戦国時代の合戦は、意外なほどにその中身は知られておりません。
弓や鉄砲、投石を駆使し、互いに遠方から相手を傷つけようと試みた後、足軽たちが集団になって槍を携え、まるで一枚の壁のごとく構えた「槍衾」で叩き合う――。
そんなシーンは漠然とは伝わっておりますが、実際には、騎馬隊一つとっても、「馬から降りて戦った」とか「馬に乗って突撃していた記録もある」など、意見が別れるほどで、コレといった決めはありません。
槍と槍で戦うナマの肉弾戦についても、「統制がとれて戦うのが理想だけどなぁ」と武田信玄公もこぼしているほどで、実のところ「よくわからん」というのが真実なのです。
そこで!
本稿では、この甲冑合戦をガチで試みた衝撃のレポートをお送りしたいと思います。
執筆者は「実戦護身術 功朗法 総師範」にして「日本甲冑合戦之會 代表」である横山雅始(まさし)氏。
武術で心身を鍛えながら、現代の世にナマの戦国を再現しようとした氏の熱い試み、しかと御覧ください。
ヨーロッパからも参加者がおり、その本気さに戦国ファンなら痺れること必至です!
武術家たちがガチ甲冑合戦を行ってみたらどうなる?
各地で多くの歴史祭りや合戦祭りが催されている。
しかし、その多くがパレードや寸劇、合戦を模した楽しいショーであり、実際に甲冑を着けて本気で戦い、真剣に当時の様子を知ろうとする催しが日本ではないように思われる。
寸劇や殺陣ではなく、武術家たちによるガチ甲冑合戦を実際に行ってみたらどうなるか?
そんな機会を設けようと考え、実行したのでこの場をお借りして報告したい。
まず始めに、甲冑合戦を行った日程は以下の通りである。
参加者はヨーロッパから来日頂いたメンバーと日本のメンバー、そして一般公募の参加者たち。
日本の甲冑をまとった青い目のサムライたちと日本の侍たちは、多い時で総人数が100名を超えた。
一般公募の人たちはガチで戦うわけではなく、総大将を守って立つ近習隊や、槍の穂先だけを軽く合わせるだけの一般武将グループとして参加いただいており、一方、ガチ甲冑戦グループは7回の合戦本番と、これに伴うリハで一人平均20戦×約50人で計1000回程の戦闘経験値が積み重なった。
これらのガチ甲冑合戦は地元のテレビや新聞だけでなく海外の雑誌でも取り上げられ、手前味噌ながら好評を得た試みとなり、本稿では、あらためて武術や兵法の観点からその結果をまとめてみたい。
◆武器・具足
まず、ガチ甲冑合戦に使用した具足や武具の類は、丈夫で安全、制作費が安いことを条件に独自開発した。
具足は0.5mmの鋼板に和紙などの裏張りをして、塗料などで固めたものである。
これ以外にも、足軽具足としてローコストで制作できる強化プラの具足を独自開発した。
ガチ甲冑合戦では、安全のため顔面への攻撃を禁止したが、念のため総面も制作。
しかし、これを着けると視界が悪く、一回目の合戦では殆どの人が使用していなかったため、2回目の合戦からは、視界の良い改良型を使用することとなった。
槍は約3mの竹を主材とし、穂先にクッションを巻いたものを製作した。
戦国時代の足軽用長槍は約6mのものだと竹製がほとんどで、当時も簡単で安価に制作できたもよう。実際にこの槍を使って戦ってみると、叩くように突く(面を攻める)ことが実感できる。
「槍は叩くもの、刀はつくもの」
そんな古人の言葉が現代にも伝わっているが実感できたのは収穫だった。
槍の柄の硬さやシナリ度合い、重量、バランスなどは個人の力量に合わせて選ぶべきなのだが、実際に昔は戦場に束にしてバサっと運ばれてきたのであろうから、数分程度で自分にあったものを、さっと選べるかどうかも力量のうちだったのだろう。
◆勝負の流れ、槍から組討へ
ガチ甲冑合戦には約3mの槍を使用した。
合戦では6~7割の確率で組討となると古人が伝えているが、実際にやってみるとそうである。約6割の確率で組討となり短刀でとどめを刺すこととなった。
槍の攻撃を槍で外し、敵の柄内に自分の体が入れば、敵が槍をしごき戻して短く使う余裕を与えず、短刀を抜いて一気に組討に持ち込む方が勝負が早い。
一連の動作を画像にてお見せすると……。
短刀は合戦では必須アイティムであり、素早く抜いて敵の懐に飛び込むのが基本だ。
短刀を早く片手で抜くためには刃を下に向けて差し、鞘はしっかりと固定しておく。帯に差しただけではダメである。
こうなると、腰の刀はかえって邪魔で動きを妨害するし、野戦用武器としては中途半端な長さと重量であり出る幕がない。しかも、甲冑を着ている相手には斬撃はさほど通じない。
実際、リハを含めると約1000試合うちで、集団戦、一騎打ちともに刀同士の勝負はたったの一回だけである。
双方ともに槍を落としたり、折れたためである。これ以外には槍が折れたので、急きょ刀を使用したのが数例である。
武士の象徴である刀は甲冑合戦では、武器として有効ではない。
古書の記録でも1回の合戦における刀の死傷者は3~4名にとどまり、鉄砲での死傷が圧倒的で、次に多いのが弓矢や印地(いんじ・投石など石での攻撃全般)、そして槍による死傷だったと記憶している。
◆槍の一撃は鉄鎧を貫くか
槍の一撃がどの程度のものか実験してみた。
1mm鋼板=2mm南蛮鉄の強度と考え、約1mmの鋼板で胴を作りを槍で突いてみた。
槍は江戸時代の物を使用。軽い突きは胴の曲線に沿って穂先が滑り、十分な効果はなく、深く刺さらない。軽い突きでも同様に効果はなく、かなりの強撃を加えて初めて穴があいた。
しかし、貫通したのは20mm程度であり、すなわち軽傷である。
ちなみに、出刃包丁の小型を長い柄に取り付けて突いてみた。
全く刺さらず刃が曲がり柄も曲がった。しかし、強撃を加えると穂先が貫通しなくても体に加わる衝撃は大きく、後ろに2~3歩よろめく。この隙に槍を短く手繰って、装甲のない部分を突けば勝負は決まる。
◆集団戦
一番槍の功名ができるか、これを私自身が何度か試してみた。
敵の士気が低いと先陣をきって突入し、1人を倒すのは難しくない。
士気の低い集団は勢いよく相手が飛び込んでくると、皆が後ろに下がってしまう。誰も自分から率先して積極的に攻撃に出ようとはしない。
だから、こちらが間髪を入れずに攻めれば容易に正面の一人は倒せる。
しかし、相手は一人ではないので横から近づく敵に気づかなければ、横槍が入り刺されてしまう。
まして全体の士気が高い集団は、こちらが勢いよく飛び込んでも最初は下がるが、すぐに数人で取り囲み必死で攻撃を仕掛けてくる。
こうなると功名どころか、一旦こちらが後ろに引く方が懸命である。
実に一番槍で功名を得るのは難しい。
◆戦術
大阪府藤井寺市、柏原市、和歌山県橋本市での合戦再現は道明寺合戦をテーマにしているので、真田と伊達(片倉小十郎隊)に分かれて行われた。
先が読めないのが本気で戦うガチ甲冑合戦であり、参加者次第では勝負は思わぬ方向に展開し、歴史に反することもある。
そこで道明寺合戦の再現をガチ甲冑合戦方式で4回行ったが、その一つを例としてここで紹介したい。
道明寺まで真田軍に押し戻された伊達軍片倉隊の大砲発射で始まり、
鉄砲遊撃隊が雁行ノ陣で前進した。
しかし、真田軍の銃撃に抗せず撤退。
この機に乗じて真田槍隊が突入すると、伊達軍南蛮武将隊と置盾を挟んで激突となった。
攻める引くを何度か繰り返す波状攻撃を実施。すると、置盾の前には杭が打たれ、縄張りがあったが突破された。
次に、真田武将隊が出撃。
真田槍隊と差し違えて入れ替わり、戦場中央で魚麟ノ陣を組んで逆に伊達軍を待ち受ける。
と、伊達軍片倉隊は真田軍を引きつけて、鶴翼状に展開し取り囲み後方へ回り込もうという戦術を立てていたが当てが外れた。
陣形を組みかえる暇なく出撃した伊達軍片倉隊は真田軍と乱戦となったが、運よく真田軍の正面に回り一進一退の戦闘が繰り広げられ。
ついに伊達軍片倉隊は一時的撤退を決め後退。しかし、混乱はひどく撤退に手間取った。
真田軍も引きさがったが、2回目の攻撃までさほどの時間は空いていなかった。
この間に伊達軍片倉隊は本体と別働隊の2隊に分かれる。
陣の中央は南蛮隊に置盾を守らせ動かず、
陣の左右から本体と別働隊の2隊を出す作戦をとった。
そして、真田軍が再び攻めてきたとき、出来るだけ引きつけ2隊を左右から出した。
左が別働隊、中央が南蛮隊、右が本体というコの字形の陣形をとり、真田軍の魚麟を挟んだのである。
そのまま伊達軍片倉隊は囲みを縮め真田軍を完封し押し返した。
このままでは、あわや真田軍全滅か!
というときに、気を利かせたナレータ―が大坂から撤退の命が真田軍に届いたことを告げる。
真田軍は僅かな人数を殿(しんがり)として残し撤退。
殿(しんがり)の中には、「徳川に漢はおらんのか」の言葉に乗って一騎討ちをガチ対戦で行う猛者もいたが、結局、集団戦、一騎討ちともに歴史通りに5分と5分で引き分けた。
◆貝役
実際に合戦再現を行うと、全体の指揮や意思の伝達が思うようにいかない。
そんなときに最も効果的だったのが法螺貝(ほらがい)である。
貝役(ほら貝)は、大声や雑音の多い合戦場ではコミュニケーションツールで、太鼓の音より良く聞こえハッキリと認識。戦国時代にこの貝役が重要であったのは納得できる。
ガチ甲冑合戦を通じて武術や兵法の専門的観点から多くのことが発見できた。今回は、ごく一部を紹介させて頂いたが、今後もこうした試みを続けていき発表したいと思う。
文・横山雅始
【筆者プロフィール】
NPO法人 国際武術文化連盟 代表
日本甲冑合戦之會 代表
制圧術門同流兵法 宗家
実戦護身術 功朗法 総師範
1954年2月6日 兵庫県神戸市生まれ
フランス功勲促進委員会より貢献十字勲章
フランスにて名誉市民賞
国際タクティカル防衛機構 優秀会員賞
全日本武道連盟その他武道団体より賞・感謝賞他
フランス国家憲兵隊・治安特殊部隊やイタリア警察およびほかヨーロッパの武道団体の招聘により制圧術門同流兵法や実戦護身術功朗法を指導