戦国史を現代風に大胆アレンジして楽しむマンガ『戦国ブギウギNEO』の第33話は上杉謙信の動向に注目!
中央で勢力を拡大させていく織田信長に対し、北陸方面から圧迫を強めていく謙信。
武田勝頼は長篠に敗れ、もう真正面から対抗できるのは謙信しかいない……ということで、さっそく漫画でご覧ください!
七尾城の戦い

◆天正五年(1577年)、上杉謙信が能登の七尾城へ攻め寄せました。
城主の畠山氏はすでに名ばかりの存在で、実権を握っていたのは重臣たち。
上杉を頼って生き残ろうとする遊佐続光(ゆさ つぐみつ)と、織田に望みをかける長続連(ちょう つぐつら)が真っ二つに分かれます。
続連は救援を求めるため、僧籍にあった子の宗顓(そうぜん)を密かに安土へ走らせました。
後の長連龍(ちょう つらたつ)です。
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援軍要請

◆安土へ着いた宗顓は、七尾城の危機を信長へ訴えました。
能登が落ちれば、平定を進めている加賀まで危うくなる――そう判断した信長は上杉との一戦を決意。
天正五年(1577年)8月、柴田勝家を総大将とする北陸方面軍を差し向けます。
丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉と、そうそうたる顔ぶれであり、長続連の賭けは、ひとまず実を結んだかに見えました。
無断帰参

◆いざ北陸へ出向いた柴田勝家中心の織田軍。
陣中で、羽柴秀吉が勝家と衝突して無断で引き揚げてしまいます。
確かな史料にその理由は記されていませんが、『越登賀三州志』では進軍中に長連龍の父と兄の首がさらされ、救援の意味を失った秀吉が帰ったとされます。
むろん信長は秀吉に対して激怒!
ただし、すぐに処罰された形跡はなく、総大将である柴田勝家の面目は丸潰れとなってしまいます。
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手取川の戦い

◆9月15日、七尾城では遊佐続光や温井景隆(ぬくい かげたか)が内応し、長一族は皆殺しにされました。
落城を知った織田軍は撤退へ転じ、23日に手取川で上杉謙信の追撃を受けます。
手取川の戦いですね。
ただし、この合戦にはナゾが多く……謙信が「千余人を討ち取った」と記した書状の写があるのみ。
しかも近年は偽文書とみる説もあり、実際は大きな戦いではなく、柴田軍の退却中に一揆衆から損害を受けた程度だったのでは?とする見方も有力視されています。
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余命宣告

◆本能寺の変まであと5年。
確かに死が迫りつつある状況ですが、その前に、亡くなってしまうのが上杉謙信でした。
天正六年(1578年)3月13日が命日ですので、わずか1年後のことですね。
この結果、第三次信長包囲網をされていた織田軍は北の脅威から解放され、逆に上杉家は御館の乱という大きな内乱で苦しむことになります。
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※著者・アニィたかはしの『大河ブギウギ豊臣兄弟編Youtube』はこちらから👇️
参考文献
- 日本史史料研究会/渡邊大門『信長軍の合戦史』(2016年5月 吉川弘文館)
- 洋泉社編集部『ここまでわかった 本能寺の変と明智光秀』(2015年12月 洋泉社)
- 林屋辰三郎『日本の歴史12 天下一統』(2005年4月 中央公論社)
文:五十嵐利休






