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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」】
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渡河戦の行方を左右する筏
平盛綱の提案とは筏(いかだ)でした。
和田合戦では民家を壊し、壁や扉を盾にして矢への防御とし、同じ要領で今度は筏を作る。
源平合戦の海戦では船を調達しておりましたが、今回は想定外ですからね。
問題は「筏を押す係」です。押し手は水中に入るため甲冑を脱がねばならず、矢に狙われる一方のため非常に危険な役割となるのです。
ただ、他に有効な手立てもなく、総大将としての判断を迫られた泰時はついに決断します。
「急ぎ筏を作れ!」
「かしこまりました!」
こうして急造された筏ですが、実際はどういう形だったか、詳細は不明なようです。
日本では、船の進歩も原始的でした。
司馬懿が主役の華流時代劇『軍師連盟』あたりをご覧になられると一目瞭然でしょう。
同作品では、帆をつけた船団が水上戦をします。中国では、黄河と長江という二大河川が国内を横断しており、戦闘用の船が古来より発達していました。
それが日本では、鎌倉時代になっても、小舟の基本的な構造は弥生時代とさほど変わりません。
当時は竪穴式住居も現役で稼働していたほどであり、そういう時代の合戦映像は貴重なのでじっくり見ておきましょう。
「迎え撃てー!」
防衛側の藤原秀康が対岸で兵たちを鼓舞します。
「今はここから早う去ね!」藤原秀康が後鳥羽上皇に見捨てられて迎えた最期
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想定内の戦闘では、こういう将も活躍できたのでしょうが、敵は坂東武者です。
水を絶てば必ず水に遠ざかり、客、水を絶ちて来たらば、之を水の内に迎うること勿く、半ば済(わた)らしめて之を撃つは利なり。『孫子』「行軍篇」
【意訳】川を渡り終えたら川から遠ざかること。敵が川を渡ってきたら、川で迎え撃つことなく、半分渡ったところで撃てばよい
鎌倉で義時は、あの頼朝が残した観音像を手にして、我が子太郎の無事を祈っています。
政子と実衣も読経に余念がない。
実衣は亡き夫・全成に眉間の皺まで似せたような祈りです。
今年は仏事指導も本当に素晴らしかった。鎌倉時代初期の仏教となれば再現はかなり難しいのに、最終回も磨きがかかっています。
後鳥羽院と義村の限界
さて、この期に及んでも、まだ諦めが悪いのが三浦義村。
長沼宗政から、幕府軍が勝ちそうだ、その後どうする?と問われて、まだ頭を働かせようとしています。
義村の考えはこうだ。
上皇様が出てくれば戦の流れは一気に変わる――。
しかし、戦場などに出てくるのかどうか。懐疑的な宗政に対し、義村はそのために弟・三浦胤義を送り込んでいると答えます。
三軍は気を奪うべく、 将軍は心を奪うべし。『孫子』「軍争篇」
【意訳】軍勢からは士気を阻喪させよ。将軍からは戦意を奪え。
最終回で本作随一の策士・三浦義村の限界点がまたしても見えてきました。
義村はあやまった情報を流したり、気をそぞろにさせたり、そういう小手先の心理作戦を使うことはできる。
けれども政子や泰時のように、相手を心服させ、心から参ったと知らしめるようなことはできず……どうにも人の心を操るうえで、限界点があると思えます。
結局、彼自身が誰かを心底信じることができないからかもしれない。
宇治川では筏を押して川を渡ります。空撮や水中カメラも使い、矢に当たって沈む人もしっかり映像にして、気合の入ったシーンが続く。
しかも、ここで盛綱が矢に当たってしまいました。
「鶴丸!」
駆け寄ろうとする泰時に対し、盛綱が声を張り上げます。
「お前は総大将だ! 兵一人がやられたくらいでたじろぐな! 俺に構わず行け!」
そして盛綱は叫びながら水中に倒れ込んでしまいます。配下の者を思わず助けに駆け寄ってしまう――泰時のこうした行動は名将の条件です。
こういう将を見ると、兵士は死を恐れなくなる。母の八重から引き継いだ誠意が人の心を動かします。
祥(まじない)を禁じ疑いを去らば、死に至るまで之く所なし。『孫子』「九地篇」
【意訳】呪術のようなものを禁じて疑う心をなくせば、兵士たちは死ぬまでついてくる。
一方、京都では、対照的にただただ狼狽するだけの後鳥羽院がいます。
「義時の首さえ取ればよかったのに!」
そんな意味もないことを語るだけで現実逃避しているようだ。
と、そこへ藤原秀康と三浦胤義が戻りました。
兵の数を誤った……とうなだれるしかない二人の武士。
義胤はそれでも「後鳥羽院が陣頭に立てば士気があがる!」として出陣を乞います。それに応じてで後鳥羽院も自ら立ちあがろうとするものの……。
「馬鹿を申せ!」
藤原兼子がピシャリと断る。上皇様自らが戦に出るなど聞いたことがないと頑なです。
出陣を励ます政子と、止める兼子。二人の対比にもなっていますね。
それでも後鳥羽院は武芸に自信があり、現場へ出向こうとしますが、兼子は後白河院の遺言を盾にします。
まるで幼い子どもに戻ったような顔で座り込んでしまう後鳥羽院。
結局、兼子の言葉に押されて、「ここから出るわけにはいかぬ」と藤原秀康や三浦胤義の申し出を突っぱねてしまいました。
セルフプロデュース型の怨霊に
戦勝祈願の読経に疲れたのか。政子がぐったりと倒れ込んでいます。
そこへ義時が現れ、我が軍が宇治川を越え京都に入ったと告げます。
「太郎がやってくれました」
「あの子はそういう子です」
二人で泰時を祝いますが、義時には戸惑いもあります。これまでの歴史で初めて朝廷を裁くことになる。そんな焦りがあるのです。
一方、京都では、後鳥羽院がしれっと「トキューサ!」と出てきました。
そして此度の大勝利を祝います。なんでも「自分を担ぎ上げた奸賊どもをよう滅ぼした!」という構図にしたいらしい。
自ら義時追討の院宣を出しておいて白々しいにも程がある表裏っぷりですが、これも実は東洋の伝統的な構図で、明代の靖難の変、李氏朝鮮の癸酉靖難が典型例です。
後鳥羽院は義時にそこのところを話して欲しい、お前だけが頼りだと持ち上げ、戦の疲れを癒せと、あくまで上から目線での対応です。
しかし、北条時房の表情は硬い。
なまじ蹴鞠で遊んだ二人だけに、この冷たさはつらいものがあります。けれどもそれ以上に、これだけのことを引き起こしながら保身第一である後鳥羽院があまりに情けない……。
鎌倉での義時は、後鳥羽院の言い分を読み、後白河法皇も同じだったと淡々と語ります。
許すのかどうか?広元が確認しますが……。
沙汰を受け取った泰時が、後鳥羽院に「隠岐へお移りいただく」と冷静に告げています。
しかも「待て!」と焦る相手に、罪人を乗せる【逆輿(さかごし)】に乗っていただくと言い切る。期日は7月13日。沙汰が決まりました。
「何度でも呪ってやる!!!」
そう叫ぶしかない後鳥羽院。
彼は文才もあるがゆえにセルフプロデュース型怨霊になっていまして。
日本史上最大の怨霊とされる崇徳院って、実は流刑先で穏やかに過ごしていたそうなのですね。
一方で後鳥羽院は全力怨霊アピールをした。
後世の人は「ああ、後鳥羽院でもこうなら、崇徳院もきっとそうなんだな」と、その呪詛ぶりを遡って適用したのです。
崇徳院の時は、敵対相手となった後白河院らは、かなり熱心に怨霊対策をしました。
一方、後鳥羽院に対して鎌倉は「気持ち悪いなあ。でもそれで気がすむなら、好きなだけ呪えば?」という塩対応。
本人の呪詛アピールよりも、呪われた側のリアクションが印象を決めているといえますね。
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剃髪し、逆輿に乗ろうとする後鳥羽院。
いざ輿へ乗ろうと庭先まで足を運べば、担ぐ者たちの中に、あの男がいるではありませんか。
げえっ、文覚!!
なんでも彼も隠岐へ流されていたとか。
そうなのです。
呪詛を得意とする文覚は、そのスキルでそれなりに権勢を得たのち、トラブルメーカーゆえに流刑になっていました。
流刑友達として歓迎するそうですよ。隠岐はよいところ、何もないところだってよ。
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文覚に頭まで噛まれて悶絶する後鳥羽院。
威厳、失墜からお笑いへ――尾上松也さんならではの人物像でした。
いつも気品があるのに、なんだかゲスな感じもあって、素晴らしかった。
死ぬまで隠岐にいると語られる後鳥羽院は神になぞらえられていますが、この堕ち方は凄い。
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別の神に負けた神は、矮小化された小悪魔や妖怪に変えられてしまうことがしばしばあります。
そういう愛嬌のある妖怪のような姿になっちゃって。
恐ろしいのではなく、なんだかかわいい。
しかもその転落の理由が、後鳥羽院の卑劣さ、臆病さ、無責任さという、人間的欠陥であること。
結局のところこの“神”は、切れば真っ赤な血が出る存在であったのです。なかなか画期的な描写ではないでしょうか。
京都でりくと再会
鎌倉に戻った泰時と時房。
時房が素晴らしい総大将ぶりだったと泰時を誉めても、泰時は納得できそうにない顔です。
浮かない顔だと声をかける義時。
泰時は上皇様の沙汰に不安があるようで、時房もドキッとしています。
「世のやり方が変わったことを西の奴らに知らしめるには、これしかなかった」
「しかし我らは帝の一族を流罪にした大悪人になってしまいました」
「大悪人なのは私だ。お前たちではない。案ずるな」
義時がそう言い切ると、泰時が京都で会った懐かしい人のことを始めました。
りくと、平賀朝雅の妻だった菊です。
相変わらず高慢なりくは、娘の菊が藤原国通に嫁いでおり、贅沢三昧をしていました。
マウンティングをするのも以前と同じで、「何よりです」と答える泰時に対して、りくは「あんた、誰だっけ?」と素っ気ない一言。
戸惑いつつ、小四郎の息子だと返す泰時です。
本作の欠点として、身分秩序がゆるいことがあるのですが、そこはドラマですからね。さすがにりくが六波羅探題にまでなった北条泰時を知らないことはないでしょう。
ならばなぜ、知らないふりをするのか。ぞんざいな対応がどうにも引っかかりますが、それも彼女の個性ということでしょうかね。
「あなたの孫だ」という泰時に「やめてちょうだい!」と即否定しています。
そうです。泰時の祖父であり、夫であった北条時政のことをりくは気にならないのか?
伊豆に戻り、9年ほど前に亡くなったと時房が告げると、彼女は驚いています。本当に知らなかったの?
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泰時が、最期はきっと幸せだったと続けます。
面倒を見てくれる、若くてかわいくて気立てが良い女の人がそばにいたから。時政のことを気遣っていたから。
りくの顔に少し複雑な表情が浮かぶ。それでいて、あの人はそういうところがあると納得しています。女は放って置けないってよ。
そして振り返り「またどこかでお会いしましょう」と言いつつ、娘ともども去っていく――それにしても宮沢りえさんの美しさよ。
画面に映るだけで光が差し込むような華やかさ。所作もお綺麗で、凄まじいばかりの存在感でした。
彼女は相変わらずの調子だった――泰時と時房がそう振り返っていると、二人の話を聞いていた義時の手から盃が落ちます。
そして倒れ込んでしまいました。
政子と実衣は子どもたちにお菓子や果物をあげています。
そこへトウが来ました。
政子は彼女に、子どもたちへの武芸指導を頼みます。
あの子どもたちは戦で親を亡くしたらしく、戦がなくなったからあなたも暇になるでしょと政子は語りかけます。
親を失い人を殺す道を歩んできたトウは、親を失った子たちに武芸を教えることで生きる道を選んだのです。
するとそこへ時房がやってきました。
「兄上が大変だ!」
休んでいる義時は、ちょっと眩暈がしただけだと姉妹に説明します。人さわがせなトキューサだと実衣も言う。
するとのえが、宋磁の高そうな酒瓶と盃を持ってきました。
序盤ではこんな綺麗な食器は出てきませんでしたし、今でも泰時あたりはもっと地味な陶器を使っています。
つまりはのえ好みの高級品ということでしょう。いかにも鎌倉時代らしい逸品です。
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義時の姿を見て、たいしたことがなかったのかと政子が安心していると、のえが義時に何かを飲ませようとしています。
変なにおいがする、と実衣。
この液体の正体は何なのか? というと、のえの京都の知り合いが送ってきた薬草を煎じたものだそうです。
毎日飲むとびっくりするぐらい元気になるはずなのに、逆に義時は、飲み始めてから具合が悪くなっているとのこと。
のえは「ご冗談を」と取り合いません。昔からいうことを聞かないのか?とのえが姉妹に尋ねると、実衣はそんな感じだったと言います。
促されるまま、一息で薬湯を飲む義時と、それを見守るのえ。
この場面はあからさまにおかしい。
毒を盛るにせよ、異臭がするものはそう堂々とは用いないでしょう。
それでもバレないとたかを括っているのか。無意識のうちに止めて欲しいと願っているのか。あるいはただ単に愚かなのか。
「今、新しい世が来る音がした」
すっかり顔色が土気色になってしまった義時。そんな父の政務復帰を泰時が心配しています。
歳を取るとはこういうことかと嘆く義時に対し、大江広元が京都の情勢を伝えてきます。
なんでも廃位された、上皇の血を引く先帝復権の企てがあるとか。そうなると上皇まで復権しかねません。
義時は、大江殿は老いても強気だと笑い飛ばしながら同意すると、広元も「かしこまりました」と返す。しかし……。
「お待ちください!」
泰時が反論し、父上は古いと言います。
「懲りぬ奴らよ」
「災いの芽は摘むのみ」
扇で己の首を叩く広元――この文士はすっかり武士となり、流血をものともしなくなりました。
「お待ちください。幼き先帝の命まで奪うおつもりなのですか?」
「今までもそうしてきた」
「父上は考えが古すぎます!」
「何をいうか!」
「そのような世ではないことがどうしてわからぬのですか」
父と子の争いに、時房はまた始まったと言うしかない。
「そのようなこと断じて許されませぬ。都のことは私が決めます。父上は口出し無用」
「待て」
「新しい世をつくるのは私です」
そう去っていく泰時を時房が追いかけ、問題提起します。
西国の所領を東の御家人が手に入れ、土地の者が困り、争いになりそうだとか。そんな不満を抱く連中が先帝を担いだらまた戦になりかねません。
しかしそれは泰時の耳にも入っています。
彼には思いがありました。きちんとした決まり(法)を作り、皆がやっていいことと悪いことを決めるようにしたい。
「いい! とてもいい。今、新しい世が来る音がした」
素直な時房は、素直に感動しています。泰時は父上が死に物狂いでしてきたことを無駄にしたくないだけだと謙虚に返します。
はい、最終回でようやく、初回に嘆いていた北条宗時への答えが見つかりました。
平家の奴らは馬や女を奪う!
そう憤っていた宗時。当時の坂東武者たちは、馬や女の強奪はいけないとすらわかっていなかった。
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思えば48回かけて、その答えを追ってきた気がする。
奪われたら奪い返すのか? 呪詛か? 訴訟か? 道徳心の形成か?
それよりも先に、まずはルールを決めたらいい。泰時はそうした「法」に目覚めたのです。
確かに新しい世が来る音はありましたが、同時に義時の生命力がすっかり薄れてしまいました。
天命が薄れ、そのぶん泰時に流れ込んでいくようです。
太郎殿は六波羅探題になったから強気なのだろうと大江広元が言うと、綺麗事で政治はできぬ、腹の立つ息子だと義時が答える。
しかしその表情は、まるで憑き物が落ちたようにスッキリ。
それでも先帝をどうするのか?と問われて、義時はこう返します。
「死んでもらうしかなかろう」
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