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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」】
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異形の仏像
義時が運慶に発注していた仏像が完成しました。しかし……。
「散々待たせた挙句これはなんだ」
「今のお前に瓜二つだよ」
そう返す運慶は縄で縛られています。
二人の前には、顔が歪み、分裂した怪物のように見える仏像。まるで今の義時はモンスターであると言わんばかりの木像を、運慶は自ら彫って示しました。
そして切るなら切れ!と挑発します。
「どのみち、お前はもう引き返すことはできん」
「殺すまでもない、連れて行け」
運慶がどこかへ連れられ、異形の仏像の前に戻った義時が、刀を抜き、構え、切ろうとすると、そのままその場に倒れ込んでしまいました。
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寝込んだ義時を医者が診察しています。
「アサ!」
麻の毒でした。毒を盛られたのか?と愕然とする義時に対し、医者は毒消しを届けさせようと去ってゆきます。
入れ違いでやって来たのえは涼しい顔で「元気を出してくださいな」と語りかけていますが……。
「毒にも効くのか」
「毒?」
「医者が言うには誰かが毒を盛ったらしい」
「さあ。毒には効くかしら」
「誰が盛ったか気にならんか?」
「誰が盛ったのですか?」
「お前だ」
「あら、面白い」
「お前しか思い当たらぬ」
「あら、ばれちゃった」
義時は、そんなに政村を跡継ぎにしたいのかと問いかけます。
当たり前だと返すのえ。跡継ぎは太郎に決めてあると義時が返すも、のえはそう思っているのはあなただけ、北条義時のあとは政村が継ぐと言いきります。それが当たり前だと。
八重は頼朝に逆らった伊東の娘。
比奈は北条が討った比企の娘。
そんな女たちが産んだ子がどうして跡を継げるのか。中世らしい双系制(男女両方の血統を重視する相続)の考え方です。
義時は、もっと早くお前の本性を見抜くべきだったと笑い飛ばす。
と、即座に反撃が飛んできた。
「あなたには無理。私のことなど、少しも……少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ!」
思えば最初からそうでした。
のえはキノコが好きだと嘘をつき、義時はそれを信じた。お互いの幻しか見ていないような夫婦だった。
義時は妻の言葉を肯定も否定もしない。振り返ろうとすらせず、謝るわけがない。
執権の妻が毒を盛っていたとなれば、威信に傷がつくから離縁もせず、二度と私の前に現れるなという。
「出て行け」
「もちろんそうさせていただきます。息子があとを継げないならここにいる甲斐もございませんし。死に際は大好きな姉上様に看取ってもらいなさい」
「いけ!」
そう追い払う義時に、のえは思い出したかのように付け加えます。
頼まれて毒をすぐに入手してくれたのは、あなたの盟友――三浦平六殿。夫に死んで欲しいと相談したらすぐ手に入れてくれたと。
「頼りになるお方だわ」
妻は去り、盟友にも裏切られた義時の人生とはいったい……?
思えばかつて、運慶の彫った仏像と八重を重ね合わせていた義時。それがこうも変わりました。
のえはむしろあのおぞましい仏像に似ているのかもしれない。
しかしそれは八重とのえとの違いでもない。義時の愛のかたちでもあるのでしょう。あんなに優しかった男は、異形の存在になってしまいました。
俺はといえば結局一介の御家人!
実衣と政子が語り合っています。
義時が運慶の仏像に衝撃を受け、倒れたことが広まっていて、政子が見舞ってくると言うと、実衣が「近頃は政に首を突っ込まないのか?」と語りかけます。
言い方に棘があると指摘する政子。
今に始まったことじゃないと答える実衣。
昔のように語り合う姉妹は、結局、一度も偉くなりたいと思わなかった政子が偉くなり、他の者たちがみんな消えていったのは皮肉な話だとまとめます。
姉が妹に尋ねます。
「本気で尼御台になりたかったの?」
「全成殿の血筋を絶やしたくなかった。でも今はそうね、一言で表すなら“どうかしてました”」
政子は、人にはそれぞれの身の程があると諭します。
悪気がないのはわかるけど、今のは言わなくていいと返す実衣。
その上で、誰だって一生に一度は人の上に立ちたくなるものだと言い、姉上はそうでないと思ったのか、わからないだろうと言います。
政子は詫び、茶を飲む実衣に茶菓子を勧めています。
夜――義時が義村に酒を勧めています。
のえが京都から手に入れた薬湯であり、酒に入れて飲むとうまいと勧めるのですが、義村は断ります。毒だと気づいたのでしょう。
義時は、長沼宗政の話を持ち出します。
また裏切るつもりだったらしいとすると、義村はふてぶてしく、俺が裏切らなかったから勝てたと思えと開き直ります。
義時は敢えて何も言わず、また義村に酒を勧めます。淡々としかし力強く勧めます。
「飲まないのか」
「においが気に入らん」
「濃くしすぎたかな。うまいぞ。それとも……他に飲めないわけでもあるのか」
「では頂くとしよう」
これ以上断ると毒のことを追及されると思ったか。義村が酒を飲み干しました。
のえが義村から入手していた毒は致死量が少ないようだし、むしろさっさと豪快に飲んだ方がよかったと思いますが、妙なところで臆病ですね。
「俺が死んで執権になろうと思ったか」
「まあ、そんなところだ」
「お前にはつとまらぬ」
「お前にできたことが俺にできないわけがない!」
義村はここでしょうもない本音を吐き出します。
俺は全ての面でお前に優っている。子どもの頃からだ。頭は切れる。見栄えはいい。剣の腕前も俺は上だ。
お前は不器用でのろま。
そんなお前が今じゃ天下の執権、俺はといえば結局一介の御家人に過ぎん! 世の中、不公平だよな、いつかお前を超えてやる!
そう思いの丈をぶちまけつつ、呂律が回らなくなってきた義村。
本当に、彼はプライドを傷つけられた時が一番いい! 最終回までこんな義村が見たかった。
そこは天下の肉体美を誇る山本耕史さんです。みなさん肉体的に脱ぐところに注目していますが、私は心の鎧を脱ぎ捨てて悔しがる様が好きでした。
義時に哀れまれ、扇を叩きつける場面。
長沼宗政にまで後鳥羽院の院宣が届いていて悔しそうにしていたところ。
そしてこの最終回。
俺は毒を盛る側だった! それが毒を飲まされている!――そんな屈辱の頂点で、のたうち回るこの毒蛇よ。これぞ三浦義村。こういうところが見たかった!
しかも動機がしょうもなかった――。
義村は地獄のマウンティング男だった
つい先ほどの政子と実衣の場面とも比べてみましょう。
義村と実衣は皮肉屋で、陰謀を企み、嫉妬深い。伊東祐親の娘を母に持つ、似たところのあるいとこ同士ですが、ここにきて違いも見えてきた。
嫉妬していた実衣はあっさり「どうかしていた」と認めている。
一方で義村の方がむしろ今流行の悪役令嬢じみた振る舞いを見せています。
このドラマは政子を筆頭に、女性が今までの枠を破っています。それのみならず、男性のとてつもないマイナス面も突き抜けています。
最終回まで生き延びた義村が、実にみっともない姿をさらけ出している。
「これだけ聞けば満足か……」
「よく打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ、毒は入っておらん」
「本当だ、喋れる。俺の負けだ」
「平六……この先も太郎を助けてやってくれ」
「まだ俺を信じるのか」
「お前は今、一度死んだ」
「ふっ、これから先も北条は三浦が支える」
「頼んだ」
はい、そう決まりました。
あっさりとおとなしくなる義村。もうここまでみっともない姿を見せたら、ころんとお腹を見せるしかありませんね。って、猫の喧嘩みたいだな。
「いい機会だからもう一つだけ教えてやる。大昔、俺はお前に教えてやった。女子はみなキノコが好きだと」
「しっかりと覚えている」
「あれは嘘だ。でまかせだ」
「早く言って欲しかった!」
「フッ……」
なんなのだこの流れは、どういう伏線の回収なのか。あの義時の勘違いは義村由来かよー!
少年のような愛嬌を取り戻す義時。しかしキノコの誤解についていえば義時当人も悪い。
好きかどうか、本人にきちんと確認すればいいのに、このくだらない勘違いをのえ相手に発揮し、しかも騙されたことを思えば、巡り巡って義村が毒を盛ったように思えなくもありません。
義村は、八田知家が見抜けなかったのえの本性もさっさと見抜いておりました。そこで義時に助言をしてもよかった。ましてや殺意があるとのえが相談してきたら、義村が教えてもよいところだ。
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ただ、義時にしても結局、のえが源仲章と親密になっても放置していた。
色々と考えてみると、義村とのえは実質的に密通していたとも思えます。
実際にそういうことがあったかどうかはこの際些細なこと。二人きりで出会って親しげに話し、心の底を分かち合った――これはもう密通では?
思い出すのは、義村が亀を口説き、頼朝を超えると言い張っていたこと。八重にもちょっかいを出しておりました。
義村は地獄のマウンティング男だったのです。
要するに、誰かの女を自分がかっさらうことで、相手より優位に立ったとほくそ笑む奴だ。
こうなってくると、どこまで本気で義時を殺したかったのかもわからない。妻経由で毒を渡したとなれば相手にとっては屈辱であり、その時点でマウントは取れる。
どこまて最低男なのか。最終回まで最低値を更新し続けた、凄い男です。
マウンティングとなると、Web漫画広告でも女同士がするものだとされますが、男同士でもするときはとことんする。
そんな嫌な男の像、陰湿さを余すところなく描いたドラマです。
なんだか笑えるようで、義時の精神はまたすり減ったことでしょう。ある意味、義村の目論見は正しい。
全くみっともない男どもだ。政子と実衣のあとにこの二人か。
思えば男同士の絆は、とかく美化されがちでしたよね。
武士道。騎士道。義兄弟。仁義。
そんな麗しい言葉で陶酔させる一方、「女々しい」だの「女の腐ったようなやつ」だの「女同士のドロドロ」だの「自称サバサバ女」だの、女同士は底が浅くてつまらないように言われてきた。
義時と義村、政子と実衣の締めくくりを見ていると、そうした問題提起をしているように思えます。
最終回までこのドラマは痛烈でした。
まるでこのドラマだけ10年先の日本テレビ界を走っているようだった。
日本史上の大転換点
泰時は自宅で妻の初に、京都に戻ると告げています。
叔父の時房とともに西国に目を光らせるとのこと。
泰時は初に父・義時のことを頼み、時房は次郎に兄・義時のことを頼みます。義時を気にかけていて麗しいようで、そこまで衰えたということでもあります。
組織としては健全ですね。
ポスト義時を常に複数名が考えています。
もしも誰かが、実力者にべったりで、能力が無くても出世しようとしていれば、嘘をついてでも「いいえ、あのお方は永遠に君臨します!」などと言い出したりする。
そうではなく一人一人が後継を考えているところが健全。
昨年の大河ドラマ『青天を衝け』では、こうした組織のスタンスが見えにくく、渋沢栄一を神格化していた。亡国の兆しだとむしろ嫌な気持ちになったものです。
初が「平盛綱も京都に行くのか?」と声をかけると、よく生きていたと朝時が感心。
泰時も絶対死んだと思ったとか。
あんな風に矢が刺さった状態で川に浸かると、雑菌が入り、死亡率はかなり高くなりますからね。
盛綱は誰かに守られていると嬉しそうに語ります。八重が守った盛綱が、泰時を救う――そんなプラスの構図がそこにはあります。
そして北条時房が、日本史上の大転換点を述べます。
「いいか皆、もはや朝廷は頼りにならない。これからは武士を中心とした政の形を長く続くものにする。その中心に北条いるのが我ら北条なんだ。よろしく頼むぞ」
大事なことを言いながら、舌がもつれてくる時房。なんでも義時の部屋から持ち出してきたものを飲んでいるとか。
酒じゃなかった?
うがいをしてくると言い出す時房ですが、朝時と初の反応からして何やら臭うようです。
しかも宋磁の瓶でした……。
義時が義村に出していた酒は国産の陶器であり、瓶で毒の区別がつくのですね。
これはまずいと気づき、うがいをしに行く時房。源仲章が平賀朝雅に渡し、北条政範を殺した即効性の毒とは違ってよかったですね。
それにしてもトキューサよ!
このセリフは日本史の大転換点であり、他国の歴史と比べると理解されない不思議なところだ。
なのにこんなオチがつくとは……最後までトキューサはトキューサでした。
上皇を倒し、朝廷を屈服させながら、なぜ、北条は天皇に取って代わらなかったのか?
日本史では当然のように思えますが、世界史的には例外的で、不思議なことです。
今後もこの点はどんどん研究されていきます。
この場面を見た視聴者の中にも、将来、この謎を追い求める誰かがいるかもしれません。
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御成敗式目
トウが孤児たちに武術を教えています。
「ひいふうみい! 刺す! よ!」
「ひいふうみい! 喉元刺す! よ!」
稽古の様子を眺めていた実衣は、動きに殺気がありすぎ!とトウに告げます。彼女としては、かなり抑えたつもりなんだってよ。
親を殺され、殺しを覚えた少女――彼女は命を繋ぐ存在になりました。
そう綺麗にまとまるし、女性同士のシスターフッドも感じるし、綺麗な場面ですね。
しかもこの孤児たちは13人いるのです。トウの13人か、あるいは尼将軍の13人か。救いのある13人です。
さらに、序盤から比べると武術も変わってきています。
やたらめったら、相手をボコボコ殴り、川に引き摺り込んで殺していた坂東武者たち。
そういうオラオラした動きから、トウのような洗練された無駄のない殺意に技は磨かれていくのでしょう。
進歩を感じます。
来年の『どうする家康』で柳生宗矩が出てきて、活人剣でも提唱したらよいなぁ。来年もアクションのできる役者さんに出てくると楽しいだろうなぁ。
泰時は添削がいろいろと入った書類に目を落としていて、初に「見てくれ」と声をかけます。
彼なりにまとめていました。
学のない御家人たちも読める易しい言葉で、武士が守るべき定めを書き記そうとしているのです。
「ふふ、真面目」
「何が悪い」
「悪いとは言っていない。偉いと思っています」
「初めて褒められた」
笑い合う夫妻。
【御成敗式目】であり、この鎌倉幕府の基本法は後世になっても廃止されず、各家で改訂されつつ残り、江戸時代まで影響がありました。
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しかも泰時の治世の間、御家人の粛清は起こらないと語られます。
そう、あくまで泰時の間の話で、三浦と北条は結局、衝突してしまう。
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