吉川元春

毛利家を支え勇将として名高い吉川元春/wikipediaより引用

戦国時代

吉川元春(毛利元就の次男)が熱い!11才で初陣の勇将と奥様に注目

天文十二年(1543年)8月30日、後の吉川元春が14才で元服しました。

毛利元就の次男ですが、

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元服後に吉川家へ養子に行ったので、一般的に彼を呼ぶときに「毛利元春」ということは少なくなっています。

吉川元春は、毛利元就でお馴染み「三本の矢」の話で出てくる三兄弟の真ん中の人ですね。

 

初陣は11歳

ご存知の方も多いかもしれませんが、「三本の矢」のエピソードは創作です。

元春はかなり勇猛な性格であり、元服前の11才(数え)で「父ちゃんオレ戦に出たい!!」と言って無理に初陣してしまうような武将でした。

相手は尼子晴久で、吉田郡山城の戦い(1540-1541年)。

ちなみに、徳川家康配下の最強武将・本多忠勝が12才での初陣ですから、元春さんのヤバさがわかりますね。

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また元春は

「オレ、自分の嫁は自分で決めるから!」

と勝手に縁談を進めてしまうほど、とにかく行動の派手な人でした。

時は戦国時代ド真ん中。

大名やその家族の結婚は当人同士だけでなく、家と家とを結びつけてより戦を有利に運ぶための手段であります。

にもかかわらず自分一人で決めてしまったのですから、ヘタな相手だったら元就もキレていたことでしょう。

しかし、実際はそうなりませんでした。

 

家臣・熊谷信直の娘と結婚したい

元春の結婚相手は、家臣・熊谷信直(くまがいのぶなお)の娘でした。

家臣の娘さんを妻にすることは割と普通のことです。しかし……。

この娘さんの口コミが大変よろしくなかった。

「あのお嬢さん、顔さえ良ければねえ……」

「あんな顔の人はこの世に二人といないだろうよ」

などなど、今なら確実に炎上しそうなほど「お顔が残念」という評判が立てられていたのです。

これには元就も他の家臣たちも首を傾げざるをえません。

吉川元春館を正面石垣から

元就「ワシ、育て方間違えたかな」

家臣A「いやいや殿、元春様にもきっと何かお考えがあるんですよ。多分……」

元就「じゃあお前ちょっと聞いてきてくれない?」

家臣「いやいや殿、元春様は怖いので私はお断りします」

なんてやり取りがあったかどうかは不明ですが、ともかく元就からの使者が元春のもとへ向かいました。

 

「俺の嫁がブスだと? だがそれがいい」

「かくかくしかじかなんですけど、元春様はどのようにお考えで?」

使者がそう尋ねると、元春は意外な答えを返します。

「いや、オレも別にブス専ってわけじゃないんだよ。

でもさ、女は顔だけじゃないじゃん? 家の中をまとめてもらうのに顔は関係ないし。

それにさ、美人だったら浮気とか家臣の視線とか気になっちゃうけど、不美人だったらそんなことないじゃん?

信直だって『ウチの娘はブサイクって言われてるから、嫁の貰い手がないんじゃないか』って心配だろうしさ、そこでオレがもらえば喜ぶだろ?

これなら一石三鳥じゃん!?」(超訳スンマセン)

元春は元春なりに、きちんと「大名の嫁取り」を理解してのことだったのです。

これには元就も「さすがワシの息子じゃな」と納得し、希望通り元春はこの娘をもらうことができたのでした。

もっとも、この「わざとブサイクな嫁をもらった」という話は諸葛亮や明智光秀、高橋紹運(立花宗茂のお父さん)、近藤勇など、様々な人に似たような話があり、創作の可能性も高そうですが……。

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実際に不美人だったかどうかはハッキリしておりません。

一説には、疱瘡(天然痘)を患ったことがあったため、その痕が顔に残ってしまい、噂が広まっただけの可能性もあります。

明智光秀の妻である明智煕子についても同様の話があり、戦国エピソードとしてはいかにもという感じはしますね。

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まぁ、それだけ当時の疱瘡が怖かったということでもあるんですけど。

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