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戦国武将の価値は死の瞬間に決まる? 西軍3名【三成・行長・恵瓊】その最期

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僧侶の安国寺恵瓊はこの世が好き

3人目の安国寺恵瓊――名前からお察しの通り僧侶で、実に後味の悪い逸話というか伝説?が残っています。

安国寺恵瓊は毛利家で外交に関する事を任されており、有能な人物として頼りにされていました。

が、平然と戦で人をコロすわ酒は飲みまくるわ、吉川広家(吉川元春の息子)と仲違いするわで、ある意味、生臭坊主とも言えます。

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当時から胡散臭い・アヤシイとは思われていたようで、関ヶ原の戦い後

「逃亡に疲れた家臣が『囚われの恥をさらすより、俺らで手にかけたほうが』と思いつめて恵瓊に切りかかったが、恵瓊が首を縮めて逃げ回ったのでうまく行かなかった」

なんて話が残されています。

現実的に考えれば、肩をすくめて首に刀が当たりづらいようにしたのでしょう。

皆さん一瞬、亀のような状態を想像してしまったのではないでしょうか? 私もです。

ものすごく乱暴にまとめると「仏門に入った人間が一番往生際が悪かった」という実にイヤな話なのですが、現実ってそんなもんですかね。

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長月 七紀・記

【参考】
『関ヶ原合戦と石田三成 (敗者の日本史)』(→amazon
小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像 (史料で読む戦国史)』(→amazon
石田三成/wikipedia
西行/wikipedia
安国寺恵瓊/wikipedia

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