いのでしょう。
しかし、こうして見てくると周明は親切なようで、宋語で「俺を信じるな」とも語っています。
まひろによる、日本人なのか、宋人なのかという問いかけも重要でしょう。
対馬のあたりは国境があってないようなもので、日本、中国、朝鮮が入り混じった人々が暮らしていました。
もっと時代がくだりますと「倭寇」という集団も出てきます。
これを「倭人(=日本人)の海賊」と解釈し、中国人も含まれているから捏造だという意見もあります。
日本人とは何か? 血統か、出身地か、言葉か、文化か。近代以前はその区切りが曖昧なのです。
明代は「倭(日本)と関わる海賊」を指しますので、日本の九州が本拠地あったり、顧客が日本人であったり、はたまた日本人のような服装や髪型というだけで「倭寇」扱いをされました。
頭髪が薄くなっているだけで誤認逮捕された、なんて不幸な例もあります。
今のようにパスポートもない。そんな時代は、気分次第で何人と名乗ろうとそれはそれで大いにありえます。
国家と国民をセットにして統治すべきだとされていくのは、もっと時代が下ってからのこと。
今年と来年の大河ドラマは、日本人とは何か考える上で興味深い時代背景を扱っているのです。
周明の中国語講座
周明による中国語講座が始まりました。
まひろは日本人中国語学習者がひっかかるところで躓いています。
声調、そり舌音に苦戦中です。
周明の「ヂョウ」はZhouのそり舌音です。「ジョー」になって訂正されていましたね。ちなみにネイティブからみると、松下洸平さんの中国語はなかなかよく、浩歌さんは文句のつけようがないとのこと。
周明はまひろの覚えが早い、賢いと感心しています。おかげで周明も忘れていた日本語を思い出したそうです。
「私のおかげ?」
「おかげではない。俺の心のことだ」
「失礼しました」
まひろはそう言いながら、宋語ではどう話すのかと尋ねるのでした。
二人で火鉢にあたりつつ、風邪を引いたら鍼で治して欲しいとまひろは言います。
指の間に鍼を打つと熱が下がる。それは痛そうだとまひろが眉をひそめると、周明はこう答える。
「だから風邪はひくな」
彼からは、人を思いやる気持ちも感じられますね。
捨てられ、人を信じられないような人生を送ってきたのに、彼は思いやりを身につけました。
まひろは雪が舞う様をみて、声を上げるのでした。
そして歌を越前紙に書き付けます。
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる
日野山の杉は、雪が降って埋もれてしまいそう。都の小塩山の松にも、雪が降り積もっているのか。
帝は中宮を思い、袖を濡らす日々を送る
そのころ都の道長も、手のひらに舞い降りてくる雪を見ていました。
帝が螺鈿の美しい箱を開け、藤原行成に話しかけています。
中宮は行成の字を気に入っていて、よく朕と二人で見ていた。そのためだいぶ痛んでいるんだとか。
中宮の好きな歌は、紀貫之のものでした。
夢路にも 露やおくらむ 夜もすがら 通へる袖の ひちてかはかぬ
夢の中で通う路にも、誰かが露を置いているのだろうか。夜もすがら夢の路を通る私の袖は濡れて乾いていない。
これは今の帝の心境ともとれます。
夢の中で定子のもとへ通い、その恋しさのために涙が袖におち、乾くことがないと嘆いているようにも思えます。
「あのころはこのようなことになるとは誰も思っておらなかった……」
帝が寂しそうにそう言うと、行成は帝と中宮様のお姿を生涯忘れられないとしみじみと語ってしまいます。
中宮は健やかに過ごしているのか、そろそろ子も生まれる、高階に密かに通いたい。
帝がそう訴えると、行成は苦しそうに中宮様は出家していると答えます。
「そうではあるが」と弱々しく、しかし引かない帝。
出家したということは、生きながらに世を捨て、男女の愛情とも訣別したと言うことです。それを破ると、花山院のようにバツの悪い思いをすることになります。
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喧嘩も辞さない破天荒な花山天皇|藤原隆家とは因縁バチバチな関係だった
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行成は道長のもとへ。
うっとりとしながら帝と中宮の栄光の日々を褒め称えていると、道長に「頭を冷やせ」と叱られます。
帝は賢い。ゆえに行成の優しさと同情心を利用している。帝のそばに使える蔵人頭はもっとしっかりして欲しいと言われます。
未熟だったと詫び、道長の期待に応じようとする行成でした。
行成は心根が優しいせいか帝に気に入られ、なかなか蔵人頭から動かしてもらえません。そのため、出世が停滞してしまいました。
優しすぎるのも不利になることがあります。
この行成の場面は、書道担当の根本知先生が気合を入れてこなしていると思えます。
紙も美しく、目に優しい書が楽しめます。
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かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代
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来年の『べらぼう』のロゴは石川九楊先生が書いております。
根本先生のかな書道とは異なる、江戸後期にあった素敵な文字です。
大河ドラマで2年連続、こうも素晴らしいロゴが続くとはよいことです。デザイナーの手によるものもよいものですが、書家の字はあらためて素晴らしいと思えます。
倫子の策により、道長の権威が増す
藤原道長と源倫子が枕を並べて寝ています。
帝は、女御の義子とも元子とも会わない。中宮様を忘れられない気持ちはわかるけれども、女御が気の毒だと倫子が話すと、道長もこれに同意しています。
倫子は、そんな夫に「帝と女御が語らう場をもうけたい」と言います。
「ここで会を催すということか?」
道長がそう返すと即答する倫子。女院様(詮子)もいるここで催すならば、帝もおでましになりやすいだろうという目論見です。
道長が賛同し、倫子は「おまかせくださいませ」と引き受ける。まずは入内されたばかりの元子様からだ、かちあわせはまずいと笑う倫子です。
倫子は策を楽しむ喜びに覚醒していますね。そういえば詮子が伊周に呪詛の罪を着せたことも見抜いていました。
このドラマの道長は女の担ぐ「神輿」になっていると思えます。
積極的に動くのは彼の周りの女たちで、道長はそれを制止しないことで権力を保持している。
元子の父である藤原顕光は、それはもう大喜びで道長に、丁寧にくどいほど感謝を告げています。
道長は途中で鬱陶しくなったのか、切り上げさせてしまいますが、なんともリアルと言いますか、切れ者というよりも気付けば権力者になって戸惑う様子も感じさせます。
元子は琴が得意でした。
それに合わせ、帝は龍笛を吹いています。当時の笛は肺活量のある男性の楽器で、かつ「龍」とつく龍笛は神秘的なものでした。
しかし帝は笛を吹くことをやめてしまうのでした。
熱病のような愛を詮子は知りたい
詮子が悩んでいます。
「帝の中宮への思いは熱病のようだ」
夫である円融天皇に愛されたことがない彼女は、あんなに激しく求め合う気持ちがわからない。
道長に、それがわかるか?と問いかけつつ、わからないだろうと勝手に結論付けますが……道長が反論する。
妻が二人いるけれども、心は違う女を求めている。
やっぱり誰かと恋に落ちたんだ!
そうウキウキし始める詮子。しかも、下々の女に捨てられるなんて一体どういう相手か?と興味津々です。
いい女だったと答えると、どんな風にいい女なのかと必死になる詮子。
その女や、帝を夢中にする定子が持っているものとは何なのか。その答えを詮子は求めているようです。
道長は面倒になったのか、帝が元子をお召しになるよう祈ろうと、この話を打ち切ろうとします。
道長の心に別の女がいる。そのことを賢い倫子も明子も気づいているのではないか。
そう鋭い指摘をすると、今度は完全に無視する道長に対し、自分から話したくせに答えないと不満を訴える詮子でした。
少なくとも倫子は何らかの違和感に気づいているでしょう。いつか夫が大事に取っていた文と、越前から藤原為時名義で送ってきた文が、実際はまひろが書いたものだと見抜けるかもしれません。
とはいえ今は夫という神輿を担ぐのが楽しい。そういう喜びに目覚めたのかもしれません。
中宮定子の眩い日々を残す『枕草子』
身重の藤原定子は『枕草子』を読んでいます。
姿がイキイキと見えるような描写に感心していると、清少納言はお恥ずかしい限りと謙遜。
彼女が御簾の下から差し入れてくれるこの楽しみがなければ、私は腹の子とともに死んでいただろうと定子は感謝をします。
「小納言。ありがとう。この子がここまで育ったのはそなたのおかげだ」
「もったいないお言葉」
感動しながら答える清少納言。彼女を見出した母にも礼を言わねばならぬと定子は言います。
清少納言は振り返っています。内裏に呼ばれて行ったとき、亡き関白(道隆)はじめ、皆様がキラキラとしていて目が眩むほどであったと。
定子はあのときが清少納言の中で残っているならば嬉しいと言います。
「しっかりと残っています。しっかりと」
感無量と語る清少納言。翌日、定子は皇女を産みました。
どうして『枕草子』があんなにもキラキラとしているのか。それはこういうことだったのかと想像できる。そんないきいきとした場面です。
筆の力で人の命を長らえる。この世界で最も綺麗な花に注ぐ水のようなものだったのか。そう想像すると、また読み返したくなってきます。
行成は帝に、定子の皇女出産を伝えます。
帝は中宮の無事を知りたがると、健やかであると告げる。
帝が皇女を産んだ中宮にあって労いたいというと、今度は何も答えられない行成。帝もその意図を察したのか、絹をたくさん贈るように言います。今年は寒いのだとか。
「承知いたしました」
この願いには即答する行成。道長の言葉をしっかりと守っているようです。
居貞親王の真意
内裏には居貞親王(後の三条天皇)がいて、本作では初登場となりますね。
道長にとっては姉・超子の子で、一条天皇の4歳上の東宮(皇太子)です。
道長が挨拶すると、珍しいことだと返す東宮。
チクリと嫌味を言われても、道長は動じず雑事が多かったと詫びます。
道長は御息所の娍子(すけこ)に、親王との子の年齢を確認します。3歳であるとか。
東宮は帝の生まれた子は皇女だと確認し、ほっとしています。
出家した尼が子を産むのはゆゆしきこととしつつ、祝いを贈るように道長に伝える。中身は叔父上に任せると告げています。
さて、この野心を胸に秘めていそう東宮は、安倍晴明と何やら話し込んでいます。
事前に晴明は「生まれてくるのは皇女」と告げていたようで、東宮はそのさきのことが興味津々の様子。
しかし晴明は「皇子が生まれる」と言います。
「誰が産むのか?新しい女御か?」
東宮がさらに食いついて質問を投げかけると、晴明は淡々と中宮の子だと返す。
「なんと!」
驚く東宮。この東宮はなかなかの野心家のようで、晴明も手広く仕事をしているものですね。
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三条天皇が道長と一条天皇の陰で過ごした生涯|無念は孫の代で晴らす
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宣孝は越前に来るのか?
長徳3年(997年)になりました。
越前にいる藤原為時は、かつて藤原宣孝が送ってきた文のことに言及します。
歳があけたら宋人を見に越前に来るとか言いながら結局来なかったな、と。
すでに春だと返事をするまひろ。
相変わらずいい加減な奴だと藤原為時が呆れていると、まひろはその愉快でお気楽なところが宣孝のよいところだとフォローしています。
それに合わせるようにして「最初から来るまいと思っていた」と答える為時。
まひろも決してお見えにならないと思っていたと頷きます。
親戚であり、親友であり、貧しい時は援助もしてくれた宣孝に、なかなか当たりがきつい親子です。この親子は変人で、真面目すぎるということもあるのでしょう。
宣孝は、まひろに宋語の勉強の進捗を尋ねます。
まだまだ父上に追いつけないといい、学ぶのが面白い様子。音を聞くと、かつて習った漢文が頭に浮かんでくるようです。
これは『源氏物語』執筆にも生きてくる話です。
当時の貴族はとっくに形骸化しつつある知識で、漢文の音韻を合わせていました。宋人から直に発音を習ったとすれば、まひろは押韻において一歩リードできる。
為時は長いこと官職も得られず、娘に婿を迎えられなかったことを詫びます。
いきなりどうしたのか?とまひろが訝しんでいると、唐突に周明のことを褒め始める為時です。骨のあるあの男ならば結婚してもよいのだとか。
そのような関係にはないと慌てて否定するまひろ。
為時は好きにせいと返し、越前の視察には一人で行くから、まひろには残るように告げます。雪も解けたから、心配するなと。
周明の目的は?
まひろと周明が、浜辺にいます。
海の向こうには宋があると話しかけるまひろ。
頭上を飛ぶ「夫婦の鴎(かもめ)」だと言うと、宋語での呼び方を周明が教えます。
周明に妻はいないのか?
そうまひろが問いかけると、いないと即答です。
他の人には身寄りがあるだろう?と気遣い、故郷が恋しくないのかと心配しています。帰りたい人は帰ればよいのに……。
俺に帰って欲しいのか? それとも国司様の手伝いでそう言っているのか?
周明がそう尋ねると、関係ないと返すまひろ。
宋の人がどうしたいのか、それが大事であり、父の力にもなりたいけれど、それが全てではないと説明しています。
周明や宋人たちは、朱の動向次第だそうです。するとまひろは、ふと「なぜ朝廷は宋との貿易を嫌がるのか、あの人はなぜ頑ななのか」と漏らしてしまいます。
「あの人とは誰のことか?」
「左大臣様、帝の次に偉い人です」
聞かれたことに素直に返答してしまうまひろ。
宋語で友を意味する「朋友」と、知り合いを意味する「熟人」を教えてもらっています。
いったい朝廷は何を考えていたのか?
というと、宋との取引そのものを嫌がるより、太宰府に限定したがっていました。朱たちが太宰府に向かえばそれでよい。
日本は貿易港を限定する傾向があります。
私貿易を好き勝手にされて、地方の権力者が力を得たら統制に手こずる――そんな現実的な理由から限定したがったのでしょう。
海辺で佇む二人の様子を苦々しい顔で見ているのは、馬上の藤原宣孝です。
乙丸がまひろに声をかけ、宣孝が近づいてきます。
「宋人を見にきた!」と宣孝が話すと、本当に来たのか!と驚きながら、まひろは「遠い親戚であり父の友で、京都から来た」と周明に紹介します。
周明が自己紹介をすると、父の病も治したと嬉しそうに続けるまひろ。
少し険しい目つきで、世話になったと返す宣孝。
周明は何かを察したのか、客館に戻ると言います。
「また会おう。再見!」
ちなみに中国の時代劇ならば「告辞」(さらばだ)という言い方がありますが、そこまで再現していないようですね。
まぁ、そういうことを言うならば、もっと時代が下ってから東日本で使われるようになった一人称の「俺」を周明が使うのはおかしいといった指摘をせねばならず、キリがありません。
視聴者にとってまるで中国語講座であったのが今回です。今にも通じる簡単な言い回しを学ぶのであればよいのでは?
この時代の中国では、地方ごとの方言があり、なかなか再現が難しいものなのです。
意外性のある女、まひろに会いたかった宣孝
「越前はどうか?」
藤原宣孝がまひろに尋ねると、楽かと思えばとんだ見込み違いで、必死で父を助けている!と答えるまひろ。
それで宋語を学んでいるのかと一安心の宣孝です。
やはり周明との仲が気になっているようですが、まひろは気付いてないようで、羊も食べたけど美味しくなかったと無邪気に話しています。
「まひろは何を考えているのかわからない」と、宣孝は嬉しそうです。
不在の藤原為時に代わるようにして、事前に文が送られてきたら……とまひろが話しますが、「送った」と宣孝。
父も私も来ないと思っていたと、まひろは素直に打ち明けます。ただし「いい加減な性格だから」と理由までは言わず、「都での役目があるから」と言い方を変えてはいました。
しかし聞けば宣孝は「物詣」と偽り、越前までやってきたとか。
なんでも越前のことは内裏でも取り沙汰されているとかで、まひろはそう聞かされると、内裏での父の評判を気にしています。
宣孝は長居はしないと言い、そのツンとした顔が見たかったと言います。
土産も持参してきて抜け目のない宣孝は、都で流行っているという肌油をまひろに渡してきます。ツンとした顔がいきるとのことで。
さらに都で流行している怪奇小説『玄怪録』も渡しました。すかさず鼻を当て「都の香りがする」とはしゃいでいるまひろ。
ここが運命の分かれ道かもしれません。
周明は、客館にある書物はわからないと返した。宣孝はまひろが好きそうな書物を渡せるのです。
ちなみに中国の小説を取り入れてさらに高みをめざす技法は、日本文人の定番です。来年の大河では曲亭馬琴ら江戸後期文人がそうする様子が見られるのかもしれません。
まひろは宣孝に越前ウニを振る舞っています。
都の塩ウニとは違うと満足げな宣孝。慣れた手つきでウニを割るまひろにも嬉しそうです。
磯の香りがする、帝もご存じない味だとほめ、さらにはまひろも褒め出す宣孝。
宣孝には三人の妻に四人の子がいる。
もう落ち着いたと思っていたのに、まひろと会うと違う世界が垣間見える、新たな望みが見える、未来が見える、まだまだ生きていたいと思ってしまう。
そう口説き始めました。
まひろは笑いつつ、父とて国司を力の限り務めているのに、宣孝様の人生が落ち着くなどあり得ないと答えます。
このあとまひろは琵琶を奏で、それを聞く宣孝。
この二人の結婚は歳の差もあり、未婚の彼女を見かねた宣孝が拾ったような解釈もされます。
そうではなく、恋をして、口説いたと描く本作。しかも美貌ではなく、変わっていて突拍子もない性格に惹かれたとしています。
大石静さんの本領発揮でしょう。
朱仁聡と周明のたくらみ、宣孝の求婚
そのころ周明は“国司の娘”について朱仁聡に報告していました。
左大臣と知り合いである。彼女を取り込んで左大臣に文を書かせ、朱様の力になれるようにする、と。
しかし朱仁聡の側近は、日本人であることを隠していた周明に不信感があるようです。
ルーツ云々よりも、日本語をわからぬふりをしていたところが怪しいと感じるのでしょう。無理もないところです。
しかし朱仁聡は、周明を信じるという。やってみて、皆の信用を勝ち取れと命じます。
ことが成就したならば、宰相殿の侍医になりたいと周明が言い、周明の働きでそうなるならば望みを叶えると答える朱仁聡。
このやりとりで、朱仁聡は嘘をついているのでは?と思えました。
国と国の話ならば、国書くらい持参していてもおかしくない。
あまりにも皇帝の意思を軽んじています。
当時、即位して間もない第3代皇帝の真宗(しんそう)は多忙で、こんな日本との交易など後回しのはず。
宰相の名前が出てきましたので、宰相当人か、その周辺が勝手に言い出したか、それともはなから朱仁聡の出まかせか、とにかく誰かが嘘をついていると思えます。
朱仁聡が何らかの問題を起こしたことはあったようなので、そのあたりを拡大解釈しているのでしょう。歴史劇ではよくある手法といえます。
宣孝は、あっという間の二日間であったと振り返ります。
父がいたら喜んだだろうと言いながら、まひろは道中の糧としてウニを渡します。
もっと食べたいと宣孝が言うと「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と『論語』を引用しつつまひろは嗜めます。
「まひろ、あの宋人が好きなのか? あいつと宋の国へ行くなよ」
そう言われて驚くまひろ。
昔、宋の国に行きたいと言っていたと宣孝が付け加えます。そんなことを言ったと認めるまひろ。
さらに宣孝はこう言います。
「都に戻ってこい。わしの妻になれ」
ついに直接きました。
MVP:朱仁聡
国際的な詐欺をやらかし始めたように思える朱仁聡。
とはいえドラマでも描かれた通り、この時期の日本は法がゆるいため、甘い処置になるのだろうと思います。
もしも三国若麻呂事件に関わった源光雅らが死刑にでもなれば嫌な予感がしたものの、そこまで苛烈な処置にはならないでしょう。
なお、日本からも留学僧が宋にわたり、受け入れられています。
そういうゆるい民間交流で十分間に合っていたのがこの時代です。
朱仁聡の言うことは当時の宋を踏まえれば無理があります。
時代がくだり南宋になると、日本からの砂金の重要性はあがります。マルコ・ポーロが日本を「黄金の国」と記した元代も、砂金の魅力的な供給地であったことでしょう。
明代は銀が大量に採掘され、これまた魅力的です。
しかし今回のドラマではそうなる以前の話なので、日本貿易は宋の朝廷にとってそこまで重要でもない。
時代を先取りしているか、あるいは嘘をついているか。どちらかでしょう。
それでも周明が騙されてしまうのは、為時が語るように、朱仁聡には風格があるからなのか、はたまた周明が信じきっているからなのか。
このなかなか強引なプロットに説得力を与える、「大人」(たいじん)の風格がある、そんな浩歌さんがお見事です。
「矢野浩二(中国ではまだ旧芸名が有名)の中国語は文句のつけようがないな」
現地からもそう信頼をされている、彼だからこそできる風格があります。
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演じる側だけではなく、支えるスタッフの皆さんも頑張っています。
今年の衣装は『清明上河図』を参照しているそうです。
去年は横光三国志を参照したような衣装でしたから、その進歩は素晴らしいものがあります。
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中国時代劇とも比較しました。
中国時代劇で宋代の見習い医者といえば、『白蛇伝』の許宣が有名です。
しかしこの許宣はラブストーリーの主役であるせいか、考証よりもビジュアル重視にされがちです。
むしろ周明の方が真面目な造形に思えました。
中国時代劇でも「ラブ史劇」というよくわからないフレーズがつき、やたらとピンクが強い宣伝材料のものは、考証がゆるいことは往々にしてあります。
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泣いて馬謖を斬るーー目的が大事
まひろも大好きな故事成語には、酷い行為でも称揚するものもあります。
その一つが「泣いて馬謖を斬る」です。
諸葛亮は馬謖に目をかけ、とても可愛がっていた。それなのに過ちを犯し敵に大敗し、作戦を頓挫させてしまいます。諸葛亮は軍律を守るために殺しました。それが由来とされます。
なんて素晴らしいのでしょう。感動的だ。そういう意味で使っています。
これがもし、諸葛亮がむしゃくしゃして馬謖を斬ったのであれば、全く褒められません。
曹操は時折そういうことをやらかすから、最低の人間性だと罵倒されていますね。孫権も酔いに任せて部下を殺そうとして止められております。
あくまで規律を守るための処断だからこそ、美談とされるのです。
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また長々と『三国志』の話をして……と思われるかもしれませんが、もちろん理由があります。
大河ドラマはじめエンタメでも、考証の範囲から逸脱をすることはあります。
それも動機次第で判断すべきではないか?と言いたいのです。
中国の大河ファンの感想に「周明が浜辺を歩くシーンで涙が出てきた」とありました。
どうしてそうなるのか?
周明は今まで消えてしまった、見えてこなかった人の姿を可視化したといえます。
四方を海で囲まれた日本には、どの時代にも遠い場所からやって来た人がいました。
彼らはドラマの中で描かれてきたか? というと、消されてきたと思えます。
戦国時代を扱うドラマでも倭寇はまず出てこない。大河ではなく朝ドラでも、いたはずの海外から来た人がいません。
朝ドラでも『まんぷく』では、ヒロインの夫が台湾出身華僑であるルーツを改変し、日本人という設定にしました。
台湾由来の食品であるチキンラーメンを日本人夫妻が開発したものと歴史修正までして、ひどいものでした。
ああすることで今、日本にいる華僑の方がどれだけ傷つくか、作る側は想定できなかったのか。そう呆れ果てたものです。
それが今年の朝ドラ『虎に翼』では、朝鮮出身の留学生である崔香淑を出してきました。
画期的です。朱仁聡や周明は、この大河版だと思えます。
周明が浜辺を歩くことで、消えてしまった人々の姿を見る側が思い出し、感動するのだとすれば、目的として実に素晴らしいではないですか。
大石静さんは「貴族の話だけではバランスが悪い、庶民の視点も出さなければと思っている」と語っています。
直秀に続くその枠が周明ですね。
疫病で亡くなった少女・たねもこの枠に入るのでしょう。
大河ドラマにはこうした庶民の登場人物は定番の存在です。
『麒麟がくる』のしつこい駒叩きに、私は辟易としていました。
歴史を語る上で政治史偏重、庶民軽視をするのはあまりに時代錯誤で、これからのグローバル・ヒストリー時代にこれはあまりにおかしい。
大河ファンを自認する歴史好きが、「駒は実在しない(=史書に記述がない)からファンタジーだ!」と盛り上がる様は、根本的に感覚がどこかの時点で止まっていると思えました。
民衆史について語る相手に「豚に歴史はありますか?」と畳み掛けたある有名学者がいました。そんな大昔のままではないですか。
大河ファンがそうだと、一般向けメディアも便乗してそういうアンチ記事を出します。その象徴的な動きが駒叩きであり、あの過熱ぶりの異常性はどうしたものかと危惧していました。
こういうことを指摘すると「ポリコレガー」だのなんだの言われるでしょうが、一方で国際問題に発展しかねません。
佐渡金山の世界遺産登録がもめている背景にも、さまざまな背景を持つ鉱山労働者の背景を軽んじているのではないかという懸念があるともされます。
政治史に名を刻む人のことだけを考えることは、今はもうリスクとなりました。
民衆の労働なり、ケアワーカーとしての女性なり、そういう人々があったからこそ歴史は紡がれてゆきます。
そんな歴史観をアップデートさせる役割を担うために、敢えて人物を出してくる。
そういう目的ならばよいでしょう。
では「どういう目的ならまずいのか」と最後に指摘しておきますと。
私は再三『いだてん』を批判してきました。
あれは目的が駄目だから、細部がよかろうと肯定できないギルティプレジャー枠といえます。
まーちゃんがキュウリを持ってプールサイドでかじる場面がどれだけ愉快であろうが、あれだけ疑惑の詰まった東京オリンピック礼賛目的ならば、作品として論外です。
公共放送をなんだと思っているのか。
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『青天を衝け』は、紙幣の顔にするにはあまりにも問題が多い渋沢栄一を、ロンダリングしたかったように見えます。
脚本家が同じ『あさが来た』の時点で歴史修正が目立ったNHK。
2010年代半ば以降のNHKドラマはどうにもおかしなことが多々ありました。
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次に『どうする家康』の瀬名。
瀬名の悪女説は江戸時代以降の創作だのなんだの、プロデューサーも脚本家も、口裏を合わせたように同じ動機を語っていてむしろ不信感が募りました。
何を雄弁に語るかよりも、何を語っていないのか、そこを探ることが重要なときもあり、結局、文春砲がその真の目的を明かしていたのではないでしょうか。
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家康役が瀬名役と距離を縮めたかったのだ……と、もしもこんなことが罷り通っていたら恐るべきことです。
昨年の大河については、いまだに大河主演をキャリアアップに使ったという趣旨の記事が出てきます。
◆嵐・松本潤の独立が不義理に見えてしまったのはなぜか、NHK大河『どうする家康』で主役をさせてもらったのに(→link)
公私混同に慣れきっていると、感覚が麻痺するのでしょうか。
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【参考】
光る君へ/公式サイト
























