鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第38回「時を継ぐ者」

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鎌倉を引っ張っていくのはお前だ

義時が正面から攻める隙に、自分が裏から回ろう。

知家が奪還作戦を打診すると、鎌倉殿を危険な目に遭わせるわけにはいかないと断る義時。

二人で手立てを講じているところへ、北条政子がやって来ました。

「父上を助けてあげて」

「鎌倉殿をお助けしたらすぐに攻め込みます」

「親殺しの汚名を着てもよろしいのですか!」

「……五郎、尼御台が御所へお帰りだ」

あくまで突っぱねる義時に、政子はなおも訴えかけます。

頼朝様は確かに非情な方だったけれど、慈悲の心はあった。義高の時も、義経の時も、許す気持ちはあった。願いは叶わなかったけど、信じようとした。それを義時はそばで見ていたはずではないか。

そう説得するのですが、頑なに義時は「尼御台をお連れしろ!」と言いきる。

しかし、彼の心に波は立つでしょう。政子の言葉には説得力があります。

いい加減頃合いだろう。義盛がそう思っているところで、時政が実朝の前に座りました。

座るだけで絵になる、流れるような所作の坂東彌十郎さん。彼は無理強いをしたことを謝りつつ、こう褒め称えます。

「鎌倉殿の芯の強さ、感服致しました。いずれは頼朝様を超える鎌倉殿となられまする」

そう言い、義盛に連れて行くように促します。

「じいは来ないのか?」

「ここでお別れでござる」

「来てくれ」

義盛が「参りましょう、ウリン」と促すと、時政は義時に伝えるように言います。

「あとは託した――北条を、鎌倉を、引っ張っていくのはお前だと」

「承知仕った!」

 


政子の土下座

義盛に引き連れられ、実朝が屋敷の外へ。義時らが無事を確認すると、実朝は政子の姿を認めます。

「母上も見ていたのですか」

「ご無事で何よりです」

そして義盛が、執権殿である時政が覚悟を決めていて、義時に言葉を伝えるようにと話すのですが……肝心の言葉を思い出せない。

「忘れたのか?」

「すまん」

義盛が認めると、実朝が言います。

「あとは託した。北条と鎌倉を引っ張っていけ」

「ありがとうございます」

そう返す義時。この言葉を、死の床で父から聞けないこの不幸よ。父の死にゆく顔を見つめながらそう託されたらよかったでしょうに……。

それに義時だって歳をとった。

泰時はあの調子ですから、自分も将来、我が子に愛想を尽かされてこうなるかもしれない。そんな緊張感があります。

権力と引き換えにして、彼らは普通の父と子であることを失ってしまったのです。

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だからこそ義時はこう宣言します。

「攻め込むぞ」

「兄上!」

「父上は死にたがっているのだ」

泰時は、生きて自分の罪を償ってもらおうと言いますが、義時は政(まつりごと)に私情を挟むことはできないと断固拒否。

それでも政子は懇願します。

「私は娘として、父の命乞いをしているのです!」

そう政子が跪くと、まるでそれに酔ったように御家人たちも膝をついてしまいます。私も胸にグッときて、何かわからない得体の知れないものが体の中を流れていきました。

彼女には人の感情を動かす力があります。

理屈じゃない、訴えかける特別な力がある。理屈なんてどうでもよく、彼女に頼まれたらひれ伏すしかない。そんな説得力がある。

承久の乱】での演説が楽しみになってきました。

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こんな人物は二人といない、無双の説得力――小池栄子さんが毎週、高みへ登っていきます。

美しいのに清らかで荘厳。人ではないような、特別な魅力があるんですよね。

 


泰時の妻・初の魅力

時政が静かに短刀を抜き、頸動脈にあてています。

仁田忠常もそうして自害していたように、当時は江戸時代のように作法は決まっていません。頸動脈の方が、切腹より合理的です。

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と、そこへ八田知家がやってきて、刃を止める。

「息子でなくて悪かったな」

淡々と確実に仕事をこなす知家。確かに、ここで息子が止めたら、私情に思えなくもありません。

実朝が御所に戻ると、実衣と千世が出迎えました。

千世が無言でそっと実朝の胸に身を寄せると、実朝はこわばった手つきでそっと抱き返します。

時政は剃髪し、食事を差し入れられています。

鎌倉は、一応の落ち着きを取り戻しました。

事態が一段落して、帰宅したのでしょう。泰時が妻の初に、顛末を話しています。

時政は名越で、りくは御所にいるのだとか。そして御沙汰は間も無くでる。

しかし泰時は、義時が裏から手を回すことを恐れています。初が義父である義時の心中を察するように「覚悟していた」とフォローしても、泰時は吐き捨てる。

「あんなものを見せられて、どうやって父を敬えというのか!」

「何もわかっていないのはあなた!」

執拗に駄々をこねるような泰時に、初が叱るように諭すように語りかける。

義時は自分のようになるなと伝えたいからこそ、泰時を呼んだのではないか。そう確信を込めて夫に語ります。

この初の造形は、新しいようで古典的に思えます。

東洋の賢妻とは、夫を厳しく諌めることが模範とされます。『貞観政要』の唐太宗の妻である長孫皇后が典型例です。

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ただし、時代によって理想の女性像は変わり、女子マネージャーとか、夜のお店にいそうなお姉さんとか、女性アナウンサーとか、専業主婦などなど、そういう像が反映されるのもドラマです。

それゆえ大河ドラマのヒロイン像も、本来の古典的賢婦からウケを重視して変えられます。

謎の味噌汁やおにぎりを振る舞うと、問題解決してしまう、など。史実では夫をやりこめるような逸話が美談として残されている女性でも、かなり甘ったるく、現代人向けにされることがありました。

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今年はそういう女性像ではなく、古典回帰をしているところが斬新。

初がにっこり笑った顔を思い出せない、見た記憶がない、しかし、とても魅力的で優しくて、なくてはならない妻だということがわかる――非常に高度な描き方ではないでしょうか。

微笑むことは多くの人ができる。愛想笑いなんてものもある。

けれども、諫言はちがう。お愛想で諫言できる奴はいない。

それを初はできる。これぞ賢婦、父の義村が言う通り、凄まじくいい女です。

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文官たちの時政裁定は?

実朝が、時政の処分を軽くするよう義時に頼んでいます。

謀反人だと義時が冷たく返しても、手荒な真似はしないで欲しいと切実に訴えています。

「私は全てを忘れようと思う。頼む、私が乞うておるのだ」

そんな実朝の言葉を受けた義時は、文官たちの裁定を聞きに……。

大江広元が、冷静に、これまでの謀反人の名を挙げて参ります。

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これまで謀反を企んだ者は皆討ち取られていて、なぜ北条殿だけ許されるのか?と異を唱えるものが出てくる。

広元は賢い。これは彼自身の考えではなく、義時に媚びるつもりも全くありません。

客観的に世の感情がどう動くかのみを考察している。私情を挟まないからこそ信頼できます。

では他の文官は?

三善康信が困惑しつつ、鎌倉殿の意図は無視できないと返すと、二階堂行政はキッパリと厳罰を主張。どこぞに流罪にすると強硬な姿勢です。

流罪がよい落とし所だと広元は結論を出しました。

死刑は白黒がつくけれど、流罪は場所と年数によって軽重が調整できるから便利――確かにその通りです。

義時はここでお任せしてしまうんですね。

彼は権力者だから、普通に意見を言うことができない。勝手に忖度されるかもしれないし、脅しになるかもしれない。父親だからこそ、肩入れはできません。

そこで三善康信が伊豆に帰っていただくと言い、二階堂行政は手ぬるいと吐き捨てれば、康信は時政が伊豆で頼朝を助けたからこそ今の鎌倉があると引きません。

広元がここで義時に「いかがかな」と促して、やっと彼はこう言います。

「息子として礼を申し上げる」

「では伊豆へ」

そう決まりました。

文官たちは自分の意見を言っているようで、そうとも言えない。

三善康信は実朝や御家人の意見を推察して理論展開し、二階堂行政は過去の判例を持ち出している。大江広元はそのすり合わせをして、義時が受け止める。

彼らは、官僚としての訓練を積んでいるからこそ、こういう判断ができるんですね。

自分の感情やら親しい者のことばかりを前面に出してしまう義盛や時政とは、そこが違います。

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では義時はどうなのか?

彼は、ある意味、天命に委ねているのではないでしょうか。

自分なりの最善を尽くして、三浦義村を使った。これが効果を発揮していて、義村がりくを逃したからこそ、彼女が政子のもとに駆けつけ助命嘆願し、政子が土下座して御家人たちの空気を変えた。

助けるというのは、知家のように物理的に刃を止めるだけでなく、別の手段もあります。

人事を尽くして天命を待つ――義時はそういう境地にいて、父の命を天に向かって放り投げたのだと思います。

おそらくや頼朝もそうだったのでしょう。

選択肢が少しずれていたら、彼の弟や身内も死なずに済んだのかもしれません。

義時は、賭けに勝ちました。

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