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信長のピンチを救った朽木元綱「朽木越え」とは? 名門武将84年の生涯まとめ

実績はありながら、名声不足であまり目立たない――そんな寂しい歴史キャラはいつの世も存在します。

例えば毛利家の穂井田元清などはその一人でしょう。

普段は三本の矢(毛利隆元吉川元春小早川隆景)にスポットが当たりすぎて、毛利元就の四男・元清を知ってる人は結構少ない。

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これとよく似たケースが織田家の家臣団でも見られ、絶体絶命ピンチの信長を救ったにもかかわらず、その功績をほとんど知られないままの武将がいます。

朽木元綱(くつきもとつな)です。

石田三成徳川家康ファンにとっては【関ヶ原の裏切り者】としても知られる人物ですが、いったい元綱とはどんな人なのか?

その生涯を追ってみましょう。

 

将軍奉公衆の名門一族に生まれた朽木元綱

朽木元綱は天文18年(1549年)、朽木晴綱くつきはるつなの子として生まれました。

母は飛鳥井雅綱あすかいまさつなの娘とされています。

飛鳥井雅綱は和歌や蹴鞠を得意とする公卿(高ランク貴族)で、そんな貴族の娘が嫁いでくるほどですから、朽木氏ってもしかして名門なのか?

そう思われましたらご明察。

朽木氏は「近江国佐々木荘」という場所を本拠とした「近江源氏」の一族をルーツとし、鎌倉時代以降になると「近江国朽木荘」を支配して歴史に名を残しました。

佐々木氏は近江国の守護を務めたこともあり、朽木氏はその庶流になりますね。

後に、足利尊氏鎌倉幕府を打倒し室町幕府を開く際には、後醍醐天皇に反発する尊氏に同調し、各地で戦功をあげて足利将軍家との繋がりも築きました。

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結果、朽木氏は将軍家に「奉公衆」という役職で代々仕えることになるのです。

要は、その時々の将軍家から厚い信頼を受けていた朽木氏ですが、例えば『信長の野望』などの戦国ゲームでは『朽木元綱の名前は聞いたことあるけど顔は思い出せない……』といった存在になりがちではありませんか?

実は名門一族だったなんて意外かもしれません。

 

近江に拠点があり浅井氏と無関係ではいられない

しかし、世が戦国時代に突入していくと、肩書など通用しない殺伐とした世界へ進んで参ります。

朽木元綱の主家である足利将軍家の権力も目に見えて弱体化。

それでも一定の勢力を維持していた朽木氏は、1528年(享禄1年)に12代将軍・足利義晴を、1551年(天文20年)には13代将軍・足利義輝を朽木谷に匿うなど、奉公衆の一員として落日の室町幕府を支えておりました。

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そして次第に朽木氏は、否応なく「近江の戦火」に巻き込まれていくのですが……その際に思い出して欲しいのが【近江を代表する戦国大名】です。

そうです。
浅井長政です。

元綱も近江に拠点を置く以上、凄まじい勢いで台頭してくる長政と無関係ではいられなくなりました。

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義昭により朽木の地を安堵

浅井氏はもともと、近江守護の家格であった京極氏の一家臣に過ぎません。

それが京極氏の御家騒動などに乗じて勢力を拡大。同じく家中トラブルでドタバタの六角氏(こちらも近江守護の家格)を尻目に周囲の支持を得て、いつしか近江を代表する大名へと成長しておりました。

あまり語られることはありませんが、浅井家も割と下剋上一家なんですね。

彼らと支配エリアの近い元綱は、永禄11年(1568年)、上洛を成し遂げた足利義昭により朽木の地を安堵されます。

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既にこのときの浅井長政は、織田信長の妹・お市と結婚し、織田家とも同盟を結んでいる最中。当然ながら朽木氏単独で浅井久政・浅井長政の親子に敵うわけもなく、すぐさま戦意を失くして起請文を交わし、彼らの従属下に置かれます。

しかし、朽木氏と浅井氏の主従関係は非常に希薄だったと目されています。

勢力を拡大し続ける浅井も、朽木荘まで支配力を浸透させることができなかった。

かといって元綱も反抗的な姿勢を見せるわけでもなく「時勢を静観していた」という感じでしょうか。

実はこの朽木氏の浅井に対する冷めた感情が、織田信長の運命さえも大きく左右することになるのです。

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浅井と織田の同盟

元綱の活躍に触れる前準備として、ここで少し浅井長政と織田信長の関係性について整理しておきたいと思います。

まず、尾張国を平定した信長は、美濃国の攻略を目論んで周辺勢力との同盟を模索していました。

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そこで目を付けたのが近江の浅井氏。信長はかなりの低姿勢で同盟の申し出を行います。

浅井家中は賛否両論で紛糾しながら、織田家との同盟が浅井にとって有利という判断で決着がつきました。

浅井氏との関係構築によって信長は美濃の斎藤氏や近江の六角氏を破り、上洛に成功。将軍義昭を奉じて悲願を果たします。

ところが、信長の天下統一は一筋縄では進みません。なぜなら……。
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