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【青天を衝け第19回感想あらすじレビュー】
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総評
まずいことになりました。
天狗党がらみで底が抜けた感があるのですが、歴史観がどんどん後退していって、今週も有害になっているおそれがあります。
何が有害なのか?
最も重大な点をピックアップしますと……。
藩札は、早い藩では17世紀にできています。
栄一が言う通り、硬貨は重い。小判をおおっぴらに持ち歩いているのは芝居やテレビ時代劇のみ。演出の都合です。印刷技術が発展して世の中が平和になれば、多くの国で紙幣が発行されています。
それなのに本作では、まるで幕末に渋沢栄一が発明したような描き方。
今回の放送で栄一が披露した商売話は、だいたいどこの藩でも江戸中期にはあったようなアイデアです。
知性とイノベーションを過小評価された過去の人々が気の毒でなりません。
いま我々の身近にあり、日本人を形成しているかのような、味噌、醤油、酒、布製品、工芸品などは、藩政改革の途上でできあがったものが多い。
『八重の桜』で女性が身につけていた会津木綿はその代表例で、米沢藩のお鷹ぽっぽもそうですね。
そのあたりは現代書館「シリーズ藩物語(→link / →amazon)」がお勧めです。
もうひとつ!
あらすじでも突っ込みましたが、因果関係を逆転させている描写も多い。
徳川家茂は慶喜を褒め称えるどころか、その変心ぶりに疲れ果てていた。
慶喜が「勅許がないのはおかしい」と言い出したことは、倒幕の引き金となっていて褒められたことではない。松前と阿部がむしろ正しい。
要は孝明天皇を利用しようとして墓穴を掘ったのが慶喜ですが、何がなんでもそのオウンゴールを誤魔化そうとしているのでしょう。
見ている側としては、脳内修正が必要になり、ヘディングのやりすぎて脳がフラつくような気分を毎週味合わされています。
なぜこんなに調べて、まとめて、修正せねばならないのか?
これも全ては大河の未来を思えばのこと。微力ではあるけれども、毒を弱めて、弊害を修正して、なんとかしたいと感じるが故のことです。
私は徹頭徹尾この大河を叩いていると言われたりします。
もちろん理由があります。
慶喜と栄一以外、いや、この二人までも貶めるような描写。場合によっては史実と真逆になるのですから、それは正さねばならない。見解の相違以前の問題です。
『貞観政要』を読んで「魏徴(ぎちょう)って感じわるぅ! アンチかよw」とはならないでしょう。ま、私は魏徴ほどの知恵ものではありませんけれども。
本作をベースに歴史トークを展開すると、いろいろ大変なことになりかねません。
武士は金を軽んじたというのは事実でしょうか
家康が言い切ってしまった。武士は金を軽んじたと。
確かにそういう逸話はありますよね。直江兼続が伊達政宗の小判を汚いもの扱いをした話とか。あれは上杉と伊達の因縁もある気がしますが。
しかし、思い出してください。
『麒麟がくる』ではかなり財政の話が出てきました。尾張は海があって交易ができるから強いと丁寧に描かれていた。
物資の流通は兵法の基本でもあるので、斎藤道三はじめ、みなそこは考えていたものです。
斎藤道三は如何にして成り上がったか? マムシと呼ばれた戦国大名63年の生涯
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江戸幕藩体制は、家康の説明のように財政を無視していたわけでもない。
人口増や飢饉によって、社会が変動する。そのせいで徐々にシステムを刷新しないと財政がもたなくなってゆく。ゆえに、どこの藩でも改革に取り組んできました。
それを担当する知恵者家老、認める殿様は尊敬を集める存在ですからね。
わかりやすい例で言えば、上杉鷹山なんて大絶賛の対象ではありませんか。
17才の上杉鷹山が始めた借金返済計画が凄まじい~巨額の赤字をどう立て直した?
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むろん幕末にだって、財政目線はちゃんとありました。
植民地にするよりも貿易目的だと幕閣は理解して、日本の技術を換金する発想を持ち出していた。
薩摩藩の集成館事業なども好例ですね。
薩摩切子で芋焼酎を楽しめるのは斉彬が遺した集成館事業のお陰です
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それを徳川斉昭が朝廷を巻き込み「異人と貿易するなどけしからん!」と暴れるから無茶苦茶になってしまった。
あそこで斉昭が政治を引っ掻き回さず、幕僚の方針通りだったら、そもそもピンチに陥っていなかったでしょう。
なぜ武士は商業を軽んじたとされるのか?
それでも武士が「商業を軽んじたんでしょ?」というイメージはありますよね。
彼らが質素倹約を好んだことは確か。ただし、これも明治維新に根源を求めましょう。
◆薩摩にせよ、長州にせよ。財政改革官僚が叩かれた
→ほとんど八つ当たりのような話なのですが、たとえば薩摩の調所広郷、長州の俗論派・坪井九右衛門等がいます
財政を立て直したのに一家離散!調所広郷が幕末薩摩で味わった仕打ち
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長州藩の中にもいた負け組「俗論派」とは?歴史に埋もれた陰の敗者
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◆志士は若い。斉昭が流布した水戸学尊王攘夷にかぶれ、商業よりテロリズムがスコアゲーム感覚になった
→今日も成一郎が、長七郎に暗殺をやらせておけばよかったと言いました。金を数えるよりも、攘夷テロ犠牲者数カウントの方が得点を稼げたのです。
幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや
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◆戊辰戦争で血を流さないと、評価されないシステム
→五代友厚が政府中枢に入れなかったのも、このせいだとされるほど。戦争と経済を分けて考えられなかったのでしょうか。
◆志士の倒幕資金はだいたい違法の産物
→天狗党がその悪事を極めましたが、スポンサーにたかる等、だいたいろくでもなかったことは確か。
幕末維新に登場する“志士”は憂国の士なのか それとも危険なテロリストか
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◆幕閣や薩長閥以外の優秀な商業センスの持ち主は、死ぬかパージされた……
小栗忠順は処刑され、由利公正は理不尽な失脚に追い込まれるなど、排除されています。結果、岩倉使節団が海外で稚拙な詐欺にあう等、明治初期の財政は無茶苦茶でした。
まとめますと……。
明治維新を成し遂げた人々は、若くてイケイケドンドン、血の気が多い。
金勘定なんざやってられっか!
そういう気持ちがあった。そのことが武士と商業関係を更新した可能性はあります。
「お、俺らやっぱ武士じゃん! 金勘定は疎いのよ!」
そういう言い訳を信じてしまったと。
「士族の商法」もありました。
藩のトップレベルの人材ならばともかく、そうでもない武士が俸禄を失って商業を始めても、失敗してしまう。
それを見ていた人々は「やっぱり武士は商売できないよね」となってもおかしくはありません。
そういう明治以降のイメージゆえに、武士は商業感覚がないとされるのでしょう。
長州征討の敗因を『孫子』の五事で分析
長州征討で幕府が苦戦。
本作ではその要因が武器性能あたりに集約されてしまいましたが、そんな単純なものでもないでしょう。
幕府が負けた理由は『孫子』に当てはめるとわかりやすい。
道:大義。孝明天皇の意志。
天:時機。開港要求というタイミングが重なり、この時点でよろしくない。
地:土地。防衛側、すなわち長州が勝る。
将:人。リーダー。家茂はストレスが溜まりきっている。かつ慶喜が腑抜けだからどうしようもない。
法:規律。薩摩藩が破っているにもかかわらず、それを罰することすらできない。
ざっとみて孝明天皇の意志くらいしかプラス要素はありません。
それでも幕臣たちは「if」を考えてきました。
薩摩の裏切りを察知できていたならば。
フランスからの支援を取り付けていたならば。
いっそ外国勢力と手を結び、長州を潰しておいたならば。
慶喜の腰砕けも、当然ながら批判対象に入ります。
孝明天皇の意志があって、日頃あれだけ尊王を掲げていたのならば、これぞ道だと潰せたかもしれない……というのが、福沢諭吉が歯軋りしながら語った意見の論拠でしょう。
どのみち「慶喜はがんばったけど!」という言い分は150年前に幕臣たちが「はぁ?」と否定しています。
そもそも将にやる気がない
こんな記事がありました。
そうした事態にならず、戊辰戦争は短期で終結し、日本は近代化の道を走り始めることができた。そう考えると、近代日本の運命を決めた「明治維新の最大の功労者」は慶喜なのである。
どうしましょう……タイトルの時点で眉間に皺が寄る。
慶喜がいかに未練も愛着もなかろうと、幕府の元に仕えていた人々がそうではないでしょう。彼らの血と涙を放り投げても平然としているとすれば、慶喜はやはり、人の心を踏み躙っているとしか言いようがない。
それをとりつくろった慶喜と渋沢栄一周辺の意見だけをとらえられても、ちょっと理解できません。
もしも慶喜の決断で内戦を回避できたのであれば、この言い分はそうだと思います。
しかし、戊辰戦争という東西を分けた内戦は発生し、医療体制や教育機関の西高東低といった弊害は残りました。
水戸学由来のアジア侵略構想も残った。
結局のところ、慶喜と渋沢栄一というバディを持ち上げるとなれば、以下の条件をクリアしなければ成立しません。
この記事では慶喜のおかげで内戦回避や外国の介入を防げたとありますが、それは正確ではないのです。
幕末は英仏代理戦争の側面があるとは指摘してきました。
西軍はイギリス、東軍はフランス。両国につけこまれて代理戦争状態であったし、その悪影響は明治以降続きます。
幕政では日本領として守り抜く努力をしていた樺太と北方領土。樺太についてはロシアに引き渡せとイギリスのパークスが口を挟んできました。
そして樺太はロシア領となる。
樺太は【日露戦争】で南が日本のものとなり、第二次世界大戦でロシアのもとへ戻ります。
この日本とロシアのあいだで、樺太原住民が最大の試練を受けた。国境が変わるたびに移住を強制され、その過酷な状況で多数の死者が出た。コタン(村落)ごと全滅した例もある。
『ゴールデンカムイ』にせよ、『熱源』にせよ。舞台が樺太であることは、そうした日本政府のあやまちを直視する流れがやっとめぐってきたことだと私には思えます。
もう一点、クリアすべき点を付け加えます。
それは樺太、北方領土、そしてそこに暮らした先住民のこと。そこを無視して強引に褒めるなんてことは、私にはどうしたってできません。
ロシアから圧迫され続けた樺太の歴史 いつから日本じゃなくなった?
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