2016年9月8日、2018年の大河ドラマが『西郷どん』に決定したと発表されました。
この年、西郷隆盛が主役になるのは、
・明治維新150周年の節目
・ローテーション的にみて、2010年土佐、2015年長州となると、消去法で薩摩
・熊本地震の復興のため、熊本が舞台になる作品
と考えてゆけば、ごくごく想定内でした。
ところが、発表直後から大河クラスタには悲痛な空気が漂っています。「吉田松陰の妹」が発表された時よりも、今回の方が体感的にはより酷いようにすら感じます。
それは何故なのか。そしてその前に『西郷どん』は成功するのか占ってみたいと思います。
答えは「大凶」です。
こんなことは言いたくありませんが、我々は目撃することになるのかもしれません。第二の『花燃ゆ』悲劇を。
本来、2018年の薩摩大河は想定外だった!?
前述した通り、 2018年という明治維新百五十周年の節目に維新の立役者を大河のテーマに選ぶことは、自然なことと言えます。そう、本来であれば、です。
ところがこのニュースに対する反応には、
「また幕末か?」
「この間やったばっかりなのに」
「幕末には飽き飽きだ」
「幕末と戦国のローテーションばっかり!」
という否定的なものが目立ったのです。
2010年以降の傾向として、幕末ものが多くなっています。幕末は日本史上でも人気のある時代ではありますが、大河となると視聴率面で苦戦することが多く、鉄板なようでいて実はそうでもない時代です。ただでさえ難しい幕末を、短いスパンで繰り返されることに、視聴者は飽きが来ているのです。
2018年に幕末を選んでも視聴者をウンザリさせないようにするには、どうすればよかったのでしょうか?
単純な話です。間隔をあければよかったのです。2013年の『八重の桜』以来、5年ぶりの幕末大河であれば、ここまで抵抗はなかったと思われます。おそらくそうなるだろうと、多くの人が考えていたと思います。
2013年末『花燃ゆ』制作発表までは。
『花燃ゆ』の制作決定に関しては様々な噂が流れました。もちろんNHKがその噂の真偽について何か言ったわけではありません。ただ、相当に不自然な流れであったのは事実です。あまりに遅い制作発表、あまりに知名度の低いヒロイン。一体どこの誰が吉田松陰の妹を大河のヒロインに望んだというのでしょうか?(※通常の大河は2年前の夏季に制作発表されるが『花燃ゆ』は12月にズレ込み、現在、ネット上には当時のこんな記事も残っている→【参照】NHK大河『花燃ゆ』 大コケの背景に作品巡る政治的配慮あり)
山口では、長州の英傑である「長州ファイブ」あたりを主役として2018年大河実現を目指していたとも言われております。それが急遽『花燃ゆ』に決まったため、予定に狂いが生じたようで……。かくして2015年の『花燃ゆ』は大失敗し、長州大河はしばらく封印されてもやむをえないような状況になりました。
つまり、2018年大河は本来、
「2013年以来5年ぶりとなる幕末舞台、長州主役の大河をじっくりと時間をかけて準備し、納得したうえで作る」
はずだったのが、
「2015年にねじこまれた長州大河が大コケ。でも2018年にはどうしても維新側の大物を大河にしたい。そんな消極的理由で、薩摩にバトンが回ってきた。しかも2015年大コケの影響をひきずっていて視聴者は幕末の時点で引き気味」
になったのではないか? ということです。
スタートの時点で、呪われたバトン(むしろ毒おにぎりか)を受け取っているわけです。かえすがえすも、2015年に長州を持ってくるべきではありませんでした。
「天下の英雄も女の前じゃかわいいもの♥」的な痛いやつ?
サイト『NHKドラマ』から気になる一文を引用させていただきましょう。
嫌な予感しかない……こんな寒気がしたのは「幕末男子の育て方。」(2015年『花燃ゆ』のキャッチコピー)以来だ……。
さらにこちらをご覧ください。
◆18年大河は西郷隆盛 原作・林真理子×脚本・中園ミホ「女の視点で切り込みます」 | ORICON STYLE
「女の視点で」幕末に切り込んだ結果がどうなるか、『花燃ゆ』で既に経験済みではありませんか。
言っておきますが、「女の視点」や「女性脚本家・原作者」が悪いわけではありません。
『篤姫』や『八重の桜』は、実際に女性の立場で明治維新を見た作品であり、なおかつ至極まっとうな出来でした。読んでそのまま「ヒロインの目から見る幕末」であれば、問題はありません。
ところが本作の場合は、主人公がまず男性、しかも市井を生きる人々ですらありません。
維新三傑の一人なのです。
それではどういう意味で本作は「女の視点」で切り込んでいるのか。ORICON STYLEの林氏コメントを抜粋します。
その中でも一番難解で面白いのが、西郷さんです。彼をめぐる女性たち、流された島々を深く描くことによって、いままで誰も書かなかった西郷どんを作り上げているという自負があります。
このコメントを読むと、「女の視点」というのはワイドショーや、女性週刊誌的なゴシップ目線で西郷隆盛のプライベートを描くことであるように思えます。あるいは『花燃ゆ』の、吉田松陰が頭をヨシヨシされたり、高杉晋作がビンタをされたりしていたポスターも連想させます。
要するに、
「天下の英雄って言っても、女の前じゃかわいいものなのよ♥」
的な、痛い勘違い目線ってヤツですね……。
次は脚本の中園氏コメントも見てみましょう。
西郷隆盛という人物は謎に満ちています。決して聖人君子ではない。太った愚鈍な男でもない。戦の天才で革命家。一つ確かなのは、男にも女にも大層モテたということ。子どもも学者も侍も殿様も彼と触れ合い、語り合った者は皆、西郷に惚れた。一体どんな魅力だったのか!?(注釈)セゴドンという男の魅力に、女の視点で切り込みます。
やたらと「モテる」ということを強調しています。
この「モテ」を強調するスタンスで思い出すのは、やはり『花燃ゆ』です。
松下村塾生をずらりと並べ、「俺ら松下村メン!」とコピーをつけた画像を作り、さらには公式サイトで「推しMEN診断」なるコーナーを設置していたあのプロモです。今度は公式サイトに西郷どんファンクラブコーナーでも作って、大久保一蔵やら篤姫に魅力をうっとりと語らせたりする気でしょうか。
ゴシップ的視線だの、モテ分析だの、そんなものは二の次ではありませんか。
そりゃ西郷隆盛は人間ですから、彼の恋愛事情や家庭環境を描くことはありです。ドラマである以上、そこにまったく触れないわけにはいきません。ただしあくまでそれはサブプロットであり、前面に出すものではありません。
誰かがモテたとか、ちょっとドジとか。そんなものは民放の現代劇でも描けるではありませんか。一年を通してじっくりと、NHKが歴史上の人物を描くのが大河ドラマです。歴史を描くことが最も重要であるはずです。
西郷隆盛について描くべきことは、維新の中で彼がどう活躍したのか。そして何故、明治政府と対立してしまったか。彼が歴史上で果たした役割でしょう。
それをないがしろにするのであれば、わざわざ幕末の人間を取り上げる意味なんてそもそもないのです。幕末ファンは幕末の動乱が見たいという、基礎中の基礎を思い出してください。
尚武の気風が強い薩摩で女性視点は……
ついでに言いますと、薩摩大河で「女の視点」を出してくるあたりに、決定的な食い合わせの悪さを感じます。
大奥入りした篤姫ならばまだしもわかりますけれども、薩摩といえば、尚武の気風が強いことで知られています。男色の気風が強く、女性との恋愛はいやしいものと低く見てすらいました。よりによってその薩摩を、「女の視点」で切り込むというのは、無謀ではないでしょうか。
「吉田松陰の妹をヒロインにして大河ドラマを作る」という『花燃ゆ』は、当初から「無茶ぶり」だと言われておりました。「西郷隆盛の魅力に女の視点で切り込む」というのも、それに並ぶ難題ではないでしょうか。何故よりにもよって薩摩を「女の視点」で描くんでしょうか……。
さらに近年の大河で問題と言えるのは、「女の視点」や「女性向き」という言葉の用い方が、「手抜き」のソフトな言い換えになっていることです。「女の視点」だから即座に悪いとなるわけではありません。当時の女性の風俗や置かれていた境遇を調べ、それと丹念に再現するのであれば、それはそれで意義があると言えます。
ところが近年の場合、
「史実を調べてきっちり描くとなるといろいろ面倒くさいから、壁ドンとかイケメンとかスイーツ要素をちりばめて誤魔化そう」
になっているわけです。
それで失敗したら、
「いやー、でも最近の視聴者、特に女性なんかは不勉強で史実を出してもわからないでしょう? だから胸キュン路線なんですよ」
みたいな逃げをうつわけです。その手にはもうウンザリです。
主演俳優不在の制作発表
本作制作発表の感想を見ていると、既に本作から嫌な予感を感じ取っている人が既にいることに驚かされます。
さらに大河ファンだけではなく、この人もそうだった可能性があります。
◆18年大河は「西郷どん」 主演は堤真一に一時内定も交渉難航 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
主演が内定していたというのは、おそらく事実でしょう。このニュースは9/8付けですが、9/2には以下のニュースが出ていました。
◆堤真一が2018年のNHK大河ドラマの主演に内定 西郷隆盛を演じる
状況から推察するに、おそらくこの時点での情報は意図的に局側が漏らしたと思われます。ほぼ決定していたのでしょう。
ところが、発表直前になって主演は辞退したわけです。
もちろんスケジュールがあわないとか、体調不良とか、いろいろな理由はあると思います。ただし考慮せねばならないのは、『花燃ゆ』主演はじめとするメインキャストが、あのドラマからキャリアにダメージを受けてしまったということです。
あの作品の問題点は演じる側ではなく、脚本はじめとするスタッフ側にあったにも関わらず、矢面に立たされるのは常に女優でした。
プロデューサーらは視聴率評価低迷の理由を尋ねられると、美辞麗句で誤魔化して、矢面に立つ主演女優を庇おうと言う気は感じられませんでした。大河ドラマは視聴率が低迷した作品でも、キャリアにとってはプラスになるものであったはずです。ところが『花燃ゆ』は、大きなマイナスとなることも証明してしまいました。打ち切りもなく、一年間作品の顔をつとめるわけですから、他のドラマとは比較にならないほど深刻な影響が出るわけです。
もしかすると、当初オファーされていた俳優は、このリスクをおそれて辞退したのではないかと思えてしまうのです。真相はわかりませんが、『花燃ゆ』が大河主演はハイリスクであると示したことは確かです。主演俳優捜しが難航しているのも、そのせいではないでしょうか。そして主演すら見つからないようなドラマに、豪華出演陣が揃うとは思えません。
私は決して『西郷どん』に失敗して欲しいと思っているわけではありません。
昨年の『花燃ゆ』総評の時点で、2018年大河も作り手の姿勢によっては、同じ轍を踏みかねないと警戒しておりました。その予感が、現実となってもまったく嬉しくはありません。
そうならないためには、いくつかの条件が必要でしょう。幕末だけではなく薩摩専門の考証、できれば複数名をつけること。歴史が好きで敬意を払える脚本家を起用し、脚本家は考証の意見を取り入れ誠実に作品を仕上げてゆくこと。今からでもこの条件がクリアできるのであれば、望みはあると思います。
しかし残念ながら、公式発表の時点で篤姫や坂本龍馬の名はあっても、大久保利通の名がない時点で、嫌な予感は的中するのではないかと思います。
この予想が大きく外れることを、私は心より願っております。
著:武者震之助
【参考】NHK