青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第19回 感想あらすじレビュー「勘定組頭 渋沢篤太夫」

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青天を衝け第19回感想あらすじレビュー
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劉禅と慶喜は、人の気持ちがわからない

大事なことは指摘されました。

慶喜が将軍になりたくないということ。

もう負けるからやりたくないと本人が言ったところで、それで幕臣が納得したはずがない。ゆえに、慶喜の人間性って評価されないんですね。

◆ 徳川慶喜 30代半ばから囲碁将棋・車など趣味に没頭、せっせと子作りも(→link

見出しの時点で酷いのですが、中身はもっと酷い。

慶喜は「家康の再来」とされます。

しかし幕臣となると「あれを三河武士と一緒にするなよ!」と舌打ちしたものが多い。

私が思い出す人物は、蜀後主・劉禅です。蜀は建国時点で無理があったから、滅びたことそのものは仕方ない。

問題は態度です。

蜀滅亡後、宴会で蜀の音楽が流れ、旧臣たちは涙をこらえきれませんでした。が、劉禅はニコニコスマイルだ。

「蜀のこと、思い出しません?」

「いいえ。今が楽しいからそんなことないですよ」

そう劉禅は悪びれずに返す。人間ってここまで無感情になれるものなのか。そう周囲は呆れた。

劉禅にせよもっと追悼でも反省でもすれば、暗愚とされないでしょう。

慶喜だって、松平容保くらい身をひそめて生きていれば、評価はちがっていたでしょうに。

 

「余った武器は日本へ」というグラバーと五代友厚

五代様、きゃーっ!

そんな悲鳴、もといツイートがバズりそうな展開ですが、立ち止まって考えてみましょう。

五代友厚という人物を褒めて良いのかどうか?

十年前ならば「あれだけ先見性があり聡明な人物でありながら【開拓使事件】の印象しかないせいかイメージが悪い。過小評価ではないか」となったとは思います。

それを2015年『あさが来た』が変え、映画『天外者』が出てきた。

今までどうして評価されなかったかというと、難しい問題があります。

グラバーと手を組んだ「死の商人」であること。

南北戦争でだぶついた武器をどうするか? グラバーの思惑はそこにあった。

攘夷を狙うテロリストがウロウロしている日本ならば、植民地にするよりも金づる同盟国にした方がお得。グラバーはアンチ徳川だと胸を張り、せっせと武器を売りつけます。

『八重の桜』初回冒頭は南北戦争でした。あのあと余った武器を日本に売りつけたい人々がいた。そう示す秀逸な場面です。

そこには、日本人を殺して金儲けをする。そういう嫌な構造がどうしたってあります。

『麒麟がくる』の今井宗久を思い出してください。

今井宗久
信長に重宝された堺の大商人・今井宗久~秀吉時代も茶頭として活躍す

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彼も「死の商人」でした。茶人としての顔よりも、武器を売りつけて儲ける狡猾さが持ち味でした。

ゆえにそうそう単純に好意的な描写をされない人物像でした。池端先生はそういうところは見逃さない良心と誠意があった。

しかし本作は違う。

「そんなことどーでもいいじゃん♪ ディーン様が見られればいいでしょ!」

そんな思い切りの良さを感じます。

なんせ『あさが来た』の成功体験がある。あの朝ドラ最大の成功とは、政治的な要素を受信料で作り放映し、明治礼賛路線といううさんくさい流れにまんまと乗っかったこと。

しかも人気の名作であり、気づかない層が圧倒的に多い。

あのドラマで【開拓使事件】を放映したあと、SNSを見ていて血の気が引きました。

「そっか、五代様は冤罪なんだね! これが史実なんだ。マスゴミの捏造のせいで政治家が陥れられるのって、昔も今も変わらないね」

いやいやいや……なぜ朝ドラで歴史を学べると思ってしまうのか?

もう一度「死の商人」がなぜ悪いのか考えてみます。

武器を扱う、軍事に関わることとなると、不正の温床となる構図がある。国のためと言われれば追及の手が緩むし、軍事費とは高く釣り上がるもの。

こと明治政府の場合、薩長が海軍と陸軍を牛耳っていたものだから、それこそホイホイと黒い金を儲ける構図を作れた。

武器売買をした幕末明治の薩摩政商。この時点で五代友厚は真っ黒です。

ゆえにそうすんなりと礼賛されませんでしたが、それを『あさが来た』は変えてしまいました。

そしてそんな五代様を演じるディーン・フジオカさんは福島県出身です。そのせいか、薩摩ことばが、もうちょっとこう……。

◆ ディーン 「不思議な縁うれしい」五代役「青天を衝け」で「あさが来た」に続き再演(→link

ワイルドかどうかよりも、ご自身の先祖の血を吸ったかもしれない。

そんな武器を扱う五代を当り役とする意味をお聞きしたい。そう思うところです。

 

徳川家茂評価の是非

なんなのでしょうか。史実では前述の通り、慶喜の二心ぶりに嫌気がさしてストレスをためていたのですが。そこをぼかすように、和宮との愛をやたらと入れられるわ、慶喜にコンプレックスがあるようにされるわ。

そしてこうだ。

◆ 磯村勇斗「青天を衝け」徳川家茂役 「どんな身分の人にも寄り添える将軍できたら」(→link

磯村は「ものすごく心の豊かな人で気遣いができる。どんな身分の人にも寄り添える、そんな将軍ができたらいいなと思って演じた」と、役作りのポイントを説明する。

あまり若い役者さんにダメ出しをしたくはない。むしろ製作チームの怠慢を責めるつもりで指摘させていただきますと……。

大樹たる将軍であるからには、さまざまな身分の人に寄り添えるのではなく、家臣領民をどう治め、導くか。そこを考えねばなりません。

そうなれば現代人の感覚からすれば冷酷なことも出てきますが、そこまで考えてこそが歴史を学ぶことであり、役作りになりましょう。

昨年の『麒麟がくる』では、織田信忠役の井上瑞稀さんが「そんな声では誰もついてこない」と指導されたと明かしていました。

そういう指導がなぜ今年はできないのでしょうか?

◆麒麟がくる:監督から「そんなんじゃ、誰もついてこないよ」 織田信忠役・井上瑞稀、“総大将”振り返る(→link

「テストのときに監督から『そんなんじゃ、誰もついてこないよ』と言われて、逆にリラックスできました。声の張り方や動作など、自分がやるべきことがはっきり理解できたので。総大将として自分がみんなを引っ張っていく! それからは楽しく撮影できました」

◆ 幕府のかじ取りに苦悩しつつ、いちずに妻を愛する若き将軍役「和宮様は家茂にとって大きな存在です」磯村勇斗(徳川家茂)【「青天を衝け」インタビュー】(→link

そしてなぜ本作はやたらとラブばかり強調するのでしょうか。それだけが本質でもないでしょうに。

本作は家茂を貶めているとしか思えません。

 

小栗忠順評価の是非

小栗忠順はかなり不幸な扱われ方をしています。

史実もそうですが、実は大河にも関係のある話でして。

小栗忠順は非業の死もあってか、顕彰運動がありました。

ぜひとも大河に! そんな動きもありましたが、大河の題材としては足りぬものがあるとして正月時代劇に登用されたとされているのです。

それが2003年『またも辞めたか亭主殿〜幕末の名奉行・小栗上野介〜』です。

似たような例は上杉鷹山でもあります(1998年『上杉鷹山-二百年前の行政改革-』)。

このドラマの原作は『罪なくして斬らる 小栗上野介』。

小栗とは悲運の人物なのです。

あまりに理不尽な死ゆえに、むしろ隠されてきました。それを地元の人々が熱心に語り継いできた。

そんな小栗ですが、大河がひどいことをする。

まずは2015年『花燃ゆ』。真田幸村四百忌に、どういうわけか吉田松陰の一番影が薄い妹が大河になりました。

このドラマの後半部は、小栗大河を推してきた群馬を舞台にしております。幕末で群馬舞台の可能性を潰しました。

そして2021年――。

◆青天を衝け:武田真治“小栗忠順”登場にSNS沸く 「筋肉で解決しそうな勘定奉行」「完膚なきまで筋肉体操」(→link

なまじ悲運の人物で、業績が知られていないからこそ、演者だけでイメージする視聴者が出てくる。

「筋肉で解決しそうw」と小栗本人を侮辱しているとしか思えないコメントが並んでしまう。

極めて不幸な現象です……。

それに、小栗のコンパニー話に具体性がないので、広告で出てくる「絶対に儲かる優良株」を語る謎のビジネスパーソンのようで、もはや何が何やら。

 

「殺身成仁」の欠落

『論語』を推しているにも関わらず、本作の栄一には「殺身成仁」がありません。

『麒麟がくる』の明智光秀の行動原理にはあてはまる。

史実はさておき、劇中の光秀は己の身が危ういことくらいわかった上での本能寺のように思えました。

どうして『青天を衝け』はちがうのか?

『論語』をそもそも理解しているのでしょうか?

『鬼滅の刃』は大正時代が舞台であり、まさにこの「殺身成仁」を思考回路に持つ人物が出てきます。

俺は鬼舞辻無惨を倒したいと思っているけれど

鬼になった妹を助けたいと思っているけれど

志半ばで死ぬかもしれない

でも必ず誰かがやり遂げてくれると信じてる

こういう思考です。

我が身に毒を仕込んででも上弦の弐・童磨を倒したしのぶもそう。

栄一にはそれがないと思える。むしろ慶喜って、上弦の弐・童磨のような思考ルーティーンじゃないかと思えます。

なぜ、大河ドラマより『鬼滅の刃』の方が思考的に上なのでしょうか?

私は毎週のように疑問を感じています。

確かに我が身を犠牲にしてでも仁を為すことは、悪いことのようには思えます。『鬼滅の刃』もその点で批判を受けてはいる。

ただ、考えなくてはならないこともある。

日本人がどうして自己犠牲を忌避するようになったか?

それは第二次世界大戦の苦い記憶があってのこと。水戸学由来の、それこそ身を犠牲にすることは、日本人の美徳として刷り込まれてきた。ゆえにああも無惨なことになった。だから否定しよう。命は大事だ!

それはそれでよいことではある。

ただし、状況次第です。このコロナ禍でのことを考えてください。

我が身可愛さに秘書を通してワクチンを確保しようとした、どこぞの金持ちがいましたよね。

そういう身勝手極まりない我が身かわいさが正当化されかねない「命を大事にする」ロジックならば有害なのです。本作の栄一の描き方には、そういう姑息さがつきまといます。

現代人ならばまだしも、幕末を生きてきて栄一のように我が身可愛さばかり言っているとしたら、ただの偽善者です。

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