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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第25回「天が望んだ男」】
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巴に謝罪する頼朝
先週あたりまで顔が禍々しく、人相が悪かった頼朝。
今週は邪悪さは薄れ、代わってか弱さが目立つようになり、生命力が消えつつあるとわかる顔になっています。目の下の隈なんて見ていて怖いほど。
結局、戻ってきて、義盛に頼まれて渋々と巴は顔を見せます。
頼朝は目を潤ませつつ、こう謝ります。
「義仲殿にはすまぬことをした あの時はああするより他なかった」
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「遠い昔の話にございます」
「義仲殿もわしも平家を討ってこの世を正したいという思いは一緒であった。すまぬ」
「義仲殿もその言葉を聞いて喜んでいることと思います」
「そなたの顔を見ていると、あの時を思い出し無性に謝りたくなった……いかんわしは何を言っているのだ。振り返ってはならぬのだ! 戻ってきたのはまちがいであった。もうよい、別の道を行く」
頼朝はそう言い出しました。
この言葉は巴だけでなく、大姫が聞いても喜ぶことでしょう。
思えば義仲を討ったせいで、その子である木曽義高も討たねばならなくなり、大姫がそれで病んでしまった。
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源氏一門の血を討ち、頼朝は命運を縮めてきました。
先週は比企尼に、情けを捨てて命を繋いできたと言い切った頼朝。今の彼はそんな強さはなく、迫り来る死の影から逃れるしかないのでしょう。
丸餅を作るシーンにも各キャラの個性
読経を聞いている北条一族のもとへ、ようやく頼朝が到着しました。
なんでも伊豆にいた頃のように、丸餅をこさえているのだとか。頼朝はいつも欠席していたそうです。
やられるか?と聞かれると、風に当たってくると言い、その場を立ち去ります。
比奈と政子が餅を作り、それに酢をかけて食うと笑みを浮かべる時政。
ここで、ちょっと食べ物のことでも。
当時の餅は丸めます。餅は四角いという印象を受けるとすれば、それは技術が進歩した時代だから。餅を切るためのまな板にせよ、包丁にせよ、それを作る技術が必要です。
丸めるほうが原始的です。
お雑煮の餅の形も、切り餅か丸餅かによって差があります。
味付けの醤油と味噌にも差があり、「切り餅と醤油」の組み合わせの方が江戸時代の最先端トレンドです。
参勤交代をする過程で、大名が「江戸の最新トレンドだぞ!」と切り餅醤油を持ち込んだと言われております。
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そして時政が言っていた“酢”なんですが……。餅に酢って他にどうにかならないの? と思われるかもしれません。
残念ながら、これがなりません。
甘い餡はこれから先のこと。濃い甘さというのは時代が降らねば出てこないものであり、それ以前は干した果物が最も甘いものでした。
干し柿こそが和菓子の元祖だという話もあるほどで、京都ならまだしも、坂東でのデザートは桃などが最高の贅沢です。
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そんな丸餅を皆で揃って作る北条一族。
時連がうまくいかないと拗ねている側では、ちえが嬉しそうに夫・重忠の器用さを誇っています。
さすがオールマイティ、坂東武士の鑑。重忠は餅まで綺麗に丸めていました。
先程、重忠を褒め称えていた頼時も、さすが餅を丸めるのまでお上手だと感心しています。
頼時はおべっかを使うタイプではなく、素直に人の長所に感心できる性格のようです。将来が楽しみですね。
頼時こと北条泰時は「嫌味なくらいいい子だな〜」と後世にも思われるほどで、その性格の良さがもう発揮されていますね。
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一方で甘えん坊なところが抜けない時連は、頼りないようでキラッと光る鋭さがあるところがおもしろい。
そして比奈に誘われたりくは手が汚れると断っている。
笑えるコメディパートのように、ほのぼのとしているようで、各人の個性が出ていますね。
「意気地なしが、ふたり小さな盃で……」
りくは餅を丸める場から去り、頼朝の元へ。
安達盛長に目配せし、りくと二人きりになる頼朝。久しぶりに会ったと頼朝が微笑むと、りくは艶然と微笑みこう言います。
「嫌ですわ、初めてでございますよ」
「そうであったか」
りくも京育ちで、話が合うと思っていたと語りかけます。
頼朝もこれには同意。
鎌倉殿はいつになれば京都へ戻るのか?と彼女が問いかけると、頼朝が力なく返します。
「そう思ったこともあった」
しかし朝廷はいつまで経っても我らを番犬扱いをする。顔色を伺いながら向こうで暮らすより、この鎌倉を京をに負けない都にするのだ。
大姫の入内が水に流れ、野心は消えてしまったよう。確かに、娘を入内させて孫を天皇にするのは平清盛と同じ道でもあります。
すっかり大人しくなってしまった頼朝に対し、りくは「日本一の軍勢を持つからには朝廷に言うことを聞かせられるはずだ」と引き下がりません。
それでもそう容易くいかんと返す頼朝に、ついにはこんな言葉を投げつけます。
「臆病なこと。野山に鹿を追うのに脚が汚れるのを嫌がる犬のよう」
京都人らしく言い募るりくに、頼朝は疲れたように返します。
「都人は脅しだけでは動かぬ。あなたもご存じではないか」
そんな頼朝に、そっと手を重ねるりく。
「りくは強いお方が好きなのです」
政子が見たら、時政が見たら、激怒するであろう場面がここに……。なんとおそろしい妖婦なのでしょうか。
と、りくの恐ろしさを愛でることも楽しいのですが、あの餅を丸めていたまだ無邪気な頼時と時連を思い出してみてください。
彼らは並んで京都に攻め上り、朝廷をも屈服させます。上の世代がどうにもできなかったことを、彼らはやってのけるのです。
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時政はわしのことをどう思っているのか?
わしを殺して鎌倉殿になろうと思っていないのか?
頼朝がりくにそう尋ね、
「そんなだいそれたこと、考えてくれたら嬉しいのですが」
と、彼女が返すと、時政が酒を持ってきました。小さな盃しかなかったとか。
「意気地なしが、ふたり小さな盃で……」
嫌味をいうりくに、時政は「これしかなかった」と少し語気を強めます。
もっと大きいのを探しに行こうとする時政を止め、言いたいことがあれば申せと頼朝が促すと、そんなものあるわけないと言う。こんなにいい思いをさせてもらっているのだから。
そして餅を勧めます。
時政は政子に感謝しています。いい婿と縁付いてくれた。これは本音でしょうね。
しかし、餅を食べながら語りあっていると、頼朝が喉に餅を詰まらせまてしまいます。
うわっ、どうすりゃいいんだ!と焦っていると、政子たちが合流し、義時が背中を叩き、ようやく餅が出てきます。
「死ぬかと思った……」
頼朝を殺しかけた餅は、五郎(時連)が作ったカタチの悪いものでした。
大御所になり交易に力を入れるか
餅を喉に詰まらせたときに時政がいなかったらどうなっておったか……。
頼朝がしみじみと語ると、「父はいざという時役に立つ」と政子が返す。夫婦は二人で語り合います。
政子は義時から、頼家がつつじを妻にすると聞いていました。せつは側女にする。
と、そんな大事なことを勝手に決めたと政子が言うと、「すまん」と謝る頼朝。いつものことだと政子は言います。
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頼家もまだまだ子供と思っていたら、妻と側女を置くなんて、女子に手が早いのは親に似たのかとなるわけです。
とはいえ、そうでなければあなたと結ばれなかったと政子もまとめます。
「悔やんではおらぬか」
「それはわかりません。でも退屈しなかったことは確か」
頼朝は、なぜそうやってしみじみするのかと言います。しみじみするのは苦手とかなんとか……夫婦で何度も「しみじみ」を重ねる軽妙なやりとりを続け、笑い合う。
このあと頼朝は、北条政子と北条義時を前に、頼家のことを言い聞かせます。
源氏は帝を守る武家の棟梁である。頼家は、義時がそばにいて支えよ。政子は鎌倉殿の母として頼家を見守って欲しい。
さらに頼朝はこうも付け加えました。
「お前たちがいれば、これからも鎌倉は盤石じゃ」
まるでご自身がどこかにいかれるようだと言われ、大御所になると答える頼朝。
そこで何をするのか?と問われると、どこぞの入道(清盛)のように唐(宋)との交易にでも力を入れるかと言い出します。
大御所というのは、院政からヒントを得た発想でしょうか。
清盛を否定していたのに、娘を入内させ、日宋貿易に尽力したい――とは、結局、清盛と同じ道を辿ることでもあり、それが頼朝という人物でした。
そして頼朝は義時を二人きりになり、悟ったように本音を吐露します。
「人の命はさだめられたもの。抗ってどうする。甘んじて受け入れようではないか。受け入れた上で好きに生きる。神仏に縋って怯えて暮らすのは時の無駄じゃ」
「それがようございます」
「神や仏には聞かせられぬ話だがのう」
「鎌倉殿は昔から、私にだけ大事なことを打ち明けてくださいます」
しみじみとそう語る義時に向かい、頼朝は疲れたから先に御所に戻ると言い出します。
さらには、久々に一門が揃ったのだからゆっくりしていけと義時を残し、盛長を呼び出すのでした。
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