なんて言葉がありますが、実際に火災が起きると木造建築が建ち並ぶこの街は本当に悲惨なことになります。
例えば「江戸の三大大火」では以下の通り甚大な被害が起きました。
むろん死者数だけでは惨状を語りきれず、焼け落ちた家屋や寺社仏閣も数知れずですが、同時代には他にも大きな火災があり、今回注目したいのがコチラです。
天和二年(1683年)12月28日に起きた天和の大火――読み方は「てんなのたいか」です。
三大大火クラスに匹敵する、死者3,500人を数えるこの火事では、その直後にトンデモナイ事件が起きました。
その主人公が【八百屋お七】です。
井原西鶴『好色五人女』で有名になった放火事件で、中身はほとんど創作ながら、当時の人情や暮らしぶりがわかって中々興味深いものがあります。
今回の日本史ワル査定では、このお七にツッコミを入れながら、江戸女性の心意気を見て参りましょう。
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『火事になれば、あの人に会える?』
八百屋お七とは、文字通り八百屋の娘です。
江戸本郷追分にあって、色白の美人と評されており、しかも勉強もできる。
現代で言えば清楚系の高嶺の花といイメージでしょうか。
両親も、身分の高い人物との縁談を考えていたところで起きたのが天和の大火でした。
火災から逃れるため、彼女はお寺へ避難。
そこで出会った寺小姓・生田庄之助(いくたしょうのすけ)と恋に落ちてしまいます。
当初は手紙のヤリトリ程度だったようですが、若い二人がそれで我慢できるハズもなく、やがて逢瀬を重ねる仲に……。
しかし、時が二人を引き裂きます。
火事が収まり、庄之助と離れて自宅に戻ると、お七は病に伏せがちになり、やがてトンデモナイことを考え始めるようになります。
『もう一度火事になれば、あの人に会えるのではないか?』
おいおい……おーい!!!
純粋と見るべきか。キテレツと言うべきか。
自宅に放火
江戸の火災は上記の通り大災害の原因であり、放火などは問答無用で極刑です。
実際、彼女自身が逃げることになった【天和の大火】では、大名屋敷や寺社もバンバン焼け、死者も3500人に達したのですから、いかに火災が危険なのかは重々承知していたハズでしょう。
されど庄之助への思いは募るばかり。
そしてお七はついに……
・自分の家に放火
焼くか!
よりによって自分の家を焼きますか!
幸か不幸か、このときの火災はボヤで済み、大事には至りませんでした。
しかし、一歩間違えれば洒落にならない状況です。
現代日本でも放火が重罪なのは、江戸の家屋が非常に燃えやすかった流れを汲んでいるようで、人が住んでいる建物や乗り物に火をつける「現住建造物等放火罪」は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」です。
要は、殺人罪と同等の刑罰で、当時であれば極刑を免れないのはご理解できるでしょう。
しかし……。
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