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【麒麟がくる第26回感想あらすじ】
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光秀の能力とは
光秀はこのあと、馬を駆り、信長のいる美濃へ向かいます。
尾野真千子さんは声がよい。低く、大人っぽい。それでいて時に歌うようで、からかうようで、誘うようで、深淵にひきずっていくような凄みがある。こういうひともいるものかと、出番のたびに驚かされてしまいます。
そして光秀も、かなり傲慢で身勝手とも言える人間で。暴れ馬じみたところを見せてきましたね。
彼は自分の観察眼を見出すものには、優しいところを見せる。使いこなせる相手は尊敬する。
だからこそ、道三には毒づいていても心を開いていた。
一方で、幼馴染であれだけ頼りにされていた高政には、冷たい態度を取ってもいた。
義景にもしみじみと冷たいし、義昭の器がわからない時は、否定的なことを平気で言う。
酔っ払ったことで、そういう光秀のよろしくないところが、キッパリと出てしまった感がある。
乗りこなせる乗り手でなければ、容赦なく振り落とす馬。そういうわがままさが彼にはあるのです。
これもある意味では彼の純粋さゆえ。その場で嘘をつけない、腹芸できない、いつもまっすぐだからこそ、不器用で手酷くて不可解で、時に愚かにも思えるのです。
光秀の能力は、なかなか定義が難しい。
頭の良さというけれども、不器用に直言しすぎではある。行儀が案外悪いとはよく指摘されています。
口のうまさというけれど、言わなくてもよいことまで口にする傾向はある。
それによってえらい人に好かれるかというと、朝倉義景からは出仕を持ちかけられないから、これも保留。
賢くて器用で誰からも好かれるということであれば、秀吉に遠く及ばないでしょう。
賢さ……というのも難しい話です。
市場の様子を見て、不備を察知するところはたしかに賢い。
しかし、それをあんなにも厳しい口調で、無礼講だからと言い切るのは、愚かではないのか?
そういう賢愚、善悪の狭間を揺れ動くからこそ、魅力と不快感を与える。
そういうおもしろい人物像であり、これをコメディタッチで描くと『真田丸』の真田昌幸にもなり得る。
彼はすぐに考えを変えるだの、表裏比興だのさんざん言われていましたが。
真田郷を守ると言う悲願はぶれなかった。むしろぶれていたのは、豊臣だ徳川だと、時勢に応じて動く世間の方であったと。
真田昌幸は誰になぜ「表裏比興」と呼ばれたのか 65年の生涯で何を成し遂げた?
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純粋な人間とは、時に周囲、人、そして世界をひどく傷つけます。
もう一点、光秀の大事な性格の要素。それは色について断固距離を取ることです。
光秀が、帰蝶や駒に冷たいだの、そっけないだの、鈍いだの言われます。
そういう認識が出てくるのは、どこか昭和後半の「男はデレデレモテモテするもの」という軟弱な価値観ゆえの誤解としか言いようがないと思えるのです。
「男は鼻の下を伸ばしてこそ本能!」
「男は挨拶がわりにOLの尻を叩いたもんだよ」
そういう、ビールに水着美女ポスターを使っていた時代めいた目線を感じて、私はハッキリ言って辛い……。
光秀のように、色仕掛けに靡かない男は「硬骨」と称えられた時代もあるのです。
それがいつの間にやら、会社の飲み会でセクシーなお姉さんのいる店に行くことが当然で、断る奴がおかしいという流れになっていったと。
もう、どうしようもないほど昭和だ。
光秀は真面目で、硬骨の持ち主です。鈍感ではない。鈍感でないからこそ、鍛冶屋とのやりとりで戦どころではないと察知できるのです。
そういう目線で男性を見ることは、ハラスメントじみていると思えます。【毒となる男らしさ】を安易に求めるのはやめた方がよいでしょう。
長谷川博己さんは、わけのわからんセクシーさよりも、こういう折目正しさが持ち味だとも思います。
血のにおいを漂わせる二人
美濃・岐阜城――。
光秀が到着しました。中国の故事由来で改名し、ここに岐阜の歴史が始まります。
驚いているのは信長。
「何! わし一人で義昭様を京都へお連れするのか!」
光秀はテキパキと、朝倉家の事情を話します。考えようによっては、情報漏洩をするとんでもない奴だ。
義景は優柔不断、一族の景鏡すらまとめられない。共に戦える仲間とは思えない。
上杉も、他の諸将もあてにならない。
上洛の妨げとなるのは、近江の六角。とはいえ、尾張と美濃の兵を集めれば、六角には勝てる。松永は戦をしていて、京都の守りは手薄――。
ここまで並べたて、こう念押しをします。
「今が好機かと存じまする」
「蝮の申した大きな世か。京へ出て、大きな世を作るのか。よし、そなたの申す通りやってみよう。足利義昭様をこの美濃へお連れせよ」
「はっ!」
信長は目を輝かせ、そう命じます。
信長の目が光ると、光秀の目も光る。とんでもない運命の交錯をまたも果たしました。
けれども、もう現時点で血のにおいがする二人ではあります。
研ぎ澄まされた刃を、毎週さらに磨き上げるようなくらいに魅力をさらに出してくる。演じる長谷川さんと染谷さんは、毎週新しくて凄い。
朝倉家の事情を筒抜けにして、血の通った人間を将棋の駒のように語る。その駒の中には、恩義ある松永久秀もいる。
最善の策を練り、目的に達成するために、光秀はかつてあった何かを失いつつあるように思えるのです。
この二人の歩いていく道は、血が大量に流れる。
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戦が好きだと語る信長も怖いけれども、目的のためにそんな信長を支える光秀も、十分におぞましい。
義昭の意思
そして越前、一乗谷のはずれでは。
光秀が義昭、藤英と藤孝の兄弟に報告をしています。
朝倉様は頼りにならない! この一年待たされてばかり。朝倉か、織田か?
光秀はここで、織田様は心を決めれば即座に動くと念押しします。一方で朝倉は一族すらまとめきれていないと。
これも、今までの展開が生きてきてはいる。
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信長はサイコパスだのなんだの言われますが、やるべきことはきっちりこなしています。
義昭は光秀を信じて、こう言い切る。
「私は美濃へ行く そなたを信じよう」
「は!」
藤英と藤孝も、義昭の言葉に納得はしている。
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けれども、そのためには朝倉義景をどう説き伏せるか、そこが問題です。その手立てを考えねばならない。
義昭は澄んだ目でこう言います。
小さな蟻だからこそ、強き者に助けてもらわねばならぬ。
彼本人は無邪気に思える。僧侶のころに考えたことを、守っているようだけれども。その家臣は、どうなのでしょうか……。
「まことに、よき嫁御寮だの」
ついに義昭は美濃へ行く――。
夜、光秀は愛妻の煕子にそう告げます。
三淵様から朝倉様に申し上げると語る光秀は、何にも引っかかるところはないようです。それでも、光秀としても朝倉様の怒りは予想できている。
煕子はそれで十兵衛様に叱られるのかと案じています。
光秀は、罰せられるかもしれぬ、いずれにせよ越前は居心地が悪くなるから、ここを引き払って美濃へ戻ろうと告げます。
光秀本人は、義昭と上洛を目指すとのこと。左馬介にも告げてあるけれども、岸とたまを連れて美濃へ向かうように指示するのです。
「怖いか?」
「いつかこのような日が来ると思うておりました。十兵衛様が御上洛のお供を。きっと成就いたします。この子たちも、ようやく十兵衛様のふるさとを見せてやることができます。何もこわいことはありません。うれしいばかりでございます」
煕子も相手の心を察知します。
光秀がまだ越前にやり残したことがあると思っていた頃は、子どもの故郷が越前であることを理由に、離れたくはないとやんわりと言っていました。
子どもを理由にし、光秀の心を傷つけぬよう、行動を導いているようにも思えます。
「そなたは……」
光秀は感極まったように手を握り締めます。
「まことに、よき嫁御寮だの」
煕子は微笑みを返すのでした。光秀の愛だの色気だの、そういうものは愛妻にのみ向けられます。それがよいのではありませんか。
隠さずにはいられない義景の行動原理
二日後――。
義景は文を手にして、山崎吉家に苛立ちを見せています。細川藤孝が持参した文であると吉家は返すのですが。
「わしは悪い夢でも見ておるのか? 越前を出て美濃へ参る所存とある義昭様の直筆じゃ。世話になったことは生涯忘れぬ……これは何かも間違いではないか? 細川めは何と申してこの文をよこしたのじゃ?」
吉家は、本日はとりあえず文をお読みいただき、三淵殿と挨拶に来ると返すばかり。
義景は一世一代の笑い者にするつもりかと苛立ちます。
美濃へ行き、成り上がり者の信長の元へいかれるとは、面目丸潰れ。国境に兵士を置き、外に出さないようにする!と息巻くのです。
「わしの頭越しに上洛できるか、思い知らせてやる!」
そして吉家の前で、この文はもののけが書いたものゆえ、頭を下げてくるまでは、義昭様といえど金輪際合わぬと申し伝えよと、文を破くのです。
ここの言動は義景の行動原理が出ていて、興味深いものがありますね。
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己の面目、相手が成り上がり者であること。もともと光秀への態度でもそういうところが出ていましたが、徹頭徹尾“肩書き”にこだわっています。
マウントすることばかり考えていて、実力を冷静に考えていない。
光秀と信長のやりとりと比べてみましょう。信長の大きな世という変革思考が、義景にはまるでありません。
義景が愚かに見えるようで、そう単純ではないと指摘したい。義景がむしろ普通で、信長がそうではないのです。
だって、肩書き入り名刺を渡して反応を見るとか、SNSのプロフィール欄に学歴、海外滞在歴、資格……そういうことを書く人って割と普通におりますよね。
肩書きには力があって、相手を屈服させられるという仕組みに従っているのです。意識してか、無意識か、そこはわからないけれど。
あの今川義元だって、輿に乗っていました。
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あれは愚かな公家気取りというものではなく、権威のアピールです。信長の性格が義景タイプならば、その時点で「へへ〜っ」と頭を下げていたかもしれない。
「このワインはビンテージラベルがついているけれど、飲んでうまいとわかるまで信じないぞ!」
そう、いちいち息巻く奴がいたら、絶対にめんどくさいし、楽しくないこともたくさんあるだろうし、大変でしょう。
それでも、そういう信長や光秀のような人間だって世界なり、歴史は必要としているのです。
乱世でなければ、義景の方が付き合いやすい善人だとは思う。
問題は、彼の生きる時代に麒麟が来ていないということです。
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