令和の時代であれば『麒麟がくる』が定番となりましょうが、かつて昭和の時代は違いました。
『国盗り物語』です。
原作は、あの司馬遼太郎。
そこに平幹二朗さんや高橋英樹さん、あるいは伊吹吾郎さんや江守徹さんなど、昭和の名優たちがズラリと並んでいたのですから、見ごたえないワケがない。
とはいえ、放送されたのが約50年も前の昭和48年(1973年)ですから、いま見るのはさすがに厳しいだろう……と思われるかもしれません。
百聞は一見にしかず――実は現在でも、amazonプライム(NHKオンデマンド)でご覧いただけます(→link)。
そこで「どんな作品だったのか?」というのを本稿でさっくり解説。
全体のレビューではなく、麒麟と比較しながら、両作品の特徴にスポットを当てて、振り返ってみましょう。
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染谷・信長は若すぎる?
大河ドラマで若手俳優を起用することは伝統です。
『麒麟がくる』では染谷将太さんが織田信長を演じられ「あまりに若過ぎる」という批判があったものでした。
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では『国盗り物語』ではどうだったか?
まるで10作目までの重厚さからの脱却を目指したかのように、同作の出演者や制作者はフレッシュな顔ぶれであることが特徴でした。
ざっとキャストを見てみますと……。
『国盗り物語』
主要メンバー
高橋英樹さん(織田信長)
松坂慶子さん(濃姫)
近藤正臣さん(明智光秀)
火野正平さん(羽柴秀吉)
いま見るとかなり重厚感のある方々ですが、当時はまだ20代。
大河でフレッシュな美男美女を見ることは当たり前のことでもありました。
むしろ『麒麟がくる』のキャスティングの方が、平均年齢が高くなっているほどです。
「三英傑」のキャスティングは難しい
ではなぜ染谷将太さんの信長は、若く幼いと言われてしまうのか。
それは大河ドラマが常に抱えるジレンマに他なりません。
大河ドラマで初めて信長と秀吉が登場したのは、昭和40年(1965年)の第3作『太閤記』でした。
この両者があまりに名演であったためか、昭和53年(1978年)第16作『黄金の日々』においても同役で再登板を果たしたのです。
伝説の再登板は大河名物のようで、
・役者の経歴
・高齢化
という問題も孕んでおりました。
信長・秀吉・家康の三英傑は、日本の芸能界でもトップクラスのベテランが演じるということになってしまうのです。
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享年50だったはずの信長が、どう見ても還暦を過ぎ、本能寺で大立ち回りをする……そんな珍現象がお約束となったのです。
さらに、後世のイメージから年齢差もおかしくなります。
史実の三英傑は、
・信長(1534年生まれ)
・秀吉(1537年生まれ)
・家康(1543年生まれ)
とそのまま並びます。
しかし、例えば家康には老獪さがつきまとうためか、信長よりもかなり老けた見た目もお約束となってゆきました。
かくしてベテランが器用されるようになり、大河の視聴者層も高齢化を招くことは避けられないこととなったのです。
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こうした状況にトドメをさすような現象も2019年に発生します。
緒形拳さんのご子息である緒形直人さんが、父そっくりの豊臣秀吉像を演じる。
しかも緒方直人さんのご子息である緒方敦(あつし)さんまで出演。
そんな記念的ドラマが、NHKではなくAmazonプライムの『MAGI』(→link)で放映されたのです。
大河ドラマの伝統が海外ドラマへ――そんな苦い流れが生じたのが2010年代末でした。
『麒麟がくる』では
「誰も見たことのない三英傑像を一から構築する」
と明言されました。
今までの大河で築き上げたものを一度洗い直し、再出発をかざる。
したがって、三英傑がミスキャストである(特に信長が若すぎるのでは?)と疑念を持たれることこそ、挑戦の証でもあるんですね。
いささか話が脱線しましたので『国盗り物語』へ戻しますと……。
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