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【シャルロッテ】
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ヴァチカン市民も(・o・)「あれは一体何なのか」
「ありとあらゆる飲み物に、毒が入っているッ!」
ヴァチカンで差しだされる飲み物を全て断り続けた彼女は、馬車でトレビの泉に駆けつけると、ゴクゴクとその水を飲み出しました。
何も飲めず、喉がかわききっていました。
食事は屋台で買い込んだものか、侍女が目の前で作った粗末なもののみ。それでも安心できず、猫を毒味のために連れていました。
何をしても疑いが晴れない彼女は、いくら洗っても手の汚れが落ちないと嘆くマクベス夫人のようです。
「眠っている間に私の喉は切り裂かれるのよ!」
ついにシャルロッテは暗殺者を恐れ、夜も眠れず、あたりをうろつきました。
しかも、時には裸。ヴァチカンの市民は狂気の皇后の姿をおそれ、一体あれは何なのかと噂します。
周囲の人々は、彼女がろくに食事を口にしないことから、もはや長くは生きられないだろう。そんな風に囁きあいました。
シャルロッテ自身も死を覚悟し、ついに遺書まで書く始末です。
そんな彼女を案じた兄フランドル伯フィリップが駆けつけ、妹を精神科医に診察させました。
目はうつろ。
美しかった髪はもつれ、やせ衰えたシャルロッテからは、かつての美貌も聡明さも失われていました。
「お気の毒ですが、皇后陛下は発狂されておりますな……急性パラノイアでしょう」
そう診断がくだされた彼女は、ミラマーレ城(ミラマール城)に幽閉されたのでした。
メキシコにいたマクシミリアンにも、シャルロッテの一報を知らされます。
そして1867年。
彼は「最期に見たのは妻の姿だったよ」と言い残し、反メキシコ皇帝軍に処刑されたのでした。
狂気の中で生き永らえること実に60年
ミラマーレ城からベルギーに連れ戻されたシャルロッテは、居城を転転としながら狂気の中を生きていました。
夫の死すら知らず、狂気の中を生きる日々。
彼女の周囲に群がるのは、財産を狙う山師同然の者たちでした。
彼女は20代後半で精神を病んでから半世紀以上、実に60年という歳月を生きることになります。
その狂気の中で、野心は溶けて消え、ただ夫への愛だけが残りました。
狂気の世界の中で、彼女の夫は皇帝であり、彼女は皇后でした。
そして1927年、彼女は86才という、当時としては飛び抜けた長寿でこの世を去るのです。
レオポルド1世の子女の中で、最も長く生きたのが彼女。
野心に生き、溺れ、狂気に呑まれた長い生涯でした。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『王妃たちの最期の日々 下』(→amazon)