1月18日(日)に放映された大河ドラマ『豊臣兄弟』第3回で、いささか驚きの過去が明かされました。
秀吉と秀長の父親は弥右衛門だった――というのは諸説を踏まえたもので、特に驚きではありません。
問題は死に至るまでの経緯です。
二人の父である弥右衛門は
「織田家の城戸小左衛門(きど こざえもん)に敵将の首を横取りされ、失意のうちに死んでいった」
というではありませんか。
そのため秀吉が仇討ちを狙っているそうで、いったい城戸小左衛門とは何者なのか?
『豊臣兄弟』第3回放送のレビューと共に見て参りましょう。
👨👦 『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
直は寧々の侍女となる
尾張の中村を出て、清須は浅野長勝邸へ出向いた秀吉・秀長・直の三人。
浅野家では、娘の寧々がまたもや侍女に逃げられたらしく、直が働くこととなります。
しかし、大丈夫でしょうか。
先週に引き続き、今週も「侍女に逃げられた」という話をプッシュされる寧々さんは、もしかしたら『とんでもないハラスメント姫なのでは?』とも思えてきまして。
「この、ハゲェ~!」とか怒鳴られたりしませんかね。

秀吉の妻・ねね(寧々 北政所 高台院)/wikipediaより引用
そもそも、直にしたって、裕福な名主の娘です。次々に人が辞めてしまう、厄介な仕事などできるの?
すると秀吉が「野盗に襲われ直は実家を喪い……」とスラスラ嘘を並べ、秀長も直も続きます。
なぜ、そんなしょーもない嘘をつくんですかね。確実に雇われるためなのでしょうけど、そんなウソを付かずとも、この浅野長勝なら雇ってくれそうじゃないですか。
斎藤道三はかつて言いました。
「ワシはケチじゃが嘘はつかない。ウソはいかん。十兵衛(明智光秀)は正直なところがよい」
史実ではなく『麒麟がくる』のセリフなんですけどね。
本木雅弘さんが演じた斎藤道三はクセのある性格で、しかもドケチで周囲は敵だらけでしたが、嘘はつかず、心の内には「大きな国を作り民を幸せにする」という理想を抱いて美濃を治めていました。
それが明智光秀へ受け継がれ、信長と共に国作りを進めながら、最終的には本能寺へ向かうわけで……。
道三も、長谷川博己さんが演じた十兵衛も、凛として、苦渋に満ちて、生き様がカッコよかった。
本作の豊臣兄弟はどうか?
まぁ、今はまだ足軽になったばかりの若者ですから、今後、一本筋の通った人物に成長していくことを期待しましょう。
なお、清須城から中村(現在の中村公園)までは、直線で2~3km程の距離です。以下の地図通り、徒歩で30分ほどでしょうか。
直は、今回が初めての城下町という様子でしたが、過去に来たこともおありでは?
「駆け落ち」と彼女も認めているほどでしたので、今後、父親の坂井喜左衛門が清須へ捜しに来ることも考えられましょう。
前々回の放送では、娘(直)と親しくしただけで、坂井の配下にボコボコにされていた秀長ですから、次があったら相当マズイ。
もしも坂井から織田家に訴えられたら、名主層だけに信長も無碍に扱うことはできず、アッサリ引き渡しされてしまう可能性も考えられそうです。
と、長くなりましたが、そろそろ第3回の注目へと参りましょう。
城戸小左衛門です。
兄弟の仇敵・城戸小左衛門は実在する?
秀吉が秀長に語ります。
我らは、父・弥右衛門の仇討ちをせねばならぬ。
その相手は城戸小左衛門だ。
城戸小左衛門は、父の弥右衛門が戦で討ち取った敵将の首を横取りして出世した人物であり、父はその戦で傷を負い亡くなった――。
城戸小左衛門は現在、織田家で槍の稽古をつけています。
稽古の最中に倒れた相手を槍で叩きつけ、時には蹴り上げるような暴力的な人物であり、秀吉と秀長の二人も稽古のたびにぶっ飛ばされていました。
皆さんご存知のように、第2回放送から登場していましたね。

絵・小久ヒロ
果たして、こんな武士は史実に存在したのか?
というと、これが実在は、しております。
織田信長の軌跡を記した『信長公記』の首巻に描かれているのですね。
六人衆の一人
当時の織田家には、弓に優れた「弓三張」と槍の得意な「槍三本」がいて、「六人衆」として信長の側に仕えていました。
弓三張……浅野長勝・太田牛一・堀田孫七
槍三本……堀田左内・伊東清蔵(長久)・城戸小左衛門
まずは弓三張から簡単に見ておきましょう。

絵・小久ヒロ
浅野長勝とは、先に登場した寧々の父ですね。
太田牛一は他ならぬ『信長公記』の著者で、堀田孫七は後に秀吉の鷹匠頭を務めた堀田一継(かずつぐ)の父と目されています。
次に槍三本です。
堀田左内は、後の安土城建設で、小川祐忠や青山助一と共に瓦奉行に就任したことで知られ。
伊東清蔵(長久)は赤母衣衆(親衛隊のエリート)に選ばれる程の武将で、浅井長政を滅ぼした「小谷城の戦い」では、刀と脇差しを紛失しながら敵三名を討ったエピソードで知られます。
そして最注目の城戸小左衛門です。
一体どんな人物なのか?というと、残念ながら「槍三本の一人」という他に記録が見当たりません。
いかにも暴力エピソードが残されていそうな方ですが、今回の描写は、完全に創作なのでしょう。
逆に、めぼしい記録が他に無いからこそ、「兄弟の仇」という損な役回りを課せられたのかもしれません。
いずれにせよ城戸小左衛門は「槍三本」に選ばれる程の腕前ですから、特に武芸で知られたわけではない豊臣兄弟では太刀打ちできなくて当然でしょう。
だからこそ秀吉は、戦のドサクサに紛れて「討ち取ってやろう!」と考えたようですが、それはあまりに姑息というか、情けないというか……。
確かに、リアルな状況なのかもしれません。
しかし、今は貧乏で非力でも、大河の主人公である以上、胸の奥底には高潔な魂も持っていて欲しいものです。
兄弟よ、何か別の方法でリベンジしてくれ~い!
今川義元の出陣
永禄三年(1560年)5月、ついに今川義元が動き始めました。
総勢25,000もの大軍で駿河~遠江~三河から尾張方面へと進み、迎え撃つ織田家の清須城では軍議が開かれています。
佐久間信盛、林秀貞、柴田勝家、佐久間盛重、丹羽長秀、森可成など。
籠城か?出陣か?
慌てふためく重臣たちに対し、信長は笑いながら「何もせぬ!」と答える。
そして夜になるとお市に酒を注がせているのですが……こうなるともう正室の帰蝶(濃姫)に出番はなく、お市プッシュの流れで押し切るようですね。

お市の方/wikipediaより引用
ノンビリと過ごしているのは、今川家の間者を惑わせるためでしょうか。
信長は、ついに「能」まで鑑賞すると、呆れ果てた佐久間盛重が「うつけ者が!」と見限り、今川義元へ降ることを決意します。
盛重は、佐久間大学の名でも知られる武将であり、織田信秀の時代から仕えていた、有力家臣の一人。
史実では裏切った記録はありません。
「このまま何もしないで敗れるのか?」
仇討ちをしたい秀吉は、信長に出陣を促すため清須城の柴田勝家を尋ね、面会の申込みをお願いしますがあっさりと断られます。
このとき目に飛び込んできたのが草履でした。
草履 温めておきました
誰の草履なのか。
よく見りゃかなり高そうなデザインで、思わず秀吉が掴み取ります。
仇討ちの一つということらしいですが、だからなぜ、そんなセコいことばかりすんのよ!
さすがに秀長も情けなくなったのでしょう。
「盗みはいかん!」
そうして草履を戻す・戻さない泥仕合をしていると、あろうことか織田信長がやってきました。草履の主は信長だったのです。

織田信長/wikipediaより引用
「わしの草履を知らんか?」
秀吉がバツ悪そうに懐から草履を取り出します。
「温めておきました」
なるほど、有名過ぎるあのエピソードをここで持ってきたのですね。ちなみに出典は『絵本太閤記』となります。
しかし、言い訳に聞こえたのか、信長は盗みを疑っているようです。
すると小一郎がとっさに答えました。
「百姓だからわかるのですが、間もなく雨が降ります。濡れてはいけないと思い懐に入れておりました」
トンビが低いところを飛んでいるのがその証拠だそうで、咄嗟の答えとしてはバッチリかもしれません。
今回の天気予報は、どうやらウソでもなさそうです。
思わずニヤリとしてしまう信長に向かって、「出陣はされないのですか」と尋ねると、逆に勝つ方法を聞かれて答えに窮してしまう秀吉。
「方法は秀長が知っている」と無茶振りをして、仕方なく秀長が和睦を進めると、途端に信長が激昂しました。
「侍なら、負けると分かっていても、命をかけて戦わねばならないこともある!」
さらには「立ち去れ!」と言われた秀長は、不貞腐れながらその場を去っていきます。
えっ、秀長、それで、いいのか?
なんだか、部活中にふざけていた中学生が、顧問の先生に「帰れ!」と叱られ、『えっ、本当に帰っちゃうの???』みたいな場面のようで……。
これがほんとの猿芝居
一人、ショボショボと帰宅した秀長。
途中、城戸小左衛門に遭遇すると、ヤツが腰につけていた木彫りのお守りについて「ご利益はあるのか?」と聞きます。
元々は、父の弥右衛門が持っていたものですね。
それがご利益あるそうで、初めて敵将の首を取れたそうです。仇討ちの裏が取れました。
それにしても、です。お守りを「“冴えない”雑兵から貰ったものだ」と説明する城戸小左衛門は、本当に何なんすか。
弥右衛門のことを小馬鹿にして何が面白い?
もう救いようがないほど性根が腐ってますね。
そんな城戸小左衛門に対して「あまりに不細工なお守りなので、あなた様にお似合いだ」と返してしまう秀長さんも、そこは堪えて欲しかったぜぇ~!
同じ土俵に立ってしまえば、秀長の品格まで下げてしまう。
低レベル過ぎて、見ていられません。
見てられないと言えば、その直後、なぜか鉄砲の練習をする織田信長に対して、「キャッキャ、キャッキャ、私は猿です!」と秀吉がはしゃぐのも辛いものがありました。
「これがほんとの猿芝居」だそうで……豊臣兄弟の精神年齢がさすがに幼すぎませんか?

若き頃の秀吉を描いた月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』/wikipediaより引用
当時の二人の年齢は、数えで秀吉が24才、秀長が21才のはず。
彼らの心の中に、早く、天下人に足る規範なり理想なりが宿って欲しいですのぅ。
秀長が帰宅し、「村へ戻ろう」と提案すると、案の定、直にブチ切れられました。
「私は覚悟を決めて出てきてんだ!」
駆け落ちしてるのですから、そりゃそうでしょう。わずか数日で帰りたいだなんて、彼女に対しても失礼すぎます。
というか、直は、さっさと別れたほうがいいかも、こんな不甲斐ない男だと苦労しますよ……って、大河ドラマというより現代ドラマみたいになってますね。
中村から清須までが近すぎるせいもあってか、駆け落ちが妙に軽いノリに感じられまして。
「出陣じゃ!」
松下洸平さん演じる松平元康(徳川家康)が登場。
ピカピカの甲冑「金陀美具足(きんだみぐそく)」は『どうする家康』の時と同じものでしょうか。いやぁ、ピッカピカですね。
大高城へ兵糧を運び入れた家康は、道中「敵からの抵抗がほとんど無かったのがかえって不気味だ」と心配を口にします。
『麒麟がくる』の元康(風間俊介さん)とほぼ同じセリフですね。
あのときは、信長が元康を調略するため、わざと自軍からの攻撃を控えさせたことがきちんと描かれていました。
今回はどういう意図だったのか?

イラスト・富永商太
現時点では不明ですが、いずれにせよ丹羽長秀から敵の一報を受けた信長は、寝所から飛び起きます。
そして一言。
「出陣じゃ!」
秀吉たち足軽も支度を整えます。そこへ秀吉から貰った刀を差した秀長も現れました。
秀長にとっては初陣となりますね。
それが桶狭間の戦いとは……果たして結果はどうなるか、次週へ。
解雇を……ください……
信長様!
なぜ、城戸小左衛門のような人物が槍の稽古をつけているのでしょう?
「長袖をください」の顔で私はこう言いたい。
「解雇を……ください……」
確かに城戸小左衛門は、『信長公記』でも「六人衆」として記される程の腕の持ち主ですから、そこは申し分ないとしても、とにかく粗暴すぎます。

絵・小久ヒロ
稽古の最中に訓練兵を倒してしまうことは致し方ない。
しかし、彼らが倒れるたびに腹や背中を槍で打ち付け、蹴りを入れるのは常軌を逸していませんか。もしも頭部や喉に当たったりすれば、肝心の戦の前に重大な怪我を負ってしまうでしょう。
先週も触れましたように城戸小左衛門の暴れる様子を見ると、SNSのイジメ動画を見た時のような辛い気持ちにさせられるのもキツい。
軍隊が、通常の生活空間とは違うのはわかりますが、あんな暴力を受けたら、被害者たちから訴えがあるのでは?
なんせ、荷駄隊が物資の運搬準備をしている場面では、堂々と酒を強奪し、事務方の武士に向かって「この老いぼれが!お前は何人の敵を討ったんだ!」と凄んでいました。
イキりすぎ。
マウント思考の権化です。
そもそも出世のキッカケが「弥右衛門が取った敵将の首級を横取り」ですから、もう何年間(あるいは10年以上?)も横暴なことを繰り返してきたでしょう。
織田軍はそれを放置していたのですかね。

信長甲冑イメージ/絵・富永商太
確かに戦場では、誰もが敵将の首を欲するだけに、自分が注意して横取りを防がねばなりません。
だからこそ、誰が誰の首を取ったか、仲間内で確認する「見取り・見取られ」という方法もありました。
城戸小左衛門があんな性格では、
「その首は弥右衛門が取ったもんじゃ!」
と味方してくれる人がいたようにも思えます。
もしも、横取りの場面を他の誰かに見られなかったとしても、その後、城戸小左衛門に対して恨みを抱いたのは豊臣兄弟だけではないでしょう。
彼は百以上の首を取ってきたとも豪語していました。
中には、弥右衛門から横取りしたようなケースもあったはず。
となれば、それこそ秀吉が狙っているように、戦場で恨みを晴らそうと考える人もいますよね。
ちなみに、同士討ちをしてしまった者は罰せられるのか? というと、例えば夜討ちなどの乱戦では、討たれたほうの討たれ損で終わるのが原則。
次の第4回放送は桶狭間ですので、絶好のチャンスかもしれません。
※ただし、あまり派手に同士討ちをやり過ぎると小指を切られます
★
城戸小左衛門のような人物には「キッツい天罰がくだれ!」と望みたくなりますよね。
しかし、豊臣兄弟には「恨み」とか「仇討ち」などの場面で目立って欲しいとも思えません。
せっかくの大河ドラマ主役ですから、願わくば兄弟の心の中には、『麒麟がくる』のときの斎藤道三や明智光秀のように確固たる信条や、生き様があって欲しい。
今後、それを見せてくれる場面に期待しておきましょう。
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