「信長はどうか? この世が平かになるか、そなたの力に負うところがあるやもしれぬ。こののち、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」
月の光が溢れる内裏で、そう帝から告げられた光秀。
彼はいかにして信長を見届けるのか。
物語はいよいよ佳境へと進んでいきます。
お好きな項目に飛べる目次
冷酷なる秀吉の恫喝
天正6年(1578年)秋――荒木村重が信長を裏切り、籠城しました。
そんな村重を説得するため、有岡城に出向く明智光秀と豊臣秀吉。
光秀は長女・岸を荒木家に嫁がせており、秀吉は播磨攻めの大将として、村重の上にいたのです。
秀吉は不気味な猫撫で声で、おどけるように村重を説得しようとします。光秀との姻戚関係を持ちだし、己の寛大さをまず持ちだす。そして、そこから怒る!
しかし、村重が断固として断ると、冷たい声音で吐き捨てます。
「愚か者めが! 明智様参りましょう」
佐々木蔵之介さんが、声のトーンを変幻自在に作り、不気味で不愉快極まりない秀吉像をまたも出してきました。
声のトーンが激しく上下したり、表情をくるくると変えると、それだけで相手には不安感が募るもの。佐々木さんはこれが抜群にうまいです。
染谷将太さんが「液体金属」と喩えましたが、まさしくそれですね。
毎回、毎回、見るたびにこの秀吉は許せないとギリギリ歯軋りしたくなる。それだけ佐々木さんがうまいということです。
私がそれとなく思い描いていた秀吉像が実写化されて、もうどうしたらいいのかわからない……。
“イケメンすぎる秀吉”なんてことも言われますが、私はこの秀吉を美しいと思ったことはない。常に濁っている。
周囲の空気まで澱むほど邪悪になるようで、圧巻です。
将軍や村重に対する信長の仕打ち
一方で光秀は、清らかな目で振り向き、語りかけます。
「これまで身内として、腹蔵なく話し合うてきた仲。何故かかる仕儀になったのか、お聞かせ願えぬか」
村重が重い口を開き始めました。
信長は摂津を任せると言った。しかし国衆や寺社からは過酷な税を取り立てる。彼らが離れていくのを、そしらぬ顔で見ている。
足利義昭追放の扱いも酷い。将軍は武家の棟梁なのに、犬でも扱うようにあの秀吉に任せ、裸足の惨めな姿で追っていった――。
「その心がわからぬ!」
と苦しい胸の内を語ります。
毛利殿が将軍を京へ戻して、政(まつりごと)をなさろうとしている。わしはそれに従いたい。
その言葉を聞いているしかない光秀です。
摂津・織田方の陣に光秀は戻ります。そこには細川藤孝がいました。
どうやら佐久間信盛から状況を把握しているそうです。羽柴秀吉は京に滞在する信長に、伝えるために参ったとのこと。
盟友・藤孝に対し、光秀は備後・鞆の浦に参ると告げます。
そこにいる公方様に会うのだと。船ならば6日で帰れる。留守を頼むと言うのですが……。
公方様こと義昭を見捨てた藤孝としては、耳に痛い話かもしれない。
それよりも危険はある。一歩間違えたら松永久秀のようになりかねない。それが陣からの離脱です。
「しかし何故?」
そう訝しむ藤孝。
「すべての争いが公方様につながっておられる。このまま放ってはおけぬ」
光秀はキッパリとそう言い切り、鞆の浦(とものうら)へ旅立つでした。
左馬助と船に乗り鞆の浦へ
道中、光秀は同行する左馬助に、勝算はあるのかと尋ねています。
なんでも公方様のもとで取り仕切っている渡辺民部と文(ふみ)のやり取りはあるそうです。
「公方様と歩み寄れるか? お会いして何とか糸口をつかみたい。今のままでは戦の出口が見つからぬ」
そう語る光秀に、左馬助はお岸様のことを案じていると語ります。彼は髭をたくわえ、日焼けして、貫禄がつきました。
ここで海を進む船の姿を上空から映します。
VFXで見せるのですから、NHKも進歩しました。
木造船はそれだけで莫大な金を使ってしまう。『平清盛』はそれで予算オーバーして大変なことになりましたが、そういう過ちはもう繰り返さないのでしょう。
義昭のもとへ明智一行が到着、左馬助は腰を低くして刀を抜こうとします。
こういうところもNHKの進歩を感じます。日本の伝統武術らしい殺陣が、当然の如くできるようになった。一昔前は、マンガやゲームの影響か、軽すぎる殺陣があったものです。
公方様の御目通りが許され、腰のものを預けるよう指示されると、代わりに釣竿を渡されます。
「海へゆかれるがよかろう。公方様は毎日、鯛を釣っておられるのじゃ」
そう言われ、海へ向かった光秀は、義昭の後ろ姿を目にします。
「挨拶はいらぬ」と義昭に告げられ、その側へと歩む光秀。ここでは鯛が釣れると伺っていると声をかけます。
それがなかなか釣れぬ――日がな一日、釣り糸を垂らしていると一匹は釣れるのだそうです。
何をやっても不器用な義昭は、仏様が不憫に思って一匹だけくれてやろうと恵んでくれるのだと言います。それを皆で食べるのが一日の楽しみなのだとか。
やはり、義昭はどこまでも義昭。一時期濁った心が、また澄んできました。
自分が釣るわけではない、あくまで仏様の慈悲。そう常に感謝する謙遜さがあります。
松永久秀が最期の瞬間に「南無三宝!」と叫んだことを、仏教への信心と関連づける考察もあります。
当時の日本人の大半が仏教徒であり、かつ「南無三!」が掛け声として残っていることを考えると、これは久秀の特徴ではないと思うのです。
仏教徒としての信仰心が際立っているのは、やはり義昭でしょう。
毛利に上洛の意志はない
そんな義昭に、光秀は「丹波の国衆がまとまらず苦労している」と伝えます。今回は荒木村重まで離れてしまった、と。
そのうえで、皆、口を揃えて公方様をお慕いしていると言います。
公方様が毛利殿とともに上洛されるのを待ち望んでいるのだと。
しかし、その気配はない。
光秀は分析します。毛利は、かつて越前の朝倉がそうしたように、公方様を備後に留め置くのは己の威光のためで、上洛には興味がない。
義昭もそれを把握しています。
「その通りじゃ。毛利はこの西国一円が手に入ればそれでよしとしておる」
信長包囲網のため、諸国の大名へ向けて義昭が書状を送ることも、内心は迷惑している。
それでも義昭を置いておくのは、将軍の名前でした。
何事も大義名分が立ち、味方も増える。義昭は能役者のように将軍の役を演じてくれればそれでよい。こうして一匹の鯛を釣りながらいるのがよいのだと。
光秀はそんな義昭にこう言います。
「ならば……京へお戻りになりませぬか。信長様は私が説得いたします。今のままでは戦が終わりませぬ。公方様がお戻りになれば、諸国の武士は矛を収めましょう」
光秀の目的が見えてきます。
戦を終わらせることそのものであり、そのためならば信長という主君すら排除する考えが、うっすらと芽生えつつある……。
義昭は「どうであろう」とため息をつきます。
兄・足利義輝が三好一党のいる京へ戻ったが、京を美しく飾る人形でしかなかった。そして殺された。
刀を握ったまま斃れる壮絶な最期~足利義輝13代将軍の生涯30年まとめ
続きを見る
信長がいる京へ戻れない。ここで鯛を釣っている限り殺されることはないけれど。
「そなた一人の京であれば……考えもしよう」
ここまで語ったとき、義昭ではなく光秀の釣竿に鯛がかかります。
「おっ、そなたの方にかかったではないか! よう引け、逃げられる! もっと引け十兵衛! あっ、十兵衛、引けひけ! ははははっ、でかした十兵衛、十兵衛でかした!」
無邪気に笑い、鯛を釣り上げる二人。ここでどういうわけか、光秀の心が固まった顔になるのです。
周こそ理想の世――麒麟がいた世とされ
義昭と光秀の再会――この場面は、少しおかしなところがあります。
先ほど、義昭は仏教徒としての信仰心があると指摘しました。それなのに、鯛を釣るという殺生をしている。これはおかしい。
ただ、釣りに意味があるとすればどうでしょう。
滝藤賢一さんが仏徳のある顔をしているからなんとなく流しそうになるのですが、それだけではありません。
釣り人を「太公望」と呼ぶことがあります。
呂尚(りょしょう)のこと、と言うと「誰?」と思われるかもしれませんが、中国古典文学の『封神演義』を出せば何となく聞いたことがおありでしょうか。
姫昌(きしょう)が釣りをしている呂尚を得て「これぞ太公望(祖父の望んだ人)である」と喜んだ逸話が由来です。
のちに姫昌の子・姫発は、暴君である殷の紂王を討つべく挙兵し、革命を成し遂げます。
姫昌は周の文王。
姫発は武王。
この親子の革命を「殷周革命」とします。
周こそ理想の世――麒麟がいた世とされる。儒教の教えとは、まさにこの麒麟がいた周のような治世を実現するものとされるのです。
ここで繋がりました。
釣りをする人物が出てくることで、麒麟への導線が見えてきます。
この義昭は太公望にはなれない。彼は招きに応じないのですから。
けれどもその横で鯛を釣り上げたことで、光秀に何かが乗り移ったかのように思える。釣り上げたものは“望”だったのでは? それがふっと降りたような、長谷川博己さんのニュアンスのある演技がやはり美しい。
あなたが麒麟を呼ぶ者であったならば――そう訴えた煕子の声も聞こえてくるようです。
では周の文王なり武王はどこにいるのでしょうか?
※続きは【次のページへ】をclick!