鎌倉は秋を迎えました。
紅葉を背景に、北条義時は亡き源義経のことをを振り返っています。
と、そこに土肥実平がやって来ました。
-

初戦で敗北の頼朝を支えた土肥実平|西国守護を任される程にまで信頼され
続きを見る
二人は義経の死を悲しんでいました。
実平も平家との戦の間ずっと共にいて、なぜ死なねばならなかったのか?もったいない……と悔やんでいます。
もしもこの場に和田義盛などがいたら、頭を振って頷いたことでしょう。
一方、三浦義村あたりであれば「仕方ねえんだよ。天皇と宝剣を海に落としたんだから、当然の報いじゃねえのか」ぐらい言いそうです。
ついでに実平や義時に向かい「お前らはそういうことをすぐ忘れる」なんてチクリと付け加えるかもしれません。
壇ノ浦の戦いでの義村は、漕ぎ手を射ることは恥晒しだと冷たく突き放していました。
土井実平は情にもろいんですよね。だからこそ、雨でぬかるんだ道を直していることに不安を感じ、罰が当たらないのかと義時に話しかけます。
「誰だ、俺の仕事にケチをつけておるのは」
そこで登場したのが市原隼人さん演じる八田知家でした。
キレのある八田知家
知家は今まで土木作業をしていたようで、粗末な服装に荒れた髪。
鎌倉中の道を歩きやすくするよう、頼朝に命じられたそうです。そのうえで罰が当たるなら命じた鎌倉殿だと割り切っています。
見るからにできる男ですね。
武人であれば割り切りは大切ですし、たくましい性格で任務もよくこなしそう。
畠山重忠のようなオールラウンダーとは異なり、防衛や土木工事といった地味な局面でよい働きを見せる感じで、市原隼人さんを起用しただけのことがありますね。只者ではない。
それにこうもキッパリ割り切れる人物は、汚い仕事でも迷いなくできるものです。
なかなか恐ろしい人物がまだ出てきました。
-

頼朝上洛の日に大遅刻した八田知家|鎌倉ではどんな功績があったのか?
続きを見る
そんな武骨な知家は「預かって欲しいガキがいる」と義時に話を持ちかけます。
義時が子供を預かっていると知家は勘違いしていたようで、義時もそれは妻であると返しますが、なかなか賢い子だということで預けられます。
なんでも両親は飢饉で亡くなったそうです。
史実でも、この時代は気候変動により、飢饉が発生していました。この状況はしばらく続き、鎌倉幕府はそのことに対応しなければなりません。
-

平家を驕らせ源平合戦を激化させた気候変動|人は腹が減っても戦をする
続きを見る
八重は少年を引き取ります。
名前を聞くと「鶴丸」と返ってきました。
鶴丸は素直になれないのか、石を投げつける……そんな様子を義時と八重の息子である金剛がジッと眺めているのでした。
重要だった奥州の金
奥州の藤原泰衡は、義経の首を差し出して、奥州の安堵を得ようとしました。
しかし、それが罠であったことは劇中でも説明されていたところ。
源義経という“武器”を失った平泉は鎌倉の敵ではなく、頼朝は全国から兵を集めて奥州に攻め込み、鎌倉方の圧勝に終わりました。
-

なぜ頼朝は奥州合戦を仕掛けたのか 真の狙いは義経ではなかった?
続きを見る
-

奥州藤原氏は兄弟不仲につけこまれて頼朝に滅ぼされた?鎌倉奥州合戦考察
続きを見る
頼朝は戦利品(特に金関連)を満足げに眺めています。
ここで“金”について少し説明を。
奥州で取れる砂金はいつの時代も貴重でしたが、特にこの時代には価値がありました。
というのも、お隣の中国で宋が滅ぶと、国土の北半分は金王朝(王朝としての金)に支配され、南半分となった南宋王朝は日宋貿易で砂金を調達するようになったのです。
それゆえ奥州平泉がなくては貿易が成立しませんでした。
時代がくだり明王朝になりますと、金に代わって銀が貨幣として重宝されます。
結果、日本とアメリカ大陸の銀が巡り、東アジア全体で商業が発展。『麒麟がくる』では織田信長が堺の港を確保して貿易をしたいと語っておりましたが、こうした時代の流れがあったんですね。
そんな美味しい奥州の富を手に入れ、ますます盤石となる頼朝政権。絶好調です。破竹の勢いです。
そこへ和田義盛が、河田次郎という男を連れてきました。
藤原泰衡の家人で、主人の首を献上してきたのです。
すると頼朝はこうきた。
「次郎とやら、恩を忘れて欲得のために主人を殺すとは何事か! 名を呼ぶのも穢らわしい、この者の首を今すぐ刎ねよ!」
「頼朝! この外道! 離せ!」
呆気なく斬首される河田次郎。続けざまに頼朝はこう宣言します。
「これから大事になるのは忠義の心だ。あのような男を二度と出してはならん。ついに日本全てを平らげた」
この場面、この台詞は大事ですよね。
【石橋山の戦い】で、北条時政と大庭景親が言い争う場面があり、景親は恩義云々言う時政をいなしていました。
源義朝の恩義だのなんだのいうけど、許してくれてよくしてくれた平家が大事だ。そんな風に時政は言いくるめられていたものです。
要は、忠義よりも欲得が重視されました。
しかし、それではいかんと頼朝は考えている。
「御恩と奉公」と言われるように、鎌倉幕府は御家人を恩賞で繋ぎ止めていた。そこへ「忠義」という道徳概念を提示したんですね。
おおよその出どころは推察はできます。大江広元あたりでしょう。
彼は大学寮でも専門は明経道。要するに中国思想専攻でした。
広元から「やはり、ここは儒教で、朱子学ですな」とでも習ったのではないでしょうか。
儒教というのは国家の基礎を築く上で有用です。
-

日本史に欠かせない「儒教」とは一体何なのか 誰が考えどう広まった?
続きを見る
決めるのは天
奥州を支配し、満足げな頼朝を安達盛長と義時が労い、祝います。
源氏の世はもうすぐだと手応えを得ている頼朝。
しかし、まだ完全には片付いていない敵を懸念している頼朝に、義時が言います。
「法皇様でございますか」
その通りです。
「京の大天狗をなんとかせねばならん。天下草創の総仕上げよ。小四郎、悩むな」
浮かない顔の義時に頼朝が続けます。
「己のしたことが正しかったか、そうでないのか、自分で決めてどうする。決めるのは天だ」
「罰が当たるのを待てと?」
「天が与えた罰なら、わしは甘んじて受ける。それまでは突き進むのみ」
頼朝のこの発言からして、彼はもう何か新しい存在になりつつありますね。
こういう考え方は【天譴論】――天意に背いたら君主が罰を受けるという考え方です。
しかし、これは本来、天子、日本であれば朝廷が当たるはずの罰であり、それを自己の上に掲げたということは、頼朝は自分が天と通じていると意識し始めたということでしょう。
-

なぜ阿野全成の占いは頼朝に重宝されるのか?鎌倉殿の13人新納慎也
続きを見る
変遷していく武士の名誉
そのころ御家人たちは質素な酒盛りをしていました。
衣川に行き、九郎殿に手を合わせるかどうか。同時に坂東武者たちは義経の強さを振り返ります。
天狗に手解きを受けたのも、あながち嘘ではなかったかもしれないと語る畠山重忠。そんな義経を裏切ったのだから泰衡に天罰が下ったのではないかと考えているようです。
しかし思い出したいことがあります。
義経は以前、鞍馬山での修行に意味はあったのかと語っていました。
彼自身は天狗でも神でもなく、自分自身を信じていた。
そんな天才的武将を失ったのは梶原景時のせいだと和田義盛が不満を募らせています。
景時が余計なことを言ったからああなった。と、他の御家人たちも同意している。
すると義時が立ち上がり、景時の隣に座ります。
景時は盃を傾けつつ、理解していました。
義経は亡くなった。しかし、語り継がれる。そして戦の何たるかを知らぬ愚か者として、梶原景時の名もまた残るのだと。
「これも宿命か……」
そう悟りつつ、酒を飲む景時。
-

なぜ梶原景時は鎌倉御家人たちに嫌われたのか|頭脳派武士の無惨な最期
続きを見る
この人はいつでも素晴らしい顔ですね。宿命を受け入れることができる。
実際その通りで、判官贔屓となった後世、景時は悪役とされました。歌舞伎の景時は例外もあるとはいえ、悪役として有名です。
大河でそんなイメージを払拭したいと地元では考えているのか。
景時ゆかりの地である神奈川県寒川町では猛烈プッシュ。
義経をいじめた印象だけでなく、上総広常を殺した印象も強烈で、ますますイメージが悪化しないかとちょっと心配していましたが、杞憂に終わりそうですね。
寒川では中村獅童さんトークショーもあるそうです。
◆7/10 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」スペシャルトークin寒川を開催します(→link)
景時が後世の目線を気にしていることにも注目でしょう。
先ほど指摘したように、大庭景親は損得で道を選ぶことを当然だと思っていました。
山内首藤経俊も露骨に命乞いをしていた。
-

頼朝に矢を放つも首は斬られなかった山内首藤経俊|89歳の長寿を全う
続きを見る
それがだんだんと、武士は名誉を重んじるようになります。
武芸に長けていることだけではなく、忠義と後世に伝わる評価を気にするようになった。
名誉を守るためならば、討死なり自害なりを選ぶようになったのです。
もちろん良い話ばかりでもなく、哀しい一例を挙げると、徳川慶喜でしょうか。
家臣たちには戦争をけしかけておいて、自分だけは大坂から愛妾同伴で江戸へ逃げるなど、不誠実なことを平気でしてしまう慶喜。
それでも幕臣は、主君を討たれたら恥だから慶喜のことを守りました。
あるいは西郷隆盛も島津久光とは犬猿の仲でしたが、それでも山岡鉄舟に「主君の首を取られたらどうするのか?」と問われ、慶喜の助命を認めています。
-

実際は流れた血も多かった江戸城無血開城|助けられた慶喜だけはその後ぬくぬく
続きを見る
-

幕末三舟の一人・山岡鉄舟|西郷を説得し無血開城を実現させた江戸の武人
続きを見る
-

最期はピストル自決した川路聖謨|ロシアから日本を守るため奔走した幕臣
続きを見る
要は武士にとって、己の命よりも体面、後世に伝わる名誉が大事になっていた。
そういう道徳、天意、名誉、後世の名声を気にするようになっていく過程が描かれています。
京都の時政
鎌倉に戻った頼朝は上洛に向けて動き出します。
その側には、京都帰りの時政。なんでも後白河法皇は、時政が息災か?と気にしているとか。
「またですか」
時政がデレデレしています。京都に行くまでは嫌がっていたのに、楽しんできたようで、大江広元も大層気に入られたようだと褒めています。
比企能員は悔しそうで、それにしても時政はなぜ気に入られたのか。
なんでも双六をしたってよ。
そしてズルをした法皇に、ダメなものはダメと言い放ったとか。
「そなた、肝が据わっておるのう」
「流石は坂東武者」
そう褒める法皇と丹後局。褒めているのか、馬鹿にしているのかわからないのですが、時政には嫌味が通じません。
ぶぶ漬けを薦められて(京都人の「帰れ」と言う意味)、笑顔で食べてきてしまうタイプだ。
-

なぜ北条時政は権力欲と牧の方に溺れてしまった?最後は子供達に見限られ
続きを見る
法皇はかわいらしい目と声で、籠絡にかかります。
「のう、わしのそばにずーっとおらんか」
「ご勘弁を。鎌倉で美しい妻が待っておりますもので」
これには丹後局もびっくり。鈴木京香さんの驚く顔も美しいですね。
-

丹後局こと高階栄子は後白河法皇の寵姫|現代にまで伝わる悪女説
続きを見る
思わず法皇も笑ってしまいます。
「言うのう、はははは、言うのう!」
そんな具合で仲良くなったそうですよ。時政の愛が勝利しましたね。
誰よりもりくが好きだからさ。愛しているからさ。純情ですね。
そして、頼朝も誉め、広元も笑っています。あの法皇を虜にするなんて!
そう誉められ、大事なのはここ、つまりはハートだと自慢げな時政です。
能員は相変わらず「たまたまうまくいっただけじゃ」と苦々しく呟いておりますが、頼朝は、美しい妻のおかげで鎌倉の要石を手放さずに済んだと喜んでいます。
さらに法皇は望みの恩賞を出すと言うものの、頼朝から何がいいか問われた義時も、「わかりませぬ」と答えてしまうのでした。
時政と義時は権力欲が薄いですね。
こういう手合いはなかなか手強く、実際、法皇と丹後局も恩賞を断られて困惑しています。
鎌倉の真意に気づいた後白河
法皇も気づきました。
奥州攻めは鎌倉方が勝手にしたというカタチにしたいのだと。つまりは今後、朝廷の言いなりにならないと。
いわば朝廷の番犬であった武士が、鎖を引きちぎった。
このまま犬が噛みついてきたら、武力のない朝廷になす術はありません。
しかも鎌倉は、奥州を倒した今、法皇様のことだけが心残り、近々お目にかかりたいとも言ってきた。
平知康は、法皇が頼朝討伐の宣旨を出したことを怒っているのではないかと不安を口にして、丹後局もおそろしいと続ける。
「ああ、こんな時に平家がおったらのう! 義仲! 九郎! なんで滅んだ!」
「みんな院が望んだこと……」
そう“飼い犬”である平知康から事実を陳列され、法皇はキレだしました。
「お前が悪い! お前はいつもわしのいいなりだ、なんでわしを止めなんんだ! この役立たずめ!」
丹後局もこうだ。
「でていけ!」
こうしてわけのわからん八つ当たりをされ、平知康が追い出されますが、この場にいないあの人ならば、解説できるかもしれません。
九条兼実です。
彼は摂関家のエリートであり、とても理想が高く、教養も溢れていました。あるいは大江広元もそうでしょう。
この二人なら『貞観政要』でも持ち出し、その上で諫言――戒めの言葉を口にする家臣の重要性を説きます。
でも、同時に知ってもいる。
法皇は甘ったるい褒め言葉しか聞かない。
-

頼朝に「日本一の大天狗」と警戒された後白河法皇|老獪な政治家の生涯
続きを見る
だから丹後局と平知康ばかりを側に置く。時には塩対応もする九条兼実は遠ざけられる。
院が選んだ結果でしょうよ!
九条兼実なら、強烈にそう毒づくことでしょう。
始まった頼朝のネチネチトーク
鎌倉では義時と八重の子・金剛と、頼朝と政子の子・万寿の顔合わせが行われていました。
挨拶の時は手を膝の上に置いて握る!
道が指導していますが、万寿は聞き入れません。
父の頼朝が金剛に向かって「万寿を支えて鎌倉を盛り立てて欲しい」と語りかける。
「かしこまりました」と返す金剛。
しかし万寿は、金剛を大事にするように言われても、どこ吹く風で
「母上、庭で遊んできてもよろしいですか」
と、こんな調子です。
政子は、来月、万寿が鶴岡八幡宮に参詣するから金剛をお供にしたいと言い出しますが、比企能員と道にすれば、苦々しい局面でもありましょう。
なんだか万寿のしつけがうまくいっていないように思えるし、比企一族としては、北条の小僧なんて万寿に近づけたくない。
政子は八重に向かって、何か変わったのではないかと語りかけます。
肌がつやつやしているとか。趣が明るくなったとか。
自分ではわからないと返す八重に対し、幸せなのだろう、顔に出ていると微笑む政子。
すると今度は頼朝が、八重に話しかけてきます。
伊豆に帰っているのか?と尋ね、かつて自分達が愛を育んできた思い出トーク。政子と義時の顔が少しひきつっています。
気を利かせた政子が話を逸らし、預かっている孤児の数を訪ねます。
11人からまた増え、徳のある行いだと政子が感心する。
これも意識の変革ですね。
鎌倉時代には「三つ子が生まれた!」という記録が出てきます。不吉とも思わず、むしろ珍しく、慈しむものとして書かれました。
人に対して情けをかけることは、素晴らしいことである。そういう温かい慈悲深さを評価するようになっていったのです。
政子は、八重がそんな時代を先取りしていると感心しているように思えます。
それでもまた頼朝はネチネチと、思い出トークをする……なんだ、コイツ、腹が立つ野郎だなぁ! 義時も嫌そうだ。
ついに政子が怒りを爆発させ、八重さんを困らせるからやめろ!と叱ります。
わざとなら人が悪い!
わざとでないなら気遣いがなさすぎる!
まさに仰る通りで政子の不愉快も当然のこと。バカな夫に代わって政子が八重に謝ります。
「私と金剛をお守りください」
バツが悪いのか、頼朝は、義時と一緒に仕事をすると去ってゆきます。
そして「金剛の烏帽子親になる」と言いだすまでは良かった。
烏帽子親とは元服の儀で烏帽子をかぶせる役目であり、いわば頼朝推しのお墨付きを周囲にアピールする効果もあります。
だからこそ義時も喜んでいたのですが、頼朝は八重から生まれた金剛のことを「自分が幼かった頃と重なる」ってよ。
さらには、利発で大人びているのもそうだし、顔をよく見れば万寿より似ているってさ。
このギスギス感に耐え難いのか。
三善康信が万寿様の方が似ているとフォローします。
頼朝よ……おまえは本当にどうしようもない男だな!
八重が幸せそうなことに気づき、えっ、それって小四郎とラブラブってこと? ワシよりええのか? というマウント心理でも働かせたのでしょう。
それにしても、洒落にならんマウントですよ。
血液型照合もDNA鑑定もできない時代ですから、「父親が俺かもしれない」と匂わせること自体が極悪非道です。なまじ八重のように、頼朝と子がいたとなれば余計に生々しい。
よく、女同士のドロドロだのマウント合戦だの、そういうことが言われますが、流血沙汰にもなりかねない男同士の方が格段にマズい。
義時が温和な性格な上に義弟で家臣という立場だから済んでますが、それにしても酷い嫌がらせだわー。
と、単に劇中のヤリトリだけでなく、もしかしたら大河ドラマ『草燃える』を意識しているかもしれません。
あのドラマでは、金剛こと北条泰時が、義時か、頼朝か、どちらの子か確定できないという設定だったのです。
昔から大河は自由な枠でしたが、現在であれば、あの設定は通らないでしょう。
-

人格者として称えられた三代執権・北条泰時|父の義時とは何が違うのか
続きを見る
-

北条泰時の母はいったい誰なのか|八重と義時の結婚は史実的にあり?
続きを見る
頼朝のしょうもなさは、女の幸せは男由来だと決めてかかっているところですね。八重が千鶴丸と鶴丸を重ねて幸せなのだと知ったら、どんな気持ちになることやら。
情けない! 頼朝よ。あなたはまったく情けない男だ!
陰湿な頼朝のハラスメントに疲れたのか。義時は帰宅後、金剛の寝顔を見つめています。
からかっているとわかっているけど辛い……。
そう落ち込んでいると、八重がどこからみてもあなたの子だと言います。そして落ち込む義時に、優しく語りかける。
「もっとご自身に自信を持ってください」
そう言われても、向こうは天下の鎌倉殿。源氏の頭領。武士の頂。どう足掻いても太刀打ちできないとしょげています。
抗っても結局は言いなりで、命じられるがまま非道な行動をしている己が情けないとも。
そんな夫を前にして、八重は立ち上がって断言する。
「私はあなたを選び、金剛が生まれたんです。確かに昔はあのお方のそばにいたいと思った。はっきり言います。どうかしていました。小四郎殿でよかったと思っています。あなたがいなければ源頼朝だって、今はまだただの流人ですよ」
「それは言い過ぎだ」
「いいえ。あなたが今の鎌倉をお作りになったのです……今のは言いすぎました」
そう語る八重をそっと抱きしめる義時。八重は言います。
「私と金剛をお守りください」
「必ず」
「私もあなたをお守りします」
そうそっと静かに抱き合う夫婦。一方的ではなく、互いに思いやる穏やかな姿がそこにあります。
男児誕生で複雑な立場の時連
北条時政とりく(牧の方)との間に、待望の男児が生まれました。
この夫妻は子沢山であったものの、女児ばかり。ついに男児が生まれ、世継ぎができたと喜んでいるのです。
政子、義時、実衣のきょうだいたちも揃って祝いの言葉をかけていると、大姫が姿を見せます。
「おじじさま、元気を出してください」
「元気がないように見えるかな」
なんだか大姫は不思議なことを言い出します。赤ちゃんに命を吸い取られるとか。そんなことはないと否定しても、親の命は子の命だと考えた方が気が楽だと言います。
そして“葵”がおまじないを教えると何やら勝手につぶやき始める。
「おんたらくそわか、おんたらくそわか、おんたらくそわか……」
これは一体なんなんだ?と実衣が阿野全成にコッソリ尋ねると、もしかしたら「如意宝珠」ではないかとのこと。
そもそも葵とは何か?
そう尋ねると、今日から名前を変えたと大姫がニッコリ答えます。義時が不安そうにいいのか?と政子に同意を求めると、目を若干泳がせながらとりあえずいいと返す政子です。
この北条家の集まりには畠山重忠もおりました。
政子、義時、実衣の異母妹である“ちえ”を嫁にとっていたんですね。しかも彼女は子を宿したとか。
実衣は畠山殿に似た子が生まれるといいと言いだし、りくも御家人の中で一番凛々しいとうっとりしています。
その背後には、稲毛重成もいました。
彼も時政の娘で義時たちの異母妹である“あき”を娶っています。あきは病弱らしく、政子と実衣が気遣っています。
ちなみに政子たちの同母妹に“時子”がいます。
足利一門の祖たる足利義兼の正室となるのですが、本作には顔を見せないようです。
なぜか?
足利義兼と時子は親族間の熾烈な争いに巻き込まれず、比較的穏やかに生きていたからではないでしょうか。
義兼の活躍は、アニメで楽しめますね。
◆ 足利義兼描くアニメ、米映画祭2部門入賞 切り絵と実写で映像化(→link)
和やかな雰囲気の中で、時政に向かって「八重が渡したいものがある」と義時が告げます。
子供たちと編んだ草履です。
時政は喜び、政子も褒めるのですが、隣にいたりくが不機嫌になって、私が古い草履を履かせていると言いたいのかとチクリ。
大姫はただただマイペースで、おまじないのことを続けます。
そこへ突如として現れたのが瀬戸康史さん演じる北条時連(北条時房)。
大姫に頼まれていたものを持ってきたといい、父と義母の息子誕生を祝うのですが、これが何気ないようで、なかなか厳しい場面です。
というのも時連は、りくから生まれてきた男児の異母兄にあたります。それでも母の身分が低いから、北条の跡取りになれません。
兄の義時も同じ立場とはいえ、彼は江間の家を継いでいる。
つまり、時連にとっては、生まれたばかりの弟の方が尊いとされてしまう残酷な場面です。
-

義時の弟・北条時房|鎌倉殿の13人“トキューサ”は幕府を支えた名将だった?
続きを見る
壊れかけの大姫
そんな時連が大姫に頼まれて手にしているものはイワシの頭でした。
魔除けとかで、身重のちえは臭いに困っています。
政子は話を逸らし、八重に預かっている子供の数を聞く。と、15人とかでまた増えている。
りくはこれも気に入りません。金剛を孤児と一緒にされることが許せないのです。下々の子とは立場が違うんだぞ、と。
元となりそうな逸話がありますね。
御家人と金剛がすれ違った際、相手が下馬しなかった。すると頼朝が金剛は若くとも立場が違うと怒ったとか。
そもそもりくは、八重が孤児の世話をすること自体が嫌で仕方なく、他にやることがあると不満を口にし始めます。
もっと北条を盛り立てて欲しいとか……ひとつ口にすると止まらなくなってしまい、色々言いたくなるからいっそ言ってしまおう!と宣言して続けます。
矛先がぶつけられたのは畠山重忠でした。
なんでも最近は比企が目立っているし、梶原景時が奥州合戦では兵を任されるし、どういうことか?と。
万寿を擁する比企への対抗意識が見て取れます。梶原景時も万寿側とされているようです。
場の空気に耐えられなくなった時政は話を逸らし、伊豆の願成就院に行こうと語りかけます。
なんでも奈良から呼び寄せた運慶が仏像を作っているとか。
しかし、りくは話を逸らさない!とたしなめ、大姫はイワシの頭をうまくちぎれなくて叫んでいます。カオス……。
-

頼朝と政子の娘・大姫|婚約相手を父に殺され 結婚前に夭折してしまう
続きを見る
重苦しい会合の場が終わり、実衣が政子に大姫のことを尋ねます。
若い娘はああ言うのが好きだと戸惑う政子。
葵という意味もわからないのですが、これは『源氏物語』からではないかと阿野全成に指摘されたとか。確かに大姫は読んでいたそうです。
葵の上は、光源氏最初の妻で、祟り殺される人物です。義時が、自分のせいで義高が死んだ……と苦悩の表情を浮かべると、思わず政子も言い放つ。
「あなたのせいだわ!」
慌ててたしなめる実衣。原因はともかく、どうにかせねばならないでしょう。
義高の死により、大姫が鬱状態になったとは史実でも指摘されるところです。それが劇中でこのような方向に向かうとは……妙に生々しい壊れ方を感じます。
義時は伊豆へ 八重は川へ
金剛と鶴丸が喧嘩をしています。
止めに入った八重が金剛を諭す。鶴丸には父も母もいなく、寂しいのだ。
両親は生きていて修行に出ていると語っていたのも、寂しいからこそ強がっているだけだ――八重はそう言い聞かせます。
「母上は金剛の母上です。私だけでは駄目なのですか」
八重は辛い思いをしている子を助けたいと言います。そしてこう付け加える。
「でも、あなたが一番大事」
確かに幸せそうで、輝いている姿に見えます。
伊豆の願成就院では、住職が時政や義時たちを出迎えていました。
阿弥陀如来様の仕上がりを確認したいと告げると、見たこともないようなお姿だと住職は言います。
そのころ、八重は義村とともに川遊びする子供たちを見ています。
義村の娘と金剛は仲が良い。夫婦にさせてやるかと気の早いことを言う義村。
場面は再び伊豆へ。運慶殿は聞きしに勝る腕前だと嬉しそうな住職。時政も奈良から呼んだ甲斐があったと喜んでいます。
なんでもお金を相当弾んだとかで……その運慶はどこか?
ここで、当時の伊豆について想像してみますと、当時の遺跡として竪穴式住居も見つかる状態です。
当時の日本全国が『枕草子』や『源氏物語』のように綺羅びやかな生活を送っていたわけがない。
国語の授業で古典を習い、歴史の時間でも京都周辺を習うからわかりにくいですが、関東地方ともなれば素朴です。
そういう地域に寺社ができる――なんだか凄いことだ……と現地の人は驚いたことでしょう。
しかも運慶の仏像ですから、とてつもないこと。
中世の宗教というのは、ともかく圧巻の美術で信者の心を掴みにいくわけですね。今を生きる私たちが受けるよりもはるかに大きな衝撃を、当時の人びとは味わう。
八重は義村に、この先戦はないのだろうかと尋ねます。
戦う相手がいないと答える義村ですが、御家人同士で争わぬ限りは……と不穏な条件をつけます。
八重は義時のことを心配しています。
元気がない、奥州で何かあったのか、と義村に尋ねるのですが……。
「知らん! 冷えてきたな。ちょっと小便に」
義村は立ち去ります。
かつて彼は八重を狙っていると言っていたことがありますが、真意はどうだったのでしょう。
頼朝のように、義時を愛する八重にイライラしてしまったのか。
それともただ単にいつもの感じの悪さ、情緒ケアに向いていない言動が出ただけか。
ともかく、川に八重を置いて用を足しに向かいます。
運慶と一杯 八重は川の中へ
時政たちの興味が布に被された仏像に向かっていると、運慶がやってきました。
「おいおい触らないでくれ、勝手なことされちゃ困るな。よっ、俺が運慶だ」
明るく軽快な人物です。
-

東大寺金剛力士像を作成した運慶快慶|他にどんな作品が残ってる?
続きを見る
運慶は住職が呼ぶのが早いと言います。なんでも奈良で運んだものを仕上げているとかで、明るいところで見ないとわからないチェックをしているそうですよ。
ただし、彼の仏像は薄明かりで見た方が引き立つ。そんな持論を語ります。
さらには俺を無礼と思っているのか?と時政や義時たちの方を見る。
寄進をもらい、仏を彫る。これで見返りはない。へつらう必要はなし! あとは顔ができたら完成だと言い切ります。
この運慶は中々よいことを言っていると思いました。
展示会で見る仏像は確かに素晴らしいですが、果たして観賞として正しいのか。
照明を落としてあるとはいえ、実際に寺の中で置かれている状況とは違うのではないか。
そんな仏像と向き合う姿勢を考えさせられる場面です。
また見る側の反応もいいんですよね。時政や義時らも、本当に心をつかまれた顔をしている。
しかし、このとき八重たちのいる川遊びの場では大変なことが起きていまいた。
鶴丸が流され、流れに取り残されていたのです。ちょっと目を離した隙に流されてしまったとか。
「千鶴!」
思わずそう叫んでしまう八重。川に流され命を落とした一人目の我が子を思い出してしまいます。
時連は仏像を見て、まるで仏様がそこにおられるようだとうっとり。運慶は嬉しそうに解説します。
「阿弥陀仏は生あるすべての者をお救いになる。不思議なもんでさぁ、どことなく顔立ちが、ある人に似ちまってさぁ」
それが誰なのか?
問われても「教えん!」と返す運慶に対し、何か刺さったのか、時政が気に入り、一献飲もうと誘います。
しかもここで酒盛りをするらしい。阿弥陀様も一緒に飲みたいって……仏の教えに感動しておいて酒ですかーい! そう突っ込みたくなる。
日本ではかなり甘いですが、仏教徒は飲酒もよろしくありません。
タイの仏教研究者に「ビールでも飲みながら仏の教えを語ろうか」と語りかけ、怪訝な顔をされたという日本人の先生もいたなんて話もありますね。
鶴丸を救うため、八重は川の中へ入っていきました。
「ばかっ!」
そして鶴丸を抱いて川の中を歩いていると、義村も戻ってきて、慌てて救出へ向かいます。
そして八重から鶴丸を受け取り、岸へ。
急に深くなるから川は気をつけたほうがいいと語る義村。山本耕史さんの鍛え上げた上半身が見えます。すると……。
冷たい流れに力が尽きてしまったのか。
八重の姿が見当たりません。
「母上!」
「八重さん!」
悲痛な叫び声が河原に響きます。
八重の死を知らず幸せを噛みしめる義時
「おんたらくそわか……」
大姫の儀式のようなものに付き合わされている政子と実衣。
そこに足立遠元が急報を持ち込みます。
「八重さんが!」
「申し訳ない……」と神妙に告げる義村に実衣が叫ぶ。
「嘘でしょ! 死んじゃったの?」
三浦の家人が川下を探していると義村は言います。助かる、きっとどこかに流れ着いている、こんな時期だから一刻も早く見つけてあげてと政子は言うのですが……。
「無駄よ。助かるわけないわ。きっともう亡くなってる」
暗い声音で語る大姫。やはり彼女は心が壊れてしまっています。
政子はそれでも全成に祈祷を頼みます。こんな時に義時は伊豆に泊まっている。義村も探しに行くと去ってゆきます。
しかし、遠元が声をかけると義村はこう言います。
「かわいそうだが、助かる見込みは百に一つもないな。小四郎も、ほとほと運のない奴だ」
-

殺伐とした鎌倉を生き延びた三浦義村|義時の従兄弟は冷徹に一族を率いた
続きを見る
話を聞いた頼朝も、鎌倉中の御家人を集めて探すと宣言。
決して死なせない! 決して!
そう言うものの、実衣はこう吐き捨ててしまう。
「何をしてもふざけているようにしか見えない!」
源範頼はこう言います。
「大丈夫、きっと無事で戻ってきます」
そうは言うものの、全成が祈祷をしていると、灯りはふっと消えてしまう……。
注目したいのは、義村と実衣の反応ですね。
希望を断ち切るように現実的なことをいい、真っ先にその後のフォローを考え始める。
冷酷にも思える現実主義をどう隠せるかがポイント。義村はある程度できています。二人は思考回路が似ていて、もしかしたら伊東祐親あたりからの遺伝の影響かもしれません。
そのころ、義時たちは酒盛りをしていました。
ごろ寝をする時政の隣で、運慶は全く酔っていません。
酒に強いと義時が感心していると、彼は飲んでいませんでした。御仏の前だからですって。うん、それが正しい。
鎌倉では、仁田忠常が辛そうな表情で政子のもとにやってきました。
「御台所!」
「見つかったのですか?」
「はい」
「様子は?」
泣き出す忠常。八重はもう……。
義時は仏像を見ていて、ふと妻の顔を思い出したと語ります。息子の寝顔を見ている時の顔を。
運慶はこう返します。
「俺の母にもよう似ておる」
「お母上でしたか」
義時は穏やかな顔をしています。最愛の妻を思い、しみじみと幸せを味わっているようです。
しかし、その妻はもうこの世にはいません。
MVP:八重
八重は入水死亡伝説があります。
頼朝との間に生まれた千鶴丸を失い、悲しみのあまり入水したと。
『鎌倉殿の13人』の八重は、死因こそ同じだけど、動機が異なりました。千鶴丸と重ねた子を救うために命を落としたのです。
-

鎌倉殿の13人で頼朝と義時の妻だった八重はどんな女性?そもそも実在する?
続きを見る
むしろ幸せで、生きることに希望を見出していた中での死。
八重は金剛を産み、比奈(姫の前・義時の妻)が出てくる前で退場せねばならない中、伝説を生かした退場でした。
八重は巧みな造形をした人物で、偏見を露わにする役割を果たします。
三谷さんの描く女性キャラクターでも、技巧の極みを凝らされていて、ものすごいことだと思えるのです。
八重はジェンダー規範を破っている。
女は男を忘れられず、死を選んででも愛を貫く――そんなものは伝説だとキッパリと言い切り、頼朝を拒みました。
八重と政子の“女のバトル”は鎮静化しました。
ネットニュースでは無理に女優同士まで争っているという作り話めいたゴシップ記事がありましたが、そもそもこの二人が争っていたのは初めのうちだけです。
義時と八重が結ばれたあとは、むしろ政子との関係は理解を示し合い、良好でした。全然ドロドロしていませんね。
むしろドロドロは、頼朝と義時の方かもしれない。
八重と義時が幸せそうだと察知すると、意地悪くマウントをしてくる頼朝。なんという陰湿さか!
義時も自分と頼朝を比べ、うじうじしてしまう。
こういうコンプレックスでうじうじするのって、フィクションでの女子あるあるではありませんか?
「ハァ〜、頼朝先輩のほうがスタイルもよくて、成績優秀で、運動もできて。なのに私は地味でダメ」
こんな感じ。
それを八重は受け止めて、私が選んだのだから誇りを持てと言い切る。
自分の愛に価値を見出していなければできないことであり、なんと素敵な女性なのかと思えました。
八重は強くて、堂々としていて、自信があって……悲しい退場だけど、決して悲劇のヒロインにおさまらない人だと思えました。
中世らしいヒロイン像で、強く、たくましく、堂々としていたのです。
素晴らしい女性でした。八重さん、ありがとう。
総評
今週は、当時の価値観や思想を問い直すような回でした。
今週初登場となった市原隼人さんが、よいことをおっしゃっておりまして。
◆「鎌倉殿の13人」“13人衆”10人目・八田知家は市原隼人「わびさびの心を見つめ直し」5年ぶり大河(→link)
記事から該当部分を引用させていただきます。
市原は「生々しい泥臭さと人間臭さをまとい、いまだ多くの謎に包まれている十三人の合議制の一人の武将、八田知家を演じさせていただきます。この度の大河ドラマで三谷さんが八田の歴史を記すと言っても過言ではありません。私自身、楽しみにしております。日本人として歴史ものの作品に携われる喜びをかみ締めながら、いま一度、わびさびの心を見つめ直し、参加させていただきます」と意気込んでいる。
市原さんをはじめ本作は、演じる方が迷いながら、当時の人々の姿や人物像を掴もうと試行錯誤していることがインタビューから伝わってきます。
今日の八田知家なんて、出てきた瞬間から、研ぎ澄まされた刃のような迫力がありましたからね。
それだけ市原さんが集中して真剣に出てきたのだと思うと、見ている方も身が引き締まる思いでした。
市原さんがおっしゃる日本人としての価値観の再定義が、中世を扱う意義だと思えます。
そして、その思想背景も辿れます。
【神道】
明治以降の「国家神道」とは分けて考えましょう。
素朴なシャーマニズムに近いもので、土肥実平は、土を掘り返してバチが当たるのではないかと不安がっていました。
畠山重忠が「九郎殿は天狗に手解きを受けたのもあながち嘘ではなかったのか」と語り、そんな義経を裏切った泰衡は天罰が降ったのではないかと言ってしましたね。
大姫のイワシの頭もこの類でしょう。
【儒教】
頼朝が掲げた「忠義」がズバリ当てはまります。
忠義なんて当たり前かというと、そうでもありません。
『麒麟がくる』の明智光秀ともなれば幼少期に叩き込まれていましたね。そのころの武士とは、儒教がインストールされていないから、行動原理すら異なるのです。
儒教では諫言を尊びます。
その辺をうわっつらだけ齧っているから、後白河法皇は諫言をしない平知康に八つ当たりをします。
もっと真面目に儒教を学んだ九条兼実からすれば、ストレスの溜まる嫌な状態です。
【仏教】
タイトルの「仏の眼差し」というのがおもしろい。
義時は仏像に妻を重ねる。運慶は母を重ねる。
仏を見るとき、人は慈愛を与えてくれる誰かの顔を重ねる。
そういう慈愛の意味を考えることが「仏の眼差し」そのものかもしれません。
誰かに見つめれて、まるで仏の眼差しだと思うこと。そんな相手を見返すこと。その心そのものが何か意味があるんじゃないかと思えます。
鎌倉時代の人々は仏教に救いを求めていた。
なぜ、救われたいのか?
そんな素朴で純粋な原点に本作は迫ったと思えます。生きることが辛いから、仏に救いを求めたのでしょう。
鎌倉仏教は、日本史の授業でもおなじみ、とても大事なものです。
鎌倉仏教が芽生えてゆく様子も、背景に描きこまれることでしょう。そこにも注目していきたい。
奥州合戦に一区切りついて、新たな場面へ進んでいく今回の第21回は、
日本人の形を作る思想が、三種揃い踏みをして面白い!
そんな見事な内容だったと感じます。
日本人の思想体系は何か?
それをドラマで見せるということで、海外にも展開して欲しいと思える作品となっています。
ドラマの中では、世代の変化も見てとれました。
今週登場した北条時連。これはしみじみと見てしまう顔をしていますね。
瀬戸康史さんだから顔がいいのは当然としまして、そういうことだけでもありません。
よい感じに泥臭さが抜けてくる、そんな鎌倉御家人新世代という趣がある。
一方で、土肥実平が今週も素敵な顔を見せていました。
石橋山での大敗後、彼が木の実をうまそうに食べる場面では、私は思わず平伏したくなりましたし、何度もそこばかり見てしまいました。
なぜか?
あまりに自然に木の実を食べていて、愛嬌すらあったから。
しかし、時連は、おそらく木の実を食べない。食べたとしても、恥ずかしそうにこっそりと食べそうだと思いました。
そういう世代交代を感じるのです。
なにも土肥実平が野蛮とかそういうことではなく、たしかに“洗練”というものはあるでしょう。
下の世代に行くほど何かが出来上がっていく――そういうところが顔ひとつ見て感じられるのが素晴らしいと思うのです。
たとえば、時連は蹴鞠が得意なんですが。
1話の時点で政子と実衣がかなり無理してできるフリをしていた蹴鞠を、弟はこなしてしまう。
鎌倉幕府でレジャーは変わったんですね。
義時や義村、重忠ら上の世代では狩りを嗜んでいた。
しかし、時連世代となると蹴鞠ですからね。他にも、書物を読んだり、歌を詠んだり、仏典を学んだり、新世代はやることが増えました。
「蹴鞠できないとかありえないっしょ」
「いい歌詠んで京都にも認められたいよね」
「やっぱ唐物の青磁はマストアイテムじゃね」
「オールナイトのお供にはやっぱ抹茶だよな」
そのくらいのことも覚えるようになった。
そうやって鎌倉御家人が買い漁ったから、由比ヶ浜からは今でも青磁の破片が出てくるそうですよ。
思想を描き、かつ時連という新世代代表を出してきたことで、鎌倉の進化が見えてきた気がします。
時連の横にちょっと拗ねた万寿が元服した頼家。
嫌味なほどにデキのいい金剛が元服して泰時が並ぶ。
この作品はつらいとか、悲しいとか言うけれども、希望や育ちゆくものも確かにあります。
それぞれが思想や信仰を手にしていく過程も描かれているし、下の世代にも期待が持てます。
この時連が泰時と並んで後半は大活躍ですからね。今から楽しみです。
大河には、私が勝手に名付けたのですが「夏枯れ現象」があります。
前半を引っ張ってきたキャストが退場し、夏頃に落ち込むこと。
中盤以降に気になる展開が用意できないからの現象ですが、今年は枯れそうにありません。
なぜそう言えるか?
豪華キャストということだけではなく、歴史へのアプローチが極めて真摯なのだと思います。
日本に生まれたからすごいとか偉いとか、そう言うことでなく、日本に生まれて悩み、色々考えて、もっといい世の中にしたいと考えた人がいたからこそ、日本史に魅力がある。
思わずそんなことまで今日は考えてしまいました。
歴史劇は、やはりこうでなくては。
あわせて読みたい関連記事
-

義時の弟・北条時房|鎌倉殿の13人“トキューサ”は幕府を支えた名将だった?
続きを見る
-

頼朝上洛の日に大遅刻した八田知家|鎌倉ではどんな功績があったのか?
続きを見る
-

初戦で敗北の頼朝を支えた土肥実平|西国守護を任される程にまで信頼され
続きを見る
-

平家を驕らせ源平合戦を激化させた気候変動|人は腹が減っても戦をする
続きを見る
【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト






















