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『光る君へ』感想あらすじレビュー第23回「雪の舞うころ」

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第23回「雪の舞うころ」
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中宮定子の眩い日々を残す『枕草子』

身重の藤原定子は『枕草子』を読んでいます。

姿がイキイキと見えるような描写に感心していると、清少納言はお恥ずかしい限りと謙遜。

彼女が御簾の下から差し入れてくれるこの楽しみがなければ、私は腹の子とともに死んでいただろうと定子は感謝をします。

「小納言。ありがとう。この子がここまで育ったのはそなたのおかげだ」

「もったいないお言葉」

感動しながら答える清少納言。彼女を見出した母にも礼を言わねばならぬと定子は言います。

清少納言は振り返っています。内裏に呼ばれて行ったとき、亡き関白(道隆)はじめ、皆様がキラキラとしていて目が眩むほどであったと。

定子はあのときが清少納言の中で残っているならば嬉しいと言います。

「しっかりと残っています。しっかりと」

感無量と語る清少納言。翌日、定子は皇女を産みました。

どうして『枕草子』があんなにもキラキラとしているのか。それはこういうことだったのかと想像できる。そんないきいきとした場面です。

筆の力で人の命を長らえる。この世界で最も綺麗な花に注ぐ水のようなものだったのか。そう想像すると、また読み返したくなってきます。

行成は帝に、定子の皇女出産を伝えます。

帝は中宮の無事を知りたがると、健やかであると告げる。

帝が皇女を産んだ中宮にあって労いたいというと、今度は何も答えられない行成。帝もその意図を察したのか、絹をたくさん贈るように言います。今年は寒いのだとか。

「承知いたしました」

この願いには即答する行成。道長の言葉をしっかりと守っているようです。

 

居貞親王の真意

内裏には居貞親王(後の三条天皇)がいて、本作では初登場となりますね。

道長にとっては姉・超子の子で、一条天皇の4歳上の東宮(皇太子)です。

道長が挨拶すると、珍しいことだと返す東宮。

チクリと嫌味を言われても、道長は動じず雑事が多かったと詫びます。

道長は御息所の娍子(すけこ)に、親王との子の年齢を確認します。3歳であるとか。

東宮は帝の生まれた子は皇女だと確認し、ほっとしています。

出家した尼が子を産むのはゆゆしきこととしつつ、祝いを贈るように道長に伝える。中身は叔父上に任せると告げています。

さて、この野心を胸に秘めていそう東宮は、安倍晴明と何やら話し込んでいます。

事前に晴明は「生まれてくるのは皇女」と告げていたようで、東宮はそのさきのことが興味津々の様子。

しかし晴明は「皇子が生まれる」と言います。

「誰が産むのか?新しい女御か?」

東宮がさらに食いついて質問を投げかけると、晴明は淡々と中宮の子だと返す。

「なんと!」

驚く東宮。この東宮はなかなかの野心家のようで、晴明も手広く仕事をしているものですね。

三条天皇
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宣孝は越前に来るのか?

長徳3年(997年)になりました。

越前にいる藤原為時は、かつて藤原宣孝が送ってきた文のことに言及します。

歳があけたら宋人を見に越前に来るとか言いながら結局来なかったな、と。

すでに春だと返事をするまひろ。

相変わらずいい加減な奴だと藤原為時が呆れていると、まひろはその愉快でお気楽なところが宣孝のよいところだとフォローしています。

それに合わせるようにして「最初から来るまいと思っていた」と答える為時。

まひろも決してお見えにならないと思っていたと頷きます。

親戚であり、親友であり、貧しい時は援助もしてくれた宣孝に、なかなか当たりがきつい親子です。この親子は変人で、真面目すぎるということもあるのでしょう。

宣孝は、まひろに宋語の勉強の進捗を尋ねます。

まだまだ父上に追いつけないといい、学ぶのが面白い様子。音を聞くと、かつて習った漢文が頭に浮かんでくるようです。

これは『源氏物語』執筆にも生きてくる話です。

当時の貴族はとっくに形骸化しつつある知識で、漢文の音韻を合わせていました。宋人から直に発音を習ったとすれば、まひろは押韻において一歩リードできる。

為時は長いこと官職も得られず、娘に婿を迎えられなかったことを詫びます。

いきなりどうしたのか?とまひろが訝しんでいると、唐突に周明のことを褒め始める為時です。骨のあるあの男ならば結婚してもよいのだとか。

そのような関係にはないと慌てて否定するまひろ。

為時は好きにせいと返し、越前の視察には一人で行くから、まひろには残るように告げます。雪も解けたから、心配するなと。

 

周明の目的は?

まひろと周明が、浜辺にいます。

海の向こうには宋があると話しかけるまひろ。

頭上を飛ぶ「夫婦の鴎(かもめ)」だと言うと、宋語での呼び方を周明が教えます。

周明に妻はいないのか?

そうまひろが問いかけると、いないと即答です。

他の人には身寄りがあるだろう?と気遣い、故郷が恋しくないのかと心配しています。帰りたい人は帰ればよいのに……。

俺に帰って欲しいのか? それとも国司様の手伝いでそう言っているのか?

周明がそう尋ねると、関係ないと返すまひろ。

宋の人がどうしたいのか、それが大事であり、父の力にもなりたいけれど、それが全てではないと説明しています。

周明や宋人たちは、朱の動向次第だそうです。するとまひろは、ふと「なぜ朝廷は宋との貿易を嫌がるのか、あの人はなぜ頑ななのか」と漏らしてしまいます。

「あの人とは誰のことか?」

「左大臣様、帝の次に偉い人です」

聞かれたことに素直に返答してしまうまひろ。

宋語で友を意味する「朋友」と、知り合いを意味する「熟人」を教えてもらっています。

いったい朝廷は何を考えていたのか?

というと、宋との取引そのものを嫌がるより、太宰府に限定したがっていました。朱たちが太宰府に向かえばそれでよい。

日本は貿易港を限定する傾向があります。

私貿易を好き勝手にされて、地方の権力者が力を得たら統制に手こずる――そんな現実的な理由から限定したがったのでしょう。

海辺で佇む二人の様子を苦々しい顔で見ているのは、馬上の藤原宣孝です。

乙丸がまひろに声をかけ、宣孝が近づいてきます。

「宋人を見にきた!」と宣孝が話すと、本当に来たのか!と驚きながら、まひろは「遠い親戚であり父の友で、京都から来た」と周明に紹介します。

周明が自己紹介をすると、父の病も治したと嬉しそうに続けるまひろ。

少し険しい目つきで、世話になったと返す宣孝。

周明は何かを察したのか、客館に戻ると言います。

「また会おう。再見!」

ちなみに中国の時代劇ならば「告辞」(さらばだ)という言い方がありますが、そこまで再現していないようですね。

まぁ、そういうことを言うならば、もっと時代が下ってから東日本で使われるようになった一人称の「俺」を周明が使うのはおかしいといった指摘をせねばならず、キリがありません。

視聴者にとってまるで中国語講座であったのが今回です。今にも通じる簡単な言い回しを学ぶのであればよいのでは?

この時代の中国では、地方ごとの方言があり、なかなか再現が難しいものなのです。

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