もう幕府は持たねえ。それなのに幕臣になっちまった!
ドツボに陥った渋沢栄一はふてくされております。
そこへ原市之進からのお呼び出し。将軍になってしまった慶喜に対し、まだ何か言いたげな栄一ですが……。
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フランスで博覧会
市之進はフランスでの博覧会の話を始めました。
東西の物産を持ち寄り、品評するというもので、各国がそれぞれの自慢の品を用意します。
異国にも物産会(ぶっさんえ)があると飲み込む栄一。それはご英断と褒め、「夷狄(※差別的な言葉・まだ攘夷が残っている?)に見せつけろ」と言い出します。
史実でもその通りですね。幕府は準備を整えていた。わかりやすい例で言えば薩摩藩の「集成館事業」ですね。
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こうした開明的な動きに対して「夷狄と貿易なんてフザけるな!」と潰したのが徳川斉昭で、その思想に賛同していたのが渋沢栄一ら水戸学の徒です。
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原はこの博覧会には王族も参加すると告げます。
しかし王族参加となると、到底、帝は無理だし、慶喜だって忙しい。
そこで民部公子(徳川昭武)に白羽の矢が立ちました。
慶喜の父である斉昭は正室のみで側室なしとされていますが、それを信じるわけにもいかない。
民部公子は慶喜の異母弟。会津松平家に養子になるはずが、清水家に入りました。ちなみに、松平容保の養子となる喜徳も慶喜の異母弟です。
彼はその後もパリにとどまり、留学をするとのこと。水戸からお付きが30人ほど向かうはずが、数は削減したうえに、水戸藩士は危険なので栄一に回ってきたと市之進が語ります。
確かに幕末京都でも危険視され、新選組すら素早く粛清した水戸藩士はよろしくありませんね。
成一郎は尾高のもとへ
この人事は慶喜直々の着想だそうで、距離ができたと泣いていた栄一はすっかり舞い上がっております。
栄一は人間関係を大事にするんですね。
パリを含むヨーロッパ行きに前のめりで、欧州派遣団一行の会計役となりました。
感激する栄一。数年前、道に詰まり(※テロ未遂で行き詰まった)、開いたのは平岡円四郎だった。
今度は殿!
そう喜んでいます。また胸がぐるぐるしておかしくてたまらないそうで、市之進は困っています。なんでもぐるぐるですよね。
史実の渋沢栄一は、もっと語彙力のある懐古をしていますので、気になる方は伝記でもどうぞ。
このあと栄一は永井尚志と打ち合わせをしています。
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なんでも「見立て養子」をもらうとか。
海外で万が一があったときのため、跡継ぎを決めておくというものですね。
そのころ渋沢成一郎は幕臣として上様を支える気持ちを語っていました。
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相手は尾高惇忠と平九郎。
成一郎に対して惇忠は励ましの言葉をかけ、成一郎も喜んでいます。
しまいには二人に対し、慶喜に仕えないか?と誘っています。
出発間際には、成一郎の妻と、栄一の妻・千代もやってきました。
名残惜しいが行かねばならぬ。足りねえものは妻と子だけだと語る成一郎に、千代は栄一のことを聞きます。
「世を拗ねておる」
そう聞かされる千代でした。
天皇の崩御
慶応2年12月――徳川慶喜は第十五代将軍となりました。
慶喜に期待していた孝明天皇は?
体調が優れぬまま神事のために踏ん張り、四時間以上の御神楽に参列。
これが原因で倒れたような描写の後、後の明治天皇も出てきて「種痘を受けている」と語ります。
そう言えば孝明天皇の顔にポツポツと斑点が浮かんでいる。
天然痘で死んだようにも受け取れますが、孝明天皇の崩御については謎が多く、あまりこの描写を鵜呑みにするのもどうかと思います。
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ともかく慶喜はピンチ。
入れ替えに岩倉具視が出てくる。
「病は治るというてたやないか!」
そして孝明天皇を褒めるのですが……「わしがお側におったら!」というセリフも含め、突然過ぎて意味がよくわからなかった……。
なぜ、彼が近くにいたら状況がよくなるというのか。
王政復古宣言も大声でしております。
「人の一生は重き荷を置いて、遠き道を行くが如し」
栄一と慶喜。
なんと慶喜はフランスの軍服を着用。ナポレオン三世から贈られたとかで、フランス陸軍の武具一式を提供されているのです。
似合わないのがわかっているのに着ているとは、視聴者サービスでしょう。このショットだけで話題になりそうですね。
慶喜は昭武に、各国大使と出会うこと、留学の心得をテキパキと説明します。日本で何があってもみだりに動くなと言います。円満につとめよとのこと。
そんな弟を下がらせ、ここから二人のトーク開始です。
本音を打ち明ける慶喜。将軍になって嫌なようですが、その座もお似合いだと栄一は答える。
周囲は父(徳川斉昭)の念願が叶ったことを喜ぶけれど、こんな重き荷を背負ってもどうにもならない、だからこそ、海外外遊して広い視野を持った人に跡を継いで欲しいと慶喜が語ります。
そしてフランスまで行けば異国嫌いも治るだろうとも告げる。やすやすと潰されるわけにもいかないと語るのです。
「人の一生は重き荷を置いて、遠き道を行くが如し」
栄一は、徳川家康の遺訓を持ち出します。
そして二人で交互に口に出していきます。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久のもとい。
怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば害その身に至る。
己を責めて、人を責むるな。及ばざるは、過ぎたるよりまされり。
人の一生は摩訶不思議と語り合う二人。お互いそう言い終えたところで笑いあうのでした。
いや、それはそれとして幕末の情勢はどうなってます?
栄一の欧州行きについて、もっと具体的な指示は?
原と永井任せですかね……。
ともかくエール交換は終わりなようで、栄一は横浜へ向かいました。
長七郎のいる牢獄で成一郎と再会
場面変わって、民部公子(徳川昭武)プリンスタイムの始まり。
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御一行のみなさんが挨拶しています。
レオン・ロッシュも見えます。握手をするロッシュにびっくりする栄一。イケメンの杉浦愛蔵も出てきました。
同時に薩摩の企みも語られ……何を話しているのかわからなくなりそうです。
栄一は小栗忠順(ただまさ)に呼び出され、会計係の仕事について一通り説明を受けます。
と、そこで突然、小栗が「攘夷テロ計画」の尋問をしてきました。
口ごもりながらも栄一はまじまじと答えようとしますが、実は小栗の冗談でした。ここであのネジが出てきます。
小栗といえばネジの話が有名。二人は国の役に立ちたい、という話に盛り上がります。
栄一は千代に手紙を送ります。
そのあと成一郎にも再会しようと江戸へ急ぎ、屋敷ではあと一歩のところですれ違うのですが……。
今度は、尾高長七郎のいる牢獄へ向かったところで、なんと成一郎と再会!
フランスに行くと知り成一郎は驚きます。栄一は賢い設定の割に説明が雑なので、さっぱり何が何やらわからないようです。
楽しそうだからか?と問われると、日本のためだと返す栄一。
その前に会いたかったといわれ、成一郎はぐっときています。
そして顔を見ていない収監中の長七郎にも会いたいと言うのでした。
「北武蔵の天狗」と呼ばれた剣士・尾高長七郎は渋沢栄一の従兄弟で義兄だった
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