晩年の昌幸

真田昌幸/wikipediaより引用

真田家

昌幸の晩年は「うつ病」の気配濃厚~表裏比興を蝕んだ心の病とは

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うつ病の診断基準(大うつ病診断基準DSM-IV)

ここで少し専門的に「うつ病の症状」を診断基準から見てみましょう。

米国精神医学会の「DSM-IV」を例に挙げました(実は次のバージョンDSM-5が出ていますが、ちょいと難しいのでコチラにしました)。

うつ病の診断基準(大うつ病診断基準DSM-IV)※以下の症状のうち、少なくとも1つある。

1.抑うつ気分

2.興味または喜びの喪失。さらに、以下の症状を併せて、合計で5つ以上が認められる。

3.食欲の減退あるいは増加、体重の減少あるいは増加

4.不眠あるいは睡眠過多

5.精神運動性の焦燥または制止(沈滞)

6.易疲労感または気力の減退

7.無価値感または過剰(不適切)な罪責感

8.思考力や集中力の減退または決断困難

9.死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図

上記症状がほとんど1日中、ほとんど毎日あり2週間にわたっている症状のため、著しい苦痛または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能障害を引き起こす。

これらの症状は一般身体疾患や物質依存(薬物またはアルコールなど)では説明できない。

ちなみに「大うつ病」というのは「重症の」うつ病を表すのではなく「典型的な」うつ病を意味し、その治療法は「充分な休養」+「薬による治療」です。

何かおかしいな……と思ったら、ともかく早めの受診が効果的です。

 

息子の幸村もあと少しで危なかったのでは?

さて昌幸ですが。

結局、上田に帰ることは叶わず、1611年(慶長16年)6月4日、九度山でその生涯を閉じました。

享年65。

昌幸が死去した後、主立った家来は息子・真田信之の元へ行ってしまい九度山は閑散とします。

それから大坂の陣までの間に、幸村が何をやっていたかの記録はあまり残っていません。

奥さんが側にいたから九度山生活は堪えられたんですかね。

昌幸が死んだ後、義兄の小山田茂誠に宛てた手紙を見てみましょう。

手紙の趣旨は「鮭をもらったことへの礼状」なのですが、その中に

「我々なとも去年より俄ニとしより、事の外病者ニ成申候、はなともぬけ申候、ひけなともくろきハあまり無之候」

という表記があります。

ざっと訳すとこんな感じですね。

「私も去年よりにわかに年をとり、ことのほか病気がちになりました。歯なども抜け、ひげも黒いところがあまりなくなりました」

このとき幸村はまだ40代。

やばいです……。父ちゃんと同じく生き甲斐が無く、弱ってきてる……><;

このままことが起こらねば、おそらく親子で同じような転帰をたどったに違いありませんが、1614年、豊臣方の呼びかけに呼応した信繁は九度山を出て大坂に入城。

その後、始まる彼の大活躍は以下の記事にお譲りします。

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人は生き甲斐を無くした時、鬱になることがままあります。

真田親子の人生を見ると、彼らの生き甲斐は“戦い”にあったのかもしれません。

ちなみに東軍についた信之お兄ちゃんの最期は、なんと享年93のウルトラ大往生でした。

何事も 移ればかわる 世の中を 夢なりけりと 思いざりけり

by真田信之

メンタル的にも実は一番タフだったのはお兄ちゃんだったのかもしれません。

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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
和歌山県九度山町(→link
神戸市医師会(→link
上田合戦/wikipedia
真田昌幸/wikipedia
うつ病/wikipedia
真田信繁/wikipedia
真田信之/wikipedia

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