昭憲皇太后

昭憲皇太后/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

昭憲皇太后のお召書|洋装を推奨した理由は何より便利だったから?

2025/01/16

明治二十年(1887年)1月17日、昭憲皇太后(当時は皇后)が女性の洋装に関するお召書を出しました。

現代ではお上から「これこれの服装をせよ」なんて命じられることはまずありませんが、これは当時の社会環境が大きく影響しています。

その理由や、日本に洋服が広まるまでの流れをたどってみましょう。

昭憲皇太后/wikipediaより引用

 


皇族女性の正装も洋装へ切り替え

明治維新の後、日本は日常のありとあらゆる面で西洋文化を取り入れました。

皇族女性の正装も洋装へ切り替えられました。

”マントー・ド・クール”というフランス・ブルボン王朝時代の礼服で、簡単にいうとロングドレスの後ろに長いマントがついたものです。

十二単に匹敵するほどの長い裾が特徴で、儀式などの際には裾を捧げ持つ専門の職員がいたほどでした。

実はこのドレス、明治時代初期の時点で西洋では”時代遅れ”とされていた形だったのですが、明治政府における正装とされたのは、以下のような理由が考えられます。

・十二単とシルエットが近い

・西洋における当時の最先端レディースファッションはかさばりすぎた

当時のヨーロッパでは、鯨の骨などで作ったバッスル(腰当て)をスカートの下につけて、大きくふくらませる”クリノリンスタイル”が流行。

日本でも鹿鳴館での舞踏会などではこのドレスが着られた一方、宮中ではふさわしくないと考えられたようです。

その理由について明言されていませんが、おそらくお尻を強調するような形が受け入れ難かったのではないでしょうか。

 


皇后のお召書

古来より日本では”暑い時期なら、女性も上半身をさらして問題ない”という価値観があります。

平安時代の夏服としても上半身が透けて見える紗(しゃ)が用いられていましたし、農民や町人の女性が胸元をはだけている絵もよく見かけますよね。

一方でお尻や足はというと、さらすどころか形がわかること自体がほぼありません。

現代でも着物や浴衣を着るときにタオルなどで補正しますが、体の線がわからないくらいストンとさせたほうが美しく、それらしく着られますよね。

”胸が見えるのは良くて、下半身の線が見えるのはNG”という明確な理由は不明ながら、性的な連想をさせやすいか否かがポイントかもしれません。

西洋でも女性が体のラインを出すのはOKでも、脚を出すのは20世紀までご法度でしたしね。

前述の通りマントー・ド・クールは背中にマントがつく上、裾を捧げ持つ役の人がいますから、後ろ姿や体のラインが人目にさらされることはほぼなかったと思われます。

こうした状況から、たとえ当時の流行りに乗っていなくても

「この形が正装には相応しい」

と見なされたのではないでしょうか。

同じ頃、皇族に仕える女官のうち、高位の者の正装も洋装にされています。

身分が高い者のふるまいが下々にも波及していく、いわゆるトップダウンを狙ったことによりますが……それでも一般の人々にはなかなか洋服が広まらなかったので、この日に【皇后のお召書】という形で、改めて洋服を推奨されたというわけです。

 

和服は不便 女子の活動を著しく制限する

女性にも洋服を推奨した理由――その第一は「和服は女子の活動を著しく制限し、不便である」というものでした。

昭憲皇太后自身、維新まではまさに“深窓の姫君”といった生活。

しかし東京へ来て、あちこちに行啓(皇后や皇太子などのお出かけ)をするようになり、和装の不便さを実感したのでしょう。

和装にも普段着はありますが、特に后妃や女官の生活はそもそも外出や動きやすさを想定していません。

「これからは女子も積極的に活動すべき」

そんな風に変化した時代においては、不適切に感じられたのもむべなるかな。

和装の昭憲皇太后/Wikipediaより引用

一方、和装にしても、より簡易的に着られるものが登場しました。

西洋の”ビジティングドレス”に対応する和装として”訪問着”が誕生したのは実は明治時代なのです。

現代でも幅広い場面で活用できる和服として浸透していますね。

こうして推し進められた洋装化でしたが、当の宮中で困ったこともありました。

明治宮殿の冬がとんでもなく過ごしにくいものになってしまったのです。

徒然草に「家のつくりようは夏をもって旨とすべし」とある通り、日本の建築は夏に過ごしやすくすることを念頭に置いて建てられています。

洋風化が進められた明治時代ではあったものの、天皇の暮らす宮殿は伝統的な和風建築で作られていました。これは元々江戸城だったことに加え、明治天皇がそのように希望したからです。

さすがに国家元首の住まいをいきなり他国様式のものにするのは抵抗があったのでしょう。

また、日本家屋の構造は”真冬の寒さを重ね着して凌ぐ”ことが前提でもあります。

しかし洋装は和装ほど重ね着できませんので、特に昭憲皇太后やお側の女官たちは寒さに難儀するようになってしまいました。

このため、昭憲皇太后は沼津御用邸へ避寒しに行くほど寒さが堪えていたようです。

昭憲皇太后は当時の基準としても小柄で痩せ型だったようですしね。

 


庶民への洋装普及は小物や制服から

こうして女性にも洋装が少しずつ広まり、和装はいわゆる「晴れ着」としての役割になりました。

ただし、全ての女性が洋服を常用していたわけではありません。洋服は和服より体に沿わせる構造になっているため、仕立てる手間がかかります。

職人や機械も少なかったでしょうから当然のこと。

一方で少しずつ洋装を見かける機会は増え、抵抗感を持つ人も減っていきました。

その理由としては、警察官や郵便局員など”庶民もよく見かける公職”の人々の制服として洋装が用いられたためです。

男士学生の制服としても洋装が取り入れられると、女学生には洋装より提灯袴が普及しましたが、履物はブーツが好まれていわゆる”ハイカラ”がブームとなります。

大正時代あたりを舞台にした創作でよく見かけますね。

足元は遠くからだと目につきますが、近距離や自分からだと見ようと思わなければ見えにくいので、抵抗感が薄かったのかもしれません。

他にも”着物にショール”や”着物にパラソル”といった、和装に洋装小物を合わせるスタイルが流行しました。

費用のかからないものから取り入れたという理由もあるでしょうけれども、今日のファッションでも「一か所違うテイストのアイテムを入れる」というのはオシャレのコツだそうで。

時代を超えた共通点、というと大げさですかね。

その一方で、髪型まではなかなか洋風になりませんでした。

しかし江戸時代の髪型そのままだと、いくらなんでも洋装に合わない……ということで、夜会巻などの新たな髪型が誕生します。

夜会巻は現代でもホテルのフロントや百貨店の店員さんなど、フォーマルさを重視する職業で用いられていますね。

 

災害と服装

現代ほど洋服が常用されるようになるのは、もっと後の話です。

その間に起きた出来事で”和装の動きにくさ”が災いした例が以下の通り。

大正十二年(1923年)関東大震災

昭和七年(1932年)白木屋デパート火災

特に後者は有名な話なので、ご存知の方も多いでしょうか。

「白木屋で大きな火災が起き、高層階の女性店員が和装で下着をつけていなかったため、恥ずかしくて飛び降りることができずに亡くなってしまった」というものです。

この話自体は、諸々の点を考えて否定する向きのほうが強くなっています。

しかし、これが都市伝説以上の信憑性を持って語られるようになったのは、おそらく当時”和装の店員”が珍しくなかったからでしょう。

アニメ『サザエさん』でも、母のフネは基本的に和装ですし、父の波平も帰宅後は和装ですよね。

あれは元々連載していた時期が大体1946年~1974年頃の舞台だったためとされています。

フネといえば、作中では和装に割烹着で登場することも多いですよね。

実は割烹着は”和装に適したエプロン”として考案されたのが始まり。

戦時中の昭和七年(1932年)に国防婦人会が結成された際、割烹着が会員のユニフォームとして使われるようになり、そこから広く浸透したのだとか。

そして戦後には洋装の普段着化が一層進み、今日に至るというわけです。

化学繊維や縫製機械の発達により、安く手に入るようになったことも、洋服が定着した理由でしょう。

しかし、日本の夏の蒸し暑さを考えると、和装の過ごしやすさにも、もう少し着目しても良いのではないかなという気がします。

日本文化を残したり外国へアピールするため、例えば夏場は公務員や観光関連の職種で和装を用いたりして。

動きやすさとの兼ね合いを考えると、甚兵衛や作務衣がいいでしょうかね。


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【参考】
黒岩比佐子『明治のお嬢さま (角川選書)』(→amazon
米窪明美『明治宮殿のさんざめき (文春文庫)』(→amazon
高田倭男『服装の歴史』(→amazon
国史大辞典
昭憲皇太后/Wikipedia
洋服/Wikipedia
白木屋 (デパート)/Wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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