鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第24回「変わらぬ人」

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鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第24回「変わらぬ人」
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総評

このドラマの底には、何かが流れているように思えます。

西が悪い。京都に悪の中心があり、それが東を狂わせるようなものを感じます。

今回は、いや今回も、大江広元が圧倒的に悪かった。

そんな書き間違い程度のことをネチネチと言い募らなければ、範頼はあんなことにならない。

呪詛をかけたと頼朝が言った時も、側にいたのは広元だけ。

本来なら、止める立場にあった。それを敢えてか、広元という人間はやらない。

それでも梶原景時や善児の方が悪いと思えるあたり、巧みな処世術が光ります。

丹後局も、これまた古い喩えではあるのですが、『ベルサイユのばら』のポリニャック夫人のようでした。

「文句があるならベルサイユへいらっしゃい!」

この決め台詞ですね。

ただ、広元も、丹後局も、彼らなりの大義はあると思う。

社稷(しゃしょく)を守る――国家安定ですね。

広元からすれば、不安分子は取り除いておきたい。源氏の血が担ぐ根拠とあるからには減らしておきたい。

丹後局は、安徳天皇の酷い最期を知っています。

武力で帝をあんな風にできると思い上がっている連中を、知略の限りを尽くして止めるしかない。

そういう重いものを背負っているからには、そりゃ色々と手強いことにはなるのでしょう。

この二人と、九条兼実はまだマシかもしれません。

贈収賄三昧に嬉しそうな土御門通親。そして後白河法皇。彼等からは国家の理想を追い求める志すら見えなかったので。

土御門通親
公家から武家の社会へ 混乱期の朝廷を支えた土御門通親は現実主義の貴族だった

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頼朝は、国家の行く末を見守ることに覚醒して、ここまでやってきました。

しかし、その天命が自分を見放してきたと理解できてしまい、どんどん焦り始めています。

 


東洋史でみる『鎌倉殿の13人』

2020年『麒麟がくる』は漢籍大河でした。

その知識があると解読が易しくなります。ちなみに昨年は違います。

◆草ナギ剛、ギャラクシー賞個人賞受賞に「快なり!」「久しぶりに地上波出られる喜びも」…堤真一がサプライズで祝福(→link

この決め台詞の「快なり」は使い方が爽快だからか、ともかく流行してこうなっています。

それはなぜかというと、現代人の感覚だから。

東洋の君主、天命について考えを巡らせているようなものは「俺が気持ちいいんだもーん!」という「快なり!」なんて言葉を決め台詞にはまずしません。

周囲にお礼をすることより「気持ちいいー」と先立つというのは、とても君主の姿とは思えない……というか、そういうことをやらかした君主は「あれは無知蒙昧です」と歴史書に残されますね。

わかりやすいところでいえば、国が滅びても宴会楽しいから後悔していないとサバサバと言い切った、蜀の劉禅ですかね。

そういう漢籍で言えば、暗君度最大級の決め台詞を吐かれる昨年は、教養を落とす役目を果たした……と、昨年の話はとりあえずここまでとしまして。

今年がいかにして漢籍で読み解けば理解しやすくなるか、示したいと思います。

三種の神器がなくても即位ってありなの?

日本の特徴として、尊敬する諸外国で前例があれば通すということがあります。今週、出てきた土御門通親はこう指摘しました。

「後漢・光武帝や東晋・元帝は、戦乱の中で即位したんですね。だから伝国璽(皇帝専用の印)がなくともとりあえず即位し、即位後に探しているからオッケーです!」

これで当時の皆さんは納得しました。

比企尼をどうして切り札になるの?

さんざん悩んだ安達盛長が、漢籍知識を振り絞った可能性はあります。

「そういえば前漢・武帝は確か……」

武帝の乳母が罪を犯しました。なんとかならないのかと相談された東方朔(とうほうさく)は彼女にこう助言します。

「帝の前を退くときに、何も言わず振り向きなさい」

乳母が武帝の前を去る時、東方朔は罵倒しました。

「おのれ愚か者め! 陛下が貴様の乳を吸ったからと許すわけがないだろう!」

こう言われながら乳母は黙って振り返ります。すると武帝はこの様子に心を痛め、乳母を許したのでした。

乳母という立場。厳しい言葉で叱りつけ、かえって本心を引き出す。そんな話が『世説新語』にあります。

どんな帝王だろうと乳母には弱い。そう考えたとしてもおかしくはないですし、こういう実例はあるのです。

困った時は漢籍に相談だ!

・反魂(はんごん)

死者の魂を呼び戻す――これまた、こうなります。

「唐(から)の国で、かの武帝が李夫人の魂を呼び出した術でございます」

「ならできるかもしれない!」

こうなると。

前漢・武帝には、「傾城傾国」の語源である絶世の美女・李夫人という寵姫がおりました。彼女もために行ったものが有名。本場ではお香を焚いたことで知られております。

こういうことをペラペラすらすらと言うと、当時の人は信じてしまいます。

平安時代の日本で人気のあった白居易『長恨歌』も、この故事を踏まえておりますので、大姫の心もグッと掴まれるでしょう。

阿野全成の描写は興味深く、陰陽師の役割も兼ねています。

中国でこういう術を行うものは方士。そんな中国由来のシャーマニズムが日本にも取り入れられてゆく。仏僧もこなす。

まだ鎌倉仏教として洗練される前ですので、全成や文覚はもっと原始的な術を使うのです。

宋で学んだ栄西あたりからすれば「そんなしょうもないことしないで、禅ですよ、禅! お茶もいいですよ」となる。

そうなる前の宗教描写が面白いのです。

 


教養の世代格差

『麒麟がくる』では、斎藤道三が我が子・斎藤義龍明智光秀を比べ、光秀がいかに早く四書五経を読みこなしたか語りました。

武士が幼い頃から学校で漢籍を学ぶようになっていたのです。

坂東武士はそうでもない。ただし、世代格差があります。

→外曽祖父が出てこない程度に素朴です。

このドラマは、こうした該当人物の教養が下方修正されている傾向があって気の毒ではあるのですが。

北条義時、三浦吉村、畠山重忠世代

→幼時に学んだかどうかは個人差が激しい。

成人してから必要に応じて学んでいるとわかる人物も。

源頼家北条時房(時連)、北条泰時世代

→幼時から漢籍教養を身につけてこそ。政治学のために学ぶこともあれば、禅僧の教えを受けるうちに学ぶこともあります。親世代から、これからは漢籍を読んでいないとダメだと思われてしまう。

これには仏教も関係しています。

日本の仏教は、直接インドから伝わったわけがありません。玄奘らが苦労して中国まで運んだ経典が漢訳され、それを日本の僧侶たちは学んでいるのです。

仏典を学ぶとなると、当然のことながら漢籍知識は身に付きます。

この時代はまだ武士と文士に分かれていますが、時代が降ると区別がつかなくなります。

文武両道の武士となるのです。

そうなった時代は、仏僧が文官の仕事だけを担う知恵袋として活躍する。それが日本史の特徴です。

三国志』の諸葛亮のような軍師は日本にいるのか?

諸葛亮はあくまで文官。だから武器は持たずに羽扇を手にしています。

文武の区別が曖昧な日本で文官でありながらも戦も強い「軍師」となると、これがなかなか難しい。

『三國志』のようなフィクションにあこがれた作家が智将=軍師としたのですが、前述の通り武士は文官ではありません。

軍師官兵衛』は?

黒田官兵衛は武士なので、中国の定義でいくと該当しません。敢えてあげるとすれば、仏僧である太原雪斎あたりでしょう。

諸葛亮孔明
「待てあわてるな」日本人は天才軍師・諸葛亮(孔明)をどう見てきたのか

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『貞観政要』を読む意味

そこを踏まえると、金剛の『貞観政要』を読むという発言の重要性がわかります。

そしておそらく、頼家はまだ読んでいません。

というのも、このあと政子から『貞観政要』を勧められたとされているのです。

金剛が弓だけでなく、教養でも先んじていたとわかるセリフです。

そしてこの『貞観政要』は、毎年のように大河の関連書籍にあげてよいもの。

2020年『麒麟がくる』:朱子学の理想にとらわれた明智光秀が愛読していないわけがない

2021年『青天を衝け』:明治天皇の愛読書

2022年『鎌倉殿の13人』:北条政子らの愛読書

2023年『どうする家康』:徳川家康の愛読書

2024年『光る君へ』:平安貴族が読んでいないわけがない

要するに、オールタイムベスト級なんですね。これ一冊を買っておけばカバーできます。

それにしても、金剛はこれみよがしに持っていた本をバサッと落として「たいへん!『貞観政要』に失礼なことをしちゃいましたぁ! 本当にいいことを書いてありますよね」みたいなことをやらかさなくてよかった。

いや、昨年の大河は懐からわざとらしく『論語』をのぞかせていて、そのまま宴会でそのトークをしていて嫌になったんですね。

本当に知っていたそんなわけわからんアピールをしないだろうに、なんとも共感性羞恥心を刺激するドラマでした。

こういう昨年大河の誤った時代考証に突っ込むと、こういうことは言われます。

「楽しければいいじゃんw」

「好きな人の気持ちも考えろw」

「空気読めよw」

「そんなこと気にするのはお前だけw」

「大河アンチなの?w」

そこで『貞観政要』だ。

この書物には魏徴(ぎちょう)という人物が頻出します。

諫義太夫(かんぎたゆう)という、主君の言動を戒める役職。

唐太宗が「狩猟でもしようかな〜」というと、ため息をついて「たるんでません?」といちいち突っ込む。それが彼のお仕事です。

なぜそうするかというと、諫言がないと人はだらけてしまい、どんな名君でも堕落するから。

好きだからこそ、敬愛するからこそ諫言することだって仕事です。

大河への好悪はさておき、2021年のように誤った漢籍知識をひけらかし、それを開き直って「快なり!」といった怪しい言葉を権威付けてしまうと、いろいろ後難が予測されます。

権威に奢って俗情に媚び諂い、堕落し、快ばかりを求めていると天命から見放されます。

ゆえに、批評も時に必要です。どんな出来だろうと「号泣!」「なんちゃらロス!」「ネット大興奮!」と続けるのは、ダメな皇帝を甘やかす悪徳宦官のようでよろしくないと思います。

とりあえず『貞観政要』、オススメです!

あと、小島毅先生の今年大河本はまだですかね。期待しています。

※著者の関連noteはこちらから!(→link


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◆鎌倉殿の13人キャスト

◆鎌倉殿の13人全視聴率

文:武者震之助(note
絵:小久ヒロ

【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト

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