「光る君の物語、読みました。引き込まれました!」
まひろに向かってききょうが声をかけます。
あんなことを一人でじっとりと考えていたのか?と驚きながら、その直後には「まことに根がお暗い」と批判めいた言葉を続ける。
そして、グイグイとまひろに迫るのです。
清少納言、『源氏物語』を読む
「根が暗いのはわかっています」
ききょうが放った先制パンチは、まひろにするりと躱されました。自覚と悟りのある隠キャは、そういうことを言われても動じませんよね。
続けて、ききょうは「光る君は困った男だ」と批判。キャラクターにダメ出ししつつ、玉鬘へのセクハラ三昧に呆れ果てたと具体例を出します。
例えば「私は、なんか嫌!」と、ふわっとしたフィーリングだけで語っても攻撃力不足でしょう。具体例をあげてこそ批判は刺さる。
そういう困った男を物語の主役にして、男のうつけぶりを笑いものにするなんて、まひろらしくて素晴らしいと貶し、褒め、貶してゆく。
作品としては良くても作者としては性格サイテーだろ!
そういう含みはどうしたって感じさせますね。
ききょうの論点はぶれていません。あんな物語を書く奴は性格がしみじみと悪いと見抜いています。
そのうえで、まひろの漢籍知識、世相を批判し物語に反映させる技量は褒める。これほど卓越した技は褒めておかないと、かえって自身の名が廃りますからね。
しかし、まひろはあくまでしれっとしている。
「手厳しいききょう様にお褒めいただいて嬉しいです」
「私は手厳しいでしょうか?」
そう聞き返すききょうですが、ええ、毒舌にもほどがあるでしょう。
まひろにしても、印象論で返すのではなく、以前左大臣のことを人気もやる気もないと言っていたことを持ち出してきました。
いちいち過去の言葉を持ち出すのって、本当に鬱陶しいですよね。今ならスマホのメモに記録していそうです。
しかし、ききょうもあっさりと、まことに見る目がなかったと認めます。
弱点を自覚したら、変に否定して揉めるより、先に進んだ方がよいこともありますしね。
ところがまひろは、さらに恐ろしいことを言い出します。なんと「ききょう様のような才気あふれる方が藤壺にいたらもっと華やかになる」と、スカウトじみたことを言い出すのです。
これはどう答えても相手に打撃を与えられる、巧みの技といえる策でしょう。
まひろはしれっと謙遜できるけれども、ききょうはそうではない。ここで藤壺に行こうと言おうものなら、職場の先輩ヅラをされかねない。
一方、断っても「私と知恵比べする時間がないのでしょうか?」という願意を含めてニヤリとされかねない。断ることまで見越していたとも思えてきます。
ききょうの忠義
まひろのスカウトに対し、ききょうは、自分自身の素直な忠義を見せます。
亡き皇后定子の身内を支えるために生きていると動機を語るのです。
竹三条宮で脩子内親王に仕えていく。今日だって敦康親王のご様子を伺いにきたと続けました。
咄嗟の言い訳にしては筋道が通っている。ここを突き崩すことは難しいでしょう。
まひろも素直に認めます。
すると今度は、ききょうが核心を突くような議題を持ってきました。
中宮様がご自身の皇子を産んだあと、敦康親王を藤壺に置くのはなぜなのか?
敦康親王を大切に思っているからだとまひろが返すと、ききょうはさらに煽ってくる。
「そのような綺麗事を、源氏の物語を書いたまひろ様が信じているとは思えませんわ」
「中宮様はそういうお方で、帝も中宮を信じて託しているのです」
「そうですか」
ききょうがそれを認めるのは、中宮の威信を理解したようで、キッパリと言い切ります。
いかなる世になろうとも、皇后様が残した灯火を守り続ける。私の命はそのためにある。
ききょうは幸せな人だと思いました。
何かのために命を賭けられるなんて、素晴らしいことです。清少納言は『枕草子』の作者であり、作品の印象からか、軽妙どころか軽薄という批判すらあります。
そんな才女を、忠義の体現者にする。全く大したものです。ききょうはここで再度命を吹き込まれたように思えます。
そんなききょうは、まひろに『源氏物語』を書いた理由を問いかけます。
左大臣に頼まれて、帝の心から『枕草子』を消してくれと頼まれたのか、亡き定子様の輝きを亡きものとするためにそうしたのか?と問い詰めるのです。
あらためて、しれっとした顔で、帝の御心をとらえるような物語を書きたいと思ったのだと返すまひろ。
ききょうは、いよいよ憎しみを顔に激らせました。
「私は腹を立てておりますのよ、まひろ様に。『源氏の物語』を恨んでおりますの」
渾身の一撃を叩き込む。
しかし、それを受け止めるまひろは、策士として器が違う。ここであしらって、後に『紫式部日記』で容赦なく叩くわけです。
この場面は見ていて辛いような、思い当たるところがあるような……私の個人的な経験をここにつらつらと書くことは控えたいようで、思い当たるところはあります。
私はききょうタイプと相性が最悪です。こちらから嫌いになる前に、あちらが怒って絶交宣言をしてくることがあまりに多いのです。
なぜなのか? と悩んでいたこともありましたが、おかげで読み解けたような気がします。
まひろの言い分
この場面について、ファーストサマーウイカさんのインタビューも読みました。
その通りだな、よい役の解釈だな。そう思いました。ききょうからすれば、友情崩壊です。
これだけききょうが定子を崇拝しているとわかっておいて、あんな批判を書くとはどういうこと! あんたは友情を踏み躙ったワケ?
そう怒るのは当然といえましょう。
ただ、まひろにだって言い分はある。
ききょうにしても、まひろが大好きな道長の悪口を言っていました。友達なら、好きな者の悪口を言ってはいけないルールであれば、ききょうだって違反している。
もちろん彼女はまひろと道長の関係性を知らないので、仕方ないところではありますが。
そう割り切りつつも、まひろの中では減点一点と判断されていても不思議はないでしょう。
まひろとききょうの方向性の違いも、わかりきっていました。
ききょうが定子の“光”だけ書くと言い切ったとき、まひろは”陰”も描くべきではないかと反論しました。
そこで議論をすり合わせるならばともかく、ききょうはムッとして、まひろの理論を否定するだけ。
話し合いを拒否するなら、作品で示してどちらを正しいか競うこともやむなしではないですか。
同調か、賞賛だけを求めて、反論や議論を認めない――そんな歪な友情は成立しないでしょう。
あのときまひろはおとなしく黙ったようで、減点をしていても不思議はありません。
そもそも友人に対し、同調と称賛ばかりを求めるのは不健全です。相手はロボットじゃないのです。
両者ともに、漢籍教養がある。
漢籍に出てくる定番として【諷諫】(ふうかん)があります。たとえ話をして、諌めることです。
主君が酒宴を開いて盛り上がっているとする。
するとため息混じりに「あの酒池肉林を楽しんだ紂王も、こんなノリだったんですかねえ」という。
言外に「こんな馬鹿騒ぎはあの暴君である紂王のようだ。恥を知れ!」と込めているわけです。
『源氏物語』の「桐壺」からはそういう意図を読み解ける。
帝が定子に執心したからこそ、結果的に破滅に追いやってしまったのではないか。そう諌めていると言えるのです。
まひろは「ききょう様ともあろうお方が【諷諫】もわからないのですか?」と反論できるワケですね。
あなたの漢籍教養は、所詮、「香炉峰の雪」と聞いて御簾を捲り上げるような、そんな軽薄さでしか表現できないの? そう考えるとすごい煽りです。
まひろは『源氏物語』を書くことで、「お前の完敗だ!」と突きつけたようなもの。
両者が友人であったという出発点から考えると、あまりにおそろしい結末といえます。
そりゃ、ききょうは、あんな顔になりますよね。
まひろの恐ろしいところは、そうやって鎬を削ってこそ真の友情ではないか?とすら考えていそうなところに思えます。
まひろとしては、あそこまで煽ったら決裂は当然にせよ、自分からその札を切るつもりはなかったようにも見える。そうなれば結果的に相手から絶交されますよね。
作品と人格を完全に切り離して見ているまひろ。
しかし、そう簡単に割り切れない人もいる。
私も思い当たるところはあります。友人が大好きだとうれしそうに語るドラマをきつい言葉で語るとき、その友人の顔が思い浮かんで、少し落ち込むこともあります。
好きな役者がしょうもないドラマに出ていると、心が千々に乱れます。
しかし、一秒後には忘れる。
好きな役者や作家がしょうもないことをやらされているとき、皆さんはどう考えますか。
「推しが動いているだけでも尊い! どんなひどい作品だろうと褒めなくちゃ!」
「私の推しになんてことをさせるんだ! これはこれ、それはそれ、駄作は叩く!」
どちらを取るか?
というと、ききょうは前者、まひろは後者じゃないかと私は思います。
そりゃ、相性は悪いでしょう。
互いの違いを認めることもできないだろうし、距離を置いてほどほどに付き合うしかありません。
元服と呪詛
寛弘6年(1009年)、敦成親王をあやす敦康親王の姿を微笑みながら見守る中宮。
そこへ行成が、敦康親王の元服について相談にやってきました。
もう11歳だからおかしくないと中宮も認めるものの、元服をすれば藤壺を出ることになるからと敦康親王は嫌がります。
いつか元服しないといけない、元服姿が見たいと中宮は励ますように言いますが……ゆくゆくは帝となるのだと優しく語りかける彼女に、行成の顔は心なしか引き攣っています。
それでも嫌だと駄々をこねる敦康親王。
行成の反応にも興味深いものがあります。行成は道長も、帝も、どちらも好きなのです。だからこそ、板挟みになってストレスが溜まっています。
すると、道長のもとへ、百舌彦がただならぬものを届けに来ました。
敦成親王を呪詛した人形(ひとがた)です。
道長は行成を呼び出し、犯人探しをするよう指示を出します。
動機が敦成親王潰しであるからには、犯人が敦康親王側であることは明らか。
円能という僧侶が浮かび上がり、厳しい尋問により犯人はすぐにわかりました。
伊周の縁者です。劇中では名前がまだ出てきませんが、伊周にとっては母方の叔母にあたる高階光子だと伝えられています。
ききょうといい、その主たる伊周といい、中関白家は素直すぎるんですよね。策を仕掛けるにしては、あまりにも真っ直ぐに進みすぎではないでしょうか。
伊周はなぜ?
さて、この呪詛は陣定(じんのさだめ)の議題となります。
あの温厚な行成ですら、呪詛は死罪だと言い切る。その上で明法博士(みょうほうはかせ)に調べさせると提案します。
公任も、円能を還俗させ、罪を問うべきだと続きます。
兄の関与に悩ましい表情となる隆家も、明法博士に任せるという。実資以下、これに賛同。道綱のようにあまり深く考えていそうにない公卿もおりますが。
さて、伊周の処分はどうするのか。
静まり返る一同。明法博士の勘申では、呪詛の首謀者は「律」の掟では死罪となるのだとか。
このことを左大臣である道長から聞かされ、帝は動揺しています。
道長はそれより軽い官位剥奪相当だと進言すると、呪詛されたのに寛大だと帝は驚いています。
道長は自分はともかく、中宮と敦成親王を呪詛したことは許しがたい、厳しい罰を与えると明言。
ここにも道長の老獪さが現れていますね。
自分自身のことは二の次として、帝にとって大事な二人を持ち出しているのです。
それでも寛大な措置であるのは、恨みを買いたくないからだと言いつつ「伊周は参内停止相当だ」ときっぱり言い切りました。
帝が伊周は関わっていないと庇うものの、公卿から白い目で見られるのはかえってかわいそうだ、伊周のためだというのが道長の理屈です。
まひろと道長陣営は、ききょうと伊周陣営に対し、迂回しつつ目的を達成するような策があります。
若い頃とは違い、曲がりくねった道を通るほうがかえって早いと理解したような、そんな成熟を感じさせるんですね。
帝は中宮と閨を共にしながら、なぜ伊周は朕を悩ませるのかと打ち明けています。
中宮は「敦康様への想いは変わらない」と告げる。
「まことか?」と問いかける帝に、藤壺で寂しく過ごしていたころから、敦康様は闇を照らす光だったと中宮は素直に返します。その思いは敦成が生まれようと変わらないのだと。
帝は、敦康も、敦成も、そして彰子も愛おしいとのこと。素直に帝の御心とともにありたいと語る中宮。
中宮を愛おしそうに抱きしめる帝です。
人はなぜわかりあえぬのか?
まひろは月を見上げつつ、ききょうの言葉を思い出していました。
悪口や恨みつらみではなく、ききょうの定子への忠誠心と、そのために命を使うという覚悟の言葉です。
と、女房の先輩である宮の宣旨が「藤式部はいつも月を見上げている」と語りかけてきました。
何を思っているのかと問われ、その時々によると答えたまひろは、「今日は皆がどういう気持ちで宮仕えをしているのか?」と続けます。
すると宮の宣旨は、逆に「そなたは何のためにここにおるのか?」と問いかけてきました。
帝の御為か、中宮の御為か……。言葉を濁すまひろに「生きるためであろう」と語る宮の宣旨。
物語を書くだけならば里でも書ける。ここで書くのは暮らしのためでは?
まひろは認めます。
父の藤原為時には官職がない。弟も六位蔵人止まり。
「子どももいるのだろう?」さらには「うまくいっておらぬのか?」と問われ、「なぜおわかりになるのか?」と驚くまひろ。
まひろのようぬ物語は書けないけれど、それなりに世の中のことを学んできたと説明する宮の宣旨です。
子を思う気持ちは届かぬようだとまひろが寂しそうに語ると、宮の宣旨はしみじみと、夫婦であっても、親子であっても、まことにわかりあえることはできないのではないかとフォローします。
「さみしいことだが」
そっと付け加える優しさもある。そして今日もよく働いたといい、早く休もうと言い合うのでした。
なんていい上司でしょう。
世の中の流れを見てきて知恵がある。驕り昂るわけでもなく謙虚で包み込むようだ。
見ているだけでなく、観察し、相手にあった助言ができる。これぞ理想の上司像でしょう。こういう人と出会い、長く付き合っていきたいとしみじみ思えてきます。
心を病んでゆく平安の人々
兄の様子を危惧したのか。隆家がズカズカと大股で屋敷に入ってゆきます。
「何をしておる!」
伊周は、呪詛をしておりました。
止めようとしても止めようがなく、鬼気迫る形相で呪詛を続ける伊周。
なんと人形を食いちぎっているではないですか!
呆れ果てる隆家。確かに、これはおそろしい……おぞましい……。
ちなみに呪詛の呪文は本物をそのまま唱えると危険なので、一部変えているそうです。それでも伊周役の三浦翔平さんは体調が悪化したそうで。
私も寺社仏閣に参るときは、大河が無事で進行できるよう願っています。何事も心がけが大事です。
それにしても、今年の大河はちょっと異次元の境地に入ってきている感はあります。
『源氏物語』を読むと、わかるようでわかりにくいことはあります。
どうにも暗く、人が病んでいる。あれだけ恵まれたと言われている光源氏ですら、何かあるとすぐに「出家したい」と遁世願望を募らせる。
男も女も精神的打撃を受けるとあっさりと亡くなってしまう。
権力闘争にせよ運とコネ頼みで、追い詰められたら呪詛くらいしかない。
そうなればどんな上級貴族だって病んでしまうでしょう。
『源氏物語』の呪詛といえば六条御息所ですが、彼女は勝手に生き霊になってしまうのであって、自発的に呪ってはいません。
流罪にせよ、しょうもない恋愛沙汰でそうなってしまう。
作者が意図的に生々しい政治闘争や人間の憎悪を薄めているのではないか?と、このドラマを見ていると理解できるようになっています。
そうやって作者が生々しさを薄めたところで、根底にある世界観は陰湿でストレスまみれの社会です。
あの世界の人がすぐに精神を病むのも、もっともなことだと思えてくる。
政治も問題だし、生活そのものがひどい。
平安時代の食事は上級になればなるほど栄養バランスが狂います。体を動かさないと健康寿命も短くなります。
男性は乗馬や弓術の機会があるからまだマシであるにせよ、女性貴族は重たい衣装を着てほとんど動けない。
そりゃ、ストレスですぐ亡くなりますよ。
わざと早死にするような環境を構築しているようなものです。
道長と頼通の使命
頼通が道長に呼ばれてきました。
「これより俺とお前がなさねばならぬことはなんだ?」
そう問われ、頼通は答えます。
帝に仕え、朝廷の繁栄と安寧をはかること――。
すると道長は、確信を込めて「敦成様を次の東宮に奉ること、一刻も早く御即位いただくことだ」と断言しました。
唖然とする頼通。
道長は本来お支えするものがしっかりしておれば、帝は誰でも良いのだとまで言い切りました。
そのうえで帝の心をいたずらに揺さぶるものがいれば朝廷は混乱すると懸念の表情を浮かべます。伊周を想定しているのでしょう。
何時いかなるときでも我々を信頼する帝であって欲しい。そして、それは敦成様だと言うのです。
「家の繁栄のためではないぞ」
そう言い切る道長の脳裏には、家のために花山院を謀略で追いやった父・兼家と、中関白家のためならば強引な手段もとった兄・道隆の姿がよぎっていたのかもしれません。
あの人たちと俺は違う!
と言いたいのかもしれませんが、結局のところは一緒ではないでしょうか。
政治体制として、摂関政治が清廉潔白から程遠いことも指摘せねばなりません。
今年の大河ドラマは、いくらなんでも摂関政治を悪く描きすぎだとも言われるようですが、さて、どうでしょう。
藤原道長はもっと若い頃から陰険奸悪な策士だったという見方をする研究者もいます。
政治体制からすると、『貞観政要』のような漢籍を「理想として掲げただけではいけない」のだとつくづく思います。
同時代の中国は北宋にあたります。
北宋は科挙制度が進展し、身分によって官僚が決まる貴族制度が終焉を迎えた時代でした。
時代が降って明代ともなれば科挙の弊害がかなり出てきていますが、北宋の頃はそうでもありません。優秀な官僚が多く、中国史でも政治のレベルが大変高かった時代でした。
そんな北宋と比較すると、平安貴族たちには「もっと真面目にできないのか」と突っ込みたくなる。
このドラマのモチーフである『源氏物語』を読んでいて、呆れてしまったことがありました。
主人公であり、ききょうも酷評した光源氏。彼は兄にあたる天皇入内を控えていた朧月夜と危険な逢瀬を重ね、失脚しそうになります。
そこで先手を打ち、自ら都落ちをしてしまい、そんな我が身を明石でこう嘆くのです。
「屈原のように罪のない身で、こんなことになってしまった……」
「些細な罪で死罪となった嵆康に倣い、彼の残した『広陵散』でも琴で奏でよう……」
これは重大深刻な政治闘争に巻き込まれ、潔白なのに死んでしまった屈原と嵆康にとっては侮辱そのものと言える。
光源氏は朧月夜と密通したことは確かなのです。
しかも、罪にしたって心底くだらない。ゲス不倫で干されたくらいで、何を悲劇ぶっているんでしょうか。
ただ、これは紫式部の超絶技巧が光る場面でもあります。
いったん経緯を忘れれば感動しますし、屈原と嵆康のことを知っているからこそ書ける。
実在した伊周が失脚する【長徳の変】だって、女性がらみのしょうもないトラブルですからね。
日本史において「撫民仁政」、民を慈しむ為政者が出るには、鎌倉時代の北条泰時あたりまで待たねばなりません。
『鎌倉殿の13人』最終盤でその萌芽が描かれました。
そんな時代に到達する前が摂関政治です。
外戚が横行し、君主の位まで口を挟んでいた時代が、そんなに気高いものとは私には思えません。
本年大河の政治状況と比べれば、来年大河の江戸中期田沼時代なんて、かわいいものではないでしょうか。
道長が思うがままの除目
3月4日、臨時の除目が行われました。
道長の思い通りの人事です。
既に権中納言だった源俊賢を加えて、彼ら四人は「一条朝の四納言」となりました。
しかし帝の顔色はすぐれません。
どうしたって左大臣あっての政治だと虚しさを覚えているのでしょう。
伊周を重用することは、ただの身贔屓でなく、帝としての意思を反映する手段であったとも思えてきます。
道長の嫡男である頼通も、わずか19歳で権中納言になりました。
彼は丁重に実資に対し、教えを乞うてきます。自分を尊敬していたという若者を前にし、まんざらでもなさそうな実資。
「えっ、そうなの?」と、素直に返しています。
御指南をお願いしたいと頭を下げられると、いきなり指南し始めます。駒牽(こまひき)の上卿(じょうけい)の次第、射礼(じゃらい)の上卿の次第かと言い出すのです。
「一からやるとなると大変だ、今からやるか〜」
「……おいおいお願いいたします」
「指南とはおいおいするものではない! 精進されよ」
戸惑う若い頼通と、一喝する実資。これがのちに「賢人右府」と呼ばれることになる実資の強みです。
こういう人はどの時代にもいて「有職故実に通じる」と出てきたらこのタイプです。
戦国時代だと細川幽斎ですね。
室町幕府最後の幕臣であり、関ヶ原前哨戦では「古今伝授」を知っていたために助命されました。
要するに伝統儀式に詳しい人を軽んじてはいけない、ということです。
伝統を身にまとい、己の価値を高めているタイプってわけですね
このやりとりは軽い会話で癒しのようで、平安中期をドラマにする意義があると思えます。
多くの人にとって初めて聞くような歴史用語を流すことには意義があるでしょう。そんな儀礼があったのだと伝え、興味を惹くだけでも意義はある。
為時の家では、いとと乙丸も喜んでいます。
なんと8年ぶりに左少弁(さしょうべん)に任官されたのです。
いとは、やはり左大臣様のおはからいなのかとウキウキしている。内裏でも土御門でも一緒で「アレ」なのかと囁いてきます。
主語やら何やら省かれていますが、要するに「まひろと関係を持った道長による御礼人事なのか?」と問いかけているのです。
戸惑う為時……。
すると、ここへ賢子がやってきて、「アレってなに?」と無邪気に問いかけてきました。
慌てた為時は、まひろの書いた物語が中宮に幸せをもたらしたので、その父である左大臣がお礼をしたのだろうと説明。
賢子は左大臣のことを「紙をくださった方」と認識しています。そしてまひろと道長の関係を聞いてくるのです。
為時がそこで「まひろの才を認めた恩人だ」と返しても、聡明な賢子は「アレ」のどこか後ろ暗いニュアンスが気になっているようです。
いとも瞬きをして焦っていますが、話題をそらすかのように賢子が微笑み、為時の任官を祝います。
さて、彼女の疑惑を切り抜けることはできたのか。
倫子の疑念がついにあらわになる
道長が、頼通の婿入り先を倫子に相談しています。
候補は、具平親王の一の姫・隆姫女王。倫子に異存がなければ進めると言うと、倫子は自分よりも頼通の気持ちを聞いてやって欲しいと返します。
すると道長は「あいつの気持ちはよい」と即座に却下。
妻は本人の気持ちで決めるものではないと断言すると、倫子が「まあ……」と嘆息しながら、「殿もそういう気持ちで婿入りしたのか?」と聞き返します。
あっさりと「そうだ」と認める道長。
男の行く末は妻で決まるのだと言い切り、やる気のなかった末っ子が今日あるのはそなたのおかげだと妻に感謝し、さらには隆姫女王も倫子のようであることを祈ると続けます。
微かに笑う倫子。道長は妻に感謝を示したつもりかもしれませんが、倫子の心の糸が切れた瞬間にも思えてくる。
いや、微かにつなぎとめたいのか……子どもたちのお相手を早く決めて、そのあとは殿とゆっくり、二人きりで過ごしたいと甘えてきます。
嬉子(よしこ)はまだ3歳だと、暗に倫子の案を遠ざけるかのような道長。
またも笑い、年が明けたら威子(たけこ)は裳着だと続けます。
ここのすれ違いは、実に残酷でした。
道長は都合よく記憶を改竄しているかもしれません。
道長の妻を決めるうえで、主導的だったのは姉の詮子でした。テキパキと源氏有力者の姫をリストアップし、どれにするかと迫っていた。
道長の語る「デキる男は妻で決まる!」というセオリーは、実は道長自身が確立していったともいえます。
打毱の時に公任も同じ趣旨のことを語っていたので、誤解されやすいともいえるし、道長はこのときの公任から影響を受けたのかもしれません。
父の兼家にせよ、兄の隆家と道兼にせよ、実は妻の身分はさほどに高くありません。
兼家は純粋な好みで選んだのか。時姫にせよ、道綱の母である寧子にせよ、受領階級の娘です。
道隆は身分よりも高階貴子の才知に賭け、定子という娘を得た。
父と兄に倣うのであれば、道長はまひろを妻にしてもそこまでおかしくなかったといえる。
姉・詮子の強力なパワーもあってか、彼もそういうものだと思い込んでしまったのかもしれません。
こう考えてくると、おそろしいものが……『源氏物語』との共通点も見えてきます。
光源氏にとって最愛の存在ともいえるのが紫の上です。
古文の教科書の定番でもある「若紫」で垣間見される場面は有名でしょう。本作では、まひろと三郎こと後の道長との出会いにも、この場面へのオマージュが捧げられていました。
紫の上にとって衝撃的な初めての体験は、このあとに登場します。
「葵」で、まだわずか14歳であった紫の上は、男女のことなど何も知らなかったのに、光源氏から一方的に夫婦とされた。それまでなかよくしてくれる親切なお兄さんであった相手が、当然そうしてきたのです。
初めての夜を経験したあと、紫の上は遅くまで起きてくることもできず、汗をびっしょりと吹き出し、怯えていました。
紫式部は、紫の上の心の痛み、苦しみ、怯える様子、光源氏への怒りと失望を、かなり筆をさいて描いています。
この後、いくら紫の上が理想的な妻となっていったとしても、あの夜のおぞましい記憶は原体験として残っていても不思議ではありません。
完璧な妻として振る舞うために、胸のうちに抑え込んでいた違和感。光源氏が女三宮を妻に迎えたことで蓋が開き、彼女は死へと向かっていくように思えます。
倫子も、この紫の上のような違和感を覚えているように思えます。
道長は倫子との結婚の際、親に対してはアプローチをしていた。
しかし気の利いた文を送ってくるわけでもない。そっけない結婚でした。倫子は打毱で見かけて以来、道長に惚れていたからには、その違和感を封じてきたのでしょう。
その封じ込めた蓋が開きかける様子は何度も出てきました。
道長の文箱から出てきたまひろとのやりとりの証拠。もう一人の妻ではない、誰か別の女を夢見るような道長の顔つき。そしてまひろとの間に漂う何か。
とうとうその最後のピースが、道長本人のこの無頓着な語り口によって明かされたように思えます。
この点において道長は幾重ものの罪を犯しているのです。
まひろには、身分の違いで妻にできないから妾になるよう迫った。
そのまひろに断られ、失意を抱えたまま倫子と明子で妥協する――ここまで罪深い大河相手役も、そうそういないように思えてきます。
こんなに目に見えぬ縄に縛られて彼はどうするつもりなのか。
伊周の恨みつらみは察知できても、隣にいる妻の心に無頓着とは、なんと恐ろしいのでしょう。
道長は己の心とともに、周りも傷つけていた。
姉の詮子をふりきってでも、どうして思うままに歩めなかったのか。
史実という制約をあえて利用しつつ、この道長はおそろしい罠に嵌められています。
繰り返しますが、気分転換すらろくにできないこの時代、ストレスは容易に死へ直結するのです。
となれば、心の違和感は現代以上に痛撃となりえます。
陰鬱な現実に、陰鬱な物語を
そのころ、まひろは構想を書きつけています。
宿命
密通
不義
幸不幸
出家
『源氏物語』を構成する要素ですが、改めてなんなのでしょう。
確かに『源氏物語』は傑作です。
しかし読んでいると、なんでこんなに重苦しくて辛い話を読まねばならないのかと憂鬱になることはあります。
私だけでもなく、解説書にもそんなことは書いてあります。作者は暗い性格だという見解も一致しているものです。
これが国民的文学なのか。
どうしたものでしょう。来年大河舞台の江戸っ子たちは、「『水滸伝』みてーに、ヤベー奴らが集って暴れる、そういう明るい話が読みてェわけよ!」となるのもやむなしでしょう。
日本文学史でいうと、陰気な上方、陽気な関東になると思います。
本作のおそろしいところは、そんな陰気な話を書く作者は暗いだけでなく、メンタル猛者だと描くところでしょう。
まひろのもとに道長がノコノコ顔を出すだけで、どこか不穏な空気は漂います。すごい目をしている赤染衛門を想像してしまいます。
道長に、父の官職の礼をいうまひろ。
彼女の娘が11だと聞き出すと、敦康様と同い年ならもうすぐ裳着だと道長が言い出します。
するとまひろが、硬い顔のまま、娘の裳着に左大臣様から何か一ついただきたいとねだってきました。
おねだり下手なまひろにしては珍しい。
実の父の形見にでもするつもりでしょうか。
道長は「考えておく」と返します。彼がどこまで賢子を娘と認識しているのか、これもわかりにくい。
さらに道長は、裳着を終えたら娘を藤壺に呼び出すことを提案します。
さすがに引き攣るまひろの顔。
道長は「人気の女房になって、亡き定子様の登華殿のように華やかな場を演出できるかもしれない」と笑顔を浮かべてますが……。
ますますひきつるまひろの顔。
結局、道長って、まひろにも倫子にも鈍感で不義理にすら思えてきます。
ききょうのように「こんなツッコミたくなる男をメインにして、よくもまあ、こんな面白い話にできますわ!」と言いたくなりますねえ。
もう道長、何を考えているんだ。
すると本人も気づき「まひろに人気がないというわけじゃない」と言います。
ただ、まひろは自分が人気者でないことは理解しているので、そこは織り込み済みです。物語さえ人気になればいいと返します。
おじさんのセクハラは千年前から迷惑です!
もうひとつの要素は、これも『源氏物語』読者はピンとくるでしょうか。
光源氏は、本命女性の娘世代にも手を出します。
永遠の憧れの相手である藤壺。
その姪にあたる紫の上と、女三宮。
夕顔の娘である玉鬘。
六条御息所の娘である秋好中宮は入内しているにも関わらず、ひたすら気持ち悪いセクシーな言動を重ねる。
ききょうが呆れるほどひどいセクハラ三昧を展開するわけです。
ふと、昨年の大河ドラマ『どうする家康』を思い出しました。
あのドラマでは「お市と淀の母娘が家康に恋をしている」という不気味な設定を展開していました。
おまけに家康は、孫の千姫相手にまで「俺に惚れるなよ」オーラを出していたものです。
信長も娘の顔を無意味に鷲掴みにしていましたね。
あれは要するに、おじさんの「俺はいくつになっても若い女にモテモテ!」というファンタジー描写でしょう。
そんなもんは薄気味悪いだけだと、千年以上前に紫式部は喝破していたのです。あのような描写にした昨年の制作陣は反省して欲しい。
そんな物語を書く作者からすれば、まひろ二号として娘に近寄らないか、警戒心は出てくることでしょう。
道長は、実の娘と気づいているのかどうか。
あかねを「和泉式部」として藤壺の華とする
警戒心を募らせたまひろは策士ぶりを発揮します。
正面突破タイプなら、娘のことをしっかり打ち明けるのでしょうが、まひろは迂回させる。
藤壺にふさわしい人気者の女房候補、しかもこぼれ落ちるほどのセクシーさを誇る女性を挙げる――そう、あかねです。
まひろの腹黒さ全開ですね。
『紫式部日記』において、彼女のことを「和歌の才能は素晴らしいけど、一体どういう貞操観念なのか」とチクリと嫌味を書いていた。
それを踏まえると、色気全開の彼女を、本人の承諾前に差し出すまひろはどういう性格なのかと突っ込みたくなります。そりゃききょうも、ああいう態度になるでしょう。
そして、そのあかねが藤壺にきました。
宮の宣旨が「和泉式部」という名を与えると、別れた夫の官職は嫌だとあかねは拒否。これにはまひろ以下、皆が目を泳がせています。
あかねは最愛の人(しかも兄弟)である「宮」をつけた「宮式部」を希望しました。
これはまひろの作戦勝ちでしょう。空気を読めない才人枠が増えました。
宮の宣旨も呆れ、文句を言わずに「和泉式部」と名乗るように命じます。
あかね気持ちを切り替えたようです。ただ案の定、他の女房たちは“変人天才枠”に不満そうですが……。
そのあかねは敦道親王との思い出を綴った書をまひろに見せています。
『和泉式部日記』ですね。
書くことで己の悲しみを救う――そんなまひろの言葉がなければ自分は死んでいたかもしれないとあかねは心情を漏らします。
書いているうちにまだ生きていたいと思った。書くことで命が再び息づいたと語る。
まひろはその作品を受け取り「胸が躍る」と笑顔になっています。
本気で嬉しいのでしょう。
プロ意識の高いまひろは、作品と作者への感情を完全に切り分けます。それができない側からすれば「なんだあいつ」となってしまうんですけどね。
あかねも「まひろが物語を書くことで気持ちを救っているのか」と問うてきます。
淡々と「そのような思い入れはない」と語るまひろ。頼まれて書き出したと認め、書いていればもろもろも憂さを忘れると言います。
あかねに「仕事なのか」と言われ、笑い認めるまひろです。
藤壺の庭で女房たちが貝合わせを楽しみ、その様子を帝と中宮が見守っています。
そこには藤原頼通や、源明子の子である藤原頼宗といった若手公卿もいます。
あかねの色香にすっかりカチコチになってしまい、画面越しに動揺が伝わってくるようですが……大丈夫なのでしょうか。
まひろはそんなときでも執筆中でした。
我が子を頼む母の思い
源俊賢が、高松殿にやってきた頼通を出迎えています。
いい飲みっぷりだとおだてる様は、実資が日記で腐したような“追従気質”を思わせます。
俊賢と明子の兄妹としては、頼通にとっては異母弟である頼宗を引き立ててくれるよう頼みたいのでしょう。
俊賢は金峰山での頼通のことも褒め称え、頼宗も兄上が藤壺で人気だと褒めます。
明子はさらに頼宗の引き立てを念押しすると「それは父上に仰ってください」と困惑気味。
家族の団欒に、そんな生々しい話を持ち出されても嫌かもしれませんね。
それでも明子はこれからは頼通様の世、道長様が道綱様を大事にしているように、頼宗の引き立てを頼み込んできます。
明子は、道綱の母であった寧子と同じく、我が子の出世を願う母になりました。
倫子とは異なり、もう殿の愛は求めていないようです。
明子は「六条御息所に近いのではないか?」と指摘されますが、確かに彼女もあれだけ色々あった光源氏との関係が、結局は娘の秋好中宮の身元保証を頼む流れに収束していったものでした。
藤壺の宮にあまえる皇子だと?
道長が、敦成親王を抱いています。
この孫が衣服にお漏らしした逸話は出てこないようなので、そこは脳内で補うしかありませんね。
すると道長は、敦康親王が中宮の膝に甘える様を目撃してしまいます。
孫をあやしつつ目線を動かせない道長。
その後、慌てるように『源氏物語』を読み返しました。
光源氏は、母である桐壺更衣によく似た藤壺の宮を母代わりに甘え、やがてそれが恋となり、密通してしまう。
道長にとって敦康親王は、娘の中宮と密通しかねない危険な存在として認知されてしまったのです。
よりにもよって中宮は藤壺におりますから、生々しいにもほどがある――まひろの書いた物語が、歴史を動かす瞬間。
道長は行成のもとへゆき、敦康親王の元服日程を決めろと迫るのでした。
その年の6月、頼通と隆姫女王の結婚が決まりました。
さらに、中宮が二度目の懐妊が判明。
道長は断固として敦康親王の元服を決めますが、肝心の本人が、出産を終えた中宮が土御門から戻った際に迎えたいと、延期を主張します。
中宮は、元服しても藤壺にいてよいと微笑むものの、道長にすればありえん話ですね。険しい顔になっております。
まひろも「お気づきになりましたか」とでも言いたげな諸葛孔明顔をしていますが、自分のせいだと理解しているんですかね?
かくして土御門に下がった中宮。
帝は彼女の出産まで敦康親王の元服延期を命じますが、道長は全て決まっていると抵抗します。
出産と重ねてはいけないという帝。
強行したい道長。
結局、帝の意思がここでは通ります。
道長は粘ることをせず、代わりに敦康親王元服後の在所を決めると言い出して、次善策を打ち立ててきました。
複雑そうな帝と、断固たる道長の顔の対比が生々しいものがあります。
このあと藤壺でボヤがあり、敦康親王は伊周の屋敷へ。
伊周は、定子の忘れ形見である敦康親王と脩子内親王を迎えたものの、咳き込んでいる姿から、あまり先は長くないように思えます。
ききょうの絶望の滲んだ顔が切ない。
『枕草子』で輝いていたあの美しい人がまたも散ろうとしています。
敦康親王は道長の冷たい振る舞いを察知しているようで、不満を打ち明けます。
中宮に皇子が生まれたからには仕方ないものの、寂しい様子。
敦康様を守るという伊周の言葉には、まるで説得力がありません。
伊周の子である藤原道雅は「藤壺の火事も誰の仕業か分かったものではない」と漏らしました。ますます不穏な顔になるききょう。
伊周は、道長のもとへ会いにきました。
咳き込みつつ、敦康様を帝から引き離さないでほしい、次の東宮は敦康様だと言い切ります。それも帝が望んでいるだろう……と、帝のご意志を踏み躙らぬよう頼み込む伊周。
道長は、その帝の思し召しで参内を許されたにも関わらず「なぜ内裏に参らなかったのか」と伊周を問い詰めると……。
「お前の……せいだ……何もかも……お前のせいだ!」
突如として、絶叫する伊周。
道長は立ち上がり、見下すように宣言します。
「今後、お前が政に関わることはない。下がって養生いたせ」
伊周は呪詛を続け、札をばらまいています。
取り押さえられ、連れ出される伊周。そのおぞましい様子をまひろも目に焼き付けてしまうのでした。
見つめ合うまひろと道長。
瞬きを繰り返す二人からは、あの輝きはありません。
道長は娘を中宮にし、念願の皇子を得ました。
まぶしいほどの栄華のなかにいるようで、実はその場所は闇なのかもしれません。
何かおそろしい深淵を見てしまったように、視線を交わす二人。何が待ち受けているのでしょうか。
MVP:藤原伊周
呪詛――そんなものは過去のもののようで、そうではないかもしれない。
『鎌倉殿の13人』でも呪詛は重要な要素で、全成が非業の死を遂げる理由となりました。
とはいえ、文覚の呪詛はどこかコミカルでもあったし、そこまで恐ろしいわけではありません。
あれは推理劇が得意な三谷幸喜さんが、トリックの一種としてうまく活用していました。
今年の大河は心理劇として重点が置かれています。
そのせいで、はるかに生々しく、隣にいるあの人も呪詛にとらわれ、伊周状態なのではないか?と私は心の底からおそろしくなりました。
思い当たるふしはあります。
自分が持ち上げられないから、周りを貶めることで勝ちを狙う――そういう人はいくらでもいます。
昔だったらせいぜい、仕事場の裏や会社帰りに愚痴りあうぐらいであり、その程度であればまだマシだったのでしょう。
しかし、今はインターネットがある。
オンライン呪詛にハマった結果、伊周のように闇に囚われてしまったかのような人をよく見かけました。
会社同僚や知人友人の悪口やネタにした話を、延々とブログに書き綴る。
推しが陰謀論者になった結果、ファンも取り込まれてゆく。
陰謀論にハマる人々を馬鹿にしようとウォッチを続けた結果、ものの見方がこじれていき、自分自身が別の陰謀論に陥る。
日頃の投稿は全く評価されないのに、ヘイトを書き込むと反響が大きく、それに溺れてゆく。
本人はフィードバックを得られてウキウキしているものの、初めのうちはともかく、進むにつれて文体がおかしくなっていきます。
付き合いの長い友人がそうなっていく様は、おそろしいものがありました。
しかも「それはおかしいのでは?」と指摘すると、それこそ伊周のように「お前のせいだああああ!」と激怒し、論理が破綻して、逆恨みしてくるのでどうしようもありません。
もちろん私にだって現代型呪詛に溺れるリスクはある。
だからこそ距離を取り客観視して俯瞰する――そんな心構えは欠かせぬものと身を引き締めています。
大河ドラマと現代型呪詛
現代型呪詛は、大河ドラマも無縁ではないでしょう。
NHKドラマには「反省会」ハッシュタグがあります。
これにずっと投稿し、のめり込んでゆくと、見ていて大丈夫なのかと心配になるほど精神が荒廃していく人がいます。
私はどんなにしょうもないドラマでも、極力アンチハッシュタグは使わないようにしています。作品タグそのものもあまり使いません。
検索避けか、嫌いなドラマに変なあだ名をつけて、ずっと朝から晩まで文句をつけている人もいます。
すると何か染み付いてしまうらしく、どんどん意地悪な書き込みに堕ちてゆきます。
私の場合、対策としてはこうなります。
悪いニュアンスがあるならば、固有名詞と同じ音をしつこく書かない。
私はドラマの名前をあえて出さないか(例:2015年大河ドラマ、新札プロパガンダ大河ドラマ)。
パロディにせよ毎回ひねるか(例:『どうして家康』、『どうしようもない家康』、『どうかしているぞ家康』)。
言霊と言われたらアホくさく聞こえるんでしょうけど、呪詛にしたくないとは思っています。
まひろ同様、アンチに徹するにせよ、心の慰労にとどめ、呪詛に突っ込まないようにします。ここで書くにとどめ、SNSには投稿しないように距離をとるようにしています。
何かに呑まれたくない。良心というか、メンタルヘルス対策ですね。
私なりにドラマ評価の基準にも、一応倫理はあります。
どんなに面白かろうと、目的に胡散臭いものがあればあえて遠ざける。
『花燃ゆ』と『西郷どん』は官製明治維新礼賛。
『いだてん』は東京五輪プロパガンダ。
『青天を衝け』は新札プロパガンダと、渋沢栄一についての歴史修正。
「新札の渋沢は女たらしだから結婚式のご祝儀に不適切」なんて謎マナーまで話題になりましたが、そういう人物を礼賛するからには当然の帰結でしょう。
『どうする家康』は問題のある芸能事務所と、あまりに関係が濃い。おまけに現場ではパワハラが横行していたのでは?という疑惑が文春砲で指摘されるほどです。
こういう邪念が透けて見えるとなれば、ドラマの一部にどんなよい要素があろうが肯定できかねます。
アンチになるにせよ、そういう理詰めでいかず、感情的に走り続けると、これまたメンタルヘルスに悪影響が及びます。ファンダムも荒廃し、ろくなことはありません。
伊周が呪詛を吐き捨て、高笑いすることで、周りの空気は最低になりました。
こういうことも、SNSとファンダムの使い方によっては起こり得ます。私はそのことを懸念しています。
昨年の大河ドラマはジャニーズ主演であるためか、褒めると分厚いファンダムが賛同していました。
そのことに気を大きくしたファンが、私を含めた批判的な視聴者を陰謀論まじりで貶し始めたのです。
そこまではよいにせよ、ジャニーズファンを背後につければ大手アカウントになれると学んだのか、大河ドラマのファンダムからジャニーズファンダムへと向かってゆき、さらには事務所の性被害者叩きにまで突き進んでいった。
大河ドラマから出発し、性犯罪被害者を罵倒するところへ落ち着く――その様を目にして、本当に私は虚しくなったものでした。
言葉は呪詛に使えます。
そのことを意識し、ネットデトックスをしないと、明日には私たちも伊周になるかもしれません。
ほんとうに伊周は、反面教師としてためになる存在ですね。
『光る君へ』の成し遂げたこと
先日、『あさイチ』で『光る君へ』特集がありました。
秋になってこうした番組が放映されるのは珍しいこと。
今年は大河関連番組や歴史解説ガイドが夏以降も出るという、大変珍しい状況になっています。NHK公式媒体以外でも、なかなか好調です。
視聴率はそこまで高いとはいえないながら、ファンダムの熱気があるのだと感じます。
『あさイチ』では若干疑問を覚える点もありました。
ハッシュタグ付きのドラマファンアートは、朝ドラと大河では毎年あり、今年から始まったものではありません。
ただ、今年のそうしたファンアートが素晴らしいと思えることも確かです。
こうしたファンダムを見ていると、例年とは確かに違うと感じます。
先日、私は大河ドラマ展にも足を運びました。
そこにあったファンのメッセージも、熱気が漂っていたものです。
ドラマで得た知識や感想の使い方も、雅で、自己肯定に用いられていて健全だと思います。
大河ドラマファンダムの空気がここまで透き通り、爽やかであるのはかつてないと思えるほど。これだけでも私は成功したと言い切りたくなってしまいます。
視聴者層も例年と異なるようで、男女比が変わったことは確かでしょう。
大河にせよ、朝ドラにせよ、従来固定層の外へ健全なやり方で広まることはよいものです。
さらにこのファンダムの拡大は、海外にも及んでおります。
中国人YouTuberの李姉妹のチャンネルで、『光る君へ』を初めてみたというエピソードが配信されていました。
なぜ見たのかというと、中国語が出てくるからとのことです。
まひろと周明のやりとりは大変微笑ましいものとして受け止められたようです。中国でのドラマ評価最大手である「豆瓣」(Douban)でも7.9となかなか高評価であるとか。
平安貴族が漢籍を読みこなしているとか。
中国の皇帝も、日本の天皇も、主語が「朕」であるとか。
そういった要素も新鮮な驚きがあるようです。私もこんな感想を見かけました。
「宋人が日本の浜辺を歩いている場面では、感動して涙がジーンと滲んできた」
「日本の書道も面白いなぁ」
「日本人ってこんなに白居易好きなんだ」
「伝統色のセンスが中国と似ているんだね〜」
「中国では廃れてしまった打毱や蹴鞠がいまだに日本にあるなんて素晴らしい! ありがとう!」
なかなか素晴らしくて、鋭い感想ですよね。そういう見方があるのかと感動します。
大河の海外進出は、時折話題に上ります。
しかし、そうした際に見ている目線は主に欧米です。そうなればサムライだとなるわけですが、昨年はBBC版関ヶ原に完敗しておりました。
『SHOGUN』もあることだし、サムライドラマの本場がむしろVODにならないか不安を感じています。
でも、そんな歳に、『光る君へ』が東アジアで注目を浴びているというのは、実はなかなかすごいことではないかと思います。
『SHOGUN』では細川ガラシャがモデルのヒロインとウィリアム・アダムスがモデルの人物が活躍します。
欧米目線となると、どうしても戦国末期以降でないと興味関心が喚起しにくいうえに、キリスト教や西洋人といったフックが求められます。
一方で、日本と東アジアの場合、交流史が西洋よりも断然長い。
『光る君へ』は、実はものすごい可能性を広げたのではないでしょうか。
そしてこの作品は、女性スタッフの比率が高いことも改めて指摘しておきたい。
彼女ら、そして脚本の大石静さんがドラマの意図を語ることで、結果的に女性の発言比率があがっています。
これは非常に重要なことと言えるでしょう。
先日完結した朝ドラ『虎に翼』の脚本家同様、あまりに手の内を明かし過ぎであるという意見もあります。
私はそのことに反論したい。
過去大河の男性脚本家は、雑誌や新聞連載、ラジオで大河の意図を語ることがしばしばありました。
彼らの場合は何も言われず、「彼女ら」の場合ばかりそう言われるとすれば、その時点で偏見があるのではないでしょうか。
同じことを語るにせよ、女性の方が投げられる石つぶては多いもの。
それでもあえて語り、女性が自分の言葉を獲得する姿を見せてゆくことは、それだけでも尊いことではありませんか。
女性が語りすぎる、でしゃばりすぎる。そう言う前に、同じことを男性がしても果たしてそう思うかどうか。立ち止まって考えて欲しいところです。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
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【参考】
光る君へ/公式サイト




