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その日、歴史が動いた 中南米

キューバ革命のチェ・ゲバラがどんだけスゲェか知ってっか 単なるイケメンじゃねぇゾ

更新日:

「人は見た目が9割」なんて本があるように、見目が良いとそれだけで良い印象をもたれるものです。
ただ、第一印象だけでその人のすべてを語ることはできないですよね。
本日はその一例であろうと思われる、ごく最近の人のお話です。

1928年(昭和三年)の6月14日は、キューバ革命を成功させたことで有名なチェ・ゲバラが誕生した日です。

本名はルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナで、彼が母国・アルゼンチンのスペイン語方言でよく使われる「チェ」という単語をよく使っていたことからこの愛称がつきました。
これは「やぁ」とか「君」といったくだけた話し方で、キューバではあまり使われていなかった単語らしく、それをからかって名づけられたのだとか。

17才の頃のチェ・ゲバラ。やっぱり若いころからイケメンだったんすな……/Wikipediaより引用

 

幼いころは病弱で両親は引っ越しを繰り返していた

軍の象徴であるベレー帽をかぶった写真があまりにも有名なので、ゲバラも屈強な軍人であるかのように錯覚してしまいますよね。しかし彼は、小さい頃から喘息を患っており、生涯発作に悩まされていました。
そんなゲバラが、なぜ革命という大きな賭けにかかわっていくことになったのでしょうか。

キューバ革命の印象が強い彼ですが、実は生まれはキューバではなくアルゼンチンでした。
小さい頃は前述の通り喘息で悩まされ、心配した両親はゲバラの体調のため、たびたび引っ越していたそうです。
成長するにつれて激しいスポーツを好むようになりましたが、喘息が完治することはありませんでした。

しかし彼は学問にもスポーツにも意欲的に取り組み、ブエノスアイレス大学の医学部へ入学します。途中で南アメリカ大陸をオートバイで見て回るという旅に出ていますが、それでも六年過程を三年で卒業したといいますから、かなりの秀才であったことは間違いありません。

放浪の中で鉱山労働者やハンセン病患者など、それまであまり触れたことのなかった「弱者」の現実を知ったことが、革命家として歩むきっかけになりました。

伝統的なガウチョの服装で馬に乗る5才のときの写真。アルゼンチンにいた/Wikipediaより引用

 

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正常不安定なアルゼンチンで医師免許を取得

当時のアルゼンチンは政情不安定な状態が続いていたため、医師免許は取ったものの、国内で医業に携わる気にはならなかったようです。

その後、訪れたボリビアやグアテマラで社会主義や農地改革の問題点と直面し、「アメリカ合衆国の影響から脱出しなければならない」と考えるようになりました。

ゲバラは27歳のときに最初の結婚をし、翌年に娘が生まれました。
が、同じ年にメキシコへ亡命していたカストロ兄弟(兄の方が通称”カストロ議長”ことフィデル・カストロ)と知り合い、キューバにおける独裁と戦うため、軍医として参加することになります。

結婚したばかりの人がこんな危険な行動に出るということは、若者にありがちな正義感の暴走ではなく、カストロ兄弟に心から共感した故だったのでしょう。

「そもそもキューバのことよくわからん。何で外国人のゲバラがわざわざ行くの?」

という方も多いと思いますので、ここで簡単にキューバの歴史をお話しておきましょう。

アメリカの爆撃で沈没した貨物船「ラ・クブル号」の犠牲者追悼行進に参加するカストロ(左端)とゲバラ(右から2人目、背広の人物の左隣)/Wikipediaより引用

 

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スペインから独立したものの今度はアメリカに支配され

キューバはカリブ海の島国のひとつで、15世紀にコロンブスが発見、その後、他の南米国と同様スペインの植民地になりました。
19世紀に独立の気運が高まり独立戦争が始まったのですが、同時期にたまたま周辺を通ったアメリカの戦艦が謎の沈没事故を起こし、アメリカがキレてキューバ側で参戦しました。
おかげでスペインからの独立は成功したのですが、なんだこの経緯。でも事実だから仕方がない。

しかし、独立はしたものの、今度はアメリカの軍政下に置かれることになってしまいました。このときグアンタナモ湾の租借権(「お前のものは俺のもの」宣言みたいなもの)をアメリカが言い出し、現在に至るまで米軍基地が置かれています。少し前に嫌なニュースでよく出てきた地名ですね。

そして資本的にもアメリカの影響が強くなり、キューバの人々はアメリカへ反感を抱いていました。表向きは豊かになっていても、農村部との格差が広がっていたのです。
特にひどかったのは医療関係で、農村部では、くる病(栄養不足などが理由で骨格が異常になる病気)になったり、30歳までに全ての歯を失ってしまう人がごく普通にいたといいます。

しかしアメリカ人でも「これひどすぎね?」と思う人々はおり、彼らがキューバ革命を後押ししました。
ものすごく単純に言えば、「アメリカ政府&キューバ政府」vs「キューバ市民&反アメリカ政府派」みたいな状況になっていたのです。

カストロ兄弟はこの状況を打破するため、ゲバラたち同志を集めてゲリラ戦を展開し、革命を成功させました。

革命直後に撮影された一枚(1959年1月)/Wikipediaより引用

 

ソ連を批判して更迭 来日の経験もアリ

ゲバラは国立銀行総裁などの要職に就任しますが、キューバの代表として各国との通商交渉を行っている最中に、当時主要な貿易相手だったソ連を非難したため、ソ連から「ゲバラを更迭しなければ援助をやめる」と言われてしまって引き下がらざるを得なくなります。どっちも子供かよ。

この間、プライベートでは最初の妻と離婚し、革命軍での副官だった女性と再婚しました。この女性との間にも四人の子どもをもうけています。

また、革命が成立した1959年中には12日間来日し、広島の原爆記念館などを訪れました。彼は日本の対米政策に疑問を抱いていたそうですが、これがきっかけで、キューバの初等教育では原爆投下について教えているとか。
また、ゲバラの来日翌年から日本とキューバの間に通商協定が結ばれ、現在も続いています。

歴史にあまり興味のない方にとっては、キューバ=ラム酒もしくは葉巻というイメージが強いかと思うのですが、それもある意味ゲバラのおかげなんですね。

 

コンゴでは士気の低さに落胆、チェコでは社会主義の問題に直面

キューバの政治から離れた後、ゲバラはコンゴをはじめとしたアフリカ諸国を訪れました。
コンゴは当時ベルギーから独立したにもかかわらず、ベルギーに焚きつけられた一部の人が「こっちはこっちで別の国になるから!」と新たな火種を撒いてしまったため、「コンゴ動乱」再び大混乱と戦乱に陥っていたのです。

ゲバラも一時参戦しましたが、兵の士気の低さに呆れたところで喘息が再発したためコンゴを離れました。そしてチェコに潜伏し療養に入ったのですが、彼はここでも社会主義の問題に直面します。
当時のチェコは、チェコとスロバキアという二つの国がくっついていたのですが、ソ連の影響を受けて社会主義の悪い面が非常に強くなっており、密告が日常茶飯事になるなど悲惨な状態になっていました。

これを見たゲバラは、体が良くなると、再び革命家として活動し始めます。
チェコスロバキアの状況はさすがの彼でもどうにもできませんが、ゲリラ戦が通用するような場所でなら、まだ自分にもできることがあると思ったのでしょう。

そこで彼が向かったのは、またしても南米のボリビアでした。

キューバの後はコンゴへ/Wikipediaより引用

 

「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」

ボリビアもかつてのキューバと同じくアメリカの影響を強く受けており、この頃のアメリカは「共産主義になってソ連側につかれたらたまらん」ということでより一層の援助(という名の金)をつぎ込んでいました。
ゲバラからすれば、アメリカに飼いならされていると見えたことは間違いありません。

しかし彼の思想はボリビアの人々にスムーズには受け入れられず、ボリビア政府軍に捕まって銃殺刑に処されることとなってしまいました。裁判もされていないので、即時射殺といったほうが近いですが。

最後の言葉は「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」だったといわれています。
自分を殺そうとする相手に訓戒を残すなんて、一体どんな気持ちだったのでしょうね……。

遺体は無名のまま埋められ、発掘されたのは1997年のこと。
遺族のいるキューバに遺骨が届けられた後、霊廟に納められました。

ボリビアにて/Wikipediaより引用

 

そこには肉体労働も辞さない渾身的な革命家の姿があった

このときフィデル・カストロも参列し、簡潔なスピーチを行っています。

彼は長時間の演説を大得意としていることで有名なのですが、かつての戦友があまりにもむごい最期を遂げ、変わり果てた姿で戻ってきたことに対し、言葉が出なかったのでしょう。
一般人が穏やかに亡くなった人の死に向き合うときでさえ辛いのですから、このような経緯があればなおさら、筆舌に尽くしがたい気持ちだったことは察するに余りあるというものです。

現在ググる先生にゲバラのことをお尋ねすると、検索候補に「イケメン」と出てくるのですが、彼の本当にかっこいいところは、外見ではなく献身的な働きぶりだろうと思われます。もちろん外見も綺麗なんですけども。

特にキューバ革命成功後、キューバで要職についていた頃は、その身分には似合わないほどの肉体労働を自ら率先して行いました。
建設現場や農園、工場のライン作業など、あちこちで「お偉いさん」ではなく、作業員の一人として働くゲバラの姿が撮影されています。
だからこそ、彼はキューバの人々から絶大な支持を受けたのです。

彼のこの献身ぶりがボリビアでもよく知られていれば、上記のような最期を迎えることはなかったのかもしれません。
言っても詮無いことではありますが、ついついそう思ってしまいます。

長月 七紀・記

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参考:チェ・ゲバラ/Wikipedia 文芸ジャンキー・パラダイス

 

 




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