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絵・富永商太

皇室・公家 信長公記

信長が右近衛大将へ昇進~朝廷官位のメリットは?|信長公記第129話

2020/04/17

天正三年(1575年)秋の上洛は、織田信長にとって非常に大切な用事がありました。

実は10月初めから官位昇進のため宮中に儀式場(陣座じんのざ)を作っていたのです。

なぜ、そんなものを作ったのか?

というと【右近衛大将】という官職に就くためです。

かつては源頼朝や足利義満ら各時代の将軍が就任したことでも知られ、武家政権にとっては非常に重要なポジションですが、そもそも信長はこうした「官位など眼中ナシ!」というイメージもあります。

実際のところ、信長は官位に無頓着だったのか。

それとも何かメリットがあったのか?

右近衛大将の就任と共に、信長の官位への取り組み方を見てみましょう。

なお「官位」の意味や理屈がイマイチわかっていない……という方は

職(おしごと)
階(ランキング)

とお考えください。

頭の文字をタテ読みすると「官位」になりますよね。

要は「官職」と「位階」を組み合わせた言葉になるのですが、説明し始めると止まらなくなりますので、これより詳しくは以下の記事をご覧ください。

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日本史には欠かせない要素ですので、知っておくと楽しくなりますよ。

では本編へ。

📚 『信長公記』連載まとめ

 

まずは権大納言に就き右近衛大将を兼任

天正三年(1575年)11月4日。

かねてから上洛していた信長は清涼殿に参上し、まず従三位権大納言に就きました(右近衛大将については後述)。

信長はこの時点まで無位無官だったと考えられていますので、初めて公卿の仲間入りをしたことになります。

その前の天正二年に「形式上の官位を得ていた可能性がある」という指摘もありますが、実質上は今回が初と思われます。

織田信長の肖像画

織田信長/wikimedia commons

では、大納言とはどういう職か?

「左大臣・右大臣に次ぐ天皇の側近」という要職ですね。

大臣になれる公家は摂関家や清華家に限定されておりましたが、大納言はそれ以外の家の者でも就くことができるという特徴があります。

信長の出自やこれまでの朝廷への働き、他の公家への体面などを加味すると、妥当というところでしょう。

11月7日にはこの就任の御礼を述べるため、改めて宮中に参内しました。

そこで信長は三条西実枝を通して正親町天皇に御礼を申し上げ、天皇からは盃を頂戴したようです。

正親町天皇の肖像画

正親町天皇/wikimedia commons

そしてこの日、信長は右近衛大将も兼任することになりました。

では、近衛大将とは?

 


武家の棟梁として認められた?

近衛大将は、宮中の警護を司る「近衛府」という役所の長官を指します。

近衛府自体が左右の二つに分かれていたため、それぞれの長官を

「左近衛大将」
「右近衛大将」

と呼びます。

基本的には、摂関家や皇族に連なる家の人が任じられる“名誉職”でしたが、平安末期に平重盛(平重盛の子)が就任し、鎌倉時代以降は将軍が任じられることも増えました。

源頼朝の他に足利将軍では

・足利義満
・足利義持
・足利義教
・足利義政
・足利義尚
・足利義晴

が右近衛大将に就任しております。

「幕府」という言葉自体、近衛大将の唐名(中国の官職名)に相当にしますので、整合性もあるんですね。

戦国武将にとって当時の官職は“カタチだけ”でしたが、源頼朝以来、武家の棟梁という意味合いもあり、一方で少し穿って見ますと、

「これからは守護者になってな、よろしく頼むぞ」

という朝廷からの意思表示にも取れたりします。

早い話、お金と武力を援助してくださいね、ということです。

信長の父・織田信秀も朝廷への保護策に取り組んでおり、従五位下備後守という官位を得ています。

織田信秀像

織田信秀像/wikimedia commons

信長も、そうした父の姿を見て、参考にしていたでしょう。

 

謙信では務まらない? 京都の守り

実際のところ信長は、朝廷に対し相応の貢献をしてきました。

永禄十一年(1568年)に足利義昭を奉じて上洛してから、皇居の修繕や公家領への徳政令など、他の大名や武将と比べてかなりのものです。

足利義昭の肖像画

足利義昭/wikimedia commons

義昭との対立で京都を戦場にしたこともありますが、トータルで考えれば、朝廷の人々が信長を「最も頼れる存在」と判断してもおかしくはないでしょう。

他には上杉謙信なども朝廷から好意的に見られていたと思われながら、地元や道中の問題が山積みすぎて、頻繁に上洛することはできていません。

謙信の人柄や行動を信頼できたとしても、京都を実効支配できないのでは不安が残ります。

その点、信長は地理的にもラッキーでした。

信長は、京都と岐阜をそれまで何度も往復していますし、わずかな手勢で自ら馬を飛ばすことも珍しくありません。

足利義昭が三好三人衆や斎藤龍興らに襲われた【本圀寺の変】でも信長は馬を飛ばして現地へ向かってますしね。

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このときは明智光秀らの働きにより事なきを得ましたが、自ら先頭に立つリーダーが慕われるのも無理はないでしょう。

まぁ「わずかな手勢で」というのが、後に信長自身の首も絞めることにもなるのですが……。

 

官位のメリットとは?

信長は右近衛大将任官の御礼として、天皇に砂金と反物を献上し、天皇から公家たちにも分配されました。

また、それとは別に、信長から公家衆へ所領の分配が行われたです。

「誰にどこをどの程度」という詳細は『信長公記』に記されていませんが、越前に出した掟(125話)で申し付けていたように、こういうときのために残しておいた土地から割り振ったものと思われます。

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織田信長が家臣や他者から畏れられながら、同時に慕われていたのは、こうした有言実行ぶりからでしょう。

それにしても……。

官位を貰ったにせよ、朝廷側の財政・警備が助かるばかりで、信長は単に負担が増しただけでは?

そう思ってしまうかもしれませんが、むろん、利点はあります。

・大義名分を得やすい

例えば足利義昭を奉じて上洛した後、その名を使って越前の朝倉義景を呼び出し、これに応じなかったため攻撃を仕掛けたことがありました。

このときは浅井長政の裏切りで手痛い結果になりましたが、将軍の名前を利用したことに間違いありません。

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自身が右近衛大将となれば相応の大義名分は見込めます。

また信長包囲網を敷かれてピンチになったときは、将軍や天皇の名前を使って和睦に持ち込むことにも成功しておりましたね。

 


最終的に太政大臣・関白・将軍が提示され

メリットはもう一つあります。

・家臣たちに与えられる

当時の武士たちは、勝手に官位を名乗っておりました。

しかし、信長の父・信秀たそうだったように、正式に与えられる方が格上なのは言うまでもありません。

武田信玄も信濃への進出・平定にあたり、朝廷から「信濃守」を授かっているほどです(幕府からは「信濃守護」)。

信長の家臣たちにせよ、正式に就任していれば織田家全体の格が上がるのも自然のことで、既に明智光秀らに与えられたことがあります。

明智光秀の肖像画

明智光秀/wikimedia commons

なお、信長は天正五年(1577年)、右大臣へとステップアップしますが、程なくしてこれを辞退。次に左大臣をパスすると、最終的に太政大臣・関白・将軍を提示されます。

関白というのは何も豊臣秀吉の専売特許ではなく、織田信長も一足先に「なろうと思えばいつでもなれた」んですね。

しかし、実際はそうなりません。

天正10年(1582年)に本能寺の変が勃発。信長の真意不明のまま、豊臣秀吉の時代へと進んでいくのです。

右大臣以降の官位については、またあらためて触れさせていただきます。

📚 『信長公記』連載まとめ

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


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【参考】
国史大辞典
『歴史読本』編集部『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本 (中経出版)』(→amazon
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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