戦国時代の日本人奴隷

宣教師・切支丹

戦国時代&大航海時代は「奴隷時代」罪なき日本人は何処へ売られたか

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戦国時代&大航海時代は奴隷時代
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ヨーロッパのみならず中南米へも売られた

傭兵には、奴隷と、自ら好んで戦う道を選んだパターンがありました。

自らこの世界に飛び込む者たちは、大半がワケアリ。犯罪を犯して故郷にいられなくなった者にとって、マカオは自由になれる場所としてとらえられたのです。

こうした人々はトラブルを起こしやすく、追い剥ぎになって原住民を襲う盗賊団を結成することもありました。

当時マカオを支配していた明朝はこうした日本人に手を焼き、しばしば追放令を出すほどだったのです。

フィリピンのマニラには、日本人コミュニティもありました。

高山右近や内藤如安のように、キリシタン追放令で行き場を失った日本人が流れてきたからです。

高山右近
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17世紀前半、日本の鎖国まで、こうしたコミュニティは膨張し続けていました。

日本から見れば地球の裏側にある、中南米にも日本人奴隷はいました。

ただし、彼らは日本名を捨てていることもあり、その足取りをたどることは簡単ではありません。

ヨーロッパにたどり着く日本人奴隷もいました。

オリーブ色の肌をして、顔が小さく、身長は平均的であると当時の人々は記録に残しています。彼らは家事や手工業に従事していたようです。

 

奴隷たちを待ち受けていた厳しい運命

こうした奴隷たちを待ち受ける運命は、当然ながら優しいものではありません。

若いうちはキビキビと働くことができても、主人を失い、歳を取ったならばそうはいきません。

年老いた奴隷たちは、しばしば「解放」されました。

解放というとよいことのように思えますが、その実態は年をとって使い物にならなくなった奴隷を、体よく追い出すようなものです。

故郷から遠く離れてしまえば、物乞いにでもなるほか道はなかったことでしょう。

虐待の問題もありました。

当時、奴隷が虐待されても誰も咎めることはありません。

インドのゴアを旅したフランス人冒険家は、悲惨な話を聞いて書き留めました。

それはこんな話です。

あるポルトガル人が、若い日本人女性奴隷を購入しました。

その歯が白いことをポルトガル人が褒めたところ、嫉妬深い正妻は夫の留守中に奴隷の歯を砕きました。

さらに妻は、夫と奴隷が密通しているのではいかと疑い、陰部に焼けた鉄棒を押しつけて殺したというのです。

なんとも惨い話ですが、当時はこんなことがあっても奴隷主が咎められることはありませんでした。

そもそも海難事故が多かった時代です。

目的地にたどり着く前に海難事故で亡くなる者、船内で病に倒れる者も多くいたことでしょう。

こうした奴隷たちについては、断片的な記録しか残されていません。奴隷とはそういうものなのです。

「日本人には奴隷がいなかった」

そう思われがちですが、実際のところは違います。

ポルトガル人やスペイン人だけを責めるのも間違いで、そもそもは日本人が戦乱の最中で人を売り買いしていた事実があるのです。

華々しい戦国武将が活躍するそのスグそばで、人知れず国外へ売られていった者も大勢いる――。

歴史の中でとりわけ人気の高い戦国時代は、話題にこそなりませんが、こうした哀しい側面もあるのです。

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文:小檜山青

【参考文献】

ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷 (中公叢書)』(→amazon

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