光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第40回「君を置きて」一条天皇の辞世の真意は?

2024/10/21

まひろが綴ってきた『源氏物語』もいよいよクライマックスへ。

藤壺と光源氏が密通してできた子が即位する展開は実に衝撃的でした。

あかねは絶賛し、帝も華やかで恐ろしいと語ります。

作者の藤式部に意図を聞こうとするも、中宮は教えてくれないのだと言います。

つまり作者は、読み手に見解を委ねているんですね。

作家と物語の向き合い方も色々あり、まひろは立場もあってか自由に議論をさせたいようで。

道長は真剣な顔をして、道長は藤壺の意を得ても光る君は幸せではないと断言します。不実の罪は必ず己に返ってくるのだ、と。

「左大臣がそんなことを言うのは初めてだ」

帝が意外そうに反応すると、あかねが嫣然と微笑みながら言い放ちます。

「罪なき恋などつまらないわ」

しかも赤染衛門までがこれに同意するのですから、彰子は驚いています。

人は道険しき恋こそ、燃えるのでございます――そう不敵に笑う赤染衛門。

実際の彼女は堅実ですので、妄想の中で危険な恋をするタイプでしょうか。

 


命は燃え尽きるが、罪は消えない

まひろが筆をもち、物語を続けています。

誰もが千年生える松になれない。命は燃え尽きる。ならば相手に偲んでもらえそうなうちに死んで、かりそめの情けをかけてくれただけでも、一途な思いが燃え尽きた証にしたい――。

ここは『源氏物語』の中心となる思想のようにも思えます。

長生きすることそのものが見苦しいと言いたげな、短命至上主義を感じさせる。

もしかしたらこれは日本文学の宿命かもしれません。今も昔も、ヒロインが早死にしすぎではないでしょうか?

『源氏物語』は言うまでもない。

今週末に映画が公開される『南総里見八犬伝』にしても、冒頭で伏姫が自害します。

『舞姫』だってモデルは健康に生きていたのに、作中では精神を病んで実質的に死ぬせる……海外文学にも夭折ヒロインは確かにありますが、日本文学はあまりに死なせすぎと感じさせます。

原典では死が描かれなくなった『三国志』ものの貂蝉も、董卓退場のタイミングで死なせることが日本独自の要素として定着しました。

他国のヒロインまで勝手に死なせているわけです。

NHK BSで放送中の『三国志 皇帝の秘密』では、本来の生存ルートアレンジ版の貂蝉が登場します。

そしてもうひとつ、まひろは道長の言葉を考えています。

罪を犯した者は――。

これも日本文学的かもしれません。来年大河に出てくる曲亭馬琴は『金瓶梅』の結末に納得できていませんでした。

いろいろな意味で文字通りやりたい放題の主人公・西門慶の最期が甘い!

もっと酷い最期にしなきゃスッキリせんだろ!

そう苛立っていたとか。

二年連続で文化に焦点を当てた大河になります。文学史に想いを馳せることも楽しいものですよ。来年の予習に映画の『八犬伝』もオススメできます。

 


優しき帝は民の気持ちを思う

中宮は、閨で帝を心配しています。

どんなに寒くても薄着なのだとか。

冷えは万病のもとですから気になりますが、聞けば帝は「民の思いを味わいたい」のだとか。民の苦しみを思いやることが大事だと語ります。

まるで唐太宗のような名君だと中宮が感動すると、帝も「百練鏡」か?と反応し、中宮が新楽府(しんがふ)を読んでいることに喜んでいます。

まだ途中だと微笑む中宮。

帝は中宮の想いを褒め称えますが、咳き込んでしまいます。どうやら普段から体調がよろしくないようです。

そして申し訳ありません、先週のレビューにて『貞観政要』だと書いてしまいました。

新楽府も『貞観政要』も「貞観の治」と称される唐太宗の政治を礼賛していますので、混同してしまい大変失礼しました。

咳き込む帝に、中宮が薬湯を飲ませます。

越前編の周明が見たら「帝でもこの程度の治療しか受けられないのか?」と驚きそうなところ。

以前も指摘しましたが、この頃の貴族にとっては現在のお屠蘇が最高級の薬です。

現代の感覚からすればハーブドリンク程度のものですね。それでも当時からすれば神秘の妙薬です。

周明は宋に戻ったのか、それとも太宰府あたりにいるのか。気になるところ。

東洋医学は、とにかく“冷え”を警戒しますので、まず帝が薄着という時点で注意が必要でしょう。きっと健康マニアの実資は厚着をしていることでしょうね。

天下を担う帝ですから、まずは自身の体を労らねばなりません。

中宮はまひろに相談しています。

帝の命を案じ、失うことを恐れているのです。顔色が悪く、息遣いが苦しそうだと不安げに語ります。

中宮は大事ないと言われるから薬師に相談していない、自分のせいだと責めています。

まひろはそのようなことをお考えになってはいけないと嗜め、今日は顔色もよいしきっと回復なさると声をかけています。

 

帝は崩御の“卦”が出る

道長も帝の具合を心配していました。

では薬師を呼ぶのか?

というと、そうではなく、なんと赤染衛門の夫である大江匡衡から占いの結果を聞いています。

結果は「世が替わる」とのこと。

25年にも及ぶ在位のため、道長譲位はあってもよいと考えていたとか。それがまさか崩御とは……淡々と語っています。

匡衡によると、今回の占い結果は醍醐帝と村上帝が崩御した時と同じようで、さらに今年は三合の厄年だと念押ししています。

結論、もう快癒の見込みなしとのことです。

この場面が極悪非道だと言える点は、帝の聞こえる位置でやりとりしていることでしょう。

医術もろくにない時代、こんな不吉な結果を聞かされたらたまったもんじゃありません。ショックのあまり確実に寿命は縮みます。

もしかして道長はわざとやったのか?とすら思えてくる。

そもそも、臣下が勝手に「そろそろ御譲位もありか?」などと言ってしまうのがおかしい。

『源氏物語』でも、精神的打撃から頓死する人物は多いものです。

当時のそうした事情は、Amazonオーディブルで NHKエンタープライズが配信している

◆「ほんとはヤバい平安ワールド〜光る君へがもっと楽しくなる」(→amazon

の最新エピソードにて、本郷和人先生の解説がおすすめです。

本作の道長はヒール度が低すぎるという意見もありますが、十分いやらしい政治家になったのではないでしょうか。

人間的にも妻を裏切りまひろを思い続け、罪がある男だとは思っておりましたが、彼みたいなタイプの悪党が一番厄介だとも思います。

人間的には愛嬌がある。

周囲の誰もが皆「実際会ってみれば、悪い人じゃないよね」と取り込まれてしまう。

実際は狡猾で、しかもそのことに本人は無自覚で、なんのかんの言い訳を用意しながら自分の責任を認めない。流されやすい。身内贔屓が強くて大義を軽んじる。

そんな道長と比べたら、藤原実資のほうがはるかに清廉潔白で立派、気骨がある政治家でしょう。

科挙のある宋ならば、実資のような秀才タイプこそが大政治家になっていたはずです。

 


左大臣の仰せのままに

陣定が開かれ、道長は「譲位の備えを始める」と宣言しました。

まだ若いのに何事か!と正面切って反対するのは実資。

顕光も困惑しながら「帝が譲位を望んでいるのか?」と道長に確認しています。

そうではない、25年という在位期間は長い。

道長が曖昧に解説をすると、先ほどと同様に「考えられぬ!」と実資が激怒しています。ただ単に東宮との距離を起きたい道綱は嬉しそうだ。

道長は、実資の意見を受け止めながら、他の公卿にも意見を求めます。すると……。

「左大臣の仰せのまま」

源俊賢、藤原斉信藤原公任がさっそく靡いていきます。行成は痛みを堪えているような、辛い顔をしている。

一体どうなることか。

そのころ中関白家では、藤原隆家のもとへ敦康親王がやってきて、父である帝の具合を聞いています。

これから先どうなるのか……。

不安そうな敦康親王に、第一皇子にして皇后定子様のお忘れがたみこそ次の東宮だと断言するききょう。

「先走るでない」

苦い口調で彼女を嗜める隆家は、己の無力を悟っているようにも思えます。

一方、藤壺では――敦康親王と東宮の座を競う敦成親王が、宰相の君と毱で遊んでいました。

まひろは道長とのやりとりを思い出しています。

中宮と“東宮となる敦成親王”をまひろに託していた道長。

その真意が漏れたようなあの言葉はいったい……まひろは、そこへやってきた宮の宣旨に次の東宮は敦康親王なのか?とこっそり聞きます。

「控えよ」

威厳をこめてそう嗜められ、謝るしかないまひろ。

我々が考えるのは畏れ多いとしながら「第一の皇子であろう」と声を潜めつつ答え、「そんなことよりも帝の平癒を祈れ」と付け加えるのでした。

宮の宣旨が、いささか迷いながらも敦康親王だと思っているのですから、他の女房や貴族たちも多かれ少なかれ同じように感じているのでしょう。

いったい敦成親王を次の東宮にすることは可能なのか?

四納言の俊賢・公任・斉信・行成が道長の前に並んで座っています。

敦成の東宮計画のために集められたのだと三人は察知。行成だけが辛そうに、第一の皇子であるべきだと訴えます。

しかし、敦康の後見は藤原隆家であり、

「罪を得た家の子だ」

と反論されてしまいます。

それを指摘するのが源俊賢というのが何ともムズムズしますね。彼の父・源高明は藤原家によって罪を着せられ失脚させられたのです。

行成はそれでも「強引なことをして恨みを買うのはよろしくない」と弱々しく反論します。

斉信は敦成を推すと宣言し、公任は「実資と隆家の説得をする」と言い出す。俊賢も賛同しました。

その上で「行成は何もせずともよい」とまで言われるのです。

会議を終え、4人で廊下に出ると公任がおもむろに爆弾を投下してきました。

「崩御の卦は出ているのだろう」

道長は憚って言わなかったのだ――行成が自分を納得させるようにそう言いますが、なんだか道長の中に残る良心を無理に拾い集めたいように見えてしまいます。

「道長は憚ったのに口にしてしまった……」

公任が慌てていると、崩御ならば一気に話が進むからそれもやむなしだと俊賢は淡々としている。

思い悩む帝の顔は、確かに死相があらわれているかのように見えています。

 

妍子は銅鏡しか求めていない

帝が道長を呼び出し、譲位するから東宮(居貞親王)に話したいと告げます。

さっそく道長が伝えにゆくと「帝の具合はそれほど悪いのか」と表面上は心配しながら、喜びを隠せない東宮。

道長も具合の悪いことを認めると、今度は「いつ会うのか」と急かすように聞き返します。

陰陽寮に調べさせてからと説明すると、「明日でもよい」と相変わらずグイグイ来る東宮。それは無理でも近々だと道長は答えます。

東宮は、道長に対し、娘の妍子の顔でも見ていけと告げるのでした。

そのころ妍子は銅鏡を手にしていました。

どうやら宋あたり高級品を見ているようで、他にも次から次へと買い漁ってゆく。

「お目が高い」とおだてられ、全て買い上げるとウキウキしている様子の妍子。

一瞬のことではありますが、色々と奥深い場面ですね。

まず、手にしているのが銅鏡です。

姉である彰子が「三鏡の教え」を理解していることと比較してしまいます。彰子は知性を磨き、政治を理解する鏡になりました。

しかし妍子は、銅鏡に映る見た目しか気にしていない。

そして、宋の商人は朱仁聡の後も続々やってきて、こうした高級品を売りつけていることがわかる。

この状況を平安貴族はどうしたのか?

というと、結局、何も対策しないまま有耶無耶になってゆき、この先、平清盛が日宋貿易で力を蓄えてしまうのですね。

誰を東宮にするか、ネチネチ考えているより、他にもっとやりようはある。

そんな娘のもとへ道長がやってきて、東宮の蓄えとて潤沢ではないと嗜めますが、妍子は口を尖らせ反論してきます。

「母上が土御門で引き受けるから好きにして良いと言った」

花びらを重ねたのような口元がなんとも愛くるしい妍子ですが。

道長はそれでも辛抱強く、彼女を諌めます。

「東宮が帝になるのだから、帝の后としてふさわしいあり方がある」

「父上のために我慢して年寄りの后になったのだから、これ以上我慢できない」

しかも、どうせなら敦明様がよかったとまで言い出すのですから、道長も愕然としている。

『源氏物語』にも「歳をとった夫より若い男がいい」と身も蓋もないことを考える女君はおりますし、密通も出てきます。

そしてこの場面には、実資なら「ありえん!」と怒髪衝天しそうな要素も潜んでいます。

宋の商人は薬を持ち込んでいないのでしょうか?

高値で売れる商材ですから、用意されていてもおかしくはありません。もしも道長が帝の体調を気遣っているのであれば、そこを聞き出そうとしてもよいはず。

健康マニアの実資なら、自分自身のためにも薬の在庫を尋ねていたことでしょう。

道長の言動の端々に、帝への冷たい思いが滲んでいて、見ていてなかなか辛いものがあります。

 

帝は敦康親王を東宮にしたかった

譲位を決めた帝は、行成を呼び出し、ただひとつやり残したことがあると告げます。

そう、敦康親王を東宮にすることです。

そのためには、道長と親しい行成に、どうか告げて欲しいと頼み込むわけですが……。

行成も、帝の敦康親王を思う心をごもっともだとして、ひたすら感じ取っていたと答えます。

「ならば……」

そう安堵する帝に対し、行成は話を打ち切るように過去の事例を持ち出します。

何かといい加減なところのある道長に対し、実資や行成は過去の実例を持ち出すことができる。

清和帝は文徳帝の第四皇子であるにもかかわらず東宮となった。

それはなぜか?

外戚・藤原良房が朝廷の重臣であり、その権勢あってのことだった。

それを踏まえ、敦康親王より敦成親王の方が外戚として強力だと説明するのです。

「朕は敦康を望んでいる……」

それでも諦めきれない帝に対し、行成は「天の定めは人知の及ばざるところがある」と告げるのみ。さらに「左大臣は敦康親王を東宮にすることに賛同しない」と言い切りました。

「わかった……下がれ」

言葉を絞り出すように答え、行成が下がったあと、涙を落とす帝でした。

ここの場面は帝も、行成も、これ以上はないかと思えるほど美しく撮影されていました。

どの角度で映せばよいか、どう照明を当てるか、考え抜かれた美しさがあります。

そして演じる側も、人知を超えたような雰囲気すらある。

帝は萎れてゆく花のように生気が消えてゆく。行成は帝と道長の間で引き裂かれ、心が砕け軋む様が見えるようでした。

行成が心優しく、帝を愛していることは他の人たちも知っています。だからこそ、公任や俊賢は無理しなくていいと言っていた。

しかし行成はあまりに責任感が強いのです。

しかも『権記』という日記があるため、彼の場面はドラマでも再現しやすい。

行成は道長の元へ向かい、お上が敦成様を東宮にと仰せになったと報告します。

道長は安堵し切った顔になります。

「なんと! またしてもお前に救われたぞ。行成あっての私である!」

人たらしぶりを発揮する道長。

浮かれた様子で「中宮に御譲位と敦成様が東宮になることを報告してくる」と行成に告げています。

道長は帝の病気を喜びながら、敦康を排除するように動く。

やり口は異なれど、あの父や兄そっくりになってきています。これはもう怨まれても仕方がないところです。

 

中宮は「左大臣の仰せのままに」とはならない

藤壺でこのことを聞かされた中宮は、なぜ一言もなく東宮を敦成にしたのか!と怒りを炸裂。

道長が「帝の仰せだ」と押さえ込もうとすると、中宮は「帝が病でお気持ちが弱ったところにつけ込んだ」と疑念を募らせ、父にキッパリと逆らいます。

帝の考えだと再度言われようが、中宮は信じない。彼女に対して、敦康様を次の東宮にすると仰せであったと反論するのです。

さらに中宮は本質を突いてくる。

敦成は第二の皇子で四歳なのだから、まだ先はあると言い切ります。

中宮は流石に鋭い。問題の本質はまさにそこなのです。

問題は皇子自身でもない。ゆえにそこは問題ではない。

皇子の祖父として道長が確実に権力を握りたいからこそ、介入してきました。

当時はもう不惑の四十を過ぎれば、いつ亡くなっても不思議はありません。

道長も歳をとり、父・兼家が強引に花山院を追いやった焦燥を理解できるようになりました。

彼は変わったのです。

中宮が皇子の年齢を持ち出すことで、道長の卑劣さが炙り出されます。

「父上は、どこまで私を軽んじておいでなのですか!」

中宮はさらに自分自身を軽んじている父に怒りをぶつけます。これはその通りで、道長は娘の怒りすら理解できていない。

何を言っているんだ、我が子が東宮になって嬉しいんじゃないのか?

敦康が愛おしいと言っても、実母でもないだろうに……。

その程度の理解で娘を見ていそうに思えます。

敦成だけでなく、敦康も元服まで守り育て、母だと思ってきた。二人の皇子の母であると訴える中宮。

道長にとって帝の血を引く孫は二人でも、中宮にとって帝との間の子は三人なのです。しかも、この縁は敦康親王を藤壺に置くことで帝を呼び寄せたい道長の策あってのことでした。

唐突に父に軽んじられ、怒りが止まない中宮。脳裏には妹である妍子の「私たちは父の道具だ」という言葉もよぎっているのかもしれません。

帝に考えを変えていただく――そう言いながら出て行こうとする中宮の袖を、道長が握ります。

「政を行うのは私であり、中宮様ではございませぬ」

そう頭を下げて出て行く道長。

その様子をじっと見つめていたまひろに対し、中宮は泣きじゃくりながら訴えます。

「藤式部……何故女は、政に関われぬのだ……」

かつて中宮は無口でした。

「仰せのままに」と何事も受け止めていたのに、今はこうもはっきりと反論し、食い下がるようになりました。

ここの嘆きは重大深刻かつ、このチームが一番言いたい核心のように思えます。

彼女たちは学ぶ機会があります。知識はあるのです。字を習うことすらできない、知識を身につける機会すらない女性とは違います。

じゃあ満足か?というと、そうではない。

得た知識に似合うだけの力を持てない。奪われている。軽んじられている。

そのことへの生々しい怒りがそこにあります。

このチームはこれが言いたいからこそ、この題材を選び、矢玉が飛んできても耐えられる、大石静さんを脚本家に迎えたように思えます。

ものすごい場面だ。そう見ていて背筋が伸びるほど、メッセージ性が高く、鋭い場面でした。

 

道長か 彰子か?

道長とまひろが別の場所で柱に寄りかかり、何か考え込んでいる様が見えます。

中宮は猜疑心が強いところがあり、一度気になると考えがまとまらないので、敢えて受け止めていたのではないかと思います。いったん覚醒すると手強いのです。

そうした性格はまひろも似ています。道長の言葉に不信感を覚え、宮の宣旨に尋ねておりました。

まひろの猜疑心は、道長、そして自分自身にも向けられているのかもしれません。

『源氏物語』への感想と共に、ききょうの意見をぶつけられたことがあります。その後、まひろが思い出していた相手の言葉は、主である定子に命を賭けるという思いでした。

ききょうはああも忠義に生きているのに、まひろはどうなのか?

あのときから、まひろの中では、道長か、中宮か、秤にかけられているように思えます。

若い頃の自分だったら許せない、そんな悪徳政治家に堕ちてゆく道長か?

漢籍を読み、政に目覚め、それに参加できないことを悔しがる中宮か?

理想の主は、自分の命を賭けたい相手は果たしてどちらなのか?

これはまひろだけでもなく、行成も迷っているように思えます。彼の場合は道長と帝が秤に乗せられています。

まひろの秤を比べてみると、道長側には恋愛感情が加算されます。

それでは中宮側は?

若い頃の自分自身、本質であると思えます。青く、まっすぐで、不正義が許せなかった頑なな自分です。

成長して世に出ると共に、そんな青臭い理想論だけでは生きていけないと、人は本質を忘れ、曲げて生きていくようになります。

公任は器用に曲がり、実資はなかなか曲げらない。

本質が柔らかい斉信や道綱は、葛藤そのものがそもそも存在しません。

しかしさらに歳をとり、自分は千年も生きる松ではないと悟ると、一周回ってしまうことがあるもの。

理想を忘れて名声だの富だの求めて、それでほんとうによいものだろうか?

そう迷い、本質を取り戻すことを選ぶ人物もいます。

大河ドラマでは『麒麟がくる』の明智光秀がそうでした。

あの光秀は大きな国を作り、朱子学を実現する世の中にするためには、まずは強力な力がいると悟り、織田信長の家臣となりました。

それでもたまに本質がのぞくと、信長の強引さに嫌気がさしたような顔を浮かべていたものです。

自分を曲げてでも、信長に従っていた。ところが信長と話が通じなくなってきたあたりで、不器用だった原点回帰をしたあまり、本能寺へ向かってゆきました。

さて、まひろは?

今回のまひろは、台詞が少ないというところも『麒麟がくる』の光秀を彷彿とさせます。

あの作品は、主演の長谷川博己さんが無言の芝居があまりに多いと脚本家の池端俊策さんに嘆いたそうです。

表情だけで葛藤を見せられるからこそ、難易度の高い脚本が回ってくるのでしょう。

吉高由里子さんだからこそできると信じきった上での展開だと私は思います。

 

譲位 そして践祚(せんそ)へ

東宮は帝と対面のため、清涼殿を訪れます。

東宮の後ろには下襲の裾をもつお付きの人もいました。こういう再現が見られるところに、大河ドラマの意義があります。

「朕は譲位する。東宮であるそなたが践祚(せんそ)せよ」

そう告げられ、どこか嬉しさを隠しつつも承る東宮は、良き帝になることを誓います。

そして帝は「東宮は敦成にする」と付け加えました。

やや動揺を見せながらも事態を理解する東宮。

本音をいえば、自身の子である敦明を東宮にしたいところでしょうが、そこは何も言わず、玉体を労るように告げ去ってゆくのでした。

東宮は、妻の妻の娍子(すけこ)に語ります。

敦康親王を退けた左大臣はさすが抜け目ない――。

それを聞いた娍子も、左大臣とは仲良くなさった方がよいと助言。

東宮は理解を示しつつ、ようやく私の世になると感慨を深めています。公卿をまとめ、政を進めるうえで左大臣との協力は欠かせぬと理解しているようです。

そのうえで、孫の敦成が東宮ならば、譲位を迫ってくるとも予想しています。

「言いなりにはならない」

そう宣言し、今の帝とは違うと語る東宮。果たしてどうなるのか。

そして話し合いから11日後、譲位となり、25年に及ぶ一条朝は幕を閉じたのでした。

三条天皇の御代となり、敦成が東宮となります。

まだ幼い東宮に挨拶する道長。

彰子は力の限り東宮様を支えるように命じつつも、どこか距離が空いたように思えます。

そのころ敦康親王は無念だと語っていました。

姉の脩子内親王はこれも宿命かと受け止めようとしている。敦康親王も致し方ないと諦めの口調です。

しかしききょうだけは、強い口調で「まだ帝になれないと決まったわけではない!」と反論。

このさき何が起きるかわからないと引き下がりません。

しかし敦康親王は、もはや達観したようで。父の姿を見ていると帝の苦労はよくわかる、穏やかに生きて行くのも悪くないと力の抜けた様子です。

気晴らしに狩りでもしないか?

隆家がそう誘うと、敦康親王は「殺生はせぬ」と断ります。敦明親王とは逆の考え方ですね。

そしてそれを聞いた隆家は思わず笑い出します。あの優しい姉と先帝の子であれば、殺生なぞせぬと悟ったのでしょう。

そうした隆家の悟りだけではなく、朝廷の人々とは違う者たちがいることも脳裏の隅にでも置いておきたいところ。

ききょうだけは、そんな優しい敦康親王に、納得ができていないように思えます。

 

「君を置きて」

一条院は剃髪出家し、読経が響く中、死の床にいます。

院は弱々しく、辞世を詠みました。

露の身の
風の宿りに
君を置きて
塵を出でぬる
こと……

泣きじゃくる彰子。

辞世がここまでしか詠まれないことには、意味があります。

このあと、道長と行成が日記を書く場面が入ります。

道長の日記には、こうあります。

霧の身の
草の宿りに
君を置きて
塵を出でぬる
ことをこそ思へ

霧のように儚いこの身が、かりそめに宿るだけのこの世に、あなたを置いて塵となってしまうのか。

一方で、行成の日記は、こうなります。

露の身の
風の宿りに
君を置きて
塵を出でぬる
ことぞ悲しき

霧のように儚いこの身が、かりそめに宿るだけのこの世に、あなたを置いて塵となることは悲しいものだ。

行成は定子の歌と対比していると解釈しています。

煙とも
雲とも
ならぬ身なれども
草葉の露を
それとながめよ

煙にも雲にもならぬ身だけれども、草葉の露を我が身と思って欲しい。

道長は一条院のそばに彰子がいたことも記しています。

一方、行成は定子の歌を踏まえているとする。

つまり、今回のタイトルである「君を置きて」の「君」とは、道長の解釈では彰子であり、行成の解釈では定子となります。

さて、どちらの記述が正しいのか?

となると、性格的に行成ではないかと思う人が多いとは思います。

実際、道長のほうは、聞き間違い、書き間違いの可能性が高いのです。

なにせ道長は「崩御」の「崩」を「萌」と書いてしまうほどのそそっかしさ。

その日記には、あんな済ました顔をして、こう書いているのです。

巳時萌給。

巳の時に萌(崩)え給う。

巳の時には崩御なされた。

もう、勘弁してくださいよ……。行成と実資が真面目に日記を書いていて本当に良かった。

ちなみにくどいようですが、お隣の中国ではこういうことは起こり得ません。

科挙を突破した宋代の官僚は優秀です。

中国の視聴者は、忠実に再現された道長の悪筆に困惑します。科挙の答案は悪筆であると減点されるため、悪筆である官僚もまずいないのです。

そして、この書き間違いより、よほど酷いことも道長はやらかしております。

一条院は、定子と同じ土葬を望んでいました。

しかし火葬にされてしまったのです。

これも道長がうっかりしていたためとされます。

ただ忘れていたのか、それとも定子とのつながりを断ち切りたいから無視したのか。いずれにせよ外道でしょう。

こんなに不敬なのは『鎌倉殿の13人』の北条義時以来に思えます。

隔年ごとに不敬な者が出てくるということは、日本史の構造そのものかと思えてくるほど。

『八重の桜』放映時、「朝敵である会津を美化している」という時代錯誤としか思えない批判を見かけました。

そういうことならば、ざっとここ十年をみた範囲で『平清盛』『麒麟がくる』『鎌倉殿の13人』『光る君へ』も、改めて考えると十分不敬です。遡ればさらに増えますね。

彰子とまひろは喪服を身につけ、悲しみに沈んでいます。

まひろはじっと彰子の顔を見つめる。

容姿は父親に似ていても、性格は実はかなり異なる主の顔をじっと見つめているのです。

ちなみに、まひろと道長の関係にも、ひびが入ってきているようにも思えます。

紫式部が道長の「妾」とされる根拠として、『紫式部日記』にある道長のセクハラ短歌があります。

「あんな物語を書いているなら好きモノなんでしょ、エロいんでしょ〜」

「一晩中戸を叩いていたのになんで開けないのぉ〜」

こういうゲスな歌です。

道長は和泉式部にも「おぬしもエロいのぉ〜」とセクハラをかましております。

しかしドラマでは出てこない。

なぜか?

劇中ではまひろと道長の距離が空いているからではないかと思うのですが。

 

双寿丸、賢子と乙丸を救う

そのころ、都では散楽一座が芸を披露していました。

かつての直秀を彷彿とさせる場面。そこへ、いつかの母のように、賢子が乙丸と共に通りかかる。

瓜売りが籠を差し出してきて、乙丸が買い取ります。

と、道から現れた盗人が瓜を奪い走り出しました。賢子は盗人を追いかけ路地裏へ。

盗人を追い詰めたかと思いきや、仲間と思しき髭面の男まで出てきて、賢子を掴みながら「げへへへへ」とチンピラ笑いを浮かべつつ、接近してきます。

このまま拉致されてしまう!

すると今度は一人の青年が現れ、電光石火で悪漢を倒してゆくではないですか。青年は手慣れていて、格闘の心得があるとわかる。

では当時の格闘技はどんなものだったのか?

というと、これがよくわかりません。

相撲も当初は“蹴り”が禁止されていません。

歴史に残る最初の対戦である野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の戦いは、蹴速のキックを宿禰がかわし、足払いで転ばせた上で踏み殺すというハードなものでした。

野見宿禰と角力を取る当麻蹴速 (月岡芳年『芳年武者无類』)/Wikipediaより引用

ですので、青年が華麗な蹴り技を披露するのも、あながち間違いでもありません。

戦国時代も後半になると、古武術の型を用いる必要がありますが、この時代は演者の力量も鑑みて、割と自由にできるかと思います。

『鎌倉殿の13人』のトウも、華麗な格闘術を披露していましたね。

青年を見て「かっこいいー!」と思った方は、その気持ちを大事にしながら先へ進みましょう。

助けられた賢子は、当然のことながら惚れ惚れとしまして、うっとりと相手を眺めています。

「俺の名は、双寿丸」

青年はそう言いながら、乙丸を背負い、賢子と共に家まで送り届けました。

腕っぷしが強いと感心する賢子に、双寿丸が「お前も気が強いんだな」と答えると、乙丸は「姫様に無礼だ!」として相手の頭を殴り、賢子に嗜められています。

賢子たちが家に戻ると、いともきぬも驚いています。

乙丸が背負われていることも衝撃的でしょうが、双寿丸のことがなかなか恐ろしいようです。

賢子はそうでもないのに、いとは品定めするように眺めて、双寿丸に困惑しています。

命を助けてくれたお礼に、賢子は食事を振る舞うことにします。

「こんなにゆっくり飯が食えるなんて」

そうしみじみと喜ぶ双寿丸。

一体どんな暮らしをしているのか?

「俺は、平為賢様んとこの武者だ。下っ端の下っ端だけどな」

男ばかりで、もたもたしていたら食いっぱぐれるそうです。どんな殺伐とした食事の場なのでしょう。

「たんと召し上がって、姫様のことは今日限りお忘れくださいませ」

いとがそう念押ししながら、姫様のお祖父様は越後守で、釣り合わないと牽制します。双寿丸は何言ってんだと戸惑うばかり。賢子も失礼だと嗜めます。

そこへまひろが帰ってきて、不審者を見る目つきで双寿丸をみます。

「誰?」

「あなたこそ、誰なの?」

まひろは異物を見る目になるのでした。

 

ここで質問「双寿丸はイケメンですか?」

現代人ならば「イケメンでしょ!」と答える方が多いと思います。私も賛成です。

しかし、いととまひろの顔を見ると、そうは思っていないように感じます。

健康的に日焼けしていて、髪はボサボサで、ガツガツと食事する。思ったことをズケズケという。

もうイケメンどころか「なんだこの野蛮人……」と警戒しているのでしょう。

『源氏物語』の世界観は、不健康であり、回りくどいことこそが、男女双方の美形の条件に思えます。

そこから双寿丸は逸脱していて、もう、ありえないのです。

『鎌倉殿の13人』では、木曽義昌が都でさんざんバカにされていました。

彼だっていい男でしたよね。それでも野蛮人扱いだったものです。

北条政子や八重だって、都からきて優美というだけで、源頼朝に靡いていったものです。

なにせ、当時はエレガントさが美形の第一条件!

双寿丸はあえてそこから外していると思えます。

『源氏物語』の「玉鬘十帖」では、優美なイケメンを求める玉鬘に、嫌味のようなことが書かれています。

マッチョな髭黒を玉鬘は嫌っているけれど、男の顔が化粧をした女のようなわけがないのに、仕方ないではないか。そう突き放しているのです。

物語後半に、元気な武者が飛び回る。

これもまた『源氏物語』の世界観を踏襲しているといえばそう思えます。

それに彼は直秀のようにはならないでしょう。

腕っぷしが強く、相手を撃退できる。母と娘が恋する相手は、似ているようで違うのです。

来年の『べらぼう』の世界観となると、江戸っ子にとって双寿丸は「いい男じゃないの!」となるかと思います。

江戸のセンスは現代人にかなり近づいてきていて、当時のモテる男は、火消し、力士、与力とされます。健康的で体もシャキシャキ動くタイプです。

それと食事の感覚も注目でしょう。

双寿丸がガツガツと食欲旺盛であるのは、意義があると思えます。

当時は食事を見られることそのものが卑しいものとされております。

姫が食事をするところを見られるのは、排泄を見られるくらい恥ずかしいとされていたのではないかとすら思えます。

この価値観は江戸時代となると「遊女」にのみ適用されます。

遊女は客といる時は宴会ですら食べることが許されていません。

「地女」と称される一般人はそうでもありません。

浮世絵の美人画には、おいしそうに屋外で天ぷらを食べる江戸娘までもが描かれるようになるのでした。

『鎌倉殿の13人』へと時代をつなげてゆく、そんな双寿丸には今後も注目しましょう。

 

MVP:一条天皇

あえて辞世をどちらにも解釈できるようにしたことで、今回と次回がつながるように思えます。

「君を置きて」の「君」が誰なのか。

それが「揺らぎ」となるからこそ、次回予告でききょうも顔を見せているのでしょう。

本当に難しい役だと思います。

現代人でも真面目な人からすると、「君」が複数いて、どちらかわからない時点で、ものすごく大変なことのように思えるはずです。

演じる塩野瑛久さんは、定子か彰子か、生きるか死ぬか、ずっとその間で揺らいでいるようで、見ていて辛くてたまりませんでした。

こんな美しい人が、こうも苦しみ、儚くなってしまうのか。

そうずっと胸に刺さってきて、私の心も揺らいでしまいます。

見事な像でした。

 

鹿を指して馬と為す

鹿を指して馬と為す――とは『光る君へ』でまひろも語っていた言葉です。

誰かに媚びるため、目の前の鹿を馬だと言い張る。

要するに忖度ですね。

忖度忖度忖度……と組織に蔓延すると、必ず腐敗します。

なぜ、こんなことを書いているか?というと、昨日、大河ドラマの後にNHKスペシャル『ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像』が放送されたからです。

大河ドラマともむろん関係が大いにあります。

NHKスペシャルの中でも、2004年『新選組!』と2005年『義経』では二年連続主演だったとして、映像まで使われました。

ジャニーズ主演の大河は全部で5作あります。

その中で最も重要なのは2023年『どうする家康』であることは、番組の流れを見れば明らかでした。

『どうする家康』制作において強い力を持っていた若泉久朗氏が、NHKを去ったあと、ジャニーズ事務所の顧問となっていたのです。

いわば彼の忘れ形見があの作品と言える。

若泉氏は「取材に応じない」としながら、番組内で突撃されると、NHKのスタッフに向かってこんな風に言いました。

「仲間じゃないですか」

同じNHKなんだからこれ以上、急な追及はしないでくれよ、ということでしょう。

こういう仲間意識、まさに鹿を指して馬だと言い張るような忖度が、大河ドラマまで腐らせたのではないか――あの番組を見て改めて感じたものです。

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私自身は昨年、鹿を見せられても「これは馬です」とは言いませんでした。

それで正解だったのだと確認できた意味でも、昨晩のNHKスペシャルは意義のある番組だったと思います。

「まだまだ踏み込みが甘い」という評価もありますが、一歩目としてはまずまずではないでしょうか。

大木を伐るには何度も斧を撃ち込まねばなりません。

はじめの一撃が最も重要であり、その一撃が見られただけでも今はよしとしたいところです。

むろん次の一撃が続くことが重要ではあります。

NHKの自浄作用に期待しておきましょう。

最後に、来週は衆院選のため、総合での放映時間が午後7時10分からとなります。BSでは変更ありません。お間違いなきように。

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【参考】
光る君へ/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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