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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第21回「仏の眼差し」】
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京都の時政
鎌倉に戻った頼朝は上洛に向けて動き出します。
その側には、京都帰りの時政。なんでも後白河法皇は、時政が息災か?と気にしているとか。
「またですか」
時政がデレデレしています。京都に行くまでは嫌がっていたのに、楽しんできたようで、大江広元も大層気に入られたようだと褒めています。
比企能員は悔しそうで、それにしても時政はなぜ気に入られたのか。
なんでも双六をしたってよ。
そしてズルをした法皇に、ダメなものはダメと言い放ったとか。
「そなた、肝が据わっておるのう」
「流石は坂東武者」
そう褒める法皇と丹後局。褒めているのか、馬鹿にしているのかわからないのですが、時政には嫌味が通じません。
ぶぶ漬けを薦められて(京都人の「帰れ」と言う意味)、笑顔で食べてきてしまうタイプだ。
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法皇はかわいらしい目と声で、籠絡にかかります。
「のう、わしのそばにずーっとおらんか」
「ご勘弁を。鎌倉で美しい妻が待っておりますもので」
これには丹後局もびっくり。鈴木京香さんの驚く顔も美しいですね。
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思わず法皇も笑ってしまいます。
「言うのう、はははは、言うのう!」
そんな具合で仲良くなったそうですよ。時政の愛が勝利しましたね。
誰よりもりくが好きだからさ。愛しているからさ。純情ですね。
そして、頼朝も誉め、広元も笑っています。あの法皇を虜にするなんて!
そう誉められ、大事なのはここ、つまりはハートだと自慢げな時政です。
能員は相変わらず「たまたまうまくいっただけじゃ」と苦々しく呟いておりますが、頼朝は、美しい妻のおかげで鎌倉の要石を手放さずに済んだと喜んでいます。
さらに法皇は望みの恩賞を出すと言うものの、頼朝から何がいいか問われた義時も、「わかりませぬ」と答えてしまうのでした。
時政と義時は権力欲が薄いですね。
こういう手合いはなかなか手強く、実際、法皇と丹後局も恩賞を断られて困惑しています。
鎌倉の真意に気づいた後白河
法皇も気づきました。
奥州攻めは鎌倉方が勝手にしたというカタチにしたいのだと。つまりは今後、朝廷の言いなりにならないと。
いわば朝廷の番犬であった武士が、鎖を引きちぎった。
このまま犬が噛みついてきたら、武力のない朝廷になす術はありません。
しかも鎌倉は、奥州を倒した今、法皇様のことだけが心残り、近々お目にかかりたいとも言ってきた。
平知康は、法皇が頼朝討伐の宣旨を出したことを怒っているのではないかと不安を口にして、丹後局もおそろしいと続ける。
「ああ、こんな時に平家がおったらのう! 義仲! 九郎! なんで滅んだ!」
「みんな院が望んだこと……」
そう“飼い犬”である平知康から事実を陳列され、法皇はキレだしました。
「お前が悪い! お前はいつもわしのいいなりだ、なんでわしを止めなんんだ! この役立たずめ!」
丹後局もこうだ。
「でていけ!」
こうしてわけのわからん八つ当たりをされ、平知康が追い出されますが、この場にいないあの人ならば、解説できるかもしれません。
九条兼実です。
彼は摂関家のエリートであり、とても理想が高く、教養も溢れていました。あるいは大江広元もそうでしょう。
この二人なら『貞観政要』でも持ち出し、その上で諫言――戒めの言葉を口にする家臣の重要性を説きます。
でも、同時に知ってもいる。
法皇は甘ったるい褒め言葉しか聞かない。
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だから丹後局と平知康ばかりを側に置く。時には塩対応もする九条兼実は遠ざけられる。
院が選んだ結果でしょうよ!
九条兼実なら、強烈にそう毒づくことでしょう。
始まった頼朝のネチネチトーク
鎌倉では義時と八重の子・金剛と、頼朝と政子の子・万寿の顔合わせが行われていました。
挨拶の時は手を膝の上に置いて握る!
道が指導していますが、万寿は聞き入れません。
父の頼朝が金剛に向かって「万寿を支えて鎌倉を盛り立てて欲しい」と語りかける。
「かしこまりました」と返す金剛。
しかし万寿は、金剛を大事にするように言われても、どこ吹く風で
「母上、庭で遊んできてもよろしいですか」
と、こんな調子です。
政子は、来月、万寿が鶴岡八幡宮に参詣するから金剛をお供にしたいと言い出しますが、比企能員と道にすれば、苦々しい局面でもありましょう。
なんだか万寿のしつけがうまくいっていないように思えるし、比企一族としては、北条の小僧なんて万寿に近づけたくない。
政子は八重に向かって、何か変わったのではないかと語りかけます。
肌がつやつやしているとか。趣が明るくなったとか。
自分ではわからないと返す八重に対し、幸せなのだろう、顔に出ていると微笑む政子。
すると今度は頼朝が、八重に話しかけてきます。
伊豆に帰っているのか?と尋ね、かつて自分達が愛を育んできた思い出トーク。政子と義時の顔が少しひきつっています。
気を利かせた政子が話を逸らし、預かっている孤児の数を訪ねます。
11人からまた増え、徳のある行いだと政子が感心する。
これも意識の変革ですね。
鎌倉時代には「三つ子が生まれた!」という記録が出てきます。不吉とも思わず、むしろ珍しく、慈しむものとして書かれました。
人に対して情けをかけることは、素晴らしいことである。そういう温かい慈悲深さを評価するようになっていったのです。
政子は、八重がそんな時代を先取りしていると感心しているように思えます。
それでもまた頼朝はネチネチと、思い出トークをする……なんだ、コイツ、腹が立つ野郎だなぁ! 義時も嫌そうだ。
ついに政子が怒りを爆発させ、八重さんを困らせるからやめろ!と叱ります。
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わざとなら人が悪い!
わざとでないなら気遣いがなさすぎる!
まさに仰る通りで政子の不愉快も当然のこと。バカな夫に代わって政子が八重に謝ります。
「私と金剛をお守りください」
バツが悪いのか、頼朝は、義時と一緒に仕事をすると去ってゆきます。
そして「金剛の烏帽子親になる」と言いだすまでは良かった。
烏帽子親とは元服の儀で烏帽子をかぶせる役目であり、いわば頼朝推しのお墨付きを周囲にアピールする効果もあります。
だからこそ義時も喜んでいたのですが、頼朝は八重から生まれた金剛のことを「自分が幼かった頃と重なる」ってよ。
さらには、利発で大人びているのもそうだし、顔をよく見れば万寿より似ているってさ。
このギスギス感に耐え難いのか。
三善康信が万寿様の方が似ているとフォローします。
頼朝よ……おまえは本当にどうしようもない男だな!
八重が幸せそうなことに気づき、えっ、それって小四郎とラブラブってこと? ワシよりええのか? というマウント心理でも働かせたのでしょう。
それにしても、洒落にならんマウントですよ。
血液型照合もDNA鑑定もできない時代ですから、「父親が俺かもしれない」と匂わせること自体が極悪非道です。なまじ八重のように、頼朝と子がいたとなれば余計に生々しい。
よく、女同士のドロドロだのマウント合戦だの、そういうことが言われますが、流血沙汰にもなりかねない男同士の方が格段にマズい。
義時が温和な性格な上に義弟で家臣という立場だから済んでますが、それにしても酷い嫌がらせだわー。
と、単に劇中のヤリトリだけでなく、もしかしたら大河ドラマ『草燃える』を意識しているかもしれません。
あのドラマでは、金剛こと北条泰時が、義時か、頼朝か、どちらの子か確定できないという設定だったのです。
昔から大河は自由な枠でしたが、現在であれば、あの設定は通らないでしょう。
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頼朝のしょうもなさは、女の幸せは男由来だと決めてかかっているところですね。八重が千鶴丸と鶴丸を重ねて幸せなのだと知ったら、どんな気持ちになることやら。
情けない! 頼朝よ。あなたはまったく情けない男だ!
陰湿な頼朝のハラスメントに疲れたのか。義時は帰宅後、金剛の寝顔を見つめています。
からかっているとわかっているけど辛い……。
そう落ち込んでいると、八重がどこからみてもあなたの子だと言います。そして落ち込む義時に、優しく語りかける。
「もっとご自身に自信を持ってください」
そう言われても、向こうは天下の鎌倉殿。源氏の頭領。武士の頂。どう足掻いても太刀打ちできないとしょげています。
抗っても結局は言いなりで、命じられるがまま非道な行動をしている己が情けないとも。
そんな夫を前にして、八重は立ち上がって断言する。
「私はあなたを選び、金剛が生まれたんです。確かに昔はあのお方のそばにいたいと思った。はっきり言います。どうかしていました。小四郎殿でよかったと思っています。あなたがいなければ源頼朝だって、今はまだただの流人ですよ」
「それは言い過ぎだ」
「いいえ。あなたが今の鎌倉をお作りになったのです……今のは言いすぎました」
そう語る八重をそっと抱きしめる義時。八重は言います。
「私と金剛をお守りください」
「必ず」
「私もあなたをお守りします」
そうそっと静かに抱き合う夫婦。一方的ではなく、互いに思いやる穏やかな姿がそこにあります。
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