『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』/amazonより引用

真田丸感想あらすじ

『真田丸』感想レビュー第50回(最終回)「◯◯」 そして船は次へ向かって港を発つ

 

倒れていく男たち

家康の命を受け、徳川勢は我先にと真田隊に襲いかかります。
馬上で幸村は声をからして「秀頼公はまだか」と叫びます。この状況でもなお、秀頼によって逆転する望みを捨ててはいません。

大坂城では、与左衛門こそが裏切り者と判明しました。治長に「今こそ出馬を!」と促された秀頼はいよいよ出馬しようとしますが、ここへ雑兵が逃げ出しているという知らせが入ります。それでも秀頼は出馬しようとしますが、次々と苦戦の報が届くのでした。

流れが変わったと城内の皆も悟ります。明石全登の援軍も徳川勢に遮られます。毛利勝永と明石全登はかなりの戦上手なのですが、もろもろの都合でその活躍があまり見られないのは残念なことではあります。

幸村は作兵衛が時間稼ぎをする間、単騎でどこかへと駆け出します。

秀頼は周囲を振り切りついに出馬しようとするも、その前に茶々が立ちふさがります。武士らしく死にたいと言う秀頼に、生きる望みはまだある、生き残る策がある、望みを捨てなかった者にのみ道は開けると茶々は諭します。
その茶々の望みである千姫は、きりに導かれ城を落ち延びてゆきます。

城内では、長く真田に付き従ってきた者たちが最期の時を迎えていました。老体でありながらも戦い抜き、昌幸の位牌を手に息絶えた高梨内記。すえと梅の名を呼びながら、自ら耕した畑の上に斃れた作兵衛。乱戦の中、彼は最期まで畝を踏みませんでした。彼らの生きた証を視聴者の胸に刻みながら、次々に退場していきます。

 

駆け抜ける幸村と家康の最終決戦

千姫を導くきりは、単騎駆け抜ける幸村の姿を目にします。
初登場時のきりは、真田の郷を歩く幸村の姿を丘の上からじっと眺めていました。そして今目の前にあるのは、きりがずっとあこがれてきた幸村の、生涯で最も輝いている姿です。きりにとって、この沈む夕日のように美しく、赤く輝く幸村を見られたのは、幸せなことだったのでしょう。

幸村の駆け抜けたその前にいたのは、家康でした。家康は、今度は逃げも隠れもせず幸村と対峙します。幸村は十文字槍に銃身を掛け、馬上筒で家康を狙います。
しかし、一発目の玉はそれます。幸村は銃を捨て、二丁目を構えます。
家康は銃口を向けられても、動きません。かばおうとする周囲の者に手を出すなといい、「殺したいなら殺すがよい」と家康は言い切ります。
「わしを殺したところで何も変わらん。徳川の世は既に盤石! 豊臣の天下には、戻らん! 戦で雌雄を決する世は終わった。おぬしのような、戦でしか己の生きた証を示せぬような手合いは、生きてゆくところなど、どこにもないわ!」
「そのようなことは百も承知! されど、私はお前を討ち果たさねばならぬのだ! 我が父のため、我が友のため、先に死んでいった愛する者のために!」

幸村の銃口は家康を狙い、引き金が引かれます。しかし弾はまたも当たりません。
これぞまさにこの一年の集約でしょう。

私はこのレビューで、家康と全く同じことを書いて来ました。家康の首を取ったところで何も変わらないじゃないか、戦うことで自己表現する幸村はエゴイストだと。戦をせねば生きてゆけない幸村や昌幸のような存在は、滅びてゆくものだと。
それを幸村はわかったうえで全否定です。
そんなことはどうでもいいんだ、私は好きに生き、生きた証を残したいのだ!

よくぞ言い切りました。
幸村は今の自分を父が見たらどう思うかと言いました。昌幸だったらば、信濃一国をくれると言われたのならば、案外あっさりと豊臣を裏切ったかもしれません。
幸村は昌幸から受け継いだ魂があるとはいえ、まったく同じではありません。景勝のような美しく生きたいという思いもあります。父がギャンブラーなら、子は芸術家でしょうか。父が己の才知を賭けのために使うのならば、子は才知を美しい生き様のために使う。そんな違いがあると思います。そこに違いはあっても、優劣はありません。

 

上杉景勝「さらばじゃ」

この幸村と家康の対話には本作のテーマがみっちりと詰まっています。
そしてこれは、人の形をした「中世」と「近世」の対話であり、対峙でもあります。そうなると先ほど逃げ回った家康が逃げない理由もわかります。
彼はここで死ぬ運命ではない、たとえそうなっても新しい時代は続くと悟りきったのでしょう。

こういう大胆な創作シーンは、よほど意味がない限りやらない方がよいと思われるものです。この場合は、作品の根幹にあるテーマに沿ったものであり、かつカタルシスを得るためにも必要でしょうから、よいと思います。
そこへ、実にいい笑顔の秀忠が助けにやって来ます。家康はまだ「中世」が残っていたとしても、秀忠にはありません。彼にとって頭にあるのは「近世」実現のための現実だけです。
ロマンは不要。笑顔で幸村を襲うのも当然のことです。

幸村は下馬してまで窮地の中を戦い、佐助の忍術で虎口を脱します。
その様子を、伊達政宗、片倉小十郎、上杉景勝、直江兼続が讃美の目で見ています。他の者たちが去ったあとも、景勝は幸村の生きた証を目に焼き付け、まるでもう一人の、理想の自分に別れを告げるように「さらばじゃ」とつぶやくのでした。

ここで場面が切り替わります。寧は大坂城の終焉を片桐且元から聞き「これもすべてまた夢」と漏らすのでした。

幸村と佐助は寺までたどり着き、そして力尽き、鎧を脱ぎ捨て休んでいました。追っ手が来ると幸村は軽く微笑み、膝を突いて降伏するかのような姿勢になります。相手が近づいてきたところで、隠し持った武器で頸動脈を刺し殺す幸村。昌幸の薫陶がここで生かされました(第三十八回)。

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不意打ちで人を殺す技術が、父子の継承として肯定的に描かれるのは本作らしい点です。

 

幸村「ここまでのようだ」

しかし「ここまでのようだ」と幸村はつぶやきます。介錯の刀を佐助に渡す幸村。佐助の年齢を聞くと、五十五だそうです。
「疲れただろう」
「全身が痛うございます」
「だろうな」
主従はこんな会話を交わします。劇的ではなく、日常の延長のような会話です。光の当たり方などは第二回の武田勝頼自刃に似せてきている場面ではありますが、勝頼のように劇的な台詞を吐くわけではありません。

堺雅人さんのやからかい雰囲気が最期の場面にまで生かされています。彼が幸村役で、本当によかったと思います

幸村は梅が渡した六文銭のお守り(第十三回)を掌に出し握りしめ、切腹のために短刀を抜きます。

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大坂城では燃えさかる天守閣を見ながら、茶々、秀頼、大野治長、大蔵卿局、大助らが最期の時を迎えていました。

千姫はきりに伴われ、家康本陣にたどり着きます。千姫は笑顔で祖父の家康と父の秀忠に迎えられ、安堵の表情を見せます。大坂方最後の希望が潰える瞬間を目にしたのは、きりであったでしょう。彼女の役目はここで終わりました。

勝永は何もかもが終わった戦場を、暗い目で眺め城へと撤退します。
真田信吉の陣にいる人々は、彼らの日常を取り戻します。書物に目を落とす信吉。武術を鍛錬する信政と三十郎。愛妻・松とおそろいの香り袋のにおいを嗅ぐ茂誠。

春と梅たちは、伊達勢に匿われて落ち延びます。
すえと十蔵はおにぎりを食べ、幸せな生活を送っています。
そうした彼らの場面のあと幸村は、目を閉じます。

場面は切り替わり、本多正信の領地玉縄に変わります。

尼寺で相部屋になった信之と正信は、江戸への帰路で立ち寄ったようです。領民たちは正信の姿を見ると「殿様!」と大喜びで近づいて、挨拶をしてきます。
信之が感心していると、正信は「戦と同じで人之心を読むことだ、無理をさせず、楽をさせず、年貢を取り、その上で領主たるものは決して贅沢をしてはならない」と統治の心得を信之に教えます。戦場では狡猾な策で敵を翻弄してきた男の、名君としての顔がうかがえる場面です。

そこへ早馬が参り、信之に火急の知らせがあると告げます。
正信は内容を察して「御免」と信之から離れます。信之は知らせを敢えて読みません。信之はこうが渡した六文銭のお守り(四十九回)を取り出し、握りしめ前を見つめるのでした。
「参るぞ」
河原綱家にそう告げ、信之は歩み出します。
長い彼の人生は、ここまででまだ前半生です。真田家の物語は、彼とその子孫の元、続いていきます。

 

MVP:幸村と家康

本作のテーマとなる二人の会話。あの会話に様々な、これまでの一年間の要素がぎっちりと込められていました。

それを演じきり、荒唐無稽に見えかねない場面に、説得力を持たせて見せたのは、この場面だけではなく今まで積み上げてきた様々な力の結集です。

今まで様々な名場面がありました。どれか一つをあげろと、とんでもない難しい欲求を突きつけられたらば、私は迷わずこの場面をあげます。
そういう場面を最終回に作り上げた本作に、敬意を表します。

MVP番外編:この船に乗った人、もちろんあなたも

こういうMVP選定は反則ではありますが。スタッフや出演者はもちろんのこと、見て、録画して、ブログで感想を書いて、感想を話し合って、ツイッターでつぶやいて、丸絵を描いて、観光地や展覧会に行って、そうやって本作という船に乗れた人全員がある意味功労者ではないかと思います。
船に人が乗ったからこそ、本作は盛り上がったのです。

逆MVP?:『花燃ゆ』に佐久間象山を出さなくてもいいや、と思った人

エンドロール後のナレーションで「佐久間象山が徳川幕府崩壊のきっかけとなった」と聞いて首をひねった方もいることでしょう。佐久間象山が吉田松陰の思想に影響を与え、その松陰の弟子たちが幕府を転覆した、と解釈すればやや強引ですがありかと思います。
昨年の『花燃ゆ』で佐久間象山と吉田松陰の関係をちゃんと描いていれば、わかりやすかったと思うんですけどね。

 

総評

本作の初回は「船出」でした。
では「帰港」したのかというと、そうではないと思います。真っ赤な帆を掲げた船は、大海原の向こう、水平線へと消え去ってゆきます。私たちはこの船から下りるかもしれません。しかし、船は進んでゆくのです。本作を見終えたあとでも終わった感じがない、終わったけれども進んでゆく、そんな思いがあります。

真田丸」とは、乱世に翻弄されながらも進んでゆく小舟と譬えられました。
最終回を迎えると、もう一艘の船があったことに気づかされます。
乱世を生き、その途中で斃れた人々。武田勝頼、北条氏政・氏直、石田三成、大谷吉継。
生き延びたけれども自分の思う通りに歩めなかった人々。真田昌幸、真田信尹、上杉景勝、伊達政宗。
そうした無念を載せて信繁は幸村となって駆け抜けました。

幸村の赤備えは、血の色であり、炎の色であり、情熱の色であり、沈みゆく日の色でした。徳川家康は乱世を終わらせ、「偃武」の世を作り上げました。武器をおさめ手に取らなくする世をもたらしたのです。まさに終わりゆく時代の、沈みゆく最後の輝きだからこそ、幸村は赤く染まっていたのです。

幸村は真っ赤に染まった「落日」の輝きとともに人生を終えました。
しかし、その「旅路」は終わりません。
真田の物語はこれからも続いてゆきます。四百年間、彼の生き様に、大きな力に抗ったその輝きに魅力を感じた人々は、彼の物語を紡ぎ続けていました。本作もその系譜に当たります。

本作が何より素晴らしいことは、この幸村というバトンを次世代につないだことでしょう。本作に夢中になって自由研究を仕上げ、家族とともに真田ゆかりの地をめぐった子供たちは、将来自分なりの「真田」幸村の物語をつむごうとすることでしょう。
「真田丸」という船は消えてゆき、私たちの目の前から見えなくなります。しかし何年かのち、誰かがまた真田幸村と四百年分の人々の思いが乗せた船を出航させるのです。

本作に欠点がなかったと言うつもりはありません。完璧だったとも言いません。
しかし多くの人々が余韻に浸っている今、それを言うのは無粋というものでしょう。今はまるで海に赤い夕日が沈むのを眺めながら潮風を浴びているような気分です。愛と勇気の真っ赤な帆を掲げた船が視界から消えてゆく、その瞬間を噛みしめこのレビューの終わりとしたいと思います。

一年間、ありがとうございました。

 

最終回のタイトルは?

総評参照のこと。徳川家康から見たらば「偃武」、主人公から見たらば「真田」、あるいは「旅路」。

著:武者震之助
絵:霜月けい

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【参考】
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