庄内の乱

庄内の乱、舞台の一つとなった志和池城・都城を囲む支城だった(絵・富永商太)

島津家

戦国島津家ドロドロの内紛「庄内の乱」関ヶ原直前に起きた薩摩の大乱!

慶長四年(1599年)3月9日は、島津忠恒(ただつね)が筆頭家老の伊集院忠棟(いじゅういんただむね)を斬殺した日。

後に【庄内の乱】という一大騒動に発展しました。

時は関ヶ原の戦い前年という大事な時期で、しかも舞台は九州の雄・島津家です。

どう見ても穏やかではありませんが、一体何が原因で、このようなことが起きたのでしょうか。

 

主の島津家よりでかい伊集院家のお屋敷in伏見

事の発端は、豊臣秀吉の存命中に遡ります。

文禄三年(1594年)に島津領内で検地が行われた際、伊集院家は秀吉からお墨付きをもらって、8万石と都城を与えられました。

それまで城主を務めていた北郷家の当主が幼かった上、朝鮮出兵で兵を出し渋って減封・移封を受け、その後釜として入った形です。

ついでに、秀吉は忠棟を自分の家臣同然に扱いました。

本来なら秀吉にとっては陪臣(家臣の家臣)とするべきところを、頭を飛び越えてしまったことになります。

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気に入った人物をひいきしすぎるのは、秀吉の悪い癖ですかね。

伏見では、伊集院家に島津家よりも大きな屋敷が与えられていますから、両者を離間させるための仕掛けだったのでは?……というぐらいのひいきっぷり。

また、忠棟は朝鮮に出陣しておらず、さらに国元からの食糧が朝鮮へ充分に届いていませんでした。

島津忠恒の兄・久保は朝鮮で病死したといわれていますが、実は餓死もしくは栄養失調で病になったのでは……という見方もあるほど。

久保は当主・島津義久の娘婿ですから、忠棟の不始末で【次期当主候補】が亡くなったことも意味します。

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当然、他の島津家・家臣の面々は伊集院家の引き立てられようが面白くありませんでした。

 

忠棟ブッコロス! ついに庄内の乱へ……

伊集院家を快く思わない面々の中の一人に、島津忠恒もいました。

忠恒は、島津義弘の息子で島津家当主・義久の娘婿です。

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後に叔父と同じ「島津家久」に改名するのですが、生涯を通じて行いが品行方正とは真逆な方だったので、今日では「悪い方の家久」とか「悪久」という俗称で呼ばれることもあります。

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義久に男子がなかったため、血筋が近い忠恒を娘婿に迎えたわけですが、伊集院忠棟はそのとき別の人物を推していました。

そんな相手が家中での評判を悪くしたのですから、忠恒にとってはまさに好機!

というわけで、忠恒は忠棟をブッコロしてしまうのです。

コトはそれだけでは終わりませんでした。

というかいよいよ本格的な【庄内の乱】へと発展します。

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