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【上杉征伐と小山評定】
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対上杉には最上や伊達、次男の秀康で備える
福島らの奮闘により、豊臣系武将たちが本気でヤル気だということはおおよそ見えはしましたが、家康にとっての懸念はそれだけじゃありません。
背後にいる上杉も恐怖です。
徳川軍が上方へ向けて引き換えしたと知ったら、江戸へ進軍してくるかもしれません。さらに関東では、佐竹軍も反徳川の姿勢を見せていました。
家康としても打つ手がないワケじゃありません。
上杉に対しては、最上義光や伊達政宗らの東北大名に牽制させるだけでなく、宇都宮城にも次男の結城秀康を置いて防備を固め、佐竹に対しても目を光らせるようにしました。
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結果、東北では
上杉
vs
最上・伊達
という【慶長出羽合戦】が起きたり、他の全国エリアでも東軍一派と西軍一派に分かれてドンパチやらかすなど、まさに日本中が真っ二つにわれたのです。
このことからも関ヶ原の戦いが単なる「家康vs三成」でないことがわかります。
では全国では一体どんな戦いが行われていたのか?
少しだけ見ておきましょう。
全国でも行われていた関が原にからんだ合戦
戦国大名を東西真っ二つに分けた関ヶ原の戦い。
全国ではどんな戦いがあったのか?
北からざっくりとリスト化いたしました。
【東北】
◆慶長出羽合戦
(東)最上義光&伊達政宗
vs
(西)上杉景勝
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【北陸】
(東)前田利長
vs
(西)丹羽長重
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【東海】
(東)福島正則・池田輝政
vs
(西)織田秀信(旧・三法師)
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(東)富田信高
vs
(西)毛利秀元
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【近畿】
◆田辺城の戦い
(東)細川幽斎(細川藤孝)
vs
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◆大津城の戦い
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vs
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【九州】
◆石垣原の戦い
(東)黒田官兵衛
vs
(西)大友義統
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教科書の【関ヶ原の戦い】では「家康が勝って江戸幕府の下地ができました」としか言いません。
しかし、日本を真っ二つに分けた戦いですから、全国規模で見ると、こんなにも広い範囲で戦が起きていたんですね。
まさに天下分け目です。
中には【杭瀬川の戦い】のように西軍が勝った戦闘もあったり。
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上記のガラシャをはじめとして妻子たちの動きもまた、個性のうかがえるエピソードがたくさんあるので、調べれば調べるほど面白い戦でもあります。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣 (戦争の日本史 17)』(→amazon)
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)
関が原の戦い/Wikipedia