左から小西行長・安国寺恵瓊・石田三成/wikipediaより引用

豊臣家 豊臣兄弟

戦国武将の価値は死の瞬間に決まる? 西軍「三成・行長・恵瓊」の最期に注目

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
西軍武将三名の最期
をクリックお願いします。

 

お好きな項目に飛べる目次

僧侶の安国寺恵瓊はこの世が好き

3人目の安国寺恵瓊――名前からお察しの通り僧侶で、実に後味の悪い逸話というか伝説?が残っています。

安国寺恵瓊は毛利家で外交に関する事を任されており、有能な人物として頼りにされていました。

しかし、平然と戦で人をコロすわ酒は飲みまくるわ、吉川広家(吉川元春の息子)と仲違いするわで、ある意味、生臭坊主とも言えます。

吉川元春
吉川元春(毛利元就の次男)が熱い~11才で初陣の勇将と奥様に注目

続きを見る

当時から胡散臭い・アヤシイとは思われていたようで、関ヶ原の戦い

「逃亡に疲れた家臣が『囚われの恥をさらすより、俺らで手にかけたほうが』と思いつめて恵瓊に切りかかったが、恵瓊が首を縮めて逃げ回ったのでうまく行かなかった」

なんて話が残されています。

現実的に考えれば、肩をすくめて首に刀が当たりづらいようにしたのでしょう。

皆さん一瞬、亀のような状態を想像してしまったのではないでしょうか? 私もです。

ものすごく乱暴にまとめると「仏門に入った人間が一番往生際が悪かった」という実にイヤな話なのですが、現実ってそんなもんですかね。

あわせて読みたい関連記事

関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いは家康vs三成の本戦だけでなく全国各地で合戦が勃発【総まとめ】

続きを見る

三成の最後
関ヶ原で敗れた三成 その後はどうなった? 最後は旧知の田中吉政に捕縛されて

続きを見る

佐和山城の戦い
関ヶ原直後に起きた佐和山城の戦い~三成の居城で起きた「女郎墜の悲劇」が辛い

続きを見る

コメントはFacebookへ

石田三成
石田三成・日本史随一の嫌われ者の再評価とは? 豊臣を支えた忠臣41年の生涯

続きを見る

三成腹
三成が関ヶ原で負けたのは三成腹のせいだった?プレッシャーで腹痛や下痢を発症

続きを見る

宇喜多直家
戦国の謀殺王・宇喜多直家は本当に謀将?没落の身から息子は五大老へ

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
『関ヶ原合戦と石田三成 (敗者の日本史)』(→amazon
『小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像 (史料で読む戦国史)』(→amazon
石田三成/wikipedia
小西行長/wikipedia
安国寺恵瓊/wikipedia

TOPページへ

 



-豊臣家, 豊臣兄弟
-

×