長宗我部盛親

長宗我部盛親/wikipediaより引用

長宗我部家

長宗我部盛親の生涯|不運の続いた元親の四男 関ヶ原後の改易から大坂の陣へ

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雌伏

長宗我部盛親は頭を丸めて反抗の意思がないことを明らかにしました。

しかし、それだけでは信用されず、徳川方の監視を受けていたようです。

寺子屋の師匠として生計を立てていたとされますが、それがいつ頃からなのか、ハッキリしません。

頭を丸めたのなら、どこかの寺に入ったほうが疑われずに済みそうですし、自然な気もしますけれどね。

おそらくはそのことが、盛親の意図を示しているのでしょう。

そして世の中は徐々に徳川の力が強まり、慶長八年(1603年)には家康が征夷大将軍に任じられて江戸幕府が始まります。

この年には家康の孫(秀忠の娘)である千姫豊臣秀頼に嫁ぎ、両家は融和していくかにも見えました。

豊臣秀頼(右)と千姫/wikipediaより引用

しかしそうもいかず、徐々に戦の気配が漂い始めます。

おそらく盛親も京都でその空気を感じ取っていたことでしょう。

 


大坂の役

時は流れ、慶長十九年(1614年)――大坂城から長宗我部盛親へ、こんな連絡が伝えられます。

「こちらが勝ったら土佐一国を返すので、味方してほしい」

「勝ったら」とはあまりに希望的観測が強い話ですが、難攻不落の堅城ならひょっとして……という思いも否定できないですね。

盛親としても見を持て余していたのでしょう。豊臣方の誘いに応じ、密かに大坂城へ入りました。

関ヶ原以来、実に14年ぶりの戦です。

盛親は元大名ということもあって、かなり頼りにされたようで、冬の陣では南側の真正面にあたる八丁目口に布陣していたとされます。

佐野道可・粟屋元種・大谷吉治らと同じ軍でした。

道可と元種は元毛利の家臣で、吉治は大谷吉継の弟もしくは子とされます。

盛親の位置から堀を渡ってすぐ南東側に真田丸があったため、真田隊の奮戦ぶりも見えていたかもしれません。

イラスト・富永商太

残念ながら冬の陣では戦闘に参加することはありませんでしたが、藤堂高虎井伊直孝の陣も見える範囲にあったようですので、盛親は悔しかったでしょうね。

翌元和元年(1615年)の夏の陣では八尾方面に出陣し、八尾・若江合戦と呼ばれる戦いで奮戦しています。

5月6日に大坂城から出陣し、先手を取られながら、藤堂高刑(たかのり)隊へ奇襲をかけて大損害を与えました。

盛親は騎兵300を下馬させて長瀬川に潜ませておき、藤堂隊が迫ってきたところへ一気に突撃させたといいます。

しかし、引き上げ中に盛親隊もまた井伊直孝隊に側面を突かれ、多くの兵を失ってしまいました。

井伊直孝/wikipediaより引用

このため盛親は翌日大坂城内に留まったとみられています。

 


最期

そして大坂城が落ちた後、一旦は逃げ延びました。

しかし程なくして捕らえられると、京都市中を引き回されて処刑。

享年41でした。

長宗我部盛親に人望が無かったわけではなさそうですし、若江の戦いでの指揮からすると、臨機応変に対応できる武将としての能力は持ち合わせていたように見えます。

もしも豊臣方が勝っていたら、事前の約束通り土佐への復帰も叶ったでしょう。

「遅すぎた戦国大名」と呼ばれる人は何人かいますが、盛親も戦国時代の終盤ではなく、もう少し前に生まれていたらもっと評価されていたのかもしれません。

なんとも惜しまれる生き様です。


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【参考】
下山治久『<長宗我部家と戦国時代>四国の雄の末路 長宗我部家滅亡へ (歴史群像デジタルアーカイブス)』(→amazon
永岡慶之助『大坂の陣・人物列伝「塙直之・長宗我部盛親」 (歴史群像デジタルアーカイブス) (→amazon
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon
国史大辞典
世界大百科事典
日本大百科全書(ニッポニカ)
日本人名大辞典
長宗我部盛親/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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