『吾妻鏡』は鎌倉幕府公式歴史書である――。
長澤まさみさんの語りから始まった最終回。
頼朝が挙兵してからの出来事が詳細に記されているのだとのことですが、何か違和感があります。
いったい何なんだ?と思ったら、舞台は三河国、永禄7年(1564年)とのこと。
『吾妻鏡』を読んでいるのは後の征夷大将軍・徳川家康でした。
愛読者である彼もまた坂東に幕府を開くのであり、いよいよ始まる【承久の乱】に興奮し、思わず茶碗をひっくり返してしまう――。
来年の大河ドラマ『どうする家康』で主役を演じる松本潤さんを、予告より遥かに早く見せてきました。
しかしこれは遊び心だけでなく、なかなか重要な描写かもしれません。
徳川家康は『吾妻鏡』の愛読者どころか、散逸したものを集めて復元するほどでした。
坂東に都を築くことも北条氏以来のことであり、『鎌倉殿の13人』の中に歴史の大きな転換点があったことを俯瞰するように見せてきます。
長澤まさみさんは、いわば天命の声。
歴史を俯瞰する意識というのが心地よい一年でしたが、思い返せば2021年大河『青天を衝け』の結末がどうしても解せなかったのは、その点です。
渋沢栄一が亡くなった後、昭和という時代に日本はアジア太平洋戦争へ突入し、史上最大の損耗を迎えた。そういう絶望的な未来が眼前に迫ってきているのに、どこか明るいスタンスで、どうにも歯がゆかった。
今年はそれを克服しました。
細かい点ですが、家康が割とラフにお茶を飲んでいましたよね。
そもそも武士が気軽にしっかりと本を読んでいた。
『麒麟がくる』の光秀も『吾妻鏡』に目を通していましたが、鎌倉と比べてそれだけ文明が進歩した。お茶も教養も身近になった。
武士は文武両道の存在となったのです。
箱根の山は天下の険
そして最後となるオープニングが流れ、再び長澤まさみさんのナレーションへ。
上皇は全国に義時追討を命じた。
鎌倉は徹底抗戦を選ぶ。
この国の成り立ちを根こそぎ変える戦乱が、目の前に迫っている。
北条政子の演説で気勢を上げる御家人たち――彼らを眺める長沼宗政が「これでは勝つんじゃないか?」と困った顔を浮かべると、隣にいた義村は「わからんぞ」と何やら悪どい顔。
今は盛り上がっていても、いざ上皇様が出てきたら戦えるかどうか、疑わしいと踏んでいます。
これも重要な伏線でしょう。
御家人たちは守りを固めるのは箱根か?などと言い合っている。
京まで攻め込むことに躊躇しているのであり、そのとき箱根を防御ポイントにしているのは非常に意味があるものでした。
古来より箱根の山は天下の険とされています。
ゆえに相模の武士団は、箱根という地の利で戦う想定をしていた。
このドラマで序盤から出てきている相模の武士たちは箱根を背負って戦う誇りがあった。
幕末でも、切れ者の小栗忠順はその地の利を計算に入れて防衛戦を考えていたわけです。
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実際は、及び腰の徳川慶喜が却下して終わってしまうのですが、『鎌倉殿の13人』は俯瞰で見せてくるため、時折、意識が幕末まで飛んでしまいますね。
三善康信「一刻も早く出陣を」
二階堂行政が怒りを炸裂させています。
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孫娘で義時の妻であるのえに対し、「どうして止めなかったのか!」とかなり強い口調で詰め寄っている。
「よいではないですか」
祖父の言葉など真面目に聞いてないのか。のえは鏡を覗き込み、黒髪を梳っている。
なんとも妖艶な表情で、太郎や次郎にもしものことがあれば北条の跡取りは我が息子だと言っています。
「ばかもん! そのころは鎌倉は灰になっておるわ!」
二階堂行政が再び激怒し、全力でのえを叱り飛ばします。
確かに彼女の限界も浮かんできますね。
武士の妻ならば、我が子がこの大戦で兄を上回る戦功を立てるべきだ!と考え、叱咤激励せねばならない場面なのですが、要は彼女には覚悟が足りていないのです。
その一方で、なぜ、ああもふてぶてしく髪を梳かしているのか?
この美しさを愛でるのは自分だけ。だからうっとりと鏡を覗き込む。そんな風に行動しているのだとしたら、とことん寂しい人に思えます。
そのころ幕府の上層部では、朝廷軍に対する戦術を検討していました。
北条時房は東海道を進むと言い出す。
平家が勝てなかったのは、追討軍を送るのが遅れたからだと言い切るのは大江広元。
泰時は、父の義時に総大将となるよう言われて戸惑います。そして義時も自ら出陣しようとすると、首を狙われているのだからと政子に止められる。
するとそこへ杖をついた三善康信がやってきました。
老骨に鞭打ち献策しにきたとのことで、
「時を無駄にせず、一刻も早く出陣を」
と言うと、政子が早速その策に乗ろうとして一同をまとめます。
思えば三善康信の誤認識で始まった源頼朝の戦い。その結果、鎌倉に武士の政権ができ、朝廷と対峙するにまで成長しました。
運命の鍵を握っているのは、この老人かもしれません。
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康信の前に、大江広元も同じような献策をしていましたが、尼将軍の決断ならば彼も納得でしょう。
冷たい夫婦
泰時は、自分に総大将が務まるのか?と、義時に訴えます。
光栄ではある。しかし自分の名前で兵が集まるのか疑問に感じている。
そんな泰時に対し、北条の家の運命がかかっているからにはお前がやるしかないと励ましながら、義時は「山木攻め」のことを思い出します。
頼朝が挙兵し、最初に攻め込んだ節目の一戦です。
あのときは24人だったと振り返ると、今回は「18人で立ち上がれ」と命じます。
「私を入れて19人か……」
思わず泰時が戸惑っていると、義時はこうだ。
「お前を入れて18人だ」
源頼朝のように兵が集まるのか……とやっぱり自信を持てない泰時ですが、反対まではしておらず、彼なりの勝算はあるのかもしれません。
「鎌倉の命運、お前に託した」
義時はそう言いながら泰時の肩を叩く。この父と子は通じあうものがありました。
息子との協議を終えて、義時が一人で縁側にいると、のえがしずしずとやってきます。
「あんまりではないですか。なぜ一言もなかったんですか」
「すまん」
「普通は妻の耳には入れるもの……」
「言ったら反対したであろう」
「嘘。忘れていただけでしょう。悩んだ末に言わなかったみたいな物言いはやめてほしいわ」
「すまん」
「執権の妻がこんな大事なことを人から聞くってどういうこと?」
のえに責められる義時――「夫が妻に何も伝えていない」というのは、執権がどうとか、そんなことに関係なく大変なことでしょう。
最も秘密が漏れやすいのは閨の中というのはお約束です。江戸時代の将軍大奥には、だからこそ付き添いがいました。
義時は、八重とも、比奈とも、夜に二人で語り合う場面があった。
のえとの間にも子供はいますが、二人が大事なことを語り合うシーンは劇中になかった。のえは源仲章とのほうが熱っぽく語っていた。
ずっと冷たい夫婦だったのです。
幕府軍は19万だと!?
三浦義村が出陣の準備を整えています。
「兵はせいぜい2千集まればよいところだ」と長沼宗政に見通しを伝えると、俺たちも出陣すると告げる。
なんでも「木曽川の手前で背後から攻め、泰時の首を後鳥羽上皇への手土産にして京都入りを果たす」んですと。
しかし、泰時の兵の数は、瞬く間に1万を超えました。策が当たったと、父に感心しています。
ここでの義村は、彼の限界が浮かんでしまってますね。
「人の心がどう動くか?」という見立てがどうにも甘い。北条政子の演説や北条泰時の人柄を過小評価してしまっている。理と利に聡いと、こうなってしまうのかもしれません。
では義村が頼ろうとしている後鳥羽院は?
御所では藤原兼子が「(幕府の出方は)どうなっています?」と後鳥羽院に尋ねていました。
義時からの書状を読み上げる後鳥羽院。
東海道、東山道、北陸道を19万の坂東武者が上洛する。
西国武士との合戦を御簾の筋隅からご覧あれ。
「ふざけたことを!」
と兼子が怒ったところで、もうどうにもなりません。
幕府軍19万に対し、後鳥羽院が動かせる兵数は、藤原秀康によると1万余りだとか。
「19万など、どうせまやかしに決まっている!」
そう毒づく後白河院ですが、確かにこの数字は誇張であり、信憑性は薄いとされますね。
問題はそこじゃないでしょう。
敵の兵数は、ある程度、計算はできるものです。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、序盤で斎藤道三が、我が子の斎藤高政と、明智光秀に数珠の数を数えさせていました。
高政がうまくできないと、それでは戦に勝てないと失望していたものです。
では実際、どうすれば兵数を把握できるか?
例えば、進軍速度、かまどからあがる煙など、判断材料は色々とあります。
そういう根拠が無く、願望だけで戦況を語っているから官軍はまずいのです。合戦への想定が全く足りていません。
『三国志』に例を見てみましょう。
数字を盛ったうえで「狩をしよう!」と上から目線で孫権に迫ってきた曹操。
様々な状況を分析した周瑜は、敵の示す数字が大げさであると看破し、【赤壁の戦い】で勝利をおさめています。
夫(そ)れ未(いま)だ戦わずして廟算(びょうさん)して勝つ者は、算を得ること多ければなり。『孫子』「計篇」
【意訳】出陣前のシュミレーションで勝つと判断されたものは、事前にデータ解析をして勝てるようにしている
まずは数字の前提があり、たしかに戦場での士気は非常に大切ですが、かといって根性論だけでどうにかできるものでもないでしょう。それこそ士気に関わってきます。
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最終防衛ラインは宇治川か
6月5日――北条泰時は圧倒的な兵力で木曽川を越え、京都へ進撃。
宇治川が最終防衛線となりました。
実は日本の合戦は、防衛側が非常に手薄です。
それが顕著に現れているのが城と川。
戦国時代のゲームを見ていると、甲冑はじめ衣装は美麗なのに、一目で中国産だとわかる場合があります。
それは高い城壁を備えていることです。
『進撃の巨人』のように、都市が城壁でぐるりと囲まれていることが、中国やヨーロッパでは当たり前でしたが、日本の都市にはそれがない。
ゆえに「川」が非常に重要な防衛線となりました。
(守備側は)とにかく川を渡らせないようにする!
戦国時代ともなれば、川沿いに城や砦が築かれることもありましたが、そこまで防衛できないのが鎌倉時代の合戦です。
ドラマをご覧になられていて「承久の乱って最終回だけで大丈夫なの?」と疑問に思われた方も多いでしょうが、宇治川の防衛戦に注力すれば表現としてはなんとかなります。
ゆえに本作でもかなり盛られていて、本来は参戦してなかったはずの北条時房、北条朝時、三浦義村も戦場にいました。
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ともかく渡河(とか)は重要な局面です。
「渡河」と聞いてピクッとしないのは、もはや武将とは言えないぐらい重要であり、戦国時代のみなさんも「渡河くらいマトモにこなせない奴は基礎ができてないな」という態度を見せております。
思えばこのドラマでも、川は序盤から大事でした。
頼朝の挙兵直後、北条と合流しようとした三浦軍の前に、増水した川が立ちはだかり、父の三浦義澄は苦渋の決断で断念する一方、子の義村はあっさり北条を見捨てていましたね。
冷たいと言えばそうかもしれませんが、増水で川を渡れないという言い分なら相手も納得するしかありません。
川を渡るとなると攻撃も防御もできず、極めて危険なのです。
そんなベテラン義村も参加して、平等院で作戦会議。ぐずぐずしていると大変なことになる!と軍議に現れ文句を言う義村です。
「そんなことはわかっております!」
義村の態度にイライラしていたのは北条朝時。「これだから戦の経験のない者は……」とか上から目線で語る義村に対し、痛烈な一言を浴びせます。
「じじい、うるせえんだよ」
「誰が言った?」
思わずピクッと、キレそうになる義村。
無理に川を渡ろうとしたものが次々に溺れていると時房が言うと、流されることを見越して上流から渡れと義村が助言する。
と、再び、朝時がボソッと毒づく。
「訳わかんねえんだよ、じじい」
「誰が言ったぁあああ!」
それに対し、義村が凄まじい剣幕で義村が大声を上げます。
すると泰時の配下である平盛綱が「あれしかない……」と話し始めました。
渡河戦の行方を左右する筏
平盛綱の提案とは筏(いかだ)でした。
和田合戦では民家を壊し、壁や扉を盾にして矢への防御とし、同じ要領で今度は筏を作る。
源平合戦の海戦では船を調達しておりましたが、今回は想定外ですからね。
問題は「筏を押す係」です。押し手は水中に入るため甲冑を脱がねばならず、矢に狙われる一方のため非常に危険な役割となるのです。
ただ、他に有効な手立てもなく、総大将としての判断を迫られた泰時はついに決断します。
「急ぎ筏を作れ!」
「かしこまりました!」
こうして急造された筏ですが、実際はどういう形だったか、詳細は不明なようです。
日本では、船の進歩も原始的でした。
司馬懿が主役の華流時代劇『軍師連盟』あたりをご覧になられると一目瞭然でしょう。
同作品では、帆をつけた船団が水上戦をします。中国では、黄河と長江という二大河川が国内を横断しており、戦闘用の船が古来より発達していました。
それが日本では、鎌倉時代になっても、小舟の基本的な構造は弥生時代とさほど変わりません。
当時は竪穴式住居も現役で稼働していたほどであり、そういう時代の合戦映像は貴重なのでじっくり見ておきましょう。
「迎え撃てー!」
防衛側の藤原秀康が対岸で兵たちを鼓舞します。
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想定内の戦闘では、こういう将も活躍できたのでしょうが、敵は坂東武者です。
水を絶てば必ず水に遠ざかり、客、水を絶ちて来たらば、之を水の内に迎うること勿く、半ば済(わた)らしめて之を撃つは利なり。『孫子』「行軍篇」
【意訳】川を渡り終えたら川から遠ざかること。敵が川を渡ってきたら、川で迎え撃つことなく、半分渡ったところで撃てばよい
鎌倉で義時は、あの頼朝が残した観音像を手にして、我が子太郎の無事を祈っています。
政子と実衣も読経に余念がない。
実衣は亡き夫・全成に眉間の皺まで似せたような祈りです。
今年は仏事指導も本当に素晴らしかった。鎌倉時代初期の仏教となれば再現はかなり難しいのに、最終回も磨きがかかっています。
後鳥羽院と義村の限界
さて、この期に及んでも、まだ諦めが悪いのが三浦義村。
長沼宗政から、幕府軍が勝ちそうだ、その後どうする?と問われて、まだ頭を働かせようとしています。
義村の考えはこうだ。
上皇様が出てくれば戦の流れは一気に変わる――。
しかし、戦場などに出てくるのかどうか。懐疑的な宗政に対し、義村はそのために弟・三浦胤義を送り込んでいると答えます。
三軍は気を奪うべく、 将軍は心を奪うべし。『孫子』「軍争篇」
【意訳】軍勢からは士気を阻喪させよ。将軍からは戦意を奪え。
最終回で本作随一の策士・三浦義村の限界点がまたしても見えてきました。
義村はあやまった情報を流したり、気をそぞろにさせたり、そういう小手先の心理作戦を使うことはできる。
けれども政子や泰時のように、相手を心服させ、心から参ったと知らしめるようなことはできず……どうにも人の心を操るうえで、限界点があると思えます。
結局、彼自身が誰かを心底信じることができないからかもしれない。
宇治川では筏を押して川を渡ります。空撮や水中カメラも使い、矢に当たって沈む人もしっかり映像にして、気合の入ったシーンが続く。
しかも、ここで盛綱が矢に当たってしまいました。
「鶴丸!」
駆け寄ろうとする泰時に対し、盛綱が声を張り上げます。
「お前は総大将だ! 兵一人がやられたくらいでたじろぐな! 俺に構わず行け!」
そして盛綱は叫びながら水中に倒れ込んでしまいます。配下の者を思わず助けに駆け寄ってしまう――泰時のこうした行動は名将の条件です。
こういう将を見ると、兵士は死を恐れなくなる。母の八重から引き継いだ誠意が人の心を動かします。
祥(まじない)を禁じ疑いを去らば、死に至るまで之く所なし。『孫子』「九地篇」
【意訳】呪術のようなものを禁じて疑う心をなくせば、兵士たちは死ぬまでついてくる。
一方、京都では、対照的にただただ狼狽するだけの後鳥羽院がいます。
「義時の首さえ取ればよかったのに!」
そんな意味もないことを語るだけで現実逃避しているようだ。
と、そこへ藤原秀康と三浦胤義が戻りました。
兵の数を誤った……とうなだれるしかない二人の武士。
義胤はそれでも「後鳥羽院が陣頭に立てば士気があがる!」として出陣を乞います。それに応じてで後鳥羽院も自ら立ちあがろうとするものの……。
「馬鹿を申せ!」
藤原兼子がピシャリと断る。上皇様自らが戦に出るなど聞いたことがないと頑なです。
出陣を励ます政子と、止める兼子。二人の対比にもなっていますね。
それでも後鳥羽院は武芸に自信があり、現場へ出向こうとしますが、兼子は後白河院の遺言を盾にします。
まるで幼い子どもに戻ったような顔で座り込んでしまう後鳥羽院。
結局、兼子の言葉に押されて、「ここから出るわけにはいかぬ」と藤原秀康や三浦胤義の申し出を突っぱねてしまいました。
セルフプロデュース型の怨霊に
戦勝祈願の読経に疲れたのか。政子がぐったりと倒れ込んでいます。
そこへ義時が現れ、我が軍が宇治川を越え京都に入ったと告げます。
「太郎がやってくれました」
「あの子はそういう子です」
二人で泰時を祝いますが、義時には戸惑いもあります。これまでの歴史で初めて朝廷を裁くことになる。そんな焦りがあるのです。
一方、京都では、後鳥羽院がしれっと「トキューサ!」と出てきました。
そして此度の大勝利を祝います。なんでも「自分を担ぎ上げた奸賊どもをよう滅ぼした!」という構図にしたいらしい。
自ら義時追討の院宣を出しておいて白々しいにも程がある表裏っぷりですが、これも実は東洋の伝統的な構図で、明代の靖難の変、李氏朝鮮の癸酉靖難が典型例です。
後鳥羽院は義時にそこのところを話して欲しい、お前だけが頼りだと持ち上げ、戦の疲れを癒せと、あくまで上から目線での対応です。
しかし、北条時房の表情は硬い。
なまじ蹴鞠で遊んだ二人だけに、この冷たさはつらいものがあります。けれどもそれ以上に、これだけのことを引き起こしながら保身第一である後鳥羽院があまりに情けない……。
鎌倉での義時は、後鳥羽院の言い分を読み、後白河法皇も同じだったと淡々と語ります。
許すのかどうか?広元が確認しますが……。
沙汰を受け取った泰時が、後鳥羽院に「隠岐へお移りいただく」と冷静に告げています。
しかも「待て!」と焦る相手に、罪人を乗せる【逆輿(さかごし)】に乗っていただくと言い切る。期日は7月13日。沙汰が決まりました。
「何度でも呪ってやる!!!」
そう叫ぶしかない後鳥羽院。
彼は文才もあるがゆえにセルフプロデュース型怨霊になっていまして。
日本史上最大の怨霊とされる崇徳院って、実は流刑先で穏やかに過ごしていたそうなのですね。
一方で後鳥羽院は全力怨霊アピールをした。
後世の人は「ああ、後鳥羽院でもこうなら、崇徳院もきっとそうなんだな」と、その呪詛ぶりを遡って適用したのです。
崇徳院の時は、敵対相手となった後白河院らは、かなり熱心に怨霊対策をしました。
一方、後鳥羽院に対して鎌倉は「気持ち悪いなあ。でもそれで気がすむなら、好きなだけ呪えば?」という塩対応。
本人の呪詛アピールよりも、呪われた側のリアクションが印象を決めているといえますね。
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剃髪し、逆輿に乗ろうとする後鳥羽院。
いざ輿へ乗ろうと庭先まで足を運べば、担ぐ者たちの中に、あの男がいるではありませんか。
げえっ、文覚!!
なんでも彼も隠岐へ流されていたとか。
そうなのです。
呪詛を得意とする文覚は、そのスキルでそれなりに権勢を得たのち、トラブルメーカーゆえに流刑になっていました。
流刑友達として歓迎するそうですよ。隠岐はよいところ、何もないところだってよ。
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文覚に頭まで噛まれて悶絶する後鳥羽院。
威厳、失墜からお笑いへ――尾上松也さんならではの人物像でした。
いつも気品があるのに、なんだかゲスな感じもあって、素晴らしかった。
死ぬまで隠岐にいると語られる後鳥羽院は神になぞらえられていますが、この堕ち方は凄い。
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別の神に負けた神は、矮小化された小悪魔や妖怪に変えられてしまうことがしばしばあります。
そういう愛嬌のある妖怪のような姿になっちゃって。
恐ろしいのではなく、なんだかかわいい。
しかもその転落の理由が、後鳥羽院の卑劣さ、臆病さ、無責任さという、人間的欠陥であること。
結局のところこの“神”は、切れば真っ赤な血が出る存在であったのです。なかなか画期的な描写ではないでしょうか。
京都でりくと再会
鎌倉に戻った泰時と時房。
時房が素晴らしい総大将ぶりだったと泰時を誉めても、泰時は納得できそうにない顔です。
浮かない顔だと声をかける義時。
泰時は上皇様の沙汰に不安があるようで、時房もドキッとしています。
「世のやり方が変わったことを西の奴らに知らしめるには、これしかなかった」
「しかし我らは帝の一族を流罪にした大悪人になってしまいました」
「大悪人なのは私だ。お前たちではない。案ずるな」
義時がそう言い切ると、泰時が京都で会った懐かしい人のことを始めました。
りくと、平賀朝雅の妻だった菊です。
相変わらず高慢なりくは、娘の菊が藤原国通に嫁いでおり、贅沢三昧をしていました。
マウンティングをするのも以前と同じで、「何よりです」と答える泰時に対して、りくは「あんた、誰だっけ?」と素っ気ない一言。
戸惑いつつ、小四郎の息子だと返す泰時です。
本作の欠点として、身分秩序がゆるいことがあるのですが、そこはドラマですからね。さすがにりくが六波羅探題にまでなった北条泰時を知らないことはないでしょう。
ならばなぜ、知らないふりをするのか。ぞんざいな対応がどうにも引っかかりますが、それも彼女の個性ということでしょうかね。
「あなたの孫だ」という泰時に「やめてちょうだい!」と即否定しています。
そうです。泰時の祖父であり、夫であった北条時政のことをりくは気にならないのか?
伊豆に戻り、9年ほど前に亡くなったと時房が告げると、彼女は驚いています。本当に知らなかったの?
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牧の方は時政を誑かした悪女なのか?鎌倉幕府を揺るがす諸悪の根源疑惑
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泰時が、最期はきっと幸せだったと続けます。
面倒を見てくれる、若くてかわいくて気立てが良い女の人がそばにいたから。時政のことを気遣っていたから。
りくの顔に少し複雑な表情が浮かぶ。それでいて、あの人はそういうところがあると納得しています。女は放って置けないってよ。
そして振り返り「またどこかでお会いしましょう」と言いつつ、娘ともども去っていく――それにしても宮沢りえさんの美しさよ。
画面に映るだけで光が差し込むような華やかさ。所作もお綺麗で、凄まじいばかりの存在感でした。
彼女は相変わらずの調子だった――泰時と時房がそう振り返っていると、二人の話を聞いていた義時の手から盃が落ちます。
そして倒れ込んでしまいました。
政子と実衣は子どもたちにお菓子や果物をあげています。
そこへトウが来ました。
政子は彼女に、子どもたちへの武芸指導を頼みます。
あの子どもたちは戦で親を亡くしたらしく、戦がなくなったからあなたも暇になるでしょと政子は語りかけます。
親を失い人を殺す道を歩んできたトウは、親を失った子たちに武芸を教えることで生きる道を選んだのです。
するとそこへ時房がやってきました。
「兄上が大変だ!」
休んでいる義時は、ちょっと眩暈がしただけだと姉妹に説明します。人さわがせなトキューサだと実衣も言う。
するとのえが、宋磁の高そうな酒瓶と盃を持ってきました。
序盤ではこんな綺麗な食器は出てきませんでしたし、今でも泰時あたりはもっと地味な陶器を使っています。
つまりはのえ好みの高級品ということでしょう。いかにも鎌倉時代らしい逸品です。
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義時の姿を見て、たいしたことがなかったのかと政子が安心していると、のえが義時に何かを飲ませようとしています。
変なにおいがする、と実衣。
この液体の正体は何なのか? というと、のえの京都の知り合いが送ってきた薬草を煎じたものだそうです。
毎日飲むとびっくりするぐらい元気になるはずなのに、逆に義時は、飲み始めてから具合が悪くなっているとのこと。
のえは「ご冗談を」と取り合いません。昔からいうことを聞かないのか?とのえが姉妹に尋ねると、実衣はそんな感じだったと言います。
促されるまま、一息で薬湯を飲む義時と、それを見守るのえ。
この場面はあからさまにおかしい。
毒を盛るにせよ、異臭がするものはそう堂々とは用いないでしょう。
それでもバレないとたかを括っているのか。無意識のうちに止めて欲しいと願っているのか。あるいはただ単に愚かなのか。
「今、新しい世が来る音がした」
すっかり顔色が土気色になってしまった義時。そんな父の政務復帰を泰時が心配しています。
歳を取るとはこういうことかと嘆く義時に対し、大江広元が京都の情勢を伝えてきます。
なんでも廃位された、上皇の血を引く先帝復権の企てがあるとか。そうなると上皇まで復権しかねません。
義時は、大江殿は老いても強気だと笑い飛ばしながら同意すると、広元も「かしこまりました」と返す。しかし……。
「お待ちください!」
泰時が反論し、父上は古いと言います。
「懲りぬ奴らよ」
「災いの芽は摘むのみ」
扇で己の首を叩く広元――この文士はすっかり武士となり、流血をものともしなくなりました。
「お待ちください。幼き先帝の命まで奪うおつもりなのですか?」
「今までもそうしてきた」
「父上は考えが古すぎます!」
「何をいうか!」
「そのような世ではないことがどうしてわからぬのですか」
父と子の争いに、時房はまた始まったと言うしかない。
「そのようなこと断じて許されませぬ。都のことは私が決めます。父上は口出し無用」
「待て」
「新しい世をつくるのは私です」
そう去っていく泰時を時房が追いかけ、問題提起します。
西国の所領を東の御家人が手に入れ、土地の者が困り、争いになりそうだとか。そんな不満を抱く連中が先帝を担いだらまた戦になりかねません。
しかしそれは泰時の耳にも入っています。
彼には思いがありました。きちんとした決まり(法)を作り、皆がやっていいことと悪いことを決めるようにしたい。
「いい! とてもいい。今、新しい世が来る音がした」
素直な時房は、素直に感動しています。泰時は父上が死に物狂いでしてきたことを無駄にしたくないだけだと謙虚に返します。
はい、最終回でようやく、初回に嘆いていた北条宗時への答えが見つかりました。
平家の奴らは馬や女を奪う!
そう憤っていた宗時。当時の坂東武者たちは、馬や女の強奪はいけないとすらわかっていなかった。
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思えば48回かけて、その答えを追ってきた気がする。
奪われたら奪い返すのか? 呪詛か? 訴訟か? 道徳心の形成か?
それよりも先に、まずはルールを決めたらいい。泰時はそうした「法」に目覚めたのです。
確かに新しい世が来る音はありましたが、同時に義時の生命力がすっかり薄れてしまいました。
天命が薄れ、そのぶん泰時に流れ込んでいくようです。
太郎殿は六波羅探題になったから強気なのだろうと大江広元が言うと、綺麗事で政治はできぬ、腹の立つ息子だと義時が答える。
しかしその表情は、まるで憑き物が落ちたようにスッキリ。
それでも先帝をどうするのか?と問われて、義時はこう返します。
「死んでもらうしかなかろう」
異形の仏像
義時が運慶に発注していた仏像が完成しました。しかし……。
「散々待たせた挙句これはなんだ」
「今のお前に瓜二つだよ」
そう返す運慶は縄で縛られています。
二人の前には、顔が歪み、分裂した怪物のように見える仏像。まるで今の義時はモンスターであると言わんばかりの木像を、運慶は自ら彫って示しました。
そして切るなら切れ!と挑発します。
「どのみち、お前はもう引き返すことはできん」
「殺すまでもない、連れて行け」
運慶がどこかへ連れられ、異形の仏像の前に戻った義時が、刀を抜き、構え、切ろうとすると、そのままその場に倒れ込んでしまいました。
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寝込んだ義時を医者が診察しています。
「アサ!」
麻の毒でした。毒を盛られたのか?と愕然とする義時に対し、医者は毒消しを届けさせようと去ってゆきます。
入れ違いでやって来たのえは涼しい顔で「元気を出してくださいな」と語りかけていますが……。
「毒にも効くのか」
「毒?」
「医者が言うには誰かが毒を盛ったらしい」
「さあ。毒には効くかしら」
「誰が盛ったか気にならんか?」
「誰が盛ったのですか?」
「お前だ」
「あら、面白い」
「お前しか思い当たらぬ」
「あら、ばれちゃった」
義時は、そんなに政村を跡継ぎにしたいのかと問いかけます。
当たり前だと返すのえ。跡継ぎは太郎に決めてあると義時が返すも、のえはそう思っているのはあなただけ、北条義時のあとは政村が継ぐと言いきります。それが当たり前だと。
八重は頼朝に逆らった伊東の娘。
比奈は北条が討った比企の娘。
そんな女たちが産んだ子がどうして跡を継げるのか。中世らしい双系制(男女両方の血統を重視する相続)の考え方です。
義時は、もっと早くお前の本性を見抜くべきだったと笑い飛ばす。
と、即座に反撃が飛んできた。
「あなたには無理。私のことなど、少しも……少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ!」
思えば最初からそうでした。
のえはキノコが好きだと嘘をつき、義時はそれを信じた。お互いの幻しか見ていないような夫婦だった。
義時は妻の言葉を肯定も否定もしない。振り返ろうとすらせず、謝るわけがない。
執権の妻が毒を盛っていたとなれば、威信に傷がつくから離縁もせず、二度と私の前に現れるなという。
「出て行け」
「もちろんそうさせていただきます。息子があとを継げないならここにいる甲斐もございませんし。死に際は大好きな姉上様に看取ってもらいなさい」
「いけ!」
そう追い払う義時に、のえは思い出したかのように付け加えます。
頼まれて毒をすぐに入手してくれたのは、あなたの盟友――三浦平六殿。夫に死んで欲しいと相談したらすぐ手に入れてくれたと。
「頼りになるお方だわ」
妻は去り、盟友にも裏切られた義時の人生とはいったい……?
思えばかつて、運慶の彫った仏像と八重を重ね合わせていた義時。それがこうも変わりました。
のえはむしろあのおぞましい仏像に似ているのかもしれない。
しかしそれは八重とのえとの違いでもない。義時の愛のかたちでもあるのでしょう。あんなに優しかった男は、異形の存在になってしまいました。
俺はといえば結局一介の御家人!
実衣と政子が語り合っています。
義時が運慶の仏像に衝撃を受け、倒れたことが広まっていて、政子が見舞ってくると言うと、実衣が「近頃は政に首を突っ込まないのか?」と語りかけます。
言い方に棘があると指摘する政子。
今に始まったことじゃないと答える実衣。
昔のように語り合う姉妹は、結局、一度も偉くなりたいと思わなかった政子が偉くなり、他の者たちがみんな消えていったのは皮肉な話だとまとめます。
姉が妹に尋ねます。
「本気で尼御台になりたかったの?」
「全成殿の血筋を絶やしたくなかった。でも今はそうね、一言で表すなら“どうかしてました”」
政子は、人にはそれぞれの身の程があると諭します。
悪気がないのはわかるけど、今のは言わなくていいと返す実衣。
その上で、誰だって一生に一度は人の上に立ちたくなるものだと言い、姉上はそうでないと思ったのか、わからないだろうと言います。
政子は詫び、茶を飲む実衣に茶菓子を勧めています。
夜――義時が義村に酒を勧めています。
のえが京都から手に入れた薬湯であり、酒に入れて飲むとうまいと勧めるのですが、義村は断ります。毒だと気づいたのでしょう。
義時は、長沼宗政の話を持ち出します。
また裏切るつもりだったらしいとすると、義村はふてぶてしく、俺が裏切らなかったから勝てたと思えと開き直ります。
義時は敢えて何も言わず、また義村に酒を勧めます。淡々としかし力強く勧めます。
「飲まないのか」
「においが気に入らん」
「濃くしすぎたかな。うまいぞ。それとも……他に飲めないわけでもあるのか」
「では頂くとしよう」
これ以上断ると毒のことを追及されると思ったか。義村が酒を飲み干しました。
のえが義村から入手していた毒は致死量が少ないようだし、むしろさっさと豪快に飲んだ方がよかったと思いますが、妙なところで臆病ですね。
「俺が死んで執権になろうと思ったか」
「まあ、そんなところだ」
「お前にはつとまらぬ」
「お前にできたことが俺にできないわけがない!」
義村はここでしょうもない本音を吐き出します。
俺は全ての面でお前に優っている。子どもの頃からだ。頭は切れる。見栄えはいい。剣の腕前も俺は上だ。
お前は不器用でのろま。
そんなお前が今じゃ天下の執権、俺はといえば結局一介の御家人に過ぎん! 世の中、不公平だよな、いつかお前を超えてやる!
そう思いの丈をぶちまけつつ、呂律が回らなくなってきた義村。
本当に、彼はプライドを傷つけられた時が一番いい! 最終回までこんな義村が見たかった。
そこは天下の肉体美を誇る山本耕史さんです。みなさん肉体的に脱ぐところに注目していますが、私は心の鎧を脱ぎ捨てて悔しがる様が好きでした。
義時に哀れまれ、扇を叩きつける場面。
長沼宗政にまで後鳥羽院の院宣が届いていて悔しそうにしていたところ。
そしてこの最終回。
俺は毒を盛る側だった! それが毒を飲まされている!――そんな屈辱の頂点で、のたうち回るこの毒蛇よ。これぞ三浦義村。こういうところが見たかった!
しかも動機がしょうもなかった――。
義村は地獄のマウンティング男だった
つい先ほどの政子と実衣の場面とも比べてみましょう。
義村と実衣は皮肉屋で、陰謀を企み、嫉妬深い。伊東祐親の娘を母に持つ、似たところのあるいとこ同士ですが、ここにきて違いも見えてきた。
嫉妬していた実衣はあっさり「どうかしていた」と認めている。
一方で義村の方がむしろ今流行の悪役令嬢じみた振る舞いを見せています。
このドラマは政子を筆頭に、女性が今までの枠を破っています。それのみならず、男性のとてつもないマイナス面も突き抜けています。
最終回まで生き延びた義村が、実にみっともない姿をさらけ出している。
「これだけ聞けば満足か……」
「よく打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ、毒は入っておらん」
「本当だ、喋れる。俺の負けだ」
「平六……この先も太郎を助けてやってくれ」
「まだ俺を信じるのか」
「お前は今、一度死んだ」
「ふっ、これから先も北条は三浦が支える」
「頼んだ」
はい、そう決まりました。
あっさりとおとなしくなる義村。もうここまでみっともない姿を見せたら、ころんとお腹を見せるしかありませんね。って、猫の喧嘩みたいだな。
「いい機会だからもう一つだけ教えてやる。大昔、俺はお前に教えてやった。女子はみなキノコが好きだと」
「しっかりと覚えている」
「あれは嘘だ。でまかせだ」
「早く言って欲しかった!」
「フッ……」
なんなのだこの流れは、どういう伏線の回収なのか。あの義時の勘違いは義村由来かよー!
少年のような愛嬌を取り戻す義時。しかしキノコの誤解についていえば義時当人も悪い。
好きかどうか、本人にきちんと確認すればいいのに、このくだらない勘違いをのえ相手に発揮し、しかも騙されたことを思えば、巡り巡って義村が毒を盛ったように思えなくもありません。
義村は、八田知家が見抜けなかったのえの本性もさっさと見抜いておりました。そこで義時に助言をしてもよかった。ましてや殺意があるとのえが相談してきたら、義村が教えてもよいところだ。
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ただ、義時にしても結局、のえが源仲章と親密になっても放置していた。
色々と考えてみると、義村とのえは実質的に密通していたとも思えます。
実際にそういうことがあったかどうかはこの際些細なこと。二人きりで出会って親しげに話し、心の底を分かち合った――これはもう密通では?
思い出すのは、義村が亀を口説き、頼朝を超えると言い張っていたこと。八重にもちょっかいを出しておりました。
義村は地獄のマウンティング男だったのです。
要するに、誰かの女を自分がかっさらうことで、相手より優位に立ったとほくそ笑む奴だ。
こうなってくると、どこまで本気で義時を殺したかったのかもわからない。妻経由で毒を渡したとなれば相手にとっては屈辱であり、その時点でマウントは取れる。
どこまて最低男なのか。最終回まで最低値を更新し続けた、凄い男です。
マウンティングとなると、Web漫画広告でも女同士がするものだとされますが、男同士でもするときはとことんする。
そんな嫌な男の像、陰湿さを余すところなく描いたドラマです。
なんだか笑えるようで、義時の精神はまたすり減ったことでしょう。ある意味、義村の目論見は正しい。
全くみっともない男どもだ。政子と実衣のあとにこの二人か。
思えば男同士の絆は、とかく美化されがちでしたよね。
武士道。騎士道。義兄弟。仁義。
そんな麗しい言葉で陶酔させる一方、「女々しい」だの「女の腐ったようなやつ」だの「女同士のドロドロ」だの「自称サバサバ女」だの、女同士は底が浅くてつまらないように言われてきた。
義時と義村、政子と実衣の締めくくりを見ていると、そうした問題提起をしているように思えます。
最終回までこのドラマは痛烈でした。
まるでこのドラマだけ10年先の日本テレビ界を走っているようだった。
日本史上の大転換点
泰時は自宅で妻の初に、京都に戻ると告げています。
叔父の時房とともに西国に目を光らせるとのこと。
泰時は初に父・義時のことを頼み、時房は次郎に兄・義時のことを頼みます。義時を気にかけていて麗しいようで、そこまで衰えたということでもあります。
組織としては健全ですね。
ポスト義時を常に複数名が考えています。
もしも誰かが、実力者にべったりで、能力が無くても出世しようとしていれば、嘘をついてでも「いいえ、あのお方は永遠に君臨します!」などと言い出したりする。
そうではなく一人一人が後継を考えているところが健全。
昨年の大河ドラマ『青天を衝け』では、こうした組織のスタンスが見えにくく、渋沢栄一を神格化していた。亡国の兆しだとむしろ嫌な気持ちになったものです。
初が「平盛綱も京都に行くのか?」と声をかけると、よく生きていたと朝時が感心。
泰時も絶対死んだと思ったとか。
あんな風に矢が刺さった状態で川に浸かると、雑菌が入り、死亡率はかなり高くなりますからね。
盛綱は誰かに守られていると嬉しそうに語ります。八重が守った盛綱が、泰時を救う――そんなプラスの構図がそこにはあります。
そして北条時房が、日本史上の大転換点を述べます。
「いいか皆、もはや朝廷は頼りにならない。これからは武士を中心とした政の形を長く続くものにする。その中心に北条いるのが我ら北条なんだ。よろしく頼むぞ」
大事なことを言いながら、舌がもつれてくる時房。なんでも義時の部屋から持ち出してきたものを飲んでいるとか。
酒じゃなかった?
うがいをしてくると言い出す時房ですが、朝時と初の反応からして何やら臭うようです。
しかも宋磁の瓶でした……。
義時が義村に出していた酒は国産の陶器であり、瓶で毒の区別がつくのですね。
これはまずいと気づき、うがいをしに行く時房。源仲章が平賀朝雅に渡し、北条政範を殺した即効性の毒とは違ってよかったですね。
それにしてもトキューサよ!
このセリフは日本史の大転換点であり、他国の歴史と比べると理解されない不思議なところだ。
なのにこんなオチがつくとは……最後までトキューサはトキューサでした。
上皇を倒し、朝廷を屈服させながら、なぜ、北条は天皇に取って代わらなかったのか?
日本史では当然のように思えますが、世界史的には例外的で、不思議なことです。
今後もこの点はどんどん研究されていきます。
この場面を見た視聴者の中にも、将来、この謎を追い求める誰かがいるかもしれません。
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御成敗式目
トウが孤児たちに武術を教えています。
「ひいふうみい! 刺す! よ!」
「ひいふうみい! 喉元刺す! よ!」
稽古の様子を眺めていた実衣は、動きに殺気がありすぎ!とトウに告げます。彼女としては、かなり抑えたつもりなんだってよ。
親を殺され、殺しを覚えた少女――彼女は命を繋ぐ存在になりました。
そう綺麗にまとまるし、女性同士のシスターフッドも感じるし、綺麗な場面ですね。
しかもこの孤児たちは13人いるのです。トウの13人か、あるいは尼将軍の13人か。救いのある13人です。
さらに、序盤から比べると武術も変わってきています。
やたらめったら、相手をボコボコ殴り、川に引き摺り込んで殺していた坂東武者たち。
そういうオラオラした動きから、トウのような洗練された無駄のない殺意に技は磨かれていくのでしょう。
進歩を感じます。
来年の『どうする家康』で柳生宗矩が出てきて、活人剣でも提唱したらよいなぁ。来年もアクションのできる役者さんに出てくると楽しいだろうなぁ。
泰時は添削がいろいろと入った書類に目を落としていて、初に「見てくれ」と声をかけます。
彼なりにまとめていました。
学のない御家人たちも読める易しい言葉で、武士が守るべき定めを書き記そうとしているのです。
「ふふ、真面目」
「何が悪い」
「悪いとは言っていない。偉いと思っています」
「初めて褒められた」
笑い合う夫妻。
【御成敗式目】であり、この鎌倉幕府の基本法は後世になっても廃止されず、各家で改訂されつつ残り、江戸時代まで影響がありました。
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しかも泰時の治世の間、御家人の粛清は起こらないと語られます。
そう、あくまで泰時の間の話で、三浦と北条は結局、衝突してしまう。
初も味わうことになる【宝治合戦】がそれで、泰時の死後に勃発しました。
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十三人とは、その十三人だったのか!?
政子が運慶の彫った像を見ています。
自身の限界量を超えて世の中の歪みを飲みこんでしまったかのような、異形の仏像。
「燃やしてしまうんですって?」
「人には見せられない」
義時が苦々しく答えます。
政子はたまに考えることがあると言います。
この先の人は、自分たちのことをどう思うのか?
義時は上皇様を島流しにした極悪人。政子は身内を追いやって尼将軍に上り詰めた稀代の悪女。
それは言い過ぎだと指摘されても、政子はそれでいいと言います。
頼朝から受け継いだ鎌倉を次に繋いだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない。
姉上は大したお人だと義時が言うと、そう思わないとやってられないと政子が微笑む。
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義時はしみじみと、流れ過ぎた血を振り返ります。
頼朝の死から――。
①梶原景時
②阿野全成
③比企能員
④仁田忠常
⑤源頼家
⑥畠山重忠
⑦平賀朝雅
⑧稲毛重成
⑨和田義盛
⑩源実朝
⑪源仲章
⑫公暁
⑬阿野時元
「これだけで13……はっ、そりゃ顔も悪くなる」
この13人はそれぞれ重要な立場か、あるいは北条の親族です。
鎌倉殿の13人とは、十三人の合議制ではなく、この犠牲者の数だったのかもしれない。そう最終回に明かされます。
ここで自嘲的に笑った義時の横で、政子の顔がすっと冷たく、霜が降りたようになります。水晶の数珠のような、冷たく透き通った美しさがある。
「待って」
「何か」
「頼家がどうして入っているの? 頼家はどうして? だっておかしいじゃない、あの子は病で死んだとあなたが……」
思わず目を泳がせてしまう義時。確かに義村よりもこういうところは不器用で、間抜けかもしれない。
「駄目よ、嘘つきは自分のついた嘘を覚えておかないと……」
政子も薄々わかっていました。けれども、怖くて聞かなかった。
義時は「もうよしましょう」と話をそらそうとしますが、政子は、本当はどう死んだのか聞いてきます。昔の話だと義時が断っても、母親としてどうしても知りたい。
頼家は上皇と手を組み、鎌倉を攻め滅ぼすつもりでした。だから義時が善児に命じて討ち取った。
最後は、頼家自ら太刀をとって生き延びようとする、見事な最期であったと。
「あの子はそいう子です。ありがとう、教えてくれて」
政子の本心はどうなのか?
殺しておいて、見事な最期も何もあったものではない。あのおぞましい像を彫った運慶の目に狂いはなかったと思っているかもしれない。
聖人君子の道のため血を流し続けた
義時は体がきついと訴え、政子に薬を取ってもらいます。
次に体が動かなくなったらそれを飲めと言われているとか。
義時はまだやり残したことがあるとのことで、隠岐の上皇の血を引く帝が帰り咲くことを阻止せねばならないとのことです。
「まだ手を汚すつもりですか」
「この世の怒りと呪いを全て抱えて私は地獄へ持っていく。太郎のためです。私の名が汚れる分だけ、北条泰時の名が輝く」
薬を手にしたまま政子は弟を見つめます。
「そんなことしなくても、太郎はきちんと新しい鎌倉を作ってくれるわ」
「うっ……薬を」
「私たちは長く生き過ぎたのかもしれない」
政子が水薬を床に流してしまいます。
義時の目に絶望が宿る。
「姉上……」
「さみしい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらへ行きます」
「私は……まだ死ねん。まだ!」
義時は倒れ、烏帽子がずり落ちます。手負いの獣のように床を這いずり、薬をすすろうとする。
しかし、あと一息のところで、政子の袖が床をぬぐいます。
「太郎は賢い子。頼朝様やあなたができなかったことをあの子は成し遂げてくれます。北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子……」
「うっ……確かにあれを見ていると……八重を……思い出すことがある」
「でもね、もっと似ている人がいます…………あなたよ」
「姉上……あれを太郎に」
「必ず渡します」
「姉上……」
「ご苦労様でした、小四郎」
義時が政子を通して泰時に託したのは、あの小さな観音像でした。
比企尼が頼朝に渡し、髻に入れていた。
頼朝を失ったあと、政子が義時の力を借りるときに手にしていたものです。
源氏将軍三代は、文覚が持ってきた義朝の偽頭蓋骨を手にしてきました。血塗られた権力でした。
一方、北条は頼朝から慈愛の観音像を受け継ぎ、果たしてそれを手にしていいのか迷いつつ、託していくことになったのです。
北条泰時は、堯舜にたとえられる名君として、歴史に名を刻むことになります。
聖人君子が来る道を作るべく、血を流し続けた義時の一生が終わりました。それを見た政子がすすり泣く声が響いているのでした。
完
MVP:北条義時と彼に精神的拷問を加えた皆さん
魔王の如く肥大化してしまった義時を倒すにはどうすればよいか?
答えは「精神をへし折ること」でした。
一人目は運慶です。
あの仏像は傑作でした。
わけのわからない像は、笑って済ませられない。なにせ義時はかつて、運慶の仏像に八重を重ねたことがあったのです。
清らかな仏に愛されていた頃は、こうではなかったのだろう。そう思うと精神に一撃が入る。そもそも、こんなくだらない依頼をせねばよかったのです。
二人目はのえでした。
妻であるのえは、麻の毒を盛り続けました。
遅効性です。東洋医学で義時の体質を解析し、負担をかけるものを選んだのでしょう。
即効性の強い毒は、誰にでもだいたい効きます。
しかし、こういう体質に合わせた毒は生活習慣を熟知していなければ難しい。のえは夫を殺すべく、観察の成果を活かしたのでしょう。
時房はあの程度の服用なら、さして効果がないと思います。
その観察眼をどうして良い方向に向けられなかったのか?
のえは聡明でなくとも観察はできます。その力を「どうすれば義時の心をへし折るか」という点に集約して使いました。
八重と比奈を貶める。
義村から毒をもらったと言う。
こんな結婚は我が子ありきだと言う。
あんたなんか最期までそばにいるのは、大好きな姉上だけだと言う。
般若と化す女性とはこういう人だったのだろうと思えました。心が弱くて寂しくて、それを隠すために鬼になったのだろうと。
三人目は義村です。
彼は徹底的にこじらせていましたね。
なんでこんなにしつこく、史実より濃度を増しに増して裏切るのかと思ったら、幼少期からの優越感と劣等感ゆえにですか。
義村って、賢いのか愚かなのかわかりません。
こんな些細なことのために命懸けで、あんな危険なことをして一体何なのか。刺激は欲しいんでしょうね。ギリギリでいつも命を賭けていないと退屈するのかも。
現代人ならば由比ヶ浜でヨットでも楽しめばいいのでしょうが、そこは坂東武者なのでそうもいかない。
そんな義村も、義時と迷惑なじゃれあいをしているうちに、年老いているのは興味深い。
朝時には「じじい」と毒づかれ、泰時にも『こんな殺伐とした策ばかり練る義村は古いなぁ』と思われたことでしょう。
そんな年老いた義村にとって、義時と遊べたのはよいゲームだったんでしょうね。
こいつは本当になんだったんだろう。そんな迷惑男のじゃれつきで義時はまた、心理的大打撃を受けました。
ただ、彼の子となるとここまで無茶苦茶ではない。
義村の代に積もり積もった恨みが子孫を宝治合戦で滅ぼすのかと思うと、暗澹たるものがあります。
四人目は政子です。
政子は頼家の仇討ちをしたかったのか?
それでも慈愛はありました。最終的に薬を拭い取らせたのは、義時が幼い帝を殺そうとしていたからだと思えます。
ここの心理状態は『麒麟がくる』の光秀を思い出しました。
あれも天皇の困惑と信長の不穏な動きを知り、更なる罪を犯すことを止めるため本能寺へ向かったように思えたのです。
とはいえ、引き金は頼家だとも思えることで、政子は彼女自身の汚名を薄くしたようにも思えます。
政子は頼家を見殺しにしたということが、悪女の根拠として言われます。
しかしそんな頼家の死に怒り、仇討ちをしたように思わせることで、その印象を薄めることができたのです。
そうはいっても、政子だって弟を見殺しにしたくはない。だから泣きました。
五人目は八重です。
もちろんこの世界にはいません。しかし、ここであげた全員が八重を思い出させてきます。
運慶は八重に似た仏像を彫った。
のえは前の妻として八重のことを持ち出す。
義村はキノコのことをここで持ち出した。義時は八重にキノコを贈っていた。
政子は、泰時は八重の息子だと言う。
しかし八重は当然のことながら、光に包まれて出てくることはありません。八重は不在であることによって、義時がこれから向かう場所が地獄であると示したようなものです。
八重が救った鶴丸――盛綱は泰時のために尽くしている。
死にそうになっても守られるようにして、生きている。まるで八重が見守っているように思える。
しかし、繰り返しますが、義時の側に八重はいない。
圧倒的な孤独が義時を待っています。
八重の不在こそ、報いの時に相応しいと思えました。
義時の酷い死に、死んでいった十三人も破顔一笑していることでしょう。
小四郎め、俺たちよりも酷い死を迎えたなと。
総評
歴史を学ぶ意義とは何か?
そこまで改めて考えさせられる傑作でした。
小学生がこのドラマの最終回を楽しみにしていると答えているニュースを見ました。
子どもにこんなものを見せていいのか?と疑念に思いつつも、きっとこうした子たちの中から将来日本史を学ぶ人がでるだろうとも思います。
あの年齢の子どもにとって、人がひたすら理不尽に死んでいく物語なんて、このドラマがおそらく初めてのものとなるはず。
ショックでしょうね。
最終回を見たあと、数日間は思い出して怒りと苦しみが混じった、どろどろした感情を噛み締めるかもしれません。
しかし、そういうマイナスの感情が、引き起こすものもある。
頼朝の死から、この言葉がずっと脳裏にありました。
天地は仁ならず、万物を持って芻狗と為す。『老子』
天地に仁はない。ありとあらゆるものを藁の犬にしてしまう。
頼朝の死により、チリンチリンと流れていた鈴の音。
それを聞いた義時は天命に選ばれ、高みに上り詰める。
しかし後鳥羽院を島流しにし、武士の世を確立するという天命を果たした後、藁の犬は燃やされます。
よってたかって心をへし折られ、這いつくばって死ぬ。天命に捨てられた藁の細工が横たわっている、圧倒的な虚無がそこにはありました。
こんなものを見せられて何をどうしろというのか?
もう、好きに生きるしかないんじゃないか。
そう一周回って思うものの、あの歩き巫女がこう声をかけてきます。
「天命に逆らうな」
もはやドラマを超えて、こちらまで地獄に引き摺り込んでくる。そんな体験を味合わせてくれる作品はそうそうありません。
ドラマを見るというよりも、天命を体験するようだった。あまりにおそろしいものがそこにはあります。
そして、この大傑作は大河ドラマの天命をも変えたかもしれません。
三谷さんにも天命はある。
もう大河はいいと思っているかもしれない。
しかし気がつけばドラマや映画を見ながら、大河でこういう描き方はできるなと思うようになります。
そうしているうちに、NHKの誰かからメールが届く。
「大河を書きませんか?」
それはきっと天命なのでしょう。
その日は来る! 必ず来る!
歩き巫女か文覚のように、そう言いつつ長い「最終回のレビュー」は終わります。後日、一年をまとめた総論記事も公開させていただきますので、ご覧いただければ幸いです。
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【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト
























