源頼朝の命を狙った曽我事件。
夜這いをかけようとしていた本人は運良く無事で、現場では万寿も機転を見せました。
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北条政子は無事に戻った夫と我が子に安堵しています。
「案ずるな、わしはまだまだ死なん」
どこか暗い目で頼朝がそう言うと、側近である大江広元が、扇で口元を隠しながら咳払いをして、頼朝が軽く頷きます。
それが合図かのようにして政子と万寿たちは去ってゆきますが……残された主君と家臣に注目ください。
誰の意見で事態はどう動くのか?
義時が頼朝に呼ばれて前に進みます。
すでに書状は渡っていた
そのころ三善康信は激しく後悔していました。
頼朝の無事を確かめず源範頼を担いでしまったため、野心があると誤解されかねない。
早まって京都へ送った書状は急ぎ呼び戻していると康信は告げるのですが……範頼の顔が暗い。焦っている。そもそも野心が無いとわかる迫田孝也さんの温厚な顔です。
範頼は、木曽義仲を討つ際、先陣争いで揉め事を起こし、頼朝にきつく叱られたことがあります。
以来、石橋を叩いて渡る性格で、逆らわぬように生きてきました。
その辺、源義経とは違います。
範頼を養った藤原範季は公卿であり、京都とより深い人脈があり、教養もありました。
一方で義経にとっての子飼いにあたる弁慶のような者を側に置いていません。慎重に慎重を重ねた人物で人間的にも温厚なのです。
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しかし、範頼と康信が懸念していた書状はすでに頼朝の手にありました。
広元が重々しく「ご自分が鎌倉殿になるつもりだ」と頼朝に迫っています。
義時は眉間に皺を寄せつつ、混乱を収めるためだ!と庇うのですが……。
「範頼を連れて参れ!」
頼朝はそう言い切りました。
巻狩りで起こった頼朝の暗殺未遂。
その余波が鎌倉を揺るがしています。
野心を抱くものを、頼朝は許しません。
範頼の書状は、梶原景時によって奪われていたことが判明しました。頼朝にとっては非常に役に立つ存在ですな。
しかし範頼の行動も、元はといえば比企の口車に乗せられたもの。
かくなる上は頼朝への取りなしを頼むしかありません。
そうして比企の邸へ出向くものの、比企能員は妻の道に止められてしまいます。
「その気になった方が悪い!」だってさ。この夫妻は道が「マクベス夫人」の役割を果たしていますね。
マクベス夫人とは、シェイクスピアの悲劇『マクベス』に出てくる女性で、夫を焚きつけ悪事へ踏み込ませてゆきます。
明治維新を迎え、シェイクスピアに衝撃を受けた坪内逍遥は、このマクベス夫人を意識しつつ戯曲『牧の方』を書いたとか。
道は、実際、どんな人物かわかりません。三谷さんが彼なりのマクベス夫人として描いていると思うとなかなか興味深い場面ですね。
彼女は、助けを求めにきた範頼に対し、平然と「夫は風邪だ」とウソをつき、範頼もまた疑うことがありません。
「風邪は寝るのが一番。お大事に」
猜疑心旺盛な、三浦義村のような盟友が側にいれば違う結果になったでしょうなぁ。まぁ、それだったら最初から朝廷へ書状など出さなかったでしょうけど。
力なく諦める範頼
そんな範頼を呼び出し、義時がやってきます。
義時は髭を生やしましたね。メイクではなく小栗旬さんご自身の髭なのでしょう。
自然かつ、伸ばすことでどことなく陰鬱さが増しています。成長が顔に出ていると申しましょうか。
範頼は起請文を書き、頼朝に提出しました。
それをつまらなそうに見る頼朝。
「謀反ではないと申すか」
大江広元がここで曽我兄弟の関わりを聞いてきます。
「ない」
迷わずそう返す範頼。
頼朝はそれでも都へ送った文を取り出し、なぜかと問いただします。
野心ではなく、あくまで鎌倉を守るためです――と範頼が答えても、なぜ死を確かめなかった?とさらに頼朝が問い詰めます。
「死んで欲しいという願いが先に立ったのではないか?」
これは、あまりに酷い問いかけ。
範頼は、それでも健気に謝罪を続ける。
「すべては鎌倉を守るため。これからも忠義の心を忘れず、兄上と鎌倉のため、この身を捧げとうございます! この度のこと、どうかお許しください!」
深々と頭を下げる弟に対し、冷たい目線を投げかけ、広元に促す頼朝。
迷って涙ぐむわけでもない。
しずしずと広元が立ち上がり、起請文を広げます。
「蒲殿……人の本心とは思わぬところに現れるものですなぁ」
範頼の書いた起請文には、源氏一門に忠義を尽くす、御家人になるという内容です。しかし、署名が「源範頼」でした。
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つまり、“御家人として”の内容を書きながら、署名は“源氏一門”のものになっている。
源氏一門の一員として、兄や甥の一族を守ると書くか。
御家人の一人として、そう名乗る署名にするか。
それが食い違っている。
思わず義時が「言いがかりでございます!」とキッとなりますし、多くの視聴者もそう思ったことでしょう。
しかし広元は扇を起請文に叩きつけつつ、こう言い切ります。
「源と名乗ってよいのは、鎌倉殿とその御子息のみ」
頼朝はこれを聞き、こう弟に焚きつけます。
「さあどう言い逃れる? わしを説き伏せてみよ、範頼!」
「もう結構にございます」
弱々しくそう返すしかない範頼。
「蒲殿!」
義時も呻くように声を絞り出しています。
顔に焼き印をつけ、目玉をくり抜け!
鎌倉も変わってきました。
大江広元らが京都から来て、文書の形式が変わったのです。
他にも礼儀作法や官僚としての仕事など。
坂東に持ち込まれてきた状況に対し、千葉常胤あたりは「よそよそしくてやってられんわ!」と不満を抱いております。
頼朝本人だって少し前なら「まぁそういう間違いもあろう」と受け流したのかもしれない。
しかし、大江広元が変えた。
ゆえに許さない。
ここでの君臣はもちろん頼朝が上位ですが、頭の中身は広元が支配しつつあるんですね。その広元は何を根拠にそうしているのか?
範頼の処遇決定に対し政子も庇いますが「もう決めたことだ」と取り合わない頼朝。
奥へ向かっていくと、そこには比企尼が座っていました。
「なぜここに……」
頼朝はそう言い、安達盛長に気付きます。
盛長の妻は比企の娘です。比企夫妻に代わり、盛長が呼んだのでしょう。
比企尼は深々と頭を下げつつ、蒲殿をどうするのかと問います。
一門だからと情けをかけたら誰もついてこない、だからこそ見せしめに顔に焼き印をつけ、目玉をくり抜け!と煽り始めました。
「そこまでせんでも……」
「あぁ?」
「血を分けた弟でございます」
この言葉を引き出すために、彼女は煽ったようです。
「そう、あなたの弟でした。忘れてるのかと思いました」
政子も、あらためて蒲殿は謀反を起こすような人ではないと庇います。しかし頼朝は疑われるようなことをしただけでも罪だと言う。
それでも声に動揺がこもっています。
「お立場は人間を変えますね」
比企尼は優しい子だったと振り返ります。
彼女があげた小さな観音様を髪に入れ、尼の思いを片時も忘れないと語った。あのときの頼朝はどこに行ってしまったのか?
比企尼が問いかけると、あの観音像は、源氏の棟梁として甘く見られてはいけないと捨ててしまったと頼朝が答えます(石橋山の大敗時には持っていましたが……)。
「こうやって私は命を繋いできたのです!」
そう言い切る頼朝の頬を、比企尼はかなり強めに叩きます。
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盛長と政子もこれには驚くばかり。
「……お見送りを」
そう立ち上がってしまう頼朝は、こうして慈悲の心を捨ててゆくのでしょう。
岡崎は出家
範頼は死罪を免れ、伊豆の修善寺に幽閉されました。
修善寺は伊豆ですので、北条時政にとっても馴染みがあります。
弘法大師が開いた由緒ある寺で、鎌倉殿のお計らいがあるのだとか。ほとぼりが冷めるまでだといい、戻ってくる日を心待ちにしていると言う時政。
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範頼はしみじみと語ります。
「今思うと背伸びしすぎていたのかもしれない」
兄上のもとで力を尽くそうとすることは、私の任ではなかったと振り返る。確かに木曽義仲に平家討伐と、ずっと張り切っていましたね。
時政も、その言葉に続きます。
今のわしは分不相応のことをしているんじゃねえか。伊豆の景色を眺めていると、無性にあの頃に戻りたくなるのだ。
そんな時政に兄のことを頼む範頼。なんだか良い場面ですが……いや、ちょっと待ってくださいよ。
時政は曽我五郎の烏帽子親で、【曽我事件】に関与していないわけがない。
頼朝とその周辺はスキャンダルを隠そうとしたのがわかるわけですが、処断が曖昧なのでわかりにくいことになっています。
時政および義時への処分が軽すぎることは考えたいところ。
そして処分はもう一人、岡崎義実が出家しました。
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そこへ梶原景時がやってきます。
首を刎ねられる前に鎌倉殿に会いたいと告げると、景時は命を取るなら出家はさせないと言います。
石橋山にも参戦した功を頼朝は汲んでいるとのことで、義実はそこで嫡男を失っています。
「そういうことも、あったな……」
武人としての温情が消えたわけでもない。
義実が鎌倉を去ったことで、事件はとりあえず決着したように思えるのですが……。
今週も義村らしさ全開
義時のそばには比奈がいて、その様子を三浦義村が見ています。
って、その目つき、盟友が新しいロマンスを見つけてホッとしている顔に見えない。義時だから仕方ないのかな。
「お前たち、一緒に暮らしてるのか」
この言い方もニヤニヤしながらでもなく、ただの調査のようで謎。
義時は戸惑いつつ、比奈は乗り気です。
起請文まで出したとかで、義時は「早くないか?」と戸惑っています。
八重に該当する人物の死を劇中で結構遅くしたので、その処理もあるのかとは思います。
そういえば義時や政子は、時政がりくを迎えたことにも早すぎると戸惑っていましたっけ。義村と比奈は気にしないそうですよ。
「起請文の書き方には気をつけろよ」
「悪い冗談だ」
そう言いあう二人です。
そこへ金剛がやってきて、比奈が立ち上がってゆきます。
和服でこういう細々した座る立つという動きはなかなか大変なものですが、堀田真由さんがバッチリですね。
義村は金剛に酒を飲ませようとします。昔はあんまり未成年の飲酒を気にしないものでした。
義村はなかなか酒が好きなようで……飲むのが楽しいというより、ゴタゴタした思考回路をリセットするために飲んでいるタイプのような気がします。
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殺伐とした鎌倉を生き延びた三浦義村|義時の従兄弟は冷徹に一族を率いた
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義村は形だけでも側に呼んで話をしたいらしい。しかも娘の初と結婚させる話だってよ。
いくらなんでも早すぎるとこれまた突っ込まれてもこうだ。
「早く唾つけとかねえと取られちまうぞ。あれはいい女子だ」
「父親の言うことか」
今日もやっぱりデリカシーのなさ最低値を更新する三浦義村、ブレがありませんね。
八重のことを踏まえてなら無神経にもほどがありますし、娘に対してもこの態度なら、これはもうワケがわからない。
自分に似たタイプだからとかいい女だとか?
初は性格が父親に似ている予感がしますが。
複雑な三浦一族の家督
金剛が「暗くなる前に『貞観政要』を読んでくる」と言い、離席します。
これも重要です。
政子は息子の源頼家(万寿)に対し『貞観政要』を読むよう勧めていますが、金剛はそうするまでもなく読んでいるようです。
こんな色々問題のある義村でも、見る目がありますね。
頼朝はどうなってしまったのか。義時がそう聞くと、義村はバッサリと言う。
身内しか信じられなかったヤツが、身内すら信じられなくなっただけだろ。
当人の感情が挟まれないからこそ物事がよく見えるのでしょう。そのことそのものについての論評を義村はしない。
そして隠居を考えているという。
三浦の家督は弟に譲って、のんびりするってよ。裏切ったり裏切られたり、いい加減飽きた。
そう言う義村に義時は笑います。自分の一歩先を歩いていると感心しつつ、本気でないと釘をさします。
「もう少し、つきあってくれ。酒のことじゃないぞ」
そうまとまるのですが、三浦義村……わけがわからない!
弟に家督を譲ると言っておりますが、そもそも三浦の家督そのものがアヤフヤなところがある。
石橋山のあと、三浦義明が討死しました。その長男は義宗、和田義盛の父です。彼が亡くなってまだ義盛が幼かったため、弟の三浦義澄が継いだのです。
こういう継承をしていると、義盛からすれば「ずりーじゃねえか、そもそも三浦は俺の親父が継ぐはずだったんだよ!」となりかねない。
実は三浦はそこに引っ掛かりがあります。
より確実にしたいなら、義村は義盛を排除するのが近道です。だから弟ではなく「義盛に返す」といえばまた違ったわけですが、隠居がどこまで本気かわからない。
そもそも義村って三度の飯より謀略が好きそうに思える。
嘘か? 本気か?
偉いのは義時かもしれません。こんな得体の知れないやつ、近づけたくない人も多いと思いますよ。
巴を尋ねる大姫
大姫のもとへ、京都から一条高能がやってきています。
笙(しょう)を吹く貴公子ぶりを見せております。
後白河法皇の崩御により、大姫入内が立ち消えになったため、頼朝は京都の有力公卿に人脈を探りに向かっていました。
しかし大姫は「嫁げない」とキッパリ!
なんでも義高という許嫁がいて忘れられないのだとか。せっかく京都から来たのに、高能は京へ戻り、頼朝は苛立っています。
大姫のことをなんとかしろ!と政子に迫る頼朝。これでは婿のなり手がいないと焦っています。
その大姫は、妹の三幡と無邪気に遊んでいます。そこへ足立遠元が呼びに来る。
と部屋には阿野全成がいました。実衣が「新しい術だ」と言います。なんでも誰の魂でも呼び出すことができるとか。
いかにも怪しげな術ですが、どうせやるなら演出が大事。大姫から紫式部をリクエストされて困惑しますが、どうにか呼び出すのは冠者殿こと木曽義高に。
全成はキャラクター設定と演じ方が絶妙すぎて、もう、見るからにダメな感じがいい。それでも一応、霊のお話を聞いてみましょう。
なんでも偽義高は、大姫の思いが強すぎて極楽往生できないんだとか。
大姫はそこで思い出話をします。行ってもいない祭りを話、食べてもいないお餅のことを話すと、全成はアッサリひっかかって「もちろん!」と返してしまう。
あっという間にバレバレ。あわてて紫式部のふりをしても遅い。
新納慎也さんのコメディ演技が、笑ってはいけないのにおかしい。ともあれ霊を呼び出す、という雑な作戦は失敗です。
大姫は足立遠元に頼み、和田義盛の元へ向かいます。
そこにいたのは巴でした。
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義仲に仕えた巴御前は和田義盛の妻に?時代を反映する伝説的女傑を考察
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薪を拾って戻ってきた巴。そんな彼女に大姫は本心を打ち明けます。
あれほど慕った冠者殿のことを忘れてしまうのが怖い。自分の中の義高が消えないように話を聞かせて欲しい。
巴は、自分のことを話します。
木曽義仲は全てだった。主人で、思い人。義仲の死を受け、生きていても仕方ないと思った。
でも今は、死ななくてよかったと心から思っている。
人は変わる。生きて前に進まなければならない。悔いてはいない。それを腹を立てる義仲殿ではない。
もう冠者殿のことでお話しできることはないと言い切ります。
「面影が薄れたということは、冠者殿が前に進めとおっしゃっているのですよ!」
大姫の手をとり、巴はそう励まします。
そこへ和田義盛が餅を持ってくるものの、巴はあと三つはあったと目を光らせ、盗み食いしたのかと問い詰めます。
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坂東武者のカリスマ・和田義盛|愛すべき猪武者は滅亡へ追い込まれる
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義盛の手をとり、「正直に申せ!」と言い出す巴。そこは変わらないようですね。
巴が和田義盛の妻になった話は後世の創作のようではあるのですが、こういう「妻」ではなく「家人」としての巴を描くことで、とても心が安らぎます。素晴らしい巴です。
兼実のライバル土御門
大姫は、京都へ向かうと頼朝に告げました。
これには頼朝も大喜び。かくして建久6年(1195年)、二度目の上洛をします。
そこにいたのは九条兼実。頭上の暗雲どころか暗君そのものであった後白河法皇も崩御し、これで理想の政治ができると思っているのかもしれません。
しかし、ライバルである中納言・土御門通親がいます。
ここでちょっとご注意を。以下の記事でも触れていますが、彼はWikipediaでも伝記でも「源通親」と表記されています。
邸宅があった地名から「土御門」を採用。兼実も“藤原”ではなく“九条”ですね。
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公家から武家の社会へ 混乱期の朝廷を支えた土御門通親は現実主義の貴族
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この二人は東大寺大仏殿落慶法要のことを話し合っています。
兼実は宋人である陳和卿と頼朝の面会を企画していたのですが……陳和卿は中国語で「聞いてない」と驚いています。
ここで行き違いが……。
兼実は面会させるつもりだった。そのことで「頼朝こそ大仏殿落慶第一の貢献者」とアピールしたい。
しかし、陳和卿は殺生を重ね、仏にも見放された頼朝には会いたくないと言います。
もう手筈を整えていた兼実は焦ります。
通親と陳和卿に挟まれ、焦るしかない兼実。苦労の多い人生です。
このあと、六波羅で頼朝と通親は会っています。通親が手にしている袋には、砂金でも入っているのでしょう。
頼朝を見てニヤリと笑う関智一さんの通親が、まさしく求めていたいやらしい貴族そのもので痺れました。
京風の装束になった頼朝もいやらしさが増しております。
大姫は身支度を整え、挨拶に向かおうとしています。
土産を届けてきたと言う頼家。あの砂金でしょう。贈収賄を特に悪いと思ってはいないようで、通親は賄賂の効き目が抜群のようです。
万寿は頼家として元服していました。
なお、頼家の元服時期はハッキリしておりません。
丹後局に震える母娘
丹後局がしずしずと登場してきました。
彼女のような尼は墨染めの衣も着ません。尼削ぎといって肩のあたりで髪を切り、頭も剃らない。
まずはそつなく大姫を褒めます。なんでも入内に骨折りしているとか。それも高価な「土産」あってのことでしょうけどね、と。
「田舎の人は良いものですねえ。どんな言葉も素直に受け取る」
そう聞かされ、政子の顔がひきつります。
「この着物を選んだのは?」
「私にございますが」
「かような色合いのもの、都で着ているものは一人もおらぬ」
そうダメ出しをされて、前向きな政子は帝の好みを聞いてきます。
丹後局はもう決まったようなものだとふてぶてしく言う。それにそんなこと教えるわけがない。察せよ、学べ。季節ごとに異なるのだ。そういうことでしょう。
「頼朝卿はともかく、あなたはただの東夷(あずまえびす)! その娘がたやすく御台になるなどできるとお思いか?」
立ち上がり、容赦なく見下す丹後局。
厚かましいにもほどがある! そう言い切る相手に、それでも政子は頭を下げ、知恵を授けて欲しいと言える。
しかしその横で大姫は顔色が悪い。
丹後局から数多いる女の一人に過ぎぬと聞かされ、絶望しています。『源氏物語』でその辛さも学んではいるのでしょう。
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耐えようとする母。心が折れる大姫。
すでに兼実の子・任子と通親の子・在子が身籠っているのはご存じかと念押しする丹後局。
政子は動揺しつつ、知らなかったと答えるほかありません。
帝の寵愛を受け、子を産み、それが男子でなければならない――都ではその一点に賭け入内させる。
その覚悟を問われる政子と大姫。
「頼朝卿に伝えよ。武力を傘に着て、何もかも押し通せると思われぬようにと」
はい、世間話はこれまでといい、どこに行き誰に会うべきか指南すると急に微笑む丹後局。
大姫は不安で潰されそうになり、政子ですら怯えが見えます。
丹後局って、実はこの入内ルートに入らない特殊な出世街道を歩んでいます。
乱世ゆえに成り上がったからこそ、後進は許さない。そんな気概を感じます。
堂々たる京都の化身として、この女性が立ち塞がる。
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なお、このあとこの枠には、シルビア・グラブさん扮する藤原兼子が待ち受けております。
大姫の子が天皇になれば外曽祖父だが
「言わせておけ」
寝室の頼朝は、政子の言葉を聞いても背中を向けて不貞腐れたように寝転がっています。
なんでも頼朝も嫌な目にあったとか。
唐(から)の国の匠に会うはずだったが、叶わなかったと。
日本ではどの王朝になろうが中国大陸を「唐(から)」と呼びました。
陳和卿の「天から見放されている」という言葉が気になっているようです。
政子は「言わせておきましょう」というものの、お互い何か不穏なものを察知しているようです。
「都は好かん」
そう吐き捨てる頼朝。かつては都風であることを己のアイデンティティにしてきただろうに。坂東武者と自分は違うと思っていたのだろうに。
夜、大姫は外へ飛び出します。
そのころ、お供の坂東武者たちは上機嫌で酒と双六を楽しんでいます。
三浦義澄と義村の父、それに土肥実平。
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初戦で敗北の頼朝を支えた土肥実平|西国守護を任される程にまで信頼され
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義澄と実平は大姫が入内し、次の天皇を産むことまで考えていてお気楽です。
となれば時政はなんだっけ……と息子に聞く義澄。
義村が「外曽祖父」と返答し、はしゃぐ父を呆れるように諭します。
「情けないとは思わぬのですか」
かつて、三浦は北条より上だった。それがこれほど差がついてしまった。どうなってんだ、と。
それでも義澄は気楽で、どんなに出世しようが時政は幼なじみ、頭をこづいてやると能天気に言っております。
義村は話が合わないと諦めたのか、先に戻ろうとします。
孤独だなぁ。友が少ない……彼を理解するものはあまりに少ない。義時がここにいればいいのに。
呪詛を仄めかす大江広元
大姫のことを察知したのか、畠山重忠が探して結果を政子に報告しています。
政子は大姫に無理をさせているという、そもそもが入内は無理だったと悔やんでいます。頼朝が何かに怯えていることも察知していました。
すると大姫は、偶然、義村と会いました。
義村は大姫の話を聞き、悪くないと慰めています。人は生きたいように生きるべきだと。
「帝に嫁いだところで、それが何になりましょう。きっと今日のようなことが繰り返される。それでは姫の身が持ちません。鎌倉殿のことはお忘れなさい。北条の家のことも。人は、己の幸せのために生きる。当たり前のことです」
「私の、幸せ?」
そう言いながら、ぐったりと義村によりかかる大姫。そのまま彼女は病に倒れ、入内は延期となりました。
鎌倉へ戻っても容体は悪化する一方。
政子が何か食べさせようとすると、大姫は好きに生きてはならないのかと聞いてきます。
入内の話はなかったことにするという政子に、大姫はこうつぶやきます。
「好きに生きるということは、好きに死ぬということ」
「母を悲しませるようなことを言わないで」
そう娘の手をとる政子。
「死ぬのはちっとも怖くない。だって死ねば義高殿に会えるんですもの。楽しみで仕方ない」
生きることを拒んだ体は、そのまま衰弱の一途をたどり、建久8年(1197年)、二十歳の生涯を終えたと語られます。
呆然とする政子。泣く時政。政子を強くあれと励ますりく。
そこへ頼朝が入ってきます。娘の遺体を前にし、涙を流すこともできない。政子と手を重ねあうも、こう言います。
「わしは諦めぬぞ。わしにはまだ為すべきことがあるのだ」
そして義時に、次女・三幡寿代の話を進めるよう命じるのでした。
愕然とする政子。
頼朝は、さらに大江広元にこう言います。
大姫の死はおかしい。広元は呪詛か?といい、頼朝は思い当たる者が一人いる、生かしておくべきではなかったと言います。
「梶原平三を呼べ」
頼朝が凄まじい形相を浮かべます……。
と、ここで大江広元のことでも。
広元は現実的です。
熊谷直実の子・直家が「父が宣告して亡くなる時期なので上洛したい」と申し出たところ、「人間ごときに死ぬ時期なんてわかるわけないでしょ」と却下しております。
子は怪力乱神を語らず。『論語』「述而」
立派な人物はオカルトホラー話をしません。
未だ生を知らず、焉(いず)くんぞ死を知らん。『論語』「先進」
生きるということがわからないのに、死のことなんてわかるわけがない。
こういう漢籍をバッチリこなした大江広元が、こんな呪詛を信じるとは思えません。
話を合わせたのは彼なりの処世か、それとも……?
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頼朝の参謀で鎌倉幕府の中枢だった大江広元|朝廷から下向した貴族の才覚
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善児の刃が貫いた
伊豆修善寺では、範頼が大きな茄子を収穫して喜んでいます。
茄子は鎌倉時代の定番メニューで、便所跡から種が大量に出てくるほど。蒲殿が丁寧に育てたと民も喜んでいる。
するとそこへ何者かが接近してきます。
「次は何を植えようか」
そう振り返ると、話していたばかりの農民が倒れている。
咄嗟に身構える範頼。
「真桑瓜なんかがいいなぁ」
「真桑瓜……」
そう振り向く範頼の腹を、善児の刃が貫きました。
偶然、一部始終を見ていた少女は、怯えながらも手にした鎌を構える。善児は気が変わったのでしょうか。少女を殺すことはやめたようです。
範頼の最期は梶原景時の軍勢に攻められて自害とされますが、本作では善児が始末しました。
いい加減、警戒されてもおかしくないでしょうし、善児は修善寺のある伊豆の出身でしょう。そこは深く考えても仕方ない。ある意味、善児こそ一騎当千の気がします。
頼朝はもう、熟睡できなくなっていました。
天から生かされてきた頼朝は気づいているのです。自分の死が、間近に迫っていることを。
己の死のみならず、源氏の範頼を殺すことで、彼が源氏将軍の宿命そのものを縮めた。
叔父の血が染み込んだ修善寺に、頼朝の子である源頼家も幽閉されることとなります。
MVP:源範頼と大姫 ついでに三浦義村
比企尼は、人は立場によって変わるといった。
巴も変わったと自分を認めている。
口にはしないけど、義時だってすっかり変わってしまった。
それでも変わらない人はいます。
源範頼は、ずっと兄を支えて変わらないでいようと思っていた。御家人というより弟という気持ちがあったからか。それが裏目に出てしまった。
大姫も変わらない。
『鎌倉殿の13人』では、鎌倉入りを果たした時、政子が幼い大姫を抱いて頼朝と再会していました。
このときが幸せの絶頂で象徴だと思いました。
何も知らず、真っ直ぐに生きているときが、頼朝と政子にとっての幸せの頂点だったのだろうと。
しかし、二人とも変わってしまい、そのためどんどん恐ろしい結末へ向かってゆきます。
それにしても、迫田孝也さんの範頼は素晴らしかった。
範頼はかわいそうなんですよ。
人生そのものもそうなのだけれども、義経顕彰系のフィクションの中で、対比のため必要以上にダメなお兄さん扱いをされてきた。
そのせいで地味で役に立たない人とすら思われている。
そういうところを否定すべくマッチョにするのではなく、ただただ真面目で温厚で、こういうリーダーがいたらきっと最高だと思わせてくれた。
素晴らしい範頼でした。
南沙良さんの大姫。暗くなくて明るい笑顔も見せるのに、常に底に穴が開いているようで。悲しいけれど、それだけではない素敵な大姫でした。
そして実は変わらないと言えば、三浦義村。
彼は陰謀のせいでくるくる変わるようで、実は自分を中心に置いて生きていると思えます。
俺が楽しいか、楽しくねえか。それが常に中心にどかっとある。
楽しくねえなら隠居してやる……って、どこまで本気なのやら。
彼は動かないのに、周囲は嵐のように動いている。
でも、そう思っているのは本人くらいで、周囲からすれば彼はぐるぐると姿を変えて回りつつ、何かおかしなことをしているように思えるのかもしれない。
孤独なんですね、彼は。理解者が圧倒的に少なくて、だから理解してくれる義時はありがたいはず。
彼は『真田丸』の真田昌幸も思い出します。
昌幸は真田を守る一点集中で生きている。
でも天下は武田、豊臣、徳川と回る。
回る中で自分だけ回らないでいたら理解されず「表裏比興」と言われてしまったのです。
総評
このドラマの底には、何かが流れているように思えます。
西が悪い。京都に悪の中心があり、それが東を狂わせるようなものを感じます。
今回は、いや今回も、大江広元が圧倒的に悪かった。
そんな書き間違い程度のことをネチネチと言い募らなければ、範頼はあんなことにならない。
呪詛をかけたと頼朝が言った時も、側にいたのは広元だけ。
本来なら、止める立場にあった。それを敢えてか、広元という人間はやらない。
それでも梶原景時や善児の方が悪いと思えるあたり、巧みな処世術が光ります。
丹後局も、これまた古い喩えではあるのですが、『ベルサイユのばら』のポリニャック夫人のようでした。
「文句があるならベルサイユへいらっしゃい!」
この決め台詞ですね。
ただ、広元も、丹後局も、彼らなりの大義はあると思う。
社稷(しゃしょく)を守る――国家安定ですね。
広元からすれば、不安分子は取り除いておきたい。源氏の血が担ぐ根拠とあるからには減らしておきたい。
武力で帝をあんな風にできると思い上がっている連中を、知略の限りを尽くして止めるしかない。
そういう重いものを背負っているからには、そりゃ色々と手強いことにはなるのでしょう。
この二人と、九条兼実はまだマシかもしれません。
贈収賄三昧に嬉しそうな土御門通親。そして後白河法皇。彼等からは国家の理想を追い求める志すら見えなかったので。
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公家から武家の社会へ 混乱期の朝廷を支えた土御門通親は現実主義の貴族
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頼朝は、国家の行く末を見守ることに覚醒して、ここまでやってきました。
しかし、その天命が自分を見放してきたと理解できてしまい、どんどん焦り始めています。
東洋史でみる『鎌倉殿の13人』
2020年『麒麟がくる』は漢籍大河でした。
その知識があると解読が易しくなります。ちなみに昨年は違います。
◆草ナギ剛、ギャラクシー賞個人賞受賞に「快なり!」「久しぶりに地上波出られる喜びも」…堤真一がサプライズで祝福(→link)
この決め台詞の「快なり」は使い方が爽快だからか、ともかく流行してこうなっています。
それはなぜかというと、現代人の感覚だから。
東洋の君主、天命について考えを巡らせているようなものは「俺が気持ちいいんだもーん!」という「快なり!」なんて言葉を決め台詞にはまずしません。
周囲にお礼をすることより「気持ちいいー」と先立つというのは、とても君主の姿とは思えない……というか、そういうことをやらかした君主は「あれは無知蒙昧です」と歴史書に残されますね。
わかりやすいところでいえば、国が滅びても宴会楽しいから後悔していないとサバサバと言い切った、蜀の劉禅ですかね。
そういう漢籍で言えば、暗君度最大級の決め台詞を吐かれる昨年は、教養を落とす役目を果たした……と、昨年の話はとりあえずここまでとしまして。
今年がいかにして漢籍で読み解けば理解しやすくなるか、示したいと思います。
・三種の神器がなくても即位ってありなの?
日本の特徴として、尊敬する諸外国で前例があれば通すということがあります。今週、出てきた土御門通親はこう指摘しました。
「後漢・光武帝や東晋・元帝は、戦乱の中で即位したんですね。だから伝国璽(皇帝専用の印)がなくともとりあえず即位し、即位後に探しているからオッケーです!」
これで当時の皆さんは納得しました。
・比企尼をどうして切り札になるの?
さんざん悩んだ安達盛長が、漢籍知識を振り絞った可能性はあります。
「そういえば前漢・武帝は確か……」
武帝の乳母が罪を犯しました。なんとかならないのかと相談された東方朔(とうほうさく)は彼女にこう助言します。
「帝の前を退くときに、何も言わず振り向きなさい」
乳母が武帝の前を去る時、東方朔は罵倒しました。
「おのれ愚か者め! 陛下が貴様の乳を吸ったからと許すわけがないだろう!」
こう言われながら乳母は黙って振り返ります。すると武帝はこの様子に心を痛め、乳母を許したのでした。
乳母という立場。厳しい言葉で叱りつけ、かえって本心を引き出す。そんな話が『世説新語』にあります。
どんな帝王だろうと乳母には弱い。そう考えたとしてもおかしくはないですし、こういう実例はあるのです。
困った時は漢籍に相談だ!
・反魂(はんごん)
死者の魂を呼び戻す――これまた、こうなります。
「唐(から)の国で、かの武帝が李夫人の魂を呼び出した術でございます」
「ならできるかもしれない!」
こうなると。
前漢・武帝には、「傾城傾国」の語源である絶世の美女・李夫人という寵姫がおりました。彼女もために行ったものが有名。本場ではお香を焚いたことで知られております。
こういうことをペラペラすらすらと言うと、当時の人は信じてしまいます。
平安時代の日本で人気のあった白居易『長恨歌』も、この故事を踏まえておりますので、大姫の心もグッと掴まれるでしょう。
阿野全成の描写は興味深く、陰陽師の役割も兼ねています。
中国でこういう術を行うものは方士。そんな中国由来のシャーマニズムが日本にも取り入れられてゆく。仏僧もこなす。
まだ鎌倉仏教として洗練される前ですので、全成や文覚はもっと原始的な術を使うのです。
宋で学んだ栄西あたりからすれば「そんなしょうもないことしないで、禅ですよ、禅! お茶もいいですよ」となる。
そうなる前の宗教描写が面白いのです。
教養の世代格差
『麒麟がくる』では、斎藤道三が我が子・斎藤義龍と明智光秀を比べ、光秀がいかに早く四書五経を読みこなしたか語りました。
武士が幼い頃から学校で漢籍を学ぶようになっていたのです。
坂東武士はそうでもない。ただし、世代格差があります。
→外曽祖父が出てこない程度に素朴です。
このドラマは、こうした該当人物の教養が下方修正されている傾向があって気の毒ではあるのですが。
北条義時、三浦吉村、畠山重忠世代
→幼時に学んだかどうかは個人差が激しい。
成人してから必要に応じて学んでいるとわかる人物も。
→幼時から漢籍教養を身につけてこそ。政治学のために学ぶこともあれば、禅僧の教えを受けるうちに学ぶこともあります。親世代から、これからは漢籍を読んでいないとダメだと思われてしまう。
これには仏教も関係しています。
日本の仏教は、直接インドから伝わったわけがありません。玄奘らが苦労して中国まで運んだ経典が漢訳され、それを日本の僧侶たちは学んでいるのです。
仏典を学ぶとなると、当然のことながら漢籍知識は身に付きます。
この時代はまだ武士と文士に分かれていますが、時代が降ると区別がつかなくなります。
文武両道の武士となるのです。
そうなった時代は、仏僧が文官の仕事だけを担う知恵袋として活躍する。それが日本史の特徴です。
『三国志』の諸葛亮のような軍師は日本にいるのか?
諸葛亮はあくまで文官。だから武器は持たずに羽扇を手にしています。
文武の区別が曖昧な日本で文官でありながらも戦も強い「軍師」となると、これがなかなか難しい。
『三國志』のようなフィクションにあこがれた作家が智将=軍師としたのですが、前述の通り武士は文官ではありません。
『軍師官兵衛』は?
黒田官兵衛は武士なので、中国の定義でいくと該当しません。敢えてあげるとすれば、仏僧である太原雪斎あたりでしょう。
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「待てあわてるな」日本人は天才軍師・諸葛亮(孔明)をどう見てきた?
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『貞観政要』を読む意味
そこを踏まえると、金剛の『貞観政要』を読むという発言の重要性がわかります。
そしておそらく、頼家はまだ読んでいません。
というのも、このあと政子から『貞観政要』を勧められたとされているのです。
金剛が弓だけでなく、教養でも先んじていたとわかるセリフです。
そしてこの『貞観政要』は、毎年のように大河の関連書籍にあげてよいもの。
2020年『麒麟がくる』:朱子学の理想にとらわれた明智光秀が愛読していないわけがない
2021年『青天を衝け』:明治天皇の愛読書
2022年『鎌倉殿の13人』:北条政子らの愛読書
2023年『どうする家康』:徳川家康の愛読書
2024年『光る君へ』:平安貴族が読んでいないわけがない
要するに、オールタイムベスト級なんですね。これ一冊を買っておけばカバーできます。
それにしても、金剛はこれみよがしに持っていた本をバサッと落として「たいへん!『貞観政要』に失礼なことをしちゃいましたぁ! 本当にいいことを書いてありますよね」みたいなことをやらかさなくてよかった。
いや、昨年の大河は懐からわざとらしく『論語』をのぞかせていて、そのまま宴会でそのトークをしていて嫌になったんですね。
本当に知っていたそんなわけわからんアピールをしないだろうに、なんとも共感性羞恥心を刺激するドラマでした。
こういう昨年大河の誤った時代考証に突っ込むと、こういうことは言われます。
「楽しければいいじゃんw」
「好きな人の気持ちも考えろw」
「空気読めよw」
「そんなこと気にするのはお前だけw」
「大河アンチなの?w」
そこで『貞観政要』だ。
この書物には魏徴(ぎちょう)という人物が頻出します。
諫義太夫(かんぎたゆう)という、主君の言動を戒める役職。
唐太宗が「狩猟でもしようかな〜」というと、ため息をついて「たるんでません?」といちいち突っ込む。それが彼のお仕事です。
なぜそうするかというと、諫言がないと人はだらけてしまい、どんな名君でも堕落するから。
好きだからこそ、敬愛するからこそ諫言することだって仕事です。
大河への好悪はさておき、2021年のように誤った漢籍知識をひけらかし、それを開き直って「快なり!」といった怪しい言葉を権威付けてしまうと、いろいろ後難が予測されます。
権威に奢って俗情に媚び諂い、堕落し、快ばかりを求めていると天命から見放されます。
ゆえに、批評も時に必要です。どんな出来だろうと「号泣!」「なんちゃらロス!」「ネット大興奮!」と続けるのは、ダメな皇帝を甘やかす悪徳宦官のようでよろしくないと思います。
とりあえず『貞観政要』、オススメです!
あと、小島毅先生の今年大河本はまだですかね。期待しています。
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【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト

















