最近の日本の相撲を見ていれば、誰もが一度はお持ちになる疑問でしょう。
今や横綱のほとんどがモンゴル出身力士という印象があり、白鵬に関しては優勝回数の記録まで塗り替えました。
そこで時折話題となるのが「ブフ」。
日本では「モンゴル相撲」として知られる同国の伝統競技です。
※モンゴル相撲の様子
朝青龍や白鵬の親兄弟も活躍していたブフの一体何がスゴいのか?
歴史や規模はどれほどか。
昭和60年(1985年)3月11日は、モンゴル出身の関取でも圧倒的な成績を誇る、白鵬(現・宮城野親方)が生まれた日。
本稿では、モンゴル相撲の歴史や基本ルール、日本との違いを見てみたいと思います。
※以降、本稿における「ブフ」と「モンゴル相撲」は同じ意味で使用させていただきます
お好きな項目に飛べる目次
日本1,500年 モンゴル9,000年以上の歴史
まずはモンゴルの前に、日本の相撲の歴史を簡単に振り返ってみますと……。
これがかなり長い歴史を有していて、おそらく古墳時代から存在していました。
土器や埴輪に相撲の装飾が施されていたり、垂仁天皇に絡んだ逸話が『日本書紀』に掲載されたりしてまして。
正式な記録は奈良時代になりますが、古墳時代からざっと見積もると1500年ほどの歴史となります(詳細は以下の記事へ)。
相撲の歴史は意外の連続~1500年前に始まり明治維新で滅びかける
続きを見る
では、モンゴル相撲は?
あくまで一説ですが、ブフの起源は……なんと「紀元前7,000年の新石器時代まで遡る」とされていて……思わず絶句……。
モンゴルのバヤンホンゴル県で発見された同時代の洞窟壁画に、
「二人の裸の男性が取っ組み合い、周囲に群衆が集まっている様子」
が描かれているのです。
あくまで一説ですが、これがもし事実であれば紀元後も含めて計算すると9,000年以上の歴史になるワケですから、とにかくもう衝撃というほかありません。
中国では秦の時代にも記録あり
次の記録は、時代が進んで紀元前2世紀。
中国が秦の時代だった頃にも、匈奴(きょうど・紀元前4世紀~起源5世紀の遊牧民族)の遺跡で、ブフに取り組むモンゴル人祖先というのが確認されています。
乗馬術、弓術、そして格闘術(ブフ)。
匈奴の戦士にとって必須のスキルとして、彼らがモンゴル相撲で鍛えられていた様子もうかがえるのです。
個人的に『日本の相撲が最も古い』と思い込んでいただけに、勝手ながら軽く目眩を覚えました。
なおモンゴルでは、現在まで続いているナーダム(国民行事であるスポーツ大会)においても、この3競技が実施されておりまして、古い伝統が今なお活きているんですね。
ちなみに文治5年(1189年)。
源頼朝による上覧相撲で実施された競技も、競馬(くらべうま)、流鏑馬、相撲でした。
源頼朝が伊豆に流され鎌倉幕府を立ち上げるまでの生涯53年とは?
続きを見る
このころからモンゴルでは世界を席巻するチンギス・ハーンの時代となり、ブフが軍事訓練の一環として盛んに行われていたことが『元朝秘史』等の記述からもうかがえます。
圧倒的な強さを誇ったモンゴル軍の軍事教練だったと考えれば、モンゴル相撲が強いのも納得できますね。
騎馬だけでなく体術的にもワールドクラスの強さ、歴史の裏付けのある強さだったことがわかります。
近代化こそ遅れたものの規模は圧倒的!
では、国民的な競技へ発展するために、ブフはいつ近代化されたのか?
というと、これが意外に遅く、スポーツとして整備されたのは20世紀後半、1978年からのことです。
1997年にはリーグ制度、1999年には賞金制度が導入されておりますが、近代化に関しては日本と比べて大幅に遅れているという印象です。
もっとも、日本の相撲界も旧態依然とした体質が大きく問題視され、今なお騒動の渦中にいることは皆さんご存知でしょう。
更に規模の観点から見ても、モンゴルのほうが圧倒的に上です。
2011年時点での、モンゴル相撲は6,002人が所属。
世界最大規模の格闘技団体として、ギネスブックに登録されています。
一方、日本の力士が、例えば2015年7月時点では659人ですから(参照)、約9~10倍もの大きさになるんですね。
そりゃあ素質を持った選手も多く出てくるというもんでしょう。
ただし、日本には土俵があって(モンゴル相撲には無い)、体重が重い方が単純に有利という一面もあり、誰もが望んで力士になれるわけじゃなく、さらにはレスリングや柔道など他にもお家芸があって、競技人口が分散しやすいという側面もあります。
まぁ、その辺を考慮しても、ブフの層の厚さには驚くばかりですが。
では、競技における共通点や違いも見ていきましょう。
※続きは【次のページへ】をclick!