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『光る君へ』感想あらすじレビュー第38回「まぶしき闇」伊周の呪詛は他人事に非ず

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第38回「まぶしき闇」
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道長と頼通の使命

頼通が道長に呼ばれてきました。

「これより俺とお前がなさねばならぬことはなんだ?」

そう問われ、頼通は答えます。

帝に仕え、朝廷の繁栄と安寧をはかること――。

すると道長は、確信を込めて「敦成様を次の東宮に奉ること、一刻も早く御即位いただくことだ」と断言しました。

唖然とする頼通。

道長は本来お支えするものがしっかりしておれば、帝は誰でも良いのだとまで言い切りました。

そのうえで帝の心をいたずらに揺さぶるものがいれば朝廷は混乱すると懸念の表情を浮かべます。伊周を想定しているのでしょう。

何時いかなるときでも我々を信頼する帝であって欲しい。そして、それは敦成様だと言うのです。

「家の繁栄のためではないぞ」

そう言い切る道長の脳裏には、家のために花山院を謀略で追いやった父・兼家と、中関白家のためならば強引な手段もとった兄・道隆の姿がよぎっていたのかもしれません。

あの人たちと俺は違う!

と言いたいのかもしれませんが、結局のところは一緒ではないでしょうか。

政治体制として、摂関政治が清廉潔白から程遠いことも指摘せねばなりません。

今年の大河ドラマは、いくらなんでも摂関政治を悪く描きすぎだとも言われるようですが、さて、どうでしょう。

藤原道長はもっと若い頃から陰険奸悪な策士だったという見方をする研究者もいます。

政治体制からすると、『貞観政要』のような漢籍を「理想として掲げただけではいけない」のだとつくづく思います。

同時代の中国は北宋にあたります。

北宋は科挙制度が進展し、身分によって官僚が決まる貴族制度が終焉を迎えた時代でした。

時代が降って明代ともなれば科挙の弊害がかなり出てきていますが、北宋の頃はそうでもありません。優秀な官僚が多く、中国史でも政治のレベルが大変高かった時代でした。

そんな北宋と比較すると、平安貴族たちには「もっと真面目にできないのか」と突っ込みたくなる。

このドラマのモチーフである『源氏物語』を読んでいて、呆れてしまったことがありました。

主人公であり、ききょうも酷評した光源氏。彼は兄にあたる天皇入内を控えていた朧月夜と危険な逢瀬を重ね、失脚しそうになります。

そこで先手を打ち、自ら都落ちをしてしまい、そんな我が身を明石でこう嘆くのです。

「屈原のように罪のない身で、こんなことになってしまった……」

「些細な罪で死罪となった嵆康に倣い、彼の残した『広陵散』でも琴で奏でよう……」

これは重大深刻な政治闘争に巻き込まれ、潔白なのに死んでしまった屈原と嵆康にとっては侮辱そのものと言える。

光源氏は朧月夜と密通したことは確かなのです。

しかも、罪にしたって心底くだらない。ゲス不倫で干されたくらいで、何を悲劇ぶっているんでしょうか。

ただ、これは紫式部の超絶技巧が光る場面でもあります。

いったん経緯を忘れれば感動しますし、屈原と嵆康のことを知っているからこそ書ける。

実在した伊周が失脚する【長徳の変】だって、女性がらみのしょうもないトラブルですからね。

日本史において「撫民仁政」、民を慈しむ為政者が出るには、鎌倉時代北条泰時あたりまで待たねばなりません。

『鎌倉殿の13人』最終盤でその萌芽が描かれました。

そんな時代に到達する前が摂関政治です。

外戚が横行し、君主の位まで口を挟んでいた時代が、そんなに気高いものとは私には思えません。

本年大河の政治状況と比べれば、来年大河の江戸中期田沼時代なんて、かわいいものではないでしょうか。

 

道長が思うがままの除目

3月4日、臨時の除目が行われました。

藤原実資:大納言

藤原公任:権大納言

藤原斉信:権大納言

藤原行成:権中納言

道長の思い通りの人事です。

既に権中納言だった源俊賢を加えて、彼ら四人は「一条朝の四納言」となりました。

しかし帝の顔色はすぐれません。

どうしたって左大臣あっての政治だと虚しさを覚えているのでしょう。

伊周を重用することは、ただの身贔屓でなく、帝としての意思を反映する手段であったとも思えてきます。

道長の嫡男である頼通も、わずか19歳で権中納言になりました。

彼は丁重に実資に対し、教えを乞うてきます。自分を尊敬していたという若者を前にし、まんざらでもなさそうな実資。

「えっ、そうなの?」と、素直に返しています。

御指南をお願いしたいと頭を下げられると、いきなり指南し始めます。駒牽(こまひき)の上卿(じょうけい)の次第、射礼(じゃらい)の上卿の次第かと言い出すのです。

「一からやるとなると大変だ、今からやるか〜」

「……おいおいお願いいたします」

「指南とはおいおいするものではない! 精進されよ」

戸惑う若い頼通と、一喝する実資。これがのちに「賢人右府」と呼ばれることになる実資の強みです。

こういう人はどの時代にもいて「有職故実に通じる」と出てきたらこのタイプです。

戦国時代だと細川幽斎ですね。

室町幕府最後の幕臣であり、関ヶ原前哨戦では「古今伝授」を知っていたために助命されました。

要するに伝統儀式に詳しい人を軽んじてはいけない、ということです。

伝統を身にまとい、己の価値を高めているタイプってわけですね

このやりとりは軽い会話で癒しのようで、平安中期をドラマにする意義があると思えます。

多くの人にとって初めて聞くような歴史用語を流すことには意義があるでしょう。そんな儀礼があったのだと伝え、興味を惹くだけでも意義はある。

為時の家では、いとと乙丸も喜んでいます。

なんと8年ぶりに左少弁(さしょうべん)に任官されたのです。

いとは、やはり左大臣様のおはからいなのかとウキウキしている。内裏でも土御門でも一緒で「アレ」なのかと囁いてきます。

主語やら何やら省かれていますが、要するに「まひろと関係を持った道長による御礼人事なのか?」と問いかけているのです。

戸惑う為時……。

すると、ここへ賢子がやってきて、「アレってなに?」と無邪気に問いかけてきました。

慌てた為時は、まひろの書いた物語が中宮に幸せをもたらしたので、その父である左大臣がお礼をしたのだろうと説明。

賢子は左大臣のことを「紙をくださった方」と認識しています。そしてまひろと道長の関係を聞いてくるのです。

為時がそこで「まひろの才を認めた恩人だ」と返しても、聡明な賢子は「アレ」のどこか後ろ暗いニュアンスが気になっているようです。

いとも瞬きをして焦っていますが、話題をそらすかのように賢子が微笑み、為時の任官を祝います。

さて、彼女の疑惑を切り抜けることはできたのか。

 

倫子の疑念がついにあらわになる

道長が、頼通の婿入り先を倫子に相談しています。

候補は、具平親王の一の姫・隆姫女王。倫子に異存がなければ進めると言うと、倫子は自分よりも頼通の気持ちを聞いてやって欲しいと返します。

すると道長は「あいつの気持ちはよい」と即座に却下。

妻は本人の気持ちで決めるものではないと断言すると、倫子が「まあ……」と嘆息しながら、「殿もそういう気持ちで婿入りしたのか?」と聞き返します。

あっさりと「そうだ」と認める道長。

男の行く末は妻で決まるのだと言い切り、やる気のなかった末っ子が今日あるのはそなたのおかげだと妻に感謝し、さらには隆姫女王も倫子のようであることを祈ると続けます。

微かに笑う倫子。道長は妻に感謝を示したつもりかもしれませんが、倫子の心の糸が切れた瞬間にも思えてくる。

いや、微かにつなぎとめたいのか……子どもたちのお相手を早く決めて、そのあとは殿とゆっくり、二人きりで過ごしたいと甘えてきます。

嬉子(よしこ)はまだ3歳だと、暗に倫子の案を遠ざけるかのような道長。

またも笑い、年が明けたら威子(たけこ)は裳着だと続けます。

ここのすれ違いは、実に残酷でした。

道長は都合よく記憶を改竄しているかもしれません。

道長の妻を決めるうえで、主導的だったのは姉の詮子でした。テキパキと源氏有力者の姫をリストアップし、どれにするかと迫っていた。

道長の語る「デキる男は妻で決まる!」というセオリーは、実は道長自身が確立していったともいえます。

打毱の時に公任も同じ趣旨のことを語っていたので、誤解されやすいともいえるし、道長はこのときの公任から影響を受けたのかもしれません。

父の兼家にせよ、兄の隆家と道兼にせよ、実は妻の身分はさほどに高くありません。

兼家は純粋な好みで選んだのか。時姫にせよ、道綱の母である寧子にせよ、受領階級の娘です。

道隆は身分よりも高階貴子の才知に賭け、定子という娘を得た。

父と兄に倣うのであれば、道長はまひろを妻にしてもそこまでおかしくなかったといえる。

姉・詮子の強力なパワーもあってか、彼もそういうものだと思い込んでしまったのかもしれません。

こう考えてくると、おそろしいものが……『源氏物語』との共通点も見えてきます。

光源氏にとって最愛の存在ともいえるのが紫の上です。

古文の教科書の定番でもある「若紫」で垣間見される場面は有名でしょう。本作では、まひろと三郎こと後の道長との出会いにも、この場面へのオマージュが捧げられていました。

紫の上にとって衝撃的な初めての体験は、このあとに登場します。

「葵」で、まだわずか14歳であった紫の上は、男女のことなど何も知らなかったのに、光源氏から一方的に夫婦とされた。それまでなかよくしてくれる親切なお兄さんであった相手が、当然そうしてきたのです。

初めての夜を経験したあと、紫の上は遅くまで起きてくることもできず、汗をびっしょりと吹き出し、怯えていました。

紫式部は、紫の上の心の痛み、苦しみ、怯える様子、光源氏への怒りと失望を、かなり筆をさいて描いています。

この後、いくら紫の上が理想的な妻となっていったとしても、あの夜のおぞましい記憶は原体験として残っていても不思議ではありません。

完璧な妻として振る舞うために、胸のうちに抑え込んでいた違和感。光源氏が女三宮を妻に迎えたことで蓋が開き、彼女は死へと向かっていくように思えます。

倫子も、この紫の上のような違和感を覚えているように思えます。

道長は倫子との結婚の際、親に対してはアプローチをしていた。

しかし気の利いた文を送ってくるわけでもない。そっけない結婚でした。倫子は打毱で見かけて以来、道長に惚れていたからには、その違和感を封じてきたのでしょう。

その封じ込めた蓋が開きかける様子は何度も出てきました。

道長の文箱から出てきたまひろとのやりとりの証拠。もう一人の妻ではない、誰か別の女を夢見るような道長の顔つき。そしてまひろとの間に漂う何か。

とうとうその最後のピースが、道長本人のこの無頓着な語り口によって明かされたように思えます。

この点において道長は幾重ものの罪を犯しているのです。

まひろには、身分の違いで妻にできないから妾になるよう迫った。

そのまひろに断られ、失意を抱えたまま倫子と明子で妥協する――ここまで罪深い大河相手役も、そうそういないように思えてきます。

こんなに目に見えぬ縄に縛られて彼はどうするつもりなのか。

伊周の恨みつらみは察知できても、隣にいる妻の心に無頓着とは、なんと恐ろしいのでしょう。

道長は己の心とともに、周りも傷つけていた。

姉の詮子をふりきってでも、どうして思うままに歩めなかったのか。

史実という制約をあえて利用しつつ、この道長はおそろしい罠に嵌められています。

繰り返しますが、気分転換すらろくにできないこの時代、ストレスは容易に死へ直結するのです。

となれば、心の違和感は現代以上に痛撃となりえます。

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